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空知川の岸辺(そらちがわのきしべ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 9:00:38  点击:  切换到繁體中文

 



       二

 三浦屋に着くや早速主人を呼んで、空知川の沿岸にゆくべき方法を問ひ、詳しく目的を話して見た。処が主人はむしろ引返へして歌志内うたしないに廻はり、歌志内より山越えした方が便利だらうといふ。
「次の汽車なら日の暮までには歌志内に着きますから今夜は歌志内で一泊なされて、明日能くお聞合せになつて其上でお出かけになつたがうがす。歌志内なら此処とは違つて道庁のかたも居ますから、其井田さんとかいふ方の今居る処も多分解るでせう。」
 ういはれて見ると成程さうである。されども余は空知川の岸に沿ふて進まば、余が会はんとする道庁の官吏井田某の居所を知るに最も便ならんと信じて、空知太まで来たのである。しかるに空知太より空知川の岸をつたふことは案内者なくては出来ぬとのこと、而も其道らしき道の開け居るには在らずとの事を、三浦屋の主人より初めて聞いたのである。其処で余は主人の注意に従ひ、歌志内に廻はることにめて、次の汽車まで二時間以上を、三浦屋の二階で独りポツねんと待つこととなつた。
 見渡せば前は平野ひらのである。り残された大木が彼処此処かしここゝ衝立つゝたつて居る。風当かぜあたりの強きゆゑか、何れも丸裸体まるはだかになつて、黄色に染つた葉の僅少わづかばかりが枝にしがみ着いて居るばかり、それすら見て居る内にバラ/\と散つて居る。風の加はると共に雨が降つて来た。遠方をちかたは雨雲に閉されて能くも見え分かず、最近まぢかに立つて居るかしはの高さ三丈ばかりなるが、其太い葉を雨に打たれ風に揺られて、けうときを立てゝ居る。道を通る者は一人もない。
 かゝる時、かゝる場所に、一人の知人なく、一人の話相手なく、旅人宿はたごやの窓に倚つて降りしきる秋の雨を眺めることは決して楽しいものでない。余ははしなく東京の父母や弟や親しき友を想ひ起して、今更の如く、今日まで我を囲みし人情の如何に温かであつたかを感じたのである。
 男子志を立て理想を追ふて、今や森林の中に自由の天地を求めんと願ふ時、決して女々めゝしくてはならぬと我とわが心を引立ひきたてるやうにしたが、要するに理想は冷やかにして人情は温かく、自然は冷厳にして親しみ難く人寰じんくわんは懐かしくして巣を作るに適して居る。
 余は悶々として二時間を過した。其中そのうちには雨は小止こやみになつたと思ふと、喇叭のが遠くに響く。首を出して見ると斜に糸の如く降る雨を突いて一輛の馬車が馳せて来る。余は此馬車に乗込んで再び先の停車場へと、三浦屋を立つた。
 汽車の乗客はかぞふるばかり。余の入つた室は余一人であつた。人独り居るは好ましきことに非ず、余は他の室に乗換へんかとも思つたが、思い止まつて雨と霧との為めに薄暗くなつて居る室の片隅に身を寄せて、暮近くなつた空の雲の去来ゆきゝや輪をなして回転し去る林の立木を茫然と眺めて居た。かゝる時、人は往々無念無想のうちに入るものである。利害の念もなければ越方こしかた行末のおもひもなく、恩愛の情もなく憎悪の悩もなく、失望もなく希望もなく、たゞ空然として眼を開き耳を開いて居る。旅をして身心共に疲れ果てゝ猶ほ其身は車上に揺られ、縁もゆかりもない地方を行く時は往々にしてかくの如き心境に陥るものである。かゝる時、はからず目に入つた光景は深く脳底にり込まれて多年これを忘れないものである。余が今しも車窓より眺むる処の雲の去来ゆきゝや、かばの林や恰度ちやうどそれであつた。
