拳骨辻占
「まあ……どうも飛んだ失礼を致しまして……場所慣れない若いものばかりなもんですから……お
「馬……馬鹿云え。お珍らしいって俺あ初めてだぞ。お前みたいな人間には生れない前から御無沙汰つづきなんだぞ……テンデ……」
「オホホホホホホホ……」
女将の嬌笑が暗い部屋に響き渡った。その
「オホホホ……恐れ入ります。まったくで御座いますよ先生。この町中の
「ハハア。俺に似た
「まあ、御冗談ばかり……それどころでは御座いませんよ先生。先生のお払いのお見事な事は皆、不思議だ不思議だって大評判で御座いますよ」
「ううむ。
「そればかりでは御座いませんよ。いつも一杯めし上ると
「……ああ、いい気持ちだ。汗ビッショリになっちゃった。本気にするぜオイ……」
「
「アッ。君はあの時の孝行娘さんかえ。これあ驚いた。そういえばどこやらに面影が残っている。
「まあ。お口の悪い……でも先生はあの時からチットも
「アハハ。貴様の方がヨッポド口が悪いぞ。変りたくとも変れねえんだ」
「アラ。そんな事じゃ御座いませんわ」
「おんなじ事じゃないか」
「……でも、そのお姿を見ますとあの時の事を思い出しますわ。『ウーム。貴様が新聞に出ていた孝行娘か。こっちへ来い。
「ハハハ。そんな事があったっけなあ。酔払っていたものだから忘れてしまったわい」
支那料理
「あれから私いろいろと苦労致しましたわ。両親に死別れてから
と云ううちに吾輩の胸へ
「いい加減にしろよ。若い女たちが見てるじゃないか。モウ一遍俺の手に縋って辻占を売りに出る年でもあるめえ」
「……これからもドウゾこの店の事を、よろしくお頼み申上ます……誰も……どなたも……相談相手になって下さる方がないのですから」
「フウム、成る程。そういえば何もかも新しいようだナ。何だってコンナ処に支那料理屋なぞ作ったんだ」
「ホホホ。恐れ入ります。どうも表通りにはいい処が御座いませんので、それに支那料理なんて申しますと、どうも横町じみた処が繁昌いたしますようで……」
「イカニモなあ、ところでホントに支那料理が在るのか」
「オホホ。御冗談ばかり。チャント御座いますわ」
「怪しいもんだぜ。
「ホホ。相変らずお眼鏡で御座いますわねえ。どうぞ御遠慮なく御贔屓に……ヘヘヘヘ……」
「変な笑い方をするなよ。今日は飯を喰いに来たんだ。腹が減って眼が
「……まあ……気付きませんで……
「サア。酒を飲むほど
「ホホホ。御冗談ばかり。いつでも結構で御座いますわ。見つくろって参りましょうね」
「ウム。早いものがいいね。それから今のお嬢さん達もこっちへ這入って火に当らせたらどうだい。相手は俺だから構うことはない。
「オホホ。あの子たちは今日お天気がいいもんですから、お客の少ない昼間のうちに申合せて着物のお洗濯をしているのですよ。その着換えが御座いませんので、仕方なしにゆもじ一つでストーブへ当っておりますところへ、先生が
「馬鹿云え。先祖譲りの揃いの
「ホホホホホホホホホ。かしこまりました」
女将は嬌笑しいしいイソイソとコック部屋へ引上げると間もなくポーンと
「サアサアみんな先生の処へ行っといで。あの先生を知らないのかい。鬚野先生と云って有名な方だよ。トテモさっぱりしたお方なんだよ。弱い女や貧乏人の味方ばっかりしておいでになる福の神様なんだよ。先生に顔を見覚えて頂くだけでキットいい事があるんだよ」
「だって女将さん……」
「何ぼ何だってこのままじゃあんまりだわ」
吾輩は
「ナアニ構わん構わん。そのまんまでこっちへ這入れ。お前たちと話してみたいんだ。俺が今引受けている素敵なローマンスの話をして、お前たちの意見を聞いてみたいんだ。這入れ這入れ。這入ってくれ。風邪を引くぜ」
