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爆弾太平記(ばくだんたいへいき)


 その鼻の先の海面へ、友吉おやじの禿頭はげあたまが、忰に艫櫓ともろを押させながら、悠々と廻わって来た。見ると赤ん坊の頭ぐらいの爆弾と、火をけた巻線香を両手に持って、船橋に立っている吾輩の顔を見い見い、何かしら意味ありげにニヤニヤ笑っている。忰の方は向うむきになっていたので良くわからなかったが、吾輩が見下しているうちに二度ばかり袖口で顔を拭いた。泣いているようにも見えたが、多分、潮飛沫しおしぶきでもかかったんだろうと思って、気にも止めずにいたもんだ。
 ……しかし……そのせいでもあるまいが、吾輩はこの時にヤット友吉おやじの態度を、おかしいと思い初めたものだ。
 第一……前にも云った通り吾輩はドンの実地作業を生れて初めて見るのだから、詳しい手順はわからなかったが、それでも友吉おやじの持っている爆弾が、かつて実見した押収品のドンよりもズット大きいように感じられた。……のみならず、まだ魚群も見えないのに巻線香に火をけているのが、腑に落ちないと思ったが、しかし何しろ初めて見る仕事だからハッキリした疑いの起しようがない。これが友吉おやじ一流の遣り方かな……ぐらいに考えて一心に看守みまもっているだけの事であった。
 一方、甲板デッキの上では「シッカリ遣れエ」という酔っ払いの怒号や、ハンカチを振りながらキーキー声で声援する芸妓げいしゃ連中の声が入乱れて、トテモ煮えくり返るような景気だ。そのうちに慶北丸の惰力がダンダンとゆるんで来て、小船の方が先に出かかると、友吉おやじは忰に命じて櫓を止めさせた。……と思ううちに、その舳先へさきに仁王立ちになった向う鉢巻の友吉おやじが、巻線香と爆弾を高々と差し上げながら、何やら饒舌しゃべり初めた。
 船の中が忽ちピッタリと静かになった。吾輩も、友吉おやじが吾輩の代りになって講演を初めるのかと思って、ちょっと度肝どぎもを抜かれたが、間もなく非常な興味をもって、皆と一緒に傾聴した。
 友吉おやじの塩辛しおから声は、少々上ずっていたが、よく透った。ことに頭から日光を浴びたその顔色はすこぶる平然たるもので、むしろ勇気凜々たるものがあった。
「……皆さん……聞いておくんなさい。私はこの爆弾ハッパを投げて、生命いのちがけの芸当をやっつける前に、ちょっと演説の真似方を遣らしてもらいます。白状しますが私は今から十四年ほど前に、柳河でかかあと、嬶の間男まおとこをブチ斬ってズラカッタ林友吉というお尋ね者です。……それからのち五年ばかりというものこのドン商売に紛れ込みまして、海の上を逃げまわっておりましたが、その間に警察署とか裁判所とか、津々浦々の有志とか、お金持ちとかいう人達が、吾々に生命いのちがけの仕事をさせながら、どんなに美味うまい汁を吸うて御座るかという証拠をピンからキリまで見てまわりました。爆弾ハッパ隠匿かくどこなどもアラカタ残らず、探り出してしまったものです。
 ……それが恐ろしかったので御座んしょう。警察と裁判所と、有志の人達が棒組んで、この私を袋ダタキにして絶影島の裏海岸に捨てて下さった御恩バッカリは今でも忘れておりません。そう云うたら思い当んなさる人が皆さんの中にも一人や二人は御座る筈ですが。へへへへへへへへへへ……」
 この笑い声を聞くと同時に、船の中で「キャ――ッ」という弱々しい叫びが起って、一人の仲居なかいが引っくり返った。その拍子に近まわりの者が、ちょっとザワ付いたように見えたが、又もピッタリと静かになった。……友吉の気魄に呑まれた……とでも形容しようか……。相手が恐ろしい爆弾を持っているので、蛇に魅入みいられたかえるみたような心理状態に陥っていたものかも知れない。
 友吉おやじの顔色は、その悲鳴と一所に、益々冷然と冴え返って来た。
