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竹の木戸(たけのきど)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:03:13  点击:  切换到繁體中文

 


        下

 お源は真蔵に見られてもうまく誤魔化し得たと思った。ちょうど真蔵が窓から見下みおろした時は土竈炭どがまずみたもとに入れ佐倉炭さくらを前掛に包んで左の手でおさえ、更に一個ひとつ取ろうとするところであったが、元来性質ひとの良い邪推などの無い旦那だんなだから多分気が附かなかっただろうと信じた。けれど夕方になってどうしても水を汲みにゆく気になれない。
 そこで磯吉が仕事から帰る前に布団ふとんかぶって寝てしまった。寝たって眠むられは仕ない。垢染あかじみ煎餅布団せんべいぶとんでも夜は磯吉と二人で寝るから互の体温で寒気もしのげるが一人では板のようにしゃちっ張って身に着かないで起きているよりも一倍寒く感ずる。ぶるぶるふるえそうになるので手足を縮められるだけ縮めて丸くなったところを見ると人が寝てるとは承知うけとれん位だ。
 色々考えると厭悪いや心地きもちがして来た。貧乏には慣れてるがお源も未だ泥棒には慣れない。先達せんだってからちょくちょく盗んだ炭の高こそ多くないが確的あきらかに人目を忍んでひとの物を取ったのは今度が最初はじめてであるから一念其処そこへゆくと今までにない不安を覚えて来る。この不安の内には恐怖おそれ羞恥はじこもっていた。
 眼前めのさきにまざまざと今日の事が浮んで来る、見下した旦那の顔が判然はっきり出て来る、そしてテレ隠しに炭を手玉に取った時のことを思うと顔から火が出るように感じた。
真実ほんとうにどうしたんだろう」とお源は思わず叫んだ。そして徐々そろそろ逆上気味になって来た。「もしか知れたらどうする」。「知れるものかあの旦那は性質ひとが良いもの」。「性質ひとの良いは当にならない」。「性質ひと善良いいのは魯鈍のろまだ」。と促急込せきこんでひとり問答をしていたが
魯鈍のろまだ、魯鈍だ、大魯鈍だ」と思わず又叫んで「フン何が知れるもんか」と添足つけたした。そして布団から首を出して見ると日が暮れて入口の障子戸に月が射している。けれども起きて洋燈ランプけようとも仕ないで、直ぐ首を引込ひっこめて又た丸くなって了った。そこへ磯吉が帰って来た。
 頭が割れるように痛むので寝たのだと聞いて磯は別に怒りもせず驚きもせず自分でけ、薬罐やかん微温湯ぬるまゆだから火鉢に炭を足し、水も汲みに行った。湯の沸騰たぎるを待つ間は煙草をパクパクふかしていたが
「どう痛むんだ」
 返事がないので、磯は丸く凸起もちあがった布団を少時しばらじっていたが
「オイどう痛むんだイ」
 相変らず返事がないので磯は黙って了った。そのうち湯が沸騰わいて来たから例の通り氷のようにひえた飯へ白湯さゆけて沢庵たくあんをバリバリ、待ち兼た風に食い初めた。
 布団の中でお源が啜泣すすりなきする声が聞えたが磯には香物こうのものむ音と飯を流し込む音と、美味うまいので夢中になっているのとで聞えなかった、そして飯を食い終ったころには啜泣の声もんだのである。
 磯が火鉢のふち忽々こつこつたたき初めるや布団がむくむく動いていたが、やがてお源が半分布団に巻纏くるまって其処へ坐った。前があい膝頭ひざがしらが少し出ていても合そうとも仕ない、見ると逆上のぼせて顔を赤くして眼は涙に潤み、しきりに啜泣をている。
「どうしたと云うのだ、え?」と磯は問うたが、この男の持前として驚いて狼狽うろたえた様子は少しも見えない。
「磯さん私は最早もうつくづくいやになった」と言い出してお源は涙声になり
「お前さんと同棲いっしょになってから三年になるが、その間真実ほんとうに食うや食わずで今日はと思った日は一日だって有りやしないよ。私だって何も楽を仕様しようとは思わんけれど、これじゃあんまりだと思うわ。お前さんこれじゃ乞食も同然じゃ無いか。お前さんそうは思わないの?」
 磯は黙っている。
「これじゃだ食って生きてるだけじゃないか。饑死かつじにする者は世間に滅多にありや仕ないから、食って生きてるだけならだれだってするよ。それじゃあんまり情ないと私は思うわ」涙をそでふいて「お前さんだって立派な職人じゃないか、それにたった二人きりの生活くらしだよ。それがどうだろう、のべつ貧乏の仕通しでその貧乏も唯の貧乏じゃ無いよ。満足な家には一度だって住まないで何時いつでもこんな物置か――」
「何を何時までべらべら喋舌しゃべってるんだい」と磯は矢張やはりお源の方はむかないで、手荒く煙管きせるはたいて言った。
「お前さん怒るなら何程いくらでもお怒り。今夜という今夜は私はどうあっても言うだけ言うよ」とお源は急促込せきこんで言った。
「貧乏が好きな者はないよ」
「そんなら何故なぜお前さん月のうち十日は必然きっと休むの? お前さんはお酒はのまないし外に道楽はなし満足に仕事に出てさえおくれなら如斯こんな貧乏は仕ないんだよ。――」
 磯は火鉢の灰を見つめて黙っている。
「だからお前さんがも少し精出しておくれならこの節のように計量炭はかりずみろくかえないような情ない……」
