汽車がA駅を通過する頃から曇って来て、霧で浅間の姿も何も見えなくなった。冷たい風と一緒に小雨が降り出して、山際の畔で、山羊が黙々と首を振っている。三つめの駅で汽車を降りた時には、もう日が
街はずれで、青い事務服をお揃いに
七月もまだ初旬なので、泊まり客は僅かしかいなかったが、前に来た時には田舎のお盆で、庭に盆踊りがあるとかで、一つも空いている室がなかった。宿屋といってもこの辺には此処一軒きりないので、時間はもう夜の九時だし、今さら東京へ発つにも発てず、その時程、私は困ったことはなかった。「何処か寝かしてだけ貰うところはありますまいか」「さあ何処も一杯です」「物置の隅でもかまわないんですが」私はこんな押し問答をしながら宿屋の土間に突っ立っていた。するともう一人私の背後に女の人がいて「何処かに割り込まして貰うことはできますまいか」といっていた。「さあ困りましたね、大抵男の客ばかりですからね」と宿屋でいった。「男の人の傍でもかまいませんから」こちらは女二人になったことを気強く意識して交渉し出した。とうとうその混雑の中へ泊まることができた。
その晩二人は旅装を解いて、お湯の中で色々と話しあった、女子大学出の、インテリらしい快活な女性だった。話してみると共通の友人を持っていたり、殊にその人が劇作家の某女史の親友であったりしたので、二人は忽ちに十年の交友のように親しくなった。狭い室に一緒に寝て、いろんな話をした。その人は女子大学を出ると、婦人記者を少しやったが、今はある家の家庭教師をしているといった。そしてこの秋には、ローサンゼルスにいる友人をたよって渡米するのだといっていた。
翌朝起きて顔を洗ってくると、彼女は手提げの中から点眼薬を出して、ごろりと仰向けに
朝食が済むと、二人はまた追われるように宿を出た。彼女はかなり多く登山の経歴を持っているらしく、時々遠くに展開する山々を見ては地図を出して確かめては楽しんでいる風だった。そうして二人は白樺の林間をあてもなく歩いていたが、結局友達は赤城へ向かって行くというし、私は東京へ帰ることにした。その日の午後、私達は碓井の麓で
――今年も私は頻りとその女性のことが思い出されてならなかった。然し今度はそういう道
こんなことを思うのは、それは私達が都会人であるからだろうか、否々今まで集団の生活をして来たために違いない。だから独りになると渇くようにそれを感ずるのかも知れぬ。
底本:「空にむかひて 若杉鳥子随筆集」武蔵野書房
2001(平成13)年1月21日初版第1刷発行
初出:「詩精神」
1934(昭和9年)9月
入力:林 幸雄
校正:小林 徹
2003年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。