「……アンタ方は、ええ気色な人達だ。罪人を捕まえて生命いのちがけの仕事をさせながら、芸者を揚げて酒を飲んで、高見たかみの見物をしているなんて……お役人が聞いて呆れる。私は轟先生の御命令じゃから不承不承にここまで来るには来てみたが、モウモウ堪忍袋の緒が切れた。持って生れたカンシャク玉が承知せん。
 ……アンタ方は日本の役人のつらよごしだ。……ええかね。……これはアンタ方に絞られたドン仲間の恩返しだよ。コイツを喰らってクタバッてしまえ……」
 と云ううちに爆弾の導火線を悠々と巻線香にクッ付けて、タッタ一吹きフッと吹くとシューシューいう奴を片手に、
「へへへへ……」
 と笑いながら船首の吃水線きっすいせん下に投げ付けた。……トタンに轟然たる振動と、芸者連中の悲鳴が耳も潰れるほど空気をつんざいた。それを見上げた友吉おやじは又も、
「へへへへへへへ……」
 と笑いながら、今一つの爆弾を揚板あげいたの下から取出して導火線に火をけた。それを頭の上に差し上げて、
「……コレ外道サレッ……」
 と大喝しながら投げ出したと思ったが、その時遅くの時早く、シューシューと火をく黒い爆弾たまがおやじの手から三尺ばかりも離れたと見るうちに、眼もくらむような黄色い閃光がサッと流れた。同時に灰色の煙がムックリと小舟の全体を引っ包んだ中から、友吉おやじの手か、足か、顔か、それともふなべりか、板子か、何だかわからない黒いものが八方に飛び散ってポチャンポチャンと海へ落ちた。そうしてその煙が消え失せた時には、半分水船みずぶねになった血まみれの小舟が、肉片のヘバリ付いた艫櫓ともろを引きずったまま、のた打ちまわる波紋の中に漂っていた。

 不思議な事に吾輩は、その間じゅう何をしていたか全く記憶していない。危険あぶないとも、恐ろしいとも何とも感じないまま船橋ブリッジの上から見下ろしていたものだ。恐らく側に立っていた船長も同様であったろうと思う。……友吉おやじの演説をハッキリと聞いて、二つの爆弾が炸裂するのを眼の前に見ていながら、一種の催眠術にかかったような気持ちで、両手をポケットに突込んだなりに、棒のように硬直していたように思う。ただ、その石のように握り締めた両手のこぶしの間から、生温なまぬるい汗がタラタラとほとばしり流れるのをハッキリと意識していたものだが、「手に汗を握る」という形容はアンナ状態を指したものかも知れん。
 船の甲板デッキは、むろん一瞬間に修羅場しゅらじょうと化していた。今の今まで、抱き合ったり、吸付き合ったりしていた男や女が、先を争って舷側に馳け付けた。そこへ誰だかわからないが非常汽笛を鳴らした者がいたので一層騒ぎが深刻化してしまった。
 船体はいつの間にか十度ばかり左舷に傾いて、まだまだ傾きそうな動揺を見せていたが、そのために酔った連中の足元がイヨイヨ定まらなくなったらしい。折重なってすべり倒れる。その上から狼藉ろうぜきしていた杯盤がガラガラガラと雪崩なだれかかる。その中を押し合い、ヘシ合い、突飛ばし合いながら両舷のボートに乗移ろうとする。上から上から這いかかり乗りかかる。怪我けがをする。血を流す。嘔吐く。気絶する。その上から踏みにじる。警官も役人も有志も芸妓げいしゃも有ったもんじゃない。皆血相の変った引歪ひきゆがんだ顔ばかりで、醜態、狼狽、叫喚、大叫喚の活地獄いきじごくだ。その上から非常汽笛が真白く、モノスゴク、途切とぎれ途切れに鳴り響くのだ。
 左右の舷側に吊した四隻のカッター端舟ボートはセイゼイ廿人も乗れる位のもので在ったろうか。一そう毎に素早い船員が飛乗って、声をらして制止しているが耳に入れる者なんか一人も居ない。我勝ちに飛乗る、すがり付く、オールを振廻すという状態で、あぶなくて操作が出来ない。そのうちに左舷の船尾から猛烈な悲鳴が湧き起ったから、振り返ってみると、今しも人間を山盛りにして降りかけた端舟ボートが、操作を誤って片っ方の吊綱ロープだけゆるめたために、逆釣さかづりになってブラ下がった。同時に満載していた人間がドブンドブンと海へ落ちてしまったのだ。海の深さはそこいらで十五六ひろも在ったろうか……。
