(4)
この報告をお医者から聞きますと、私はもう堪まらなくなってしまいました。そうして或る深刻な決心を固めましたので、誰にも知れないように旅行服を身に着けまして、帽子と外套を抱えながら裏口からソッと脱け出そうとしますと、弟も同じ報告を医師から聞いて、同じ考えになったらしく、同じように旅行服を着込んで出て行こうとするところでしたので、二人はゆくりなくも裏門の前でブツカリ合ってしまいました。
二人は仕方なしに立ち止まったまま、今にも泣き出しそうな苦笑いを交換しました。そうして無言のままハルスカイン家の奥庭の方へ引返して来まして、池の前に在る芝生の上に相並んで腰を下しましたが、そこで久方振りに口を利き合ってみますと、弟も私と同様に「一切を譲り渡す」という手紙を投函して
私はそういう弟の顔を見ているうちに胸が一パイになってしまいました。そうして昔にも増した友情を回復しました二人はその芝生の上で手を取り
二人はそこで又、幾度となく歎息を繰り返しましたが、その中に弟のマチラは何か思い付いたらしくノートの一片を引き裂いて何かしら書き初めました。それを見ると私も、弟の心を察しましたので、同じようにノートを引き破って鉛筆を走らせましたが、出来上った文句を交換して、二人が同時に読み下してみますと、揃いも揃ってコンナ意味の事が書いてありました。
以上は大同小異の文句でしたが、こうした極端な場合になっても、二人の考えがコンナにまで一致しようとは全く思いもかけませんでしたので、二人は唇を白くして驚き合った事でした。そうして今更に宿命の恐ろしさに震え上りつつ、相並んでレミヤの病室の扉をノックした事でした。
二人が別々に書いたノートの
「お二人とも死なないで頂戴。……仲よくしてちょうだい……」
と云ううちに
レミヤはその翌る日から、お医者様がビックリされるほど元気を回復し初めました。そうしてそれから一週間目には以前とは見違えるほど晴れやかな顔に、美しくお化粧をして、私たちと
私達二人はその席上でレミヤの手から籤を引いてドチラが先に帽子と外套を取るかを決めましたが、その結果はこのお話の筋に必要がありませんから略さして頂きます。
(5)
三人は、それから後病気一つせずに、固く約束を守り続ける事が出来ました。そうして私達兄弟は学校に居る時よりもズット面白おかしく日曜を楽しみ合うようになりましたが、一方にレミヤも
しかし私たち三人のこうした平和な生活はそうそう長くは続きませんでした。それから未だ半年も経たないうちに、レミヤが早くも姙娠した事がわかったのです。そうしてそれが
二人はそれから後、日曜を一緒に楽しむは愚かな事、口を利くだけの心の余裕すら失くして
私共がそれに連れて夢中になってしまった事は申す迄もありませぬ。
日記帳と首引きをしながら、
「……今日生れては大変だが」
と指折り数えて青くなっているうちにヤット弟の週間を通り越して自分の週間に這入って来たその嬉しさ……と思うと又、何事もなくその週間を通過して行くその恐ろしさ。
思いは同じ弟も、同じ下宿の闇黒の中に眼を
こうして予定から一箇月も遅れた昨年の十月の末の火曜日にレミヤはやっとの事で、玉のような男の児を生み落したのですが……しかし、どうでしょう……それから約束の二百八十日を逆に数えてみますと……ナント驚くべき事には、その日は私の週間でもなければ弟の領分でもない……ちょうどレミヤが教会に行って、二人が下宿に休んでいる、その日曜日に当っているでは御座いませぬか。……私たちが二百八十日という日数を定めましたのは医者の書物に書いてある普通の女の姙娠期間を標準にしたものですが、それがコンナ皮肉な結果になろうとは誰が思い及びましょう。……イクラ神様の思し召しでも、これは又余りに残酷な……イタズラ小僧の思い付きとしか思えない思し召しようでは御座りませぬか。
私たち三人の運命はお蔭で又も完全に行き詰まってしまいました。
けれどもその行き詰まり状態は、以前のような遠慮や妥協の利く行き詰まり状態とは全然程度が違っておりました。
その児は男の子に有り勝ちの母親
ところがこの裁判の係長を引き受けた人は、この界隈でも名判官の評判を取っているテロル、ウイグという主席判事で御座いましたが、事件の性質上、裁判の内容を絶対秘密にする旨を関係者一同に宣誓させた上で、双方の主張を聴取る段取りになりますと、私の方の弁護士がタッタ一ツ取っておきの「兄の権利」を主張してマチラの主張を押え付けようとするのに対して、相手側の弁護士は「双生児の兄と弟を区別する事は出来ない筈である。従来のように後から生れた方を兄と認めるのは要するに迷信的な判別法で、医学上ではドチラが兄か弟か区別出来ない事になっている」という事実を専門家の説明付きで主張して一歩も後へ引きません。……それでは二人の父親の血液を採って、赤ん坊の血液と比較研究して、ドチラかに近い方の血液の持ち主を本落の親と認めてはドウかという事になりましたので、取りあえず私達二人の血を採って調べてみますと、これが又生憎と揃いも揃った同類同型の血液で、赤ん坊の血清に対する反応も隅から隅まで同一なのです。……では指紋でもいいから似通った方を親子と決めようというので双方同意の上で調べてもらいますと、これは又兄弟とも全然型が違っている上に、赤ん坊の指紋は又飛び離れた形になっておりますので、これも問題にならなくなりました。
