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空知川の岸辺(そらちがわのきしべ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:00:38  点击:  切换到繁體中文

 


       三

 宿の子のまめ/\しきが先に立ちて、明くれば九月二十六日朝の九時、愈々いよ/\空知川の岸へと出発した。
 陰晴さだめなき天気、薄き日影洩るゝかと思へば忽ち峰より林より霧起りて峰をも林をも路をも包んでしまう。山路は思ひしより楽にて、余は宿の子と様々の物語しつゝ身も心も軽くゆんだ。
 林は全く黄葉きばみ、蔦紅葉つたもみぢは、真紅しんくに染り、霧起る時はかすみへだてて花を見るが如く、日光直射する時は露を帯びたる葉毎に幾千万の真珠碧玉を連らねて全山もゆるかと思はれた。宿の子は空知川沿岸に於ける熊の話をし、続いて彼が子供心に聞き集めたる熊物語の幾種かを熱心に語つた。坂を下りて熊笹のしげれる所に来ると彼は一寸立どまり
「聞えるだらう、川の音が」と耳を傾けた、「ソラ……聞えるだらう、あれが空知川、もう直ぐ其処だ。」
「見えさうなものだな。」
「如何して見えるものか、森の中に流れて居るのだ。」
 二人は、頭を没する熊笹の間を僅に通う帯ほどのみちを暫くゆくと、一人の老人の百姓らしきに出遇つたので、余は道庁の出張員が居る小屋を訊ねた。
「此径を三丁ばかり行くと幅の広い新開の道路に出る、其右側の最初の小屋に居なさるだ。」と言い捨てゝ老人はつて了つた。
 歌志内を出発たつてから此処までの間に人に出遇つたのは此老人ばかりで、途中又小屋らしき物を見なかつたのである、余は此老人を見て空知川の沿岸の既に多少いくらかの開墾者の入込いりこんで居ることを事実の上に知つた。
 熊笹のこみちを通りぬけると果して、思ひがけない大道が深林を穿うがつて一直線に作られてある。其幅は五間以上もあらうか。然も両側に密茂みつもして居る林は、二丈を越へ三丈に達する大木が多いので、此幅広き大道も、堀割を通ずる鉄道線路のやうであつた。然し余は此道路を見て拓殖に熱心なる道庁の計営の、如何に困難多きかを知つたのである。
 見れば此道路の最初の右側に、内地では見ることの出来ない異様なる掘立小屋ほつたてごや[#「掘立小屋」は底本では「堀立小屋」]がある。小屋の左右及び後背うしろは林を倒して、二三段歩の平地が開かれて居る。余は首尾よく此小屋で道庁の属官、井田某及び他の一人に会ふことが出来た。
 殖民課長の丁寧なる紹介は、彼等をして十分に親切に余が相談相手とならしめたのである。更に驚くべきは、彼等が余の名を聞いて、早く既に余を知つて居たことで、余の蕪雑なる文章も、何時しか北海道の思ひもかけぬ地に其読者を得て居たことであつた。
 二人は余の目的を聞き終りて後、空知川沿岸の地図をひらき其経験多き鑑識を以て、彼処比処かしここゝと、移民者の為めに区劃せる一区一万五千坪の地の中から六ヶ所ほど撰定して呉れた。
 事務は終り雑談に移つた。
 小屋は三間に四間を出でず、屋根も周囲まはりの壁も大木の皮を幅広くぎて組合したもので、板を用ゐしは床のみ、床にはむしろを敷き、出入の口はこれ又樹皮を組みて戸となしたるが一枚おほはれてあるばかりこれ開墾者の巣なり家なり、いな城廓なり。一隅に長方形の大きな炉が切つて、これを火鉢にかまどに、煙草盆に、冬ならば煖炉に使用するのである。
「冬になつたら堪らんでしやうねこんな小屋に居ては。」
「だつて開墾者はみんなこんな小屋に住んで居るのですよ。どうです辛棒が出来ますか。」と井田は笑ひながら言つた。
「覚悟はて居ますが、イザとなつたら随分困るでしやう。」
「然し思つた程でもないものです。若し冬になつて如何どうしても辛棒が出来さうもなかつたら、貴所方あなたがたのことだから札幌へ逃げて来れば可いですよ。どうせ冬籠ふゆごもりは何処でしても同じことだから。」
「ハッハッハッヽヽヽそれなら初めから小作人まかせにして御自分は札幌に居る方がからう。」と他の属官が言つた。
「さうですとも、さうですとも冬になつて札幌に逃げて行くほどならいつそ初めから東京に居て開墾した方が可いんです。何に僕は辛棒しますよ。」と余は覚悟を見せた。井田は
「さうですな、先づ雪でも降つて来たら、この炉にドン/\焼火たきびをするんですな、薪木たきゞならお手のものだから。それで貴所方だからウンと書籍しよもつ仕込しこんで置いて勉強なさるんですな。」
「雪が解ける時分には大学者になつて現はれるといふ趣向ですか。」と余は思わず笑つた。
 はなして居ると、突然パラ/\と音がして来たので余は外に出て見ると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂たる深林を越えて時雨しぐれが過ぎゆくのであつた。
 余は宿の子を残して、一人此辺このあたりを散歩すべく小屋を出た。
 げに怪しき道路よ。これ千年の深林をめつし、人力を以て自然に打克うちかたんが為めに、殊更に無人ぶじんさかひを撰んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林これを覆ふのみにて、一個の人影じんえいすらなく、一縷いちるの軽煙すら起らず、一の人語すら聞えず、寂々せき/\寥々れう/\として横はつて居る。
 余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だかつて、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる私語さゝやきである。深林の底に居て、此を聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の虚喝きよかつである。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天の、何の声もなく唯だ黙して下界を視下みおろす時、かつて人跡を許さゞりし深林の奥深き処、一片の木の葉の朽ちて風なきに落つる時、自然は欠伸あくびして曰く「あゝわが一日も暮れんとす」と、而して人間の一千年は此刹那に飛びゆくのである。
 余は両側の林を覗きつゝ行くと、左側で林のやゝ薄くなつて居る処を見出した。下草を分けて進み、ふと顧みると、此身は何時しか深林の底に居たのである。とある大木の朽ちて倒れたるに腰をかけた。
 林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ/\と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んでしんとして林は静まりかへつた。
 余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。
 社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ「生存」其者そのものの、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く「人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり」と。
 死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、此の如きの威迫を受けないものは誰も無からう。余我を忘れて恐ろしき空想に沈んで居ると、
「旦那! 旦那!」と呼ぶ声が森の外でした。急いで出て見ると宿の子が立つて居る。
最早もう御用が済ん〔ママ〕帰りましやう」
 其処で二人は一先づ小屋に帰ると、井田は、
「どうです今夜は試験のために一晩此処に泊つて御覧になつては。」

 余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到つた。たとひ一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚ほ空知川の沿岸を思ふと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるやうに感ずるのである。
 何故だらう。

(明治三十五年十一月―十二月)





底本:「現代日本文學大系 11 國木田獨歩・田山花袋集」筑摩書房
   1970(昭和45)年3月15日初版第1刷発行
   1973(昭和48)年9月1日初版第4刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林田清明
校正:大西敦子
2000年6月27日公開
2006年3月18日修正
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