「……ほら……ね。あんなに仰言るんだから構わないんだよ。あの先生は人間離れした方なんだから。恥かしい事なんか無いんだよ」
「さあさあイラハイイラハイ。大人は十銭、子供は五銭、ツンボは
歌が聞きたけあア――野原へお
青空の歌ア――恋の歌ア――
あああああああア
遠い野の涯エ――河の涯エ――
ソッと聞いていた女たちが、一人一人恐る恐る眼をマン丸にして這入って来た。吾輩の歌に感心したらしく、気抜けしたような恰好で、吾輩の
そうして一心に吾輩の姿を見上げている半裸の若い女たちの姿を見まわすと吾輩は、森の
「いい声ねえ。おみっちゃん」
「
「惜しいわねえ。コンナに町をブラブラさして……ホホ」
……ソレ見ろ……と吾輩はすこし得意になった。イキナリ椅子から立上って山高帽を冠り直したもんだ。
「エエ。こちらはJORK東京放送局であります。只今……エート……只今午後二時二十七分から、支那料理が出来上ります。空腹のお時間を利用して、昼間演芸放送を致します。演題は『街頭歌二曲』、最初は
夜の銀座にふる霧は ほんに
敷石濡らし
夜の銀座にふる霧は ほんに嬉しや恥かしや
帽子を濡らし靴濡らし 握り合わせた手を濡らす
赤い帽子
この世は枯れ原ススキ原 ボーボー風が吹くばかり
赤い帽子を冠ろうよオ――
赤い帽子が
道化踊りを踊ろうよオ――
ああくたびれた」
「お
「ウワア。そんなに上等の奴はイカン。第一
「オホホ。恐れ入ります。御心配なさらなくともいいんですよ。[#「いいんですよ。」は底本では「いいんすよ。」]これはJORKからのお礼ですから」
「そんなに
「どうぞ今日はお願いですから御存分に皆を遊ばしてやって下さいまし。さあさあお前達は何をボンヤリしているの……お酌をして上げなくちゃ」
「アハハハ。これあ愉快だ。裸一貫のお酌は
「
「オイ来た。ところでお
「相済みません。先生にお酌を願って……どうぞ伺わして下さい」
「ウム。スレッカラシの君が聴いてくれるとあればイヨイヨありがたい。アハハ、
「面白いお話って活動のお話ですか」
「そんなチャチなんじゃない。ありふれた小説や芝居とは違うんだ。みんな現在、お前さんたちの眼の前で……この吾輩の椅子の上で進行中の事件なんだ。しかも、そこいらの活動のシナリオよりもズット面白い筋書が現在こうして盃を抱えながら進行しているんだから奇妙だろう――」
「まあ。それじゃ妾たちもその事件の中で一役買っているので御座いますか」
「もちろんだとも。しかもその筋書の中でも一番重要な役廻りを受持って、これから吾輩を主役としたスバラシイ場面を展開すべく、タッタ今活動を始めたばかりなんだ。モウ逃げようたって逃げる事が出来なくなっているんだ」
「まあ。
「イヤ。断然、真剣なんだ。まあ聞け……コンナ訳だ」
吾輩はそこで
「どうだい。みんなわかったかい。だから詰まるところこうなるんだ。今度の事件は一切合財、みんな偶然の
議員諸君が顔と顔を見合わせ始めた。
「まあ……羽振っていう人は、あのウチへ来る医学士さんじゃないの……男ぶりのいい……ねえ
「あのバレンチノさんよ。ね、お神さん。キットそうよ」
女将が眼を白くして
「まあ。只今の先生のお話は、みんな本当で御座いますの」
「何だ。今まで作りごとだと思って聞いていたのかい」
「……ド……どこに居りますの。その医学士は……憎らしい」
「オットット、そう昂奮するなよ。何も直接にお前たちと関係のある話じゃないだろう」
「それが大ありなんですよ、馬鹿馬鹿しい」
と女将が
「ふうん。女将さんと関係があるのかい」
「あるどころじゃないんですよ、