 それを見た瞬間に吾輩はヤット我に返った……これは俺の責任……といったような感じにヒドク打たれたように思う。
 傍を見ると船長が吾輩と同じ恰好でボンヤリと突立っている。肩をたたいて見たが、唖然あぜんとして吾輩を振り返るばかりだ。船橋ブリッジの下の光景に気を呑まれていたんだろう。
 吾輩はその横で背広服を脱いで、メリヤスの襯衣シャツとズボン下だけになった。メリヤスを一枚着ていると大抵なめたい海でもしのげる事を体験していたからね。それから船橋ブリッジの前にブラ下げて在った浮袋ブイ一個ひとつ引っ抱えて上甲板へ馳け降りた。船尾から落ちた連中をたすけて水舟に取付かせてやるつもりだった。それからボートの前の連中を整理して狼狽させないようにしようと思い思いモウ一つ下甲板へ馳け降りると、その階段の昇り口の暗い処でバッタリとこの船の運転士に行き会った。よく吾輩の処へ議論を吹っかけに来る江戸ッ子の若造わかぞうで、友吉とも心安い、来島くるしまという柔道家だったが、これも猿股一つになって、真黒な腕に浮袋を抱え込んでいた。
「……あっ……轟先生。ちょうどいい。一所いっしょに来て下さい」
 と云ううちに吾輩を引っぱって、客室の横の階段から廊下伝いに混雑を避けながら、誰も居ない船首へ出た。その時に非常汽笛がパッタリと鳴り止んだので、急に淋しく、モノスゴクなったような気がしたが、そこで改めて来島の顔を見ると、眼になみだを一パイ溜め、青い顔をしている。友太郎の事を考えているのだろうと思ったが、しかし二人とも口には出さなかった。来島は落付いて云った。
「……轟先生……損害は軽いんです。汽笛ふえなんか鳴らしたから不可いけなかったんです。……かしいだ原因はまだ判然わかりませんが、船底の銅版あかと、木板いたの境い目二尺に五尺ばかりグザグザに遣られただけなんです。都合よく反対にかしいだお蔭で、モウ水面に出かかっているんですから、外から仕事をした方が早いと思うんです。済みませんが先生、この道具袋フクロを持って飛込んでくれませんか。水夫も火夫もみんなポンプに掛り切っていて手が足りないんですから……浮袋ブイを離してはいけませんよ。仕事が出来ませんから……いいですか……」
 吾輩は一も二もなくこの若造の命令に従って海に飛込んだ。イザとなると覚悟のいい奴にはかなわないね。

 ところが、それから引続いた来島の働らき振りには吾輩イヨイヨ舌を捲かされたもんだよ。溺れている人間なんか見向きもしない。一生懸命で、上からブラ下げた綱にすがりながら、船の横っ腹に取付いて、穴の周囲にポンポンポンと釘を打ち並べると、八番ぐらいの銅線を縦横十文字じゅうおうむじんに引っかけまわした。その上から帆布キャンバスを当てがって、片っ方から順々に大釘で止めて行く……最後に残った一尺四方ばかりの穴から猛烈に走り込む水を、針金に押し当てがった帆布キャンバスで巧みにアシライながら遮り止めてしまった。その上からモウ二枚帆布キャンバスを当てがって、周囲まわりをピッシリ釘付けにして、その上からモウ一つ、流れていたオールを三本並べながら、鎹釘かすがいで頑丈にタタキ付けてしまった。どこで研究したものか知らないが、百人ばかりの生命いのちの親様だ。思わず頭が下がったよ。
