むかし、ある国に、水晶のような水が一ぱいに光っている美しい湖がありまして、そのふちに一つの小さな村がありました。そこに住んでいる人たちは親切な人ばかりで、ほんとに楽しい村でした。
けれどもその湖の水が黒く
この村にルルとミミという可愛らしい
二人のお父さんはこの国でたった一人の上手な鐘造りで、お母さんが亡くなったあと、二人の子供を
ところが或る年のこと、この村のお寺の鐘にヒビが入りましたので、村の人達に頼まれて新しく造り上げますと、どうしたわけか音がちっとも出ません。お父さんはそれを恥かしがって、或る夜、二人の兄妹を残して湖へ身を投げてしまいました。
その時、この湖の水は一面に真黒く濁っていたのでした。そうして、ルルとミミのお父さんが身を投げると間もなく、湖はまたもとの通りに奇麗に澄み渡ってしまったのでした。
それから
村の人々は皆、ルルとミミを可愛がって育てました。そうして、いつもルルに云ってきかせました。
「早く大きくなって、いい鐘を作ってお寺へ上げるのだよ。死んだお父さんを喜ばせるのだよ」
ルルはほんとにそうしたいと思いました。ミミも、早くお兄さんが鐘をお作りになればいい。それはどんなにいい
二人はほんとに仲よしでした。そうしてよく湖のふちに来て、はるかにお寺の方を見ながらいつまでもいつまでも立っておりました。
「おおかたお寺の
と村の人々は云っておりました。
「水が濁るとよくないことがある」
と云われていた湖の水晶のような水が、またもすこしずつ薄黒く濁りはじめました。村の人々は皆、どんな事が起るかと、おそろしさのあまり口を利くものもありませんでした。しまいにはみんな顔を見あわせて、ため息ばかりするようになりました。それでも湖の水は、夜があけるたんびに、いくらかずつ黒くなってゆくのでした。
その時にルルは、お父さんが残した仕事場に這入って、一生懸命で鐘を作っていました。そうして、いよいよ一ツの美事な鐘をつくり上げましたので、喜び勇んで村の人にこの事を話しました。
「鐘が出来ました。どうぞお寺へ上げて下さい」
村の人々はわれもわれもとルルが作った鐘を見物に来ました。その立派な恰好を撫でて見たり、又はソッとたたいて見て、その美しい
「湖の水はいくら濁ったって構うものか。鐘つくりの名人の子のルルが、死んだお父様をよろこばせたいばっかりに、あんな小さな
と、村の人々は喜んで勇み立ちました。
その日はちょうどお天気のいい日でした。地にはいろいろの花が咲き乱れ、梢や空には様々の鳥が
お菓子屋や、オモチャ屋や、のぞき眼鏡や、風船売りや、
ルルの偉いことや、ミミの美しいことを口々に話し合っていた村の人々は、その時ピッタリと静かになりました。
ルルが作った鐘は坊さんの手で、高く高くお寺の鐘つき堂に釣り上げられました。銀色の鐘は春のお
村の人々は感心のあまり溜息をしました。嬉しさのあまり涙を流したものもありました。
このとき、ルルは鐘つき堂の入り口に立って、あまりの嬉しさにブルブルと震えながら両手を顔に
「お父様が湖の底から見ていらっしゃるでしょうね」
けれどもまあ、何という悲しいことでしょう。そうして又、何という不思議なことでしょう。
お寺のお坊さんの手でルルの作った鐘が鳴らされました時、鐘は初めに只一度
ルルは地びたにひれ伏して泣き出しました。ミミもその背中にたおれかかって泣きました。
「これこれ。ルルや、そんなに泣くのじゃない。おまえはまだ小さいのだから、鐘が上手に出来なくてもちっとも恥かしいことはない。ミミももう泣くのをおやめなさい」
と、いろいろに村の人は兄妹を慰めました。そうして、親切に二人をいたわって家まで送ってやりました。
ルルは小供ながらも一生懸命で鐘を作ったのでした。
「この鐘こそはきっといい音が出るに違いない。そっとたたいても、たまらないいい音がするのだから。湖の底に沈んでいらっしゃるお父様の耳までもきっと
と思っていたのでした。その鐘が鳴らなかったのですから、ルルは不思議でなりませんでした。
「どうしたら本当に鳴る鐘が作れるのであろう」
と考えましたが、それもルルにはわかりませんでした。
ルルは泣いても泣いても尽きない程泣きました。ミミも一所に泣きました。こうして兄妹は泣きながら
その
村の人が心配していた悲しいことが、とうとう来たのです。ミミは一人ポッチになってしまったのです。
けれども、ミミはどうしてあの優しい兄さんのルルに別れることが出来ましょう。
村の人がどんなに親切に慰めても、ミミは
――可哀そうなミミ。
ルルが湖に沈んでから何日目かの晩に、湖の向うからまん丸いお月様がソロソロと昇って来ました。ミミはその光に照らされた湖の上をながめながら、うちへ帰るのも忘れて坐わっておりました。
湖のまわりに数限りなく咲いている
お月様はだんだん高くあがって来ました。それと一所に睡蓮の花には涙のような露が一パイにこぼれかかりました。