 汽車の歌志内の渓谷に着いた時は、雨全く止みて日はまさに暮れんとする時で、余は宿るべき家のあてもなく停車場を出ると、流石さすがに幾千の鉱夫を養ひ、幾百の人家の狭きたに簇集ぞくしふして居る場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けて居た。其一人に導かれいし多くともしび暗き町を歩みて二階建の旅人宿はたごやに入り、妻女の田舎なまりを其儘、愛嬌も心かららしく迎へられた時は、余も思はず微笑したのである。
 夜食を済すと、呼ばずして主人は余のへやに来てくれたので、たゞちに目的を語り彼より出来るだけの方便を求めた、主人は余の語る処をにこついて聞いて居たが
一寸ちよつとお待ち下さい、少し心当りがありますから。」と言ひ捨てゝ室を去つた。暫時しばらくして立還たちかへ
「だから縁といふは奇態なものです。貴所あなた最早もう御安心なさい、すつかり分明わかりました。」と我身のことの如く喜んで座に着いた。
「わかりましたか。」
「わかりましたとも、大わかり。四日前から私の家にお泊りのお客様があります。この方は御料地の係のかた先達せんだつてから山林を見分みわけしてお廻はりになつたのですが、ソラ野宿の方が多がしよう、だから到当身体をこはして今手前共で保養して居らつしやるのです。篠原さんといふ方ですがね。何でも宅へ見える前の日は空知川の方に居らつしやつたといふこと聞きましたから、若しやと思つて唯今伺つて見ました処が、解りました。ウン道庁の出張員なら山を越すと直ぐ下の小屋に居たと仰しやるのです、御安心なさい此処から一里位なもので訳は有りません、朝行けばお昼前には帰つて来られますサ。」
「どうも色々難有ありがたう、それで安心しました。然し今も其小屋に居て呉れゝば可いが。始終居所が変るので其れで道庁でも知れなかつたのだから。」
「大丈夫居ますよ、し変つて居たらせんに居た小屋の者に聞けばうがす、遠くに移るわけは有りません。」
「兎も角も明日あす朝早く出掛けますから案内を一人頼んで呉れませんか。」
「さうですな、山道で岐路えだが多いから矢張り案内がるでしやう、宅のせがれを連れていらつしやい。十四の小僧ですが、空知太そらちぶとまでなら存じて居ます。案内位出来ませうよ。」と飽くまで親切に言つて呉れるので、余は実に謝する処を知らなかつた。成程縁は奇態なものである、余にして若し他の宿屋に泊つたなら決してこれ程の便宜と親切とは得ることが出来なかつたらう。
 主人は何処までも快活な男で、放胆で、而も眼中人なきの様子がある。彼の親切、見ず知らずの余にまで惜気もなく投げ出す親切は、彼の人物の自然であるらしい。世界をうちとなし到る処に其故郷を見出す程の人は、到る処の山川、接する処の人がすなはち朋友である。であるから人の困厄を見れぱ、其人が何人なんびとであらうと、憎悪にくあしするの因縁いはれさへ無くば、則ち同情を表する十年の交友と一般なのである。余は主人の口より其略伝を聞くに及んで彼の人物の余の推測に近きを知つた。
 彼は其生れ故郷に於て相当の財産を持つて居た処が、彼の弟二人は彼の相続したる財産を羨むこと甚だしく、遂には骨肉のあらそひまで起る程に及んだ。然るに彼の父なる七十の老翁も亦た少弟せうてい二人を愛して、ややもすれば兄に迫つて其財産を分配せしめやうとする。若しこれ三等分すれば、三人とも一家を立つることが出来ないのである。
「だから私は考へたのです、これつばかしの物を兄弟して争ふなんて余り量見が小さい。宜しいお前達につて了う。たゞ五分の一だけ呉れろ、乃公わしは其をもつて北海道に飛ぶからつて。其処で小僧がこゝのつの時でした、親子三人でポイと此方こつちへやつて来たのです。イヤ人間といふものは何処にでも住まば住まれるものですよハッハッハッ」と笑つて「処が妙でせう、弟の奴等、今では私が分配わけてやつた物を大概無くしてしまつて、それで居て矢張り小ぽけな村を此上もない土地のやうに思つて私が何度も北海道へ来て見ろと手紙ですゝめても出て来得きえないんでサ。」