 お源は布団へ打伏して泣きだした。磯吉はふいと起って土間に下りて麻裏あさうらを突掛けるや戸外そとへ飛び出した。戸外は月冴えて風はないが、骨身にこたえる寒さに磯は大急ぎで新開の通へ出て、七八丁もゆくと金次という仲間が居る、其家そこたずねて、十時過まで金次と将棋を指して遊んだが帰掛かえりがけに一寸一円貸せと頼んだ。明日なら出来るが今夜は一文もないと謝絶ことわられた。
 帰路かえりみちに炭屋がある。この店は酒もまき量炭はかりずみも売り、大庭もこの店から炭薪を取り、お源も此店ここへ炭を買いに来るのである。新開地は店を早くしまうのでこの店も最早もう閉っていた。磯は少時しばら此店ここの前を迂路々々うろうろしていたが急に店の軒下に積である炭俵の一個ひとつひょいと肩に乗て直ぐ横の田甫道たんぼみちそれて了った。
 大急で帰宅かえって土間にどしりと俵を下した音に、泣き寝入ねいりに寝入っていたお源は眼を覚したが声をださなかった。そして今のは何の響とも気に留めなかった。磯もそのままお源の後から布団の中にもぐり込んだ。
 翌朝になってお源は炭俵に気が着き、喫驚びっくりして
「磯さんこれはどうしたの、この炭俵は?」
「買って来たのサ」と磯は布団をかぶってるまま答えた。朝飯めしが出来るまでは磯は床を出ないのである。
何店どこで買ったの?」
何処どこだって可いじゃないか」
「聞いたって可いじゃないか」
「初公の近所の店だよ」
「まアどうしてそんな遠くで買ったの。……オヤお前さん今日お米を買うおあしつかってしまやアしまいね」
 磯は起上って「お前がやれ量炭も買えんだのッてしく言うから昨夜ゆうべ金公の家へって借りようとしてないってやがる。それから直ぐ初公のとこへ往ったのだ。炭を買うからすこしばかり貸せといったら一俵位なら俺家おれんとこの酒屋で取って往けとおおきなこと言うから直ぐ其家そこうちで初公の名前で持て来たのだ。それだけあれば四五日はるだろう」
「まアそう」と言ってお源はよろこんだ。直ぐ口を明けて見たかったけれど、ア後の事と、せっせと朝飯の仕度をしながら「え、四五日どころか自宅うちなら十日もあるよ」
 昨夜ゆうべ磯吉が飛出した後でお源は色々に思いなやんだ末が、亭主に精出せと勧める以上、自分も気を腐らして寝ていちゃ何もならない、又たお隣へも顔を出さんとかえって疑がわれるとこう考えたのである。
 其処そこ平常いつもの通り弁当持たせて磯吉を出してやり、自分も飯を食べて一通ひととおり片附たところでバケツを持って木戸を開けた。
 お清とお徳が外に出ていた。お清はお源を見て
「お源さん大変顔色が悪いね、どうかたの」
昨日きのうから少し風邪かぜを引たもんですから……」
「用心なさいよ、それは不可いけない」
 お徳は「お早う」と口早に挨拶あいさつしたきり何も言わない、そしてお源が炭俵の並べてないのに気が着き顔色を変えて眼をぎょろぎょろさしているのを見て、にやり笑った。お源は又た早くもこれを看取みてとりお徳の顔をにらみつけた。お徳はこう睨みつけられたとなると最早もう喧嘩けんかだ、何かひどい皮肉を言いたいがお清がそばに居るので辛棒していると十八九になる増屋の御用聞が木戸の方から入て来た。増屋とは昨夜ゆうべ磯吉が炭を盗んだ店である。
皆様みなさんお早う御座います」と挨拶するや、昨日きのうまで戸外そとに並べてあった炭俵が一個ひとつ見えないので「オヤ炭は何処どっかへ片附けたのですか」
 お徳は待ってたという調子で
「あア悉皆みんな内へいれちゃったよ。外へ置くとどうも物騒だからね。今の高価たかい炭を一片ひときれだって盗られちゃ馬鹿々々しいやね」とお源を見る、お清はお徳を睨む、お源は水を汲んで二歩ふたあし三歩みあし歩るき出したところであった。
「全く物騒ですよ、わたしところでは昨夜ゆうべ当到とうとう一俵盗すまれました」
「どうして」とお清が問うた。
戸外そとに積んだまま、平時いつも放下うっちゃって置くからです」
何炭なにを盗られたの」とお徳は執着しゅうねくお源を見ながら聞いた。
「上等の佐倉炭さくらです」
 お源はこれ等の問答を聞きながら、歯を喰いしばって、踉蹌よろめいて木戸の外に出た。
 土間に入るやバケツをほうるように置いて大急ぎで炭俵の口を開けて見た。
「まア佐倉炭さくらだよ!」と思わず叫んだ。

 お徳は老母からも細君からも、みっしりしかられた。お清は日の暮になってもお源の姿が見えないので心配して御気慊ごきげん取りと風邪見舞とを兼ねてお源をたずねた。内が余り寂然ひっそりしておるので「お源さん、お源さん」と呼んでみた。返事がないので可恐々々こわごわながら障子戸を開けるとお源は炭俵を脚継あしつぎにしたらしく土間の真中まんなかはりへ細帯をかけて死でいた。
 二日って竹の木戸が破壊こわされた。そして生垣いけがき以前もとさま復帰かえった。
 それから二月経過たつと磯吉はお源と同年輩おなじとしごろの女を女房に持って、渋谷村に住んでいたが、矢張やはり豚小屋同然の住宅すまいであった。





底本:「牛肉と馬鈴薯・酒中日記」新潮文庫、新潮社
   1970(昭和45)年5月30日初版発行
   1983(昭和58)年7月30日22刷
※「促急込せきこんで」と「急促込せきこんで」の混在は底本通りにしました。
入力:Nana Ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年6月1日作成
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