 その吾々が仕事をしている二三げん向うには、端舟ボート釣綱つりつなが二本、中途から引っ切れたままブラ下がっていた。切れ落ちたボートは人間を満載したまま一度デングリ返しを打った奴が、十間ばかり離れた処に漂流していたが、その周囲には人間の手が、干大根ほしだいこんを並べたようにビッシリと取付いている。……にも拘わらず、その尻の切れた二本の綱には、上から上から取付いてブラ下がって来る人間が、重なり重なり繋がり合っているのだ。芸者、紳士、警官、お酌、判事、検事、等々々といった順序に重なり合った珍妙極まる人間の数珠玉じゅずだまなんだ。しかもその一つ一つが「助けてくれ助けてくれ」と五色ごしきの悲鳴をあげているのだから、平生なら抱腹絶倒の奇観なんだが、この時はドウシテ……その一人一人が絶体絶命の真剣なんだから遣り切れない。巡査の握りこぶしの上に芸者のお尻がノシかかって来る。仲居なかいの股倉が有志の肩に馬乗りになる。「降りちゃ不可いかん降りちゃ不可ん」と下から怒鳴っているんだからたまらない。ズルリズルリと下がって来るうちに、見る見る綱が詰まって来てポチャンポチャンと海へち込む。そのまま、
「……アアッ……ああッ……」
 と藻掻もがき狂いながらブクブクブクと沈んで行く。その表情のムゴタラシサ……それを上から見い見いブラ下がっている連中の悲鳴のモノスゴサといったらなかったよ。
 そんな光景を見殺しにしながら仕事をしていた吾輩は、仕事が済むとモウ矢もたてもたまらない。道具袋を海にタタッ込んで、抜手を切って沖合いの小舟に泳ぎ付いた。血だらけの櫓柄ろづかを洗って、へそに引っかけると水舟のまま漕ぎ戻して、そこいらのブクブク連中をアラカタふなべりの周囲に取付かせてしまったので、とりあえずホッとしたもんだ。
 その間に来島は本船に上って、帆布キャンバスで塞いだ穴の内側から、本式にピッタリと板を打付けた。一層馬力ばりきをかけて水を汲み出す一方に、らん限りの品物を海に投込む。ボートの連中を艙口ハッチから収容すると、今度は船員が漕ぎながら人間を拾い集める。綱を持った水夫を飛込ましてブカブカ遣っている連中を拾い集める。上って来た奴はかたぱしから二等室に担ぎ込んで水を吐かせる。摩擦する。人工呼吸を施すなどして、ヤットの事で取止めた頭数を勘定してみると、警官、役人、有志、人夫を合わせて、七名の人間が死んでいる。そのほかに芸妓げいしゃ二名の行方がわからない……という事が判明した。これは男連中が腕力に任せて先を争った結果で、同時に女を見殺しにした事実を雄弁に物語っているのだ。お酌や仲居が一人も飛込まないで助かったのは、お客や姉さん等に対して遠慮勝ちな彼等の平生の癖が、コンナ場合にも出たんじゃないかと思うがね。イヤ。冗談じゃないんだ。危急の場合に限って平生の習慣が一番よく出るもんだからね。
 ところがそのうちに西寄りの北風が吹き初めて、急に寒くなったせいでもあったろうか。死骸を並べた二等室の広間に青い顔をして固まり合っていた、生き残りの連中が騒ぎ初めた。当てもないのに立ち上りながら異口いく同音に、
「……帰ろう帰ろう。風邪を引きそうだ……」
「船長を呼べ船長を呼べ……」
 とワメキ出したのには呆れ返ったよ。イクラ現金でもアンマリ露骨過ぎる話だからね。片隅で屍体の世話を焼いていた丸裸の来島運転士も、これを聞くと顔色を変えて立上ったもんだ。あらん限りの醜態を見せ付けられてジリジリしていたんだからね。
「……何ですって……帰るんですって……いけませんいけません。まだ仕事があるんです」
「……ナンダ……何だ貴様は……水夫か……」
「この船の運転士です。……船の修繕はもうスッカリ出来上っているんですから、済みませんがモウ暫く落付いていて下さい。これから屍体の捜索にかかろうというところですからね」
「……探してわかるのか……」
「……わからなくたって仕方がありません。行方不明の屍体を打っちゃらかして、日の暮れないうちに帰ったら、貴方がたの責任問題になるんじゃないですか。……モウ一度探しに来るったって、この広ッパじゃ見当が付きませんよ」
 と詰め寄ったが、裁判所や、警察連中は、何をおこっているのか、白い眼をして吾輩と来島の顔を見比べているばかりであった。すると又そのうちに大勢の背後うしろの方で、
「……アア寒い寒い……」
