降るか照るか、私は曇日を最も嫌ふ。どんよりと曇つて居られると、頭は重く、手足はだるく眼すらはつきりとあけてゐられない様な欝陶しさを感じがちだ。無論為事は手につかず、さればと云つてなまけてゐるにも息苦しい。
それが静かに
机に向ふもいゝし、寝ころんで新聞を繰りひろげるもよい。何にせよ、安心して事に当られる。
雨を好むこゝろは確に
すべての企てに疲れたやうな心にはまつたく雨がなつかしい。一つ/\降つて来るのを仰いでゐると、いつか心はおだやかに凪いでゆく。怠けてゐるにも安心して怠けてゐられるのをおもふ。
雨はよく季節を教へる。だから季節のかはり目ごろの雨が心にとまる。梅のころ、若葉のころ、または冬のはじめの時雨など。
梅の花のつぼみの
しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや
窓さきの暗くなりたるきさらぎの強降雨を見てなまけをり
門出づと傘ひらきつつ大雨の音しげきなかに梅の花見つ
ぬかるみの道に立ち出で大雨に傘かたむけて梅の花見つ
わがこころ澄みてすがすがし三月のこの大雨のなかを歩みつつ
しみじみと聞けば聞ゆるこほろぎは時雨るる庭に鳴きてをるなり
こほろぎの今朝鳴く聞けば時雨降る庭の落葉の色ぞおもはる
家の窓ただひとところあけおきてけふの時雨にもの読み始む
障子さし電灯ともしこの朝を部屋にこもればよき時雨かな
など、春の初めの雨と時雨とを歌つたものは私に多くあるが、大好きの若葉の雨をばどうしたものかあまり詠んでゐない。僅かに、
雨雲のひくくわたりて庭さきの草むら青み夏むしの鳴く
などを覚えてゐるのみである。
夕立をば二三首歌つてゐる。
はちはちと降りはじけつつ荒庭の穂草がうへに雨は降るなり
俄雨降りしくところ庭草の高きみじかき伏しみだれたり
渋柿のくろみしげれるひともとに滝なして降る夕立の雨
一日のうちでは朝がいゝ。朝の雨が一番心に浸む。真直ぐに降つてゐる一すぢごとの明るさのくつきりと眼にうつるは朝の雨である。
眺むるもよいが、聴き入る雨の音もわるくない。ことに夜なかにフツと眼のさめた時、端なくこのひゞきを聴くのはありがたい。
あららかにわがたましひを打つごときこの夜の雨を聴けばなほ降る
雨はよく疲れた者を慰むる。
遠山の雲、
山が若杉の山などであつたらば更にも雨は生きて来る
紀伊熊野浦にて。
雨けぶる浦をはるけみひとつゆくこれの小舟に寄る浪聞ゆ
平常為事をしなれてゐる室内の大きなデスクが時々いやになつて、別に小さな卓を作り、それを廊下に持ち出して物を書く癖を私は持つて居る。火鉢の要らなくなつた昨日今日の季候のころ、わけてもこれが好ましい。
廊下に窓があり、窓には近く迫つて四五本の木立が茂つてゐる。なかの楓の花はいつの間にか実になつた。もう二三日もすればこの鳥の翼に似た小さな実にうすい紅ゐがさして来るのであらうが、今日あたりまだ真白のまゝでゐる。その実に葉に枝や幹に、雨がしとしと降つてゐる。昨日から降つてゐるのだが、なか/\止みさうにない。
楓の根がたの青苔のうへをば小さい弁慶蟹の子が二疋で、さつきから久しいこと遊んでゐる。
底本:「日本の名随筆43 雨」作品社
1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
1991(平成3)年10月20日第10刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:加藤恭子
校正:浦田伴俊
2000年8月18日公開
2005年6月26日修正
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