四
そのうちに、あくる年の二月の末になって、チエ子の父親が、長い航海から帰って来たが、玄関に駈け出して来たチエ子を見ると、ビックリして眼を
「どうしてこんなになったのか」
と、短気らしく大きな腕を組んで、あとから出て来た母親にきいた。しかし母親がまじめな顔をして、何か
それから
「オイ飯だ飯だ。貴様も早く仕舞って支度をしろ。これから三人で活動を見に行くんだ」
「エ…………」
「活動を見にゆくんだ……四谷に……」
お給仕盆をさし出しかけていた母親の顔がみるみる暗くなった。
「何だ……活動嫌いにでもなったのか」
と父親は
「そうじゃありませんけど……あたし今夜何だか……頭が痛いようですの……」
父親は平手で顔を撫でまわした。
「フ――ン。そらあいかんぞ。半年ぶりに亭主が帰って来たのに、頭痛がするちう法があるか……アハハハハまあええわ、それじゃ去年送った、あの
「それほどでもないんですけれど、永いこと丸髷に結わなかったせいかもしれません」
と母親は、お茶をさしながら甘えるような、
「イヤ……いかんいかん。そんな事を云って無理をしちゃいかん。今年は
五
活動を見ながらウイスキーをチビリチビリやっていた父親は、いよいよいい機嫌になって帰りかけた。
「オイ。早く来んか。怖いのか……アアン……サ……お父さんが手を引いてやろ……」
と、二三間先へ行きかけた父親が、よろめきながら引返してみると、チエ子は暗い道のまん中に立ち止まって、一心に大空を見上げている。
「何だ……何を見とるのか」
「……あそこにお母さまの顔が……」
「フ――ン……どれどれ……どこに……」
と父親は腰を低くして、チエ子の指の先を透かしてみた。
「ハハア……あれか……ハハハハ……あれは星じゃないか。
「……デモ……デモ……お母様のお顔にソックリよ……」
「ウ――ム。そう見えるかナア」
「……ネ……お父さま……あの小さな星がいくつもいくつもあるのがお母さまのお
「……ウーム。わからんな。ハハハハハ……ウンウンそれから……」
「それから白いモジャモジャしたお鼻があって、ソレカラ……アラ……アラ……あのオジサマの顔が……あんなところでお母さまのお顔とキッスをして……」
「アハハハハハハハ…………冗談じゃないぞチエ子……何だそのオジサマというのは……」
「……あたし、知らないの……デモネ……ずっと前から毎晩うちにいらっしてネ……お母様と一緒にお座敷でおねんねなさるのよ。あんなにニコニコしてキッスをしたり、お口をポカンとあいたり……」
と云いさしてチエ子は口を
しゃがんでいた父親は、いつの間にか闇の中に
チエ子はそれを見上げながら、今にも泣き出しそうに眼をパチパチさした。そうして、云いわけをするかのようにモジモジと、小さな指をさし上げた。
「……こないだは……アソコに……お父さまのお顔があったのよ……」
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集」改造社
1929(昭和4)年12月3日発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年7月4日公開
2006年3月10日修正
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