「フーム。そんな下等な奴だったのかい、アイツは……そんならモット
「そして……ド、どこに居るんですか」
「多分、耳鼻咽喉科かどっかに入院しているだろう」
「……あたし行って参りますわ。直ぐそこですから……ちょっと失礼……」
「ちょっと待て……」
「いいえ、棄てておかれません。今まで何度となく勘定書を大学に持って行ったんですが、どこに居るかサッパリわかりませんし……タマタマ姿を見付けても案内のわからない教室から教室をあっちへ逃げ、こっちに隠れしてナカナカ捕まらないのですよ。入院していれあ何よりの幸いですから……ちょっと失礼して行ってまいります」
「ま……ま……待て……待てと云ったら……いい事を教えてやる。確実に勘定の取れる方法を教えてやる。アイツは現金なんか持ってやしないよ」
「それはそうかも知れませんわねえ」
女将は、すこし張合抜けがしたように椅子へ引返した。
「それよりもねえ、
「まあ。彼奴の
「知らないのかい」
「存じませんわ。教えて下さいな」
「あの有名な貴族院議員さ」
「まあああああ――アアア」
五六人の女が部屋の空気を入れ換えるくらい大きな溜息をした。そのマン中に女将は頭を下げた。
「ありがとう御座います鬚野先生……ありがとう御座います。それさえ解れば千人力……」
「ま……ま……まあ早まるな。相手の家はわかっても、なかなかお前たち
「お口の悪い。若い女でも実のあるのも御座いますよ。ここに並んでおります連中なんか、上海でも相当の手取りですからね」
「アハハハ。あやまったあやまった。お
「日本は愚か、上海にも御座いませんよ」
「ところでどうだい。最前からの話の筋の中で、羽振医学士の方は、吾輩の拳骨一挺で簡単に型が付いた訳だが、今一人居る断髪令嬢の
「ほんとに貴方は神様みたいなお方ですわねえ。何もかも見透して……」
「ところが、今度の事件に限って吾輩は、すこし取扱いかねているのだ。未だその断髪令嬢の涙ながらの話を聞いただけなんでね。唖川小伯爵がドンナ人間だか一つも知らずにいるんだ。そこへ取りあえず羽振医学士にぶつかって、コイツはイケナイと気が付いたから、筋書の中から叩き出してしまった訳なんだが、しかし、これから先がどうしていいかわからないので困っているんだ」
「まったくで御座いますわねえ、わたくし共でも、見当が付きかねますわ」
「ウム。だから実は君等にこうして相談してみる気になったもんだがね、一つ考えてくれよ。いいかい。この吾輩が詰まるところ運命の神様なんだ。そうして君等の指図通りにこの事件の運命を運んでみようと思ってこうして相談を
「……センセー……ホントに
吾輩の横に腰をかけていた一番若い、美しい、
「するともするとも。キットお前達の註文通りに筋書を運んで見せるよ。実物を使って実際に脚色して行くという斬新奇抜、驚天動地の世界最初の実物創作だ。喜劇でも悲劇でもお望み次第に実演させて見せる……」
「でもねえ先生……」
女将の横に居る
「あたし疑問が御座いますわ」
「あたしもよ……どうも初めっからお話が変なのよ」
「あら、あたしもよ」
「ほう、みんな吾輩の話に疑問があるって云うんだな。ふうむ、面白い。念のために断っておくが、俺はチットばかりアルコールがまわりかけている。しかしイクラ酔っ払っても、話を間違えた事は一度も無い男だぞ」
「アラ、先生。そうじゃないんですよ。先生のお話がヨタだなんて考えてるんじゃありませんわ。先生のお話が真実百パーセントとして聞いても、あたし達の常識が受け入れられないところがあるから……」
「ウワア、こいつは驚いた。恐しく
「そんなことありませんわ。これだけ五人でお給金を
