ミミは泣きじゃくりながら顔を上げて、女王様に尋ねました。
「女王様。女王様はほんとうに……私たちを
「ほんとうともほんとうとも。私が今云うたひとり言はみな偽りでないぞや。
あのルルが来て、あの噴水を直してくれなければ、この湖の中のものは皆死ななければならぬ。それゆえルルを呼びました。それゆえお前にも悲しい思いをさせました。どうぞどうぞ許してたもれや。それにしてもおまえはよう来ました。よう兄さまを迎えに来ました。きっと二人は
なれども、ルルがあの噴水を
女王様とミミは涙に濡れた顔をあげて、ルルの振る鉄鎚の音をききました。
ルルは湖の御殿の噴水を一生懸命につくろいました。もう二度とふたたびこわれることのないように、そうして、
「カーンコーン カンコン
カーンコーン カンコン
ないてうちふるこの槌の音、ないてたたいてこの湖の、水をすませやこの槌のおと
カーンコーン カンコン
ミミにあいたやあの妹に、おかへゆきたやあの
湖の御殿の真珠の屋根は、月と星の光りを受けて見る見る輝き初めました。
湖の女王の沢山の家来……赤や青や、紫や、
湖の女王様は手をあげてその魚どもを呼び集められまして、これからルルとミミにできるだけ立派な御馳走をするのだから、その支度をせよと云いつけられました。
湖の御殿の噴水を立派に直したルルは、もう歩くことが出来ないほど疲れておりました。けれども……この噴水がもう二度とふたたびこわれないようになった……この湖の中に在る数限りないものの生命は助かった……そうしてこれから
その時にルルは、今までにない美しい御殿の様子に気が付きました。
御殿の大広間は夜光虫の薄紫の光りで夢のように照らされておりました。広い広い部屋一パイに飾られた
その中に群あつまる何万とも何億とも知れぬ魚の数々。その奥の奥に見える紫水晶の階段。その上に立っていられる女王様のお姿。
そうして今一人の美しい女の子の姿……ミミ……。
ルルは思わず壇の上に駈け上ってミミを抱きました。ミミもしっかりとルルの首に
今まで虹のようにジッと並んでいた数限りない魚の群は、この時ゆらゆらと動き出しました。青、赤、紫、緑、黄色、銀色、銅色、
ルルとミミは抱き合ったまま、夢のように見とれていました。その前に数限りない御馳走が並びました。
月の光りはますます明るく御殿の中にさし込みました。そうして、女王様の嬉しそうなお顔やお姿を
そのうちに月の光りが次第次第に西へ傾いてゆきました。ルルとミミの
ルルとミミは女王様から貸していただいた、大きな美しい
女王様はルルとミミを今一度抱きしめて頬ずりをされました。そうして、こんなお祈りをされました。
「この美しい
ルルもミミも女王様が懐かしくなりました。何だかいつまでもこの女王様に抱かれて、可愛がっていただきたいように思って、涙をホロホロと流しました。
けれども女王様は二人をソッと抱き上げて、海月の上にお乗せになりました。
「海月よ。お前は絶えず光りながら、この
海月は黙って浮き上りました。
咲き揃った
「ネエ、ルル兄さま!」
「ナアニ……ミミ」
「女王様は何だかお母様のようじゃなかって」
「ああ、僕もそう思ったよ」
「あたし、何だかおわかれするのが悲しかったわ」
「ああ、僕もミミと二人きりで湖の底にいたいような気もちがしたよ」
こんなことを二人は話し合いました。そうして二人は抱き合って、海月の足の下をのぞきながら、何遍も何遍も女王様のいらっしゃる方へ「左様なら」を送りました。
ルルとミミが湖のおもてに浮き上ったところには、美しい一艘の船が用意してありました。その上にルルとミミは乗りうつりました。
「海月よ。ありがとうよ。ルルとミミが心から御礼を云っていたと、女王様に申し上げておくれ」
海月はやはりだまって、ユラユラと水の底に沈んで行きました。
お月様は今、西に沈みかけていました。かすかに吹き出した暁の風が、二人の船を
湖の
「まあ。お兄さま、どうなすったの。なぜお泣きになるの……」
ルルはしずかにふりかえりました。
「ミミや。お前は村に帰ったら、一番に何をしようと思っているの……」
「それはもう……何より先にあの鐘の
と、ミミはもう、ルルの顔をあおぎながら、その
「ミミや。そうしてあの鐘が鳴ったなら、村の人はきっと私たちを可愛がって、二度と再び湖の底へはゆけないようにしてしまうだろうねえ」
