先づ
神武天皇だかの御歌の中に『野蒜つみに芹つみに……』といふ句のあるのがあるが、わたしは郷里で幼い時よくこの野蒜つみ芹つみをやつた。野蒜は田圃の畦にあり、芹は水氣をもつた田中の土に生えてゐた。どうしたものかこの野蒜つみはわたしのすぐ上の脚の不自由な姉と關係して考へ出される。多分一二度も一緒に行つたことがあつたのであらう。それでも水田のくろを這ふ樣にして摘んで歩く彼女の姿を端なくも見出でた記憶が殘つてゐるのかも知れぬ。
つぎに嫁菜をよく摘んだ。これは寧ろ細君の方が先に見つけそして彼女の好みで摘んだものである。家の東は桃畑、北は桑畑となつてゐるが、二三人の百姓しか通らぬ桃畑の畔にも桑畑の畔にもいつぱいに生えて居る。はうれん草にも飽く頃で、一二度はおいしいものである。
たんぽゝの根は、
家の東と北は畑で、西と南は庭さきから直ぐ大きな松林となつてゐる。所謂沼津の千本松原の續きで、ツイ先頃までは帝室御料林であつたが、今は縣が拂下げてしまつた。二三町三四町の廣さで、海岸ぞひに四里近い長さを持つた松原である。この松原の他と違つてゐるのはその下草に種々の雜木が繁茂してゐる事である。松は多く二抱へ三抱への大きさで聳え立ち、その枝や幹の下蔭に實にいろいろな木が茂つてゐるのである。で、海岸の松原とはいふものゝ、中に入つてしまへばいかにも奧深い森林らしい感じがする。その雜木のなかにわたしは
を探しつゝくさぎの芽をも見付けた。臭木と書くのであらうとおもふが、この木はその葉も枝も臭い。たゞ、若芽のころ摘んで
ともに味噌あへにするのであるが、には少し酢を落すもよい。
の芽の極く若い大きいのだと、紙に包んで水に濕めし、それを熱灰の中に入れてむし燒にするのが一等うまい。
二階などからはわたしの庭とも眺められるその松原にはまた無數の
松原で咲く花のうち、最も早く咲いた木苺の花は既に散つて、こまかな毛を帶びたその青い實が見えて來た。そして森なかの常磐木にからんで枝垂れてゐる
底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
1958(昭和33)年9月30日初版1刷
入力:柴武志
校正:小林繁雄
2001年2月3日公開
2004年8月30日修正
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