 余は此男の為す処を見、其語る処を聞いて、大に得る処があつたのである。よしや此一小旅店の主人は、余が思ふ所の人物と同一でないにせよ、よしや余が思ふ所の人物は、此主人より推して更らに余自身の空想を加へて以て化成したる者にせよ、彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる処あり、海をも山をも原野をもた市街をも、我物顔に横行濶歩して少しも屈托せず、天涯地角到る処に花のかんばしきを嗅ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからく此の如くして男といふべきではあるまいか。
 斯く感ずると共に余の胸はおほいに開けて、札幌を出でてより歌志内に着くまで、雲と共に結ぼれ、雨と共にしほれて居た心ははしなくも天の一方深碧にして窮りなきを望んだやうな気がして来た。
 夜の十時頃散歩に出て見ると、雲のながれ急にして絶間たえま々々には星が見える。暗い町を辿たどつて人家を離れると、渓を隔てゝ屏風の如く黒く前面によこたはる杣山そまやまの上に月現はれ、山をかすめて飛ぶ浮雲は折り/\其前面を拭ふて居る。空気は重く湿めり、空には風あれども地は粛然として声なく、たゞ渓流の音のかすかに聞ゆるばかり。余は一方は山、一方は崖の爪先上りの道を進みて小高き広場に出たかと思ふと、突然耳に入つたものは絃歌のさわぎである。
 見れば山に沿ふて長屋建ながやだちの一棟あり、これに対して又一棟あり。絃歌は此長屋より起るのであつた。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、其障子には火影はなやかに映り、三絃の乱れて狂ふ調子放歌の激して叫ぶ声、笑ふ声は雑然として起つて居るのである、牛部屋に等しき此長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
 流れて遊女となり、流れて鉱夫となり、買ふものも売るものも、我世夢ぞと狂歌乱舞するのである。余は進んで此長屋小路ながやこうぢに入つた。
 雨上あめあがりの路はぬかるみ水溜みづだまりには火影ほかげうつる。家は離れて見しよりも更に哀れな建てざまにて、新開地だけにたゞ軒先障子などの白木の夜目にも生々なま/\しく見ゆるばかり、ゆか低く屋根低く、立てし障子は地よりたゞちに軒に至るかと思はれ、既にゆがみて隙間よりはつりランプの笠など見ゆ。肌脱はだぬぎの荒くれ男の影鬼の如く映れるあり、乱髪の酌婦の頭の夜叉の如く映るかと思へば、床も落つると思はるゝ音が為て、ドツとばかり笑声の起る家もあり。「飲めよ」、「歌へよ」、「殺すぞ」、「なぐるぞ」、哄笑、激語、悪罵、歓呼、叱咤、つやある小節こぶしの歌の文句の腸を断つばかりなる、三絃の調子の嗚咽むせぶが如き忽ちにして暴風、忽ちにして春雨しゆんう、見来れば、歓楽の中に殺気をこめ、殺気の中に血涙をふくむ、泣くは笑ふのか、笑ふのは泣くのか、いかりは歌か、歌は怒か、嗚呼あゝはかなき人生の流よ! 数年前までは熊眠り狼住みし此渓間に流れ落ちて、こゝによどみ、こゝに激し、こゝに沈み、月影冷やかにこれを照して居る。
 余は通り過ぎて振りかへり、暫し停立たゝずんで居ると、突然間近なる一軒の障子がいて一人の男がつと現はれた。
「や、月が出た!」と振上げた顔を見れば年頃二十六七、背高く肩広く屈強の若者である。きよろ/\四辺あたりを見廻して居たがほつ酒気しゆきを吐き、舌打して再び内によろめき込んだ。

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