秋草の花のうち、最も早く咲くは何であらう。萩、桔梗、などであらうか。
桔梗も花壇や仏壇で見ては、厭味になりがちである。野原のあを/\とした雑草のなかに、思ひがけない一輪二輪を見出でた時が本統の桔梗らしい。
汽車が甲州の韮崎駅を出て次第に日野春、小淵沢、富士見、といふ風に信濃寄りの高原にかゝつてゆく。その線路の両側に、汽車の風にあふられながらこの花の咲いてゐるのをよく見かけた。そして、あゝもう秋だな、と思つたことが幾度かある。
あのあたりには撫子も咲いてゐた。桔梗よりも鮮かでよく眼についたが、この花は寧ろ夏の花かも知れない。
萩も夏萩などがあつて、梅雨あがりのしめつた
但し、この花の丈高く咲きみだれた草むらを押し分けて栗を拾つた故郷の裏山の原の思ひ出のみは永久に私に『秋』のおもひをそゝる。
では、最も早く秋を知らせるのは何であらう。
私は先づ
この花ばかりは町中を通る花屋の車の上に載つてゐてもいかにも秋らしい。同じ車の上にあつて桔梗なども秋を知らせないではないが、どうもそれは概念的で、女郎花の様に感覚から来ない。
ましてこれが野原の路ばたなどに一本二本かすかに風にそよいでゐるのを見ると、しみ/″\其処に新しい秋を感ずる。
この花、たゞ一本あるもよく、群つて咲いてるのもわるくない。
をとこへし、これは一本二本を見附けてよろこぶ花である。あまり多いとぎごちない。
僅かに一本二本と咲き始めたころに見出でて、オヽ、もうこれが咲くのかと驚かるゝ花に
これこそほんたうに一本二本のころの花である。くしや/\に咲き出すとまことに厭はしい。
蝦夷菊、これは畑の花だが、東京近郊には頻りに作らるゝ。厭味の花と見ればそれ、それを忘れてぼんやり見てをればこれまた秋のはじめのものである。手にとつては駄目、畑のまゝで見るべきである。
蝦夷菊の花畑のくろにかいかがみ美しみ見ればみな揺れてをる
蝦夷菊の花をいやしと言ふもいはぬも眼のかぎりなるえぞ菊の花
彼岸花も水辺に多いが、みぞ萩もまたさうである。眼につかぬ花で、見てをればいかにも可憐である。
蝦夷菊は畑の花、それを野原に移した様な松虫草がある。
寒国の花と見え、この近在でも見かけるには見かけるが、信州あたりのゝ方が遥かに色がいゝ。むらさき色の花である。
桔梗も山国の方がいゝ様だ。
おなじく山国の花に、
これは秋も末、冬のはじめの日向などに落葉に茎を埋められて咲いてゐるのが、ほんたうにいい。濃紫にいくらか藍のまじつたといふ様な深い色、それはどうしても落葉の早い山国でなくては見られない。
散れる葉のもみぢの色はまだ
さびしさよ落葉がくれに咲きてをる深山竜胆の濃むらさきの花
摘みとりて見ればいよいよむらさきの色の澄みたるりんだうの花
越ゆる人まれにしあれば石出でて荒き山路のりんだうの花
笹原の笹の葉かげに咲き出でて色あはつけきりんだうの花
おなじく秋の終りの花に刈萱があり、
寂びた様で、おもひのほかにつややかなのは吾木香であらう。故あつて髪をおろした貴人の若い僧形といつたところがある。
刈萱もまた見るにつれてあたたかみの感ぜらるゝ花である。すがれ始めた野辺のひなたの花である。
秋のはじめから終りまで、そのときどきに見て見飽かぬのは薄であらう。
おなじく平凡だが、書き落してならぬものに野菊があり、
自分の好みからか、いつ知らず私は野原の花ばかりを挙げて来た。庭の花に、ダリヤあり、コスモスあり、鶏頭がある。
ダリヤは夜深く机の上に見るがよく、コスモスは市街のはづれの小春日和を思はせる。鶏頭はまた素朴な花で、隠れ
灯を強みダリヤがつくるあざやけき陰に匂へるわれの
眼にも頬にも酔あらはれぬ夜なるかな黒きダリヤの蔭に飲みつつ
はなやかに咲けども何かさびしきは鶏頭の花の
伸び足りて真赤に咲ける鶏頭にこのごろ咲くは西づける風
くれなゐの色深みつつ鶏頭の花はかすかに実をはらみたり
今、考へてみると不思議に私はコスモスの歌を作つてゐない。
薄の花を虫にたとへたならば先づこほろぎではあるまいか。さほどに際立つたものでなく、サテいつ聞いてもしみ/″\させられるはこほろぎである。
こほろぎのしとどに鳴ける真夜中に喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ
使ひ終へていまたてかけしまな板の雫垂りつつこほろぎの鳴く
こほろぎと同じく、飼つておくわけでもないに部屋のうちに来て鳴く虫に茶たて虫といふがゐる。かげろふのずつと小さな様な虫で、ほとんど眼にもつかぬほどであるが、よく障子の桟にとまつてゐて鳴く。声とてもほのかなものではあるが、聞くとなく耳の傾けらるゝ侘しい音色である。夜ふけなど、ともすると時計のちくたくと聞違へることもあり、時計虫とも呼ばれてゐる。茶たて虫とは茶をたてる茶碗のなかのかすかな響に似てゐる謂であらう。
松虫鈴虫はあまりに月並化されてゐる。ではどの虫が好きだらうと考へて来ると私には先づ馬追虫である。
いつも田舎住ひをしてゐる
めづらしく蚊帳に来ていま鳴き出でし馬追虫の姿をぞおもふ
家人のねむりは深し蚊帳にゐて鳴くうまおひよこゑかぎり鳴け
底本:「日本の名随筆94 草」作品社
1990(平成2)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「若山牧水全集 第七巻」雄鶏社
1958(昭和33)年11月
入力:増元弘信
校正:もりみつじゅんじ
2000年7月26日作成
2005年1月26日修正
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