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竹の木戸(たけのきど)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:03:13  点击:  切换到繁體中文

 


        中

 十二月にると急に寒気が増して霜柱は立つ、氷は張る、東京の郊外は突然だしぬけに冬の特色を発揮して、流行の郊外生活にかぶれて初て郊外に住んだ連中れんじゅう喫驚びっくりさした。然し大庭真蔵は慣れたもので、長靴を穿いて厚い外套がいとうを着て平気で通勤していたが、最初の日曜日は空青々と晴れ、日が煌々きらきらと輝やいて、そよ吹く風もなく、小春日和こはるびよりが又立返たちもどったようなので、真蔵とお清は留守居番、老母と細君は礼ちゃんとお徳を連て下町に買物に出掛けた。
 郊外から下町へ出るのは東京へ行くと称して出慣れぬ女連は外出そとでの仕度に一騒ひとさわぎするのである。それで老母を初め細君娘、お徳までの着変きかえやら何かに一しきりさわがしかったのが、出てったあとは一時にしんとなって家内やうち人気ひとげが絶たようになった。
 真蔵は銘仙の褞袍どてらの上へ兵古帯へこおびを巻きつけたまま日射ひあたりの可い自分の書斎に寝転ねころんで新聞を読んでいたがお午時ひる前になると退屈になり、書斎を出て縁辺えんがわをぶらぶら歩いていると
兄様にいさま」と障子越しにお清が声をかけた。
「何です」
「おホホホホ『何です』だって。お午食ひるは何にも有りませんよ」
「かしこ参りました」
「おホホホホ『かしこ参りました』だって真実ほんとに何にもないんですよ」
 其処そこで真蔵はお清の居る部屋へやの障子を開けると、なかではお清がせっせと針仕事をしている。
「大変勉強だね」
「礼ちゃんの被布ひふですよ、い柄でしょう」
 真蔵はそれにはこたえず、其処辺そこらを見廻わしていたが、
「も少し日射ひあたりの好い部屋でったら可さそうなものだな。そして火鉢ひばちもないじゃないか」
「未だ手が凍結かじけるほどでもありませんよ。それにこの節は御倹約ということに決定きめたのですから」
「何の御倹約だろう」
「炭です」
「炭はなるほど高価たかくなったに違ないがうちで急にそれを節約するほどのことはなかろう」
 真蔵は衣食台所元のことなど一切いっせつ関係しないから何も知らないのである。
「どうして兄様にいさん、十一月でさえ一月の炭の代がお米の代よりか余程よっぽど上なんですもの。これから十二、一、二とず三月が炭のさかりですから倹約出来るだけ仕ないと大変ですよ。お徳が朝から晩まで炭が要る炭が高価たかいて泣言ばかり言うのも無理はありませんわ」
「だって炭を倹約して風邪かぜでも引ちゃ何もなりや仕ない」
「まさかそんなことは有りませんわ」
「しかし今日は好い案排あんばいに暖かいね。母上おっかさんでも今日は大丈夫だろう」と両手を伸して大欠伸おおあくびをして
「何時かしらん」
最早もう直ぐ十二時でしょうよ。お午食ひるにしましょうか」
「イヤ未だ腹が一向かん。会社だと午食ひるの弁当が待遠いようだけどなア」と言いながら其処を出て勝手の座敷から女中部屋までのぞきこんだ。女中部屋など従来これまで入ったことも無かったのであるが、見ると高窓が二尺ばかり開け放しになってるので、何心なく其処から首をひょいと出すと、直ぐ眼下に隣のお源が居て、お源が我知らず見上た顔とぴたり出会った。お源はサと顔を真赤にして狼狽うろたえきった声をやっと出して
「お宅ではこういう上等の炭をお使いなさるんですもの、たまりませんわね」と佐倉の切炭を手に持ていたが、それを手玉に取りだした。窓の下は炭俵が口を開けたまま並べてある場処で、お源が木戸から井戸辺いどばたにゆくには是非このそばを通るのである。