こうして裁判官も弁護士も、それからこの裁判のために特別に召集されました陪審員たちまでも、ドン底まで行き詰まってしまう一方に、赤ん坊は誰も名前の付けてやり手がないまんまズンズンと大きくなって行きます。そのうちにこの裁判の秘密が、どこから洩れたものかわかりませんが、だんだんと評判になって参りまして、方々の新聞がヨタ
(6)
名裁判長ウイグ氏は、こうした形勢を眼の前に見ますと、今までの行き詰まりの一切合財を総決算的に引き受けた気持ちになって、モノスゴイ苦心を初めたらしいのです。その証拠には殆んど裁判
この事が例に依って世間に洩れ伝わりますと、その評判の素晴らしさというものは又特別で御座いました。「名裁判長ウイグ氏は今日こそ、さしもの難事件を解決するに違いない」というので多大のセンセーションを捲き起しましたらしく、朝刊の報道するところに依りますとこの町に到着する列車の一等席は昨日から全部売り切れという盛況だったそうで……私も今日の午後になってから時間通りに裁判所に出頭すべく向うの町角まで参りますと、群集のために馬車が進められなくなりましたばかりでなく、
けれども、そうしてヤットの事で第一号法廷に立つ段になりますと、私は尚更の事、気を奪われてしまいました。正面に居並ぶ裁判長、陪席判事以下、弁護士、書記に到るまで、平生に倍した人数が法服
サテ……そうした緊張した気分の中に参列者一同が裁判の内容に就いて秘密を守る旨の宣誓が終りまして、書記が今までの事件の経過を読み上げ終りますと、裁判長のウイグ氏は
「本官は只今からこの事件に対する最後の解決法に就いて説明しようとする者である。
本事件は元来アルマ、マチラの双生児兄弟が、ハルスカイン家の一粒種となっているレミヤに対する恋愛に就いて、法律以上の法律、道徳以上の道徳を尊重した結果として惹き起された、超自然的な訴訟事件であって、現代の法律、科学智識、もしくは常識を以てしては永久に判決を下し得ざる奇怪、不可思議を極めた事件である。故にこれを解決しようとするには、現代の法律、科学智識、もしくは常識を以てしては到底測り得べからざる天の配剤による自然の解決を待つより外に方法はないと信ずる者である。
ところで……ここに本官が云うところの、天の配剤による自然の解決法なるものは僅かに二種類しかないのである。その一つは誰人も考え得るであろう通りにこの裁判を無期延期とする事である。そうして二人の父親の中のいずれかが死亡、もしくは他の恋愛によってレミヤと離れ去る事によって解決されるのを待つ方法であるが、しかし、そのような解決手段は、法律、道徳、常識のいずれから見ても許さるべき事ではない。レミヤ所生の男児をそのように永く無名の子として放置しておく時は社会生活上あらゆる不都合を生ずる事になるので、この一事を以てしてもこの事件は一日も早く解決しなければならぬ事になる。本官が
本官の所謂第二の解決法というのは外でもない。すなわち一切の生物に共通して存在する『霊感』を応用する方法である。
この生物の『霊感』なるものは今日のところではまだ科学者諸氏の間に、纏まった研究が行われていないようである。……が併し、その存在は確実に認められているので、
植物に於ては、眼も鼻も口も持たない草木の根が、壁一重向うの肥料の方へズンズンと伸びて行く。又は同じように五官を持たない蔓草の蔓が、支柱の在る方へサッサと延長して行くのも同じ道理で、何かは知らず一般生物界には、人間の五官以上の霊感が存在している事を気付かずにはいられないのである。そのほか林の樹々の枝が、決して
しかも、これが動物となると一層吾々人間の注意を惹き易いので、その最も顕著な実例だけでも殆んど枚挙に
しかもこの『下等な生物ほど霊感が発達している』という原則こそは、本官が
すなわち当法廷に参列しているレミヤ所生の男児は、まだ東西を弁ぜざる
本官は確信する。レミヤの児は同じようにして本当の父親をその霊感に依って容易に区別し得るであろう事を……アルマとマチラの二人の中、自分の父親でない方が抱いたならば直ぐに泣き出すであろうと同時に、本当の父親が抱いたならば直ぐに泣き止むであろう事を……。
但し……この方法はいわば超常識的、もしくは超学理的の事実を根拠としたものであるから、あるいは牽強附会の
故に本官は今日只今職権を以てこの手段をこの法廷に強いようとするものではない。ただ、この方法以外にこの裁判を確定する手段は、恐らく絶無であろう事を信ずるが故に、敢て御迷惑をもかえり見ず、
然して、この前代未聞の裁判を確定したいと希望している者である」