飯ができるや、まず弁公はその日の弁当、親父と自分との一度分をこしらえる。終わって二人は朝飯を食いながら親父は低い声で、
「この
弁公はほおばって首を縦に二三度振る。
「そして出がけに、飯もたいてあるから勝手に食べて一日休めと言え。」
弁公はうなずいた、親父は一段声を潜めて、
「
弁公は口をもごもごしながら親父の耳に口を寄せて、
「でも文公は長くないよ。」
親父は急に
「だから、なお助けるのだ。」
弁公はまたもすなおにうなずいた。出がけに文公を揺り起こして、
「オイちょっと起きねえ、これから、おいらは仕事に出るが、兄きは一日休むがいい。飯もたいてあるからナア、イイカ留守を頼んだよ。」
文公は不意に起こされたので、驚いて起き上がりかけたのを弁公が止めたので、また寝て、その言うことを聞いてただうなずいた。
あまり当てにならない留守番だから、雨戸を引きよせて親子は出て行った。文公は留守居と言われたのですぐ起きていたいと思ったが、ころがっているのがつまり楽なので、十時ごろまで目だけさめて起き上がろうともしなかったが、腹がへったので、苦しいながら起き直って、飯を食ってまたごろりとして、夢うつつで正午近くなるとまた腹がへる。それでまた食ってごろついた。
弁公親子はある親分について市の埋め立て工事の土方をかせいでいたのである。弁公は
「気をつけろ、間抜けめ」と言うのが捨てぜりふで、そのまま行こうとすると、親父は承知しない。
「この野郎!」と言いさま往来にはい上がって、今しもかじ棒を上げかけている
「土方だって人間だぞ、ばかにしやアがんな、」と叫んだ。
見る間に付近に散在していた土方が集まって来て、
虫の息の親父は戸板に乗せられて、親方と仲間の土方二人と、気抜けのしたような弁公とに送られて
「弁公しっかりしな、おれがきっとかたきを取ってやるから。」と親方は言いながら、
親方の行ったあとで今まで外に立っていた仲間の二人はともかく内へはいった。けれどもすわる所がない。この時弁公はいきなり文公に、
「親父は
「それじゃア親父さんの顔を一度見せてくれ。」
「見ろ。」と言って、弁公はかぶせてあったものをとったが、この時はもう薄暗いので、はっきりしない。それでも文公はじっと見た。
飯田町の狭い路地から貧しい
轢死者は線路のそばに置かれたまま
六人の一人は巡査、一人は医者、三人は人夫、そして中折れ帽をかぶって
「二時の貨物車でひかれたのでしょう。」と人夫の一人が言った。
「その時はまだ降っていたかね?」と巡査が
「降っていましたとも。雨のあがったのは三時過ぎでした。」
「どうも病人らしい。ねえ大島さん。」と巡査は医者のほうを向いた、大島医師は巡査が煙草を吸っているのを見て、自分も煙草を出して巡査から火を借りながら、
「無論病人です。」と言って轢死者のほうをちょっと見た。すると人夫が
「きのうそこの原をうろついていたのがこの野郎に違いありません。確かにこの
「そうするとなんだナ、やはり死ぬ気で来たことは来たが昼間は死ねないで夜やったのだナ。」と巡査は言いながら、くたびれて上り下り両線路の間にしゃがんだ。
「やっこさん、あの雨にどしどし降られたので、どうにもこうにもやりきれなくなって、そこの土手からころがり落ちて線路の上へぶったおれたのでしょう。」と、人夫は見たように話す。
「なにしろ哀れむべきやつサ。」と巡査が言って何心なく土手を見ると、見物人がふえて学生らしいのもまじっていた。
この時赤羽行きの汽車が朝日をまともに車窓に受けて威勢よく走って来た。そして火夫も運転手も乗客も、みな身を乗り出して
この一物は姓名も原籍も不明というので、例のとおり仮埋葬の処置を受けた。これが文公の最後であった。
実に人夫が言ったとおり、文公はどうにもこうにもやりきれなくって倒れたのである。(完)
底本:「号外・少年の悲哀 他六篇」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年4月17日 第1刷発行
1960(昭和35)年1月25日 第14刷改版発行
1981(昭和56)年4月10日 第34刷発行
入力:紅 邪鬼
校正:鈴木厚司
2000年7月5日公開
2004年6月22日修正
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