 真蔵も一寸ちょっと狼狽まごついて答に窮したが
「炭のことは私共に解らんで……」と莞爾にっこり微笑わらってそのまま首を引込めて了った。
 真蔵は直ぐ書斎に返ってお源の所為しょさに就て考がえたが判断が容易につかない。お源は炭を盗んでいるところであったとは先ず最初に来る判断だけれど、真蔵はそれをそのまま確信することが出来ないのである。実際ただ炭を見ていたのかも知れない、通りがかりだからツイ手に取って見ているところを不意に他人ひとから瞰下みおろされて理由わけもなく顔を赤らめたのかも知れない。まして自分が見たのだから狼狽うろたえたのかも知れない。と考えれば考えられんこともないのである。真蔵はなるべくのちの方に判断したいので、遂にそう心で決定きめてともかく何人だれにもこの事は言わんことにした。
 しかし万一ひょっともし盗んでいたとすると放下うっちゃって置いてはあとが悪かろうとも思ったが、一度見られたら、とても悪事を続行つづけることはすまいと考えたからお更らこの事は口外しない方が本当だと信じた。
 どちらにしてもお徳が言った通り、彼処あそこへ竹の木戸を植木屋に作らしたのは策の得たるものでなかったと思った。
 午後三時過ぎて下町行の一行はぞろぞろ帰宅かえって来た。一同が茶の間に集まってがやがやと今日の見聞を今一度繰返して話合うのであった。お清は勿論もちろん、真蔵も引出されて相槌あいづちを打って聞かなければならない。礼ちゃんが新橋の勧工場かんこうばで大きな人形を強請ねだって困らしたの、電車の中に泥酔者よっぱらいが居て衆人みんなを苦しめたの、真蔵に向て細君が、所天あなたは寒むがり坊だから大徳で上等飛切とびきりの舶来のシャツを買って来たの、下町へ出るとどうしても思ったよりか余計にお金を使うだの、それからそれと留度とめどがない。そして聞く者よりか喋舌しゃべっている連中の方が余程よっぽど面白そうであった。
 先ずこのがやがやが一頻ひとしきりむとお徳は急に何か思い出したようにたって勝手口を出たが暫時しばらくして返って来て、妙に真面目まじめな顔をして眼をまるくして、
「まア驚いた!」と低い声で言って、人々みんなの顔をきょろきょろ見廻わした。人々みんなも何事が起ったかとお徳の顔を見る。
「まア驚いた!」と今一度言って、「お清様は今日屋外そとの炭をお出しになりや仕ませんね?」といた。
いいえ、私は炭籠すみかごの炭ほか使つかわないよ」
「そうら解った、わたくし去日このあいだからどうも炭の無くなりかたが変だ、如何いくら炭屋が巧計ずるをして底ばかし厚くするからってこうも急に無くなるはずがないと思っていたので御座いますよ。それで私は想当おもいあたってる事があるから昨日きのうお源さんの留守に障子の破目やぶれめからなかちょいのぞいて見たので御座いますよ。そうするとどうでしょう」と、一段声を低めて「あの破火鉢やぶれひばちに佐倉が二片ふたつちゃんといかって灰がけて有るじゃア御座いませんか。それを見て私は最早もう必定きっとそうだと決定きめて御隠居様に先ず申上げてみようかと思いましたが、一つ係蹄わなをかけて此方こっちめした上と考がえましたから今日ってたので御座いますよ」とお徳はにやり笑った。
「どんな係蹄わなをかけたの?」とお清が心配そうにいた。
「今日出る前に上に並んだ炭に一々符号しるしを附けて置いたので御座います。それがどうでしょう、今見ると符号しるしを附けた佐倉が四個よっつそっくり無くなっているので御座います。そして土竈どがまは大きなのを二個ふたつ上に出して符号を附けて置いたらそれも無いのです」
「まアどうしたと云うのだろう」お清はあきれて了った。老母と細君は顔見合して黙っている。真蔵はさて愈々いよいよと思ったが今日見た事を打明けるだけは矢張やはり見合わした。つまり真蔵にはそうまでするに忍びなかったのである。