 と大きな声を出しながら、四合瓶ごうびん喇叭ラッパを吹いていた一人が、ヒョロヒョロと前に出て来た。トロンとした眼を据えて、
「……何だ何だ。わからないのは芸妓げいしゃだけじゃないか。芸妓なんぞドウでもいい……」
 とウッカリ口を辷らしたからまらない。隅ッ子の方に固まっていた雛妓おしゃくが「ワッ」と泣き出す……トタンに来島の血相が又も一変して真青になった。
「……何ですか貴方は……芸妓げいしゃなんぞドウでもいいたあ何です」
「……バカア……好色漢すけべえ……そんな事を云うたて雛妓おしゃくは惚れんぞ……」
「……惚れようが惚れまいがこっちの勝手だ。フザケやがって……芸妓げいしゃだって同等の人間じゃねえか。好色漢すけべえがドウしたんだ……手前てめえ等あ役人の癖に……」
 と云いさしたので吾輩は……ハッ……としたが間に合わなかった。二三人の警官と有志らしい男が一人か二人、素早く立上って来島と睨み合った。しかし来島は眉一つ動かさなかった。心持ち笑い顔を冴え返らしただけであった。
「……何だ……貴様は社会主義者か……」
「……篦棒べらぼうめえ人道主義者だ……このまんま帰れあ死体遺棄罪じゃあねえか。不人情もいい加減にするがいい……手前てめえ等あタッタ今までその芸妓げいしゃを……」
「黙れ黙れッ。貴様等の知った事じゃない。吾々が命令するのだ。帰れと云ったら帰れッ……」
「……ヘン……帰らないよ。海員の義務って奴が在るんだ。芸妓げいしゃだろうが何だろうが……」
「……馬鹿ッ……反抗するカッ……」
 と云ううちに前に居た癇癪持ちらしい警官が、来島の横ッつらを一つ、平手でピシャリとハタキ付けた。トタンに来島が猛然として飛かかろうとしたから、吾輩が逸早いちはやさえぎり止めて力一パイ睨み付けてしずまらした。来島は柔道三段の腕前だったからね。打棄うっちゃっておくと警官の一人や二人絞め倒おしかねないんだ。
 そのうちに来島は、吾輩の顔を見てヒョッコリと頭を一つ下げた。そのまま火の出るような眼付きで一同を見まわしていたが、突然にクルリと身をひるがえすと、入口のドアをパタンと閉めて飛び出して行った。吾輩もそのアトから、何の意味もなしに飛出して行ったが、来島の影はどこにも見えない。船橋ブリッジに上って見ると船はもう轟々と唸りながら半回転しかけていた。
 その一面に白波を噛み出した曇り空の海上の一点を凝視しているうちに吾輩は、裸体はだかのまんま石のように固くなってしまったよ。吾輩の足下に大波瀾を捲き起して消え失せた友吉親子と、無情つれなく見棄てられた二人の芸妓げいしゃの事を思うと、何ともいえない悽愴たる涙が、滂沱ぼうだとしてとどまるところを知らなかったのだ。……

 ……ドウダイ……これが吾輩の首無し事件の真相だ。君等の耳にはもう、トックの昔に這入っている事と思っていたんだが……秘密にすべく余りに事件が大き過ぎるからね。
 ウンウンその通りその通り。朝鮮の内部で喰い止めて内地へ伝わらないように必死的の運動をしたものに相違ないね。司法官連中にも弱い尻が在るからな。旅費日当を貰って聴きに来た講演をサボって、芸者を揚げて舟遊山ふなゆさんをした……その酒の肴に前科者を雇って、生命いのちがけの不正漁業を実演させたとなったら事が穏やかでないからな。
 ナニ、吾輩に対する嫌疑かい。
 それあ無論かかったとも。……かかったにも何にも、お話にならないヒドイ嫌疑だ。人間の運命が傾き初めると意外な事ばかり続くものらしいね。