「まあ。お兄様はそれじゃ、湖の底へお帰りになりたいと思っていらっしゃるの……」
ルルはうなずいて、又一つため息をしました。そうして又も涙をハラハラと落しました。
「ああ。ミミや。わたしはあの鐘の
「それならお兄様……あの鐘の
「ああ。そうなんだよ、ミミ……だから、お前は私の代りにも一度一人で村へ帰って、あの鐘を撞いてくれるように村の人に頼んでくれないか。あの鐘はルルの作り損いではありませんと云ってね。それから兄さんのところへお出で……兄さんはその鐘の
といううちに、ルルは立ち上って湖の中に飛びこもうとしました。
「アレ。お兄さま、何でそんなに情ないことをおっしゃるの……それならあたしも連れて行ってちょうだい」
と、ミミは慌ててルルを抱き止めようとしました。そうすると、不思議にもルルの姿は煙のように消え失せてしまいました。船も……お月様も……湖も……村の影も……朝靄も消え失せて、あとにはただ何とも云われぬ芳ばしいにおいばかりが消え残りました。
ミミはオヤと思ってあたりを見まわしました。見ると、ミミは最前のまま湖のふちの
ミミはワッとばかり泣き伏しました。泣いて泣いて、涙も声も無くなるほど泣きました。女王様の言葉を思い出しては泣き、ルルの顔を思い出しては泣き、ルルと抱き合って喜んだ時の嬉しさを思い出してはあたりを見まわしました。
けれども、あたりにルルの姿は見えませんでした。ただミミが花を摘んでしまった春の草が、涙のような露を一パイに溜めて、月の光りをうつしながらはてしもなく茫々茂っているばかりでした。
それを見て、ミミはまた泣きつづけました。
その
「ああ、お月様。今まで見たのは夢でしょうか、どうぞ教えて下さいませ」
けれどもお月様は何の返事もなさいませんでした。
ミミは涙を拭いて立ち上りました。露に濡れた
「あの鐘を撞いて見ましょう。あの鐘が鳴ったなら、睡蓮が教えたことはほんとうでしょう。湖の底の御殿もあるのでしょう。女王様のお言葉もほんとうでしょう。お兄さまもほんとうにあそこで待っていらっしゃるでしょう。……あの鐘を撞いてみましょう……」
ミミが撞いた鐘の
お寺の坊さんも、村の人々も、子供までも、みな眼をさましたほど、美しい、清らかな
ミミは夢中になって喜びながら、お寺の鐘撞き堂を駈け降りました。
「ああ……夢ではなかった。夢ではなかった。お兄様はほんとうに湖の底に待っていらっしゃる。
ああ、嬉しい。ああ、嬉しい。妾はもうほんとうにお兄様に会えます。そうして、もう二度と再び離れるようなことはないのです。ああ、うれしい……」
こう云ううちに、ミミは最前の花の鎖のところまで駈けもどって来ました。その花の鎖の端を両手でしっかりと握って、静かに湖の底へ沈んでゆきました。――空のまん中にかかったお月様をあおぎながら……。
村中の人々は鐘の音に驚いて、
そのうちに鐘撞き堂の石段に、ミミの露に濡れた小さな足あとが、月の光りに照されているのが見つかりました。その足あとは
村の人々はやがて、湖のふちに残っている花の鎖の端を見つけました。その一方の端はずっと湖の底深く沈んでいるようです。
「あら、これはあたしたちがミミちゃんに摘んであげた花よ。ミミちゃんが花の鎖につかまってお兄さんに会いにゆくって云ったから、あたしたちは大勢で加勢して上げたのよ」
と二三人の女の子が云いました。
村の人々は皆な泣きました。泣きながら花の鎖を引きはじめました。
お月様がだんだん西に傾いてゆきました。それと一所に湖の水がすこしずつ澄んで来るように見えました。けれども、花の鎖は引いても引いても尽きないほど
ようようにお月様が沈んで、まぶしいお
シッカリと抱き合ったまま眠っているルルとミミの姿が、その奇麗な水の底から浮き上って来ました。
――可哀そうなルルとミミ……。
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年5月22日第1刷発行
※底本の解題によれば、初出時の署名は、「戸田健・作画」を意味する、「とだけんさくぐわ」です。
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年5月17日公開
2006年5月4日修正
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