「で御座いますから炭泥棒は何人だれだか最早もう解ってます。どう致しましょう」とお徳は人々みんながこの大事件を喫驚びっくりしてごうごうと論評を初めてくれるだろうと予期していたのが、お清が声を出してくれた外、旦那だんなを初め後の人は黙っているので少し張合が抜けた調子でこう問うた。暫時しばらく誰も黙っていたが
「どうするッて、どうするの?」とお清が問い返した、お徳は少々焦急じれったくなり、
「炭をですよ。炭をあのままにして置けばこれから幾干いくらでも取られます」
「台所の縁の下はどうだ」と真蔵は放擲うっちゃって置いてもお源が今後容易に盗み得ぬことを知っているけれど、その理由わけを打明けないと決心きめてるから、仕様事なしにこう言った。
充満いっぱいで御座います」とお徳は一言で拒絶した。
「そうか」真蔵は黙って了う。
「それじゃこうしたらどうだろう。お徳の部屋の戸棚とだなの下を明けて当分ともかく彼処あそこへ炭を入れることにしたら。そしてお徳の所有品ものは中の部屋の戸棚とだな整理かたづけて入れたら」と細君が一案を出した。
「それじゃアそう致しましょう」とお徳は直ぐ賛成した。
「お徳には少し気の毒だけれど」と細君は附加つけたした。
いいえわたくしは『中の部屋』のお戸棚とだな衣類きものを入れさして頂ければお結構で御座ございます」
「それじゃあそう決定きめるとして、全体物置を早く作れというのに真蔵がぐずぐずしているからこういうことになるのです。物置さえあれば何のこともないのに」と老母がやっと口をきいたと思ったら物置の愚痴。真蔵は頭をいて笑った。
いいえ、こういうことになったのも、竹の木戸のお蔭で御座いますよ、ですから私は彼処あそこを開けさすのは泥棒の入口をこしらえるようなものだと申したので御座います。今となれゃ泥棒が泥棒の出入口ではいりぐちこしらえたようなものだ」とお徳が思わず地声の高い調子で言ったので老母は急に
「静に、静に、そんな大きな声をしてきかれたらどうします。わしも彼処を開けさすのはいやじゃッたが開けて了った今急にどうもならん。今急に彼処をふさげば角が立て面白くない。植木屋さんも何時いつまであんな物置小屋ものおきごやみたような所にも居られんで移転ひっこすなりどうなりするだろう。そしたら彼所あそこを塞ぐことにして今はだ何にも言わんで知らん顔を仕てる、お徳も決してお源さんに炭の話など仕ちゃなりませんぞ。現に盗んだところを見たのではなし又高が少しばかしの炭をられたからってそれを荒立てて彼人者あんなものだちに怨恨うらまれたらお損になりますぞ。真実ほんとに」と老母は老母だけの心配を諄々じゅんじゅんといた。
真実ほんとにそうよ。お徳はどうかすると譏謔あてこすりを言い兼ないがお源さんにそんなことでもすると大変よ、反対あべこべ物言ものいいを附けられてどんな目にうかも知れんよ、私はあの亭主の磯が気味が悪くって成らんのよ。変妙来へんみょうらいな男ねえ。あんな奴に限って向う不見みずに人にってかかるよ」とお清も老母と同じ心配。老母も磯吉のことは口には出さなかったが心には無論それが有たのである。
「何にあの男だって唯の男サ」と真蔵は起上たちあがりながら「けれども関係かかりあわんが可い」
 真蔵は自分の書斎に引込み、炭問題も一段落着いたので、お徳とお清は大急で夕御飯の仕度に取掛った。
 お徳はお源がどんな顔をして現われるかと内々待ていたが、平常いつも夕方には必然きっと水を汲みに来るのが姿も見せないので不思議に思っていた。
 日が暮て一時間もたってから磯吉が水を汲みに来た。

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