 そのあくる朝の事だ。善後の処置について御相談したい事があるからというので、釜山府尹ふいん官舎の応接間に呼び付けられてみると、どうだい。昨日きのうの事件は吾輩と、友吉おやじと、慶北丸の運転士来島とが腹を合わせた何かの威嚇手段じゃないか。その背後には在鮮五十万の漁民の社会主義的、思想運動の力が動いているのじゃないかというので、根掘り葉掘り訊問されたもんだ。どこから考え付いたものか解からんが馬鹿馬鹿し過ぎて返事も出来ない。よっぽど面喰って、血迷っていたんだね。……しかもその入れ代り立代り訊問する連中の中心に立った人間というのが誰でもない。昨日きのう、イの一番に芸妓げいしゃを突飛ばして船尾のボートにかじり付いた釜山の署長と予審判事と検事の三人組と来ているんだ。或は一種の責任問題から、この三人が先鋒に立たされたものかも知れないがね。……その背後には慶北、全南あたりの司法官が五六名、容易ならぬ眼色を光らしている。表面は事件の善後策に関する相談と称しながら、事実は純然たる秘密訊問に相違なかったのだ。
 吾輩は勿論、しゃくさわったから、都合のいい返事を一つもしてやらなかった。当り前なら法律と算盤そろばんの前には頭を下げる事にきめている吾輩だったが、あの時には、前の日に死んだ友吉おやじのヒネクレ根性が、爆薬の臭気においとゴッチャになって、吾輩の鼻の穴から臓腑へみ渡っていたらしいね。
「吾輩の講演を忌避して、船遊山ふなゆさんを思い立ったのは誰でしたっけね」
 と空っトボケてやったもんだ。
 すると誰だか知らない検事か判事みたような男が背後うしろの方から、
「それでも友吉親子を推薦したのは貴下あなたではなかったか」
 と突込んで来たから、わざとその男の顔を見い見い冷笑してやった。
「……ハハハ……その事ならアンマリ突込まれん方が良くはないですか。実は昨晩、弁護士に調べさせてみますと、友吉の前科はズット以前に時効にかかっていたものだそうです。私は法律を知らないのですが……それでなくとも拘留中の現行犯人を引出して、犯罪の実演をさせるよりは無難だろうと思って、実は、あの男を推薦した次第でしたが……それでも貴方がたの法律眼から御覧になると、現行犯を使った方が合理的な意味になりますかな……」
 とおつに絡んでじ返してくれた。吾れながら感心するくらい頭がヒネクレて来たもんだからね……ところが流石さすがは商売柄だ。これ位の逆襲にはへこまなかった。
「そんな事を議論しているのじゃない。友吉おやじに、あんな乱暴を働らかした責任は当然ソッチに在る筈だ。その責任を問うているのだ」
 と吾輩の一番痛いところを刺して来た。その時には吾輩、思わずカッとなりかけたもんだ……が、しかしここが大事なところと思ったから、わざと平気な顔で空をうそぶいて見せた。
「……成る程……その責任なら当方で十分十二分に負いましょうよ。……しかし爆弾を投げさせた心理的の動機はこの限りにあらずだから、そのつもりでおってもらいたいですな。無辜むこの人間に生命いのちがけの不正を働らかせながら、芸妓げいしゃを揚げて高見たかみの見物をしようとした諸君の方が悪いにきまっているのだから……諸君は友吉おやじの最後の演説を記憶しておられるだろう……」
 と云って満座の顔を一つ一つに見廻わしたら、一名残らず眼を白黒させていたよ。
「……しかし……あれは元来……有志連中が計画したもので……」
 と隅の方から苦しそうな弁解をした者がいたので、吾輩は思わず噴飯ふんぱんさせられた。
「……アハハ。そうでしたか。ちっとも知りませんでした。……しかし拙者が拝見したところでは、有志の連中には余り酔った者はいなかったようである。実際に泥酔して乱痴気らんちき騒ぎを演じたのは諸君ばかりのように見受けたが、違っていたか知らん。ついでにお尋ねするが一体、諸君は講演の第二日の報告を、何と書かれるつもりですか。参考のために承っておきたい。まさか公会堂で演説中に爆弾が破裂したとも書けまいし……困った問題ですなあ……これは……」
 と冷やかしてやった。ところがコイツが一等コタエたらしいね。イキナリ、
「……ケ……しからん……」
 と来たもんだ。眼先の見えない唐変木とうへんぼくもあったもんだね。
「……そ……そんな事に就いては職務上、君等の干渉を受ける必要はない。君はただ訊問に答えておればいいのだ」