ミミは睡蓮の花が自分のために泣いてくれるのだと思いまして、一所に涙を流しながらお礼を云いました。
「睡蓮さん。あなた達は、私がなぜ泣いているか、よく御存じですわね」
その時、睡蓮の一つがユラユラと揺れたと思うと、小さな声でミミにささやきました。
「可哀そうなお嬢さま。あなたはもしお兄さまにお会いになりたいなら、花の鎖をお作りなさい。そうして
睡蓮の花がここまで云った時、あたりが急に薄暗くなりました。お月様が黒い雲にかくれたのです。そうしてそれと一所に、睡蓮の花は一つ一つに花びらを閉じ初めました。
ミミはあわててその花の一つに尋ねました。
「睡蓮さん。ちょっと花びらを閉じるのを待って下さい。どうして真珠の御殿の女王様は兄さんをお呼びになったのですか」
けれども、暗い水の上の睡蓮はもう花を開きませんでした。
「湖の底の女王様は、どうして私だけをひとりぼっちになすったのですか」
とミミは悲しい声で叫びました。けれども、湖のまわりの睡蓮はスッカリ花を閉じてしまって、一つも返事をしませんでした。お月様もそれから夜の明けるまで雲の中に隠れたまんまでした。
「アラ、ミミちゃん。こんな処で花の鎖を作っててよ。まあ、奇麗なこと。そんなに長くして何になさるの」
と、大勢のお友達がミミのまわりに集まって尋ねました。
ミミは
「あたし、この鎖をもっともっと長く作ると、それに掴まってお兄さんに会いにゆくのです」
「あら、そう。それじゃ、あたしたちもお加勢しましょうね」
ミミのお友達の女の子たちは、みんなこう云って、方々から花を取ってきてミミに遣りました。ミミは草の葉を
夕方になると、お友達はみんなお
その
やがて、何だか
ミミは月の光りをたよりに花の鎖をふり返って見ました。いろいろの花をつないだ
ミミはこの花の鎖が湖の底まで
けれども、思い切ってその端をしっかりと握って、湖の中に沈んでゆきました。
湖の水が濁っているのは、ほんの上の方のすこしばかりでした。下の方はやはり水晶のように明るく透きとおって、キラキラと輝いておりました。
その中にゆらめく
けれどもミミは、ただ兄さんのルルのことばかり考えて、なおも底深く沈んでゆきました。
そうすると、はるか底の方に湖の御殿が見え初めました。
湖の御殿は、ありとあらゆる
ミミは、その一番外側の、一番大きな御門の処まで来ますと、花の鎖を放して中へ這入って行きました。そうして、もしや兄さまがそこいらにいらっしゃりはしまいかと、ソッと呼んで見ました。
「ルル兄さま……」
けれども、広い御殿のどこからも何の返事もありません。はるかにはるかに向うまで続いている銀の廊下が、ピカピカと光っているばかりです。
ミミは悲しくなりました。
「兄さんはいらっしゃらないのか知らん」
と思いました。
その時でした。御殿の奥のどこからか、
「カアーンカアーン」
という
湖の女王様は金剛石の寝椅子の上に横になって、ルルの歌をきいておられました。そうして、ルルが
「ああ……私は可哀そうなことをした。ルルを湖の底へ呼ぶために、私はルルが作った鐘を鳴らないようにした。そうして、ルルがそれを悲しがって湖へ身を投げるようにした。そのために可哀そうなミミはひとりポッチになってしまった。
――この湖の水晶のような水は、この御殿のお庭にある大きな噴水から湧き出している。その噴水がこわれると、湖の水がだんだん上の方から濁って来る。そうして、その濁りが次第次第に深くなって底まで
――私はこの前にもこうしてルルの父親を呼んだ。その前にも、その又前にも、噴水がこわれるたんびに、何人も鍛冶屋や鐘つくりを呼び寄せた。けれども、そんな人たちはみんな、自分一人で勝手に
――ルルは今、噴水を直しながら歌を歌っている。妹のことを悲しんで歌を歌っている。
――ああ、ほんとに可哀そうなことをしました」
この時、ミミはルルの歌の声をたよりに、やっと女王様のお
ミミは、女王様がルルとミミのことを可愛そうに思っておられる……そうしてルルを
その時、女王様は立ち上って、
ミミは思わず駈け込んで、女王様の長い長い着物の裾に走り寄りました。
女王様はビックリしてふり向かれました。……ここは当り前の人間がたやすく来るところではないのに……と思いながら
「お前はどこの娘かね……」
とお尋ねになりました。
ミミは品よくお辞儀をしました。そうして、涙を一パイ眼に溜めながらお願いしました。
「私はミミと申します。ルル兄様に会いにまいりました。どうぞ会わせて下さいませ」
「オオ。お前がルルの妹かや」
と、女王様はミミを抱寄せられました。そうして、しっかりと抱きしめて、静かな声で云われました。
「お前がルルの妹かや。お前が……お前が……まあ、何という可愛らしい娘であろう。ルルがお前のことをなつかしがるのも無理はない。悲しむのも無理はない。
お前も
許してたもれや。許してたもれや」
女王様は水晶のような涙の玉をハラハラとミミの髪毛の上に落されました。