 と頭ごなしに引っかぶせて来た。……ところが又、こいつを聞くと同時に、最前さっきから捻じれるだけ捻じれていた吾輩の神経がモウと捻じりキリキリ決着のところまで捻じ上ってしまったから止むを得ない。モウこれまでだ。談判破裂だ……と思うと、フロックの腕を捲くって坐り直したもんだ。
「……ハハア……これは訊問ですか。面白い……訊問なら訊問で結構ですから、一つ正式の召喚状を出してもらいましょうかね。その上で……如何にも吾輩が最初から計画してやった仕事に相違ない……という事にして、洗いざらい泥水を吐き出しましょうかね。要するに諸君の首が繋がりさえすれあ、ほかに文句はないでしょう……」
 と喰らわしてやったら、連中の顔色が一度にサッと変ったよ。
「……エヘン……吾輩は多分、終身懲役か死刑になるでしょう。君等のおあつらえ向きに饒舌しゃべればね……ウッカリすると社会主義者の汚名を着せられるかも知れないが、ソレも面白いだろう。日本民族のはらわたが……特に朝鮮官吏の植民地根性が、ここまで腐り抜いている以上、吾輩がタッタ一人で、いくらジタバタしたって爆弾漁業の勦滅そうめつは……」
「……黙り給えッ……司直に対して僭越だぞ……」
「何が僭越だ。令状を執行されない以上、官等かんとうは君等の上席じゃないか……」
 と開き直ってくれたが、その時に横合いから釜山署長が、慌てて割込んで来た。
「……そ……それじゃ丸で喧嘩だ。まあまあ……」
「……喧嘩でもいいじゃないか。こっちから売ったおぼえはないが、ドウセ友吉おやじの鬱憤晴らしだ」
「……そ……そんな事を云ったらアンタの不利になる……」
「……不利は最初から覚悟の前だ。出る処へ出た方がメチャメチャになってい……」
「……だ……だからその善後策を……」
「何が善後策だ。吾輩の善後策はタッタ一つ……漁民五十万の死活問題あるのみだ。お互いの首の五十や六十、惜しい事はチットモない。真相を発表するのは吾輩の自由だからね」
「そ……それでは困る。御趣旨は重々わかっているからそこをどっちにも傷の附かんように、胸襟きょうきんを開いて懇談を……」
「それが既に間違っているじゃないか。死んだ人間はまだ沖にほうりっぱなしになっているのに何が善後策だ。その弔慰の方法も講じないまま自分達の尻ぬぐいに取りかかるザマは何だ。いわんや自分達の失態をおおうために、孤立無援の吾輩をコケおどしにかけて、何とか辻褄つじつまを合わさせようとする醜態はどうだ」
「……………」
「ソッチがそんな了簡りょうけんならこっちにも覚悟がある。……憚りながら全鮮五十万の漁民を植え付けて来た三十年間には、何遍、血の雨を潜ったかわからない吾輩だ。骨が舎利しゃりになるともこの真相を発表せずには措かないから……」
「……イヤ。その御精神は重々、相わかっております。誤解されては困ります。爆弾漁業の取締りに就いて今後共に一層の注意を払う覚悟でおりますが、しかし、それはそれとしてとりあえず今度の事件だけに就いての善後策を、今日、この席上で……」
 とか何とか云いながら上席らしい胡麻塩ごましお頭の一人が改まって頭を下げ初めた。それに連れて二三人頭を下げたようであったが、内心ヨッポド屁古垂へこたれたらしいね。しかし吾輩はモウ欺されなかった。
「……待って下さい。その交換条件ならこっちから御免を蒙りましょう。陛下の赤子せきし、五十万の生霊を救う爆弾漁業の取締りは、誰でも無条件で遣らなければならぬ神聖な事業ですからね。今後、絶対に君等のお世話を受けたくない考えでいるのです。……ですから君等の職権で、勝手な報告を作って出されたらいいでしょう。……吾輩は忙がしいからこれで失礼する」
「……まあまあ……そうき込まずと……」

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