「イヤ、これはどうもオカカの感心、オビビのビックリの到りだ。君等にソレだけの見識があろうとは思わなかった」
「まったくこの五人は感心で御座いますよ。上海でこの店が駄目になりかけた時に、五人が腕に
「……吾輩……何をか云わんやだ。この通りシャッポを脱ぐよ。君等こそプロレタリヤ精神の
「そんな事どうでもいいじゃありませんか先生。それよりも今のお話ですね」
「うんうん。どこが怪しい」
「怪しいって先生……その唖川歌夫っていう人も、いい加減気の知れない人ですけど、そのコンクリート市会議員の断髪令嬢っていうのが、一番怪しい人物だと思いますわ」
「ふうむ。これは驚いた。何で怪しい。この事件の
「あたし久し振りに日本に帰って来たんですから、今の女の人の気持はよくわかりませんけどね、ソンナに内気な親孝行な人が、そんな年頃になるまで断髪しているものでしょうか……許嫁の人から貰った犬が居なくなったといって泣くような人が……」
「フウウム、これは感心したな。ナカナカ君等の観察は細かい。そこまでは考えなかった」
「ええ、きっと眉唾もんよ、そのお嬢さんは……」
「あたし日本の断髪嬢嫌いよ、テンデ板に附いていないんですもの。汚ない腕なんか出して……」
「アハハ、これあ手厳しい」
「当り前よ。腕を出すんなら子供の時分から腕を手入れしとかなくちゃ駄目よ。イクラ立派な肉附きの腕だっても、葉巻のレッテルみたいな
「ヒヤア、これは恐れ入った。国辱国辱、正に国辱。銀座街頭の女はみんな落第だ」
「上海の
「断髪だってそうよ。櫛目のよく通る日本人の髪を切るなんてイミ無いわ」
「まあ待て待て。脱線しちゃ困る。ほかの断髪嬢ならトモカク、あのテル子嬢の断髪なら、お母さん譲りだけあってナカナカ板に附いているぞ」
「おかしいわねえ。そんなお母さんだったら娘さんはイヤでも反感を起して日本髪に
「ちょいと先生。その伯爵様っていうのも妾、何だか怪しいと思うわ。先生のお話の通りだったら」
「フウン。容易ならん事がアトカラアトカラ持上って来るんだな、これあ。どこが怪しい、名探偵君……」
「だって、そんな冷淡な許嫁なんか恋愛小説にだって無いわ。せいぜい一日に一度ぐらいは訪ねて来なくちゃ嘘よ」
「それにねえ先生。その断髪令嬢のお父さんのコンクリート氏が引っぱられてからというもの、一度もそのお
「ねえ先生。これを要するにですねえ、先生」
女将はボオッと来ているらしい。しきりに舌なめずりをして眼を据えた。
「ウフウフ。これを要しなくたっていいよ」
「いいえ。是非ともこれを要する必要が御座いますわ。どうも先生の
「ヒヤッ。
「あたしの二代前の亭主が小説家だったんですもの。自然主義の大将とか何とか云われていたんですけど、創作なんか一度もしないで、実行の方にばかり身を入れちゃって、とうとう行方知れずになったんですからね。
「ふむ。自然主義なら吾輩にもわかるが、とにかくこの創作を完成しなくちゃ話にならん」
「駄目よ先生。そんな創作無いわよ。モウすこし人物を掘下げてみなくちゃ。中心になっているお河童さんの恋愛だって、本物だかどうだか知れたもんじゃないわ」
「ウーン。そういえば何だか吾輩も不安になって来た。一つ探偵し直しに行ってみるかな」
「どこから探偵し直しをなさるの」
「さあ。そいつが、まだ見当が附いていないんだ。もう一度あのお河童令嬢に会ってもいい。犬のお悔みを申上げてお顔色拝見と出かけるかな」
「駄目よお、先生。又
「ねえ先生。思い切って小伯爵のお父さんか、お母さんに会って御覧になってはどうでしょう。そうして何も
「よし。それじゃ方針がアラカタきまったから出かける事にしよう」
「まあお待ちなさいよ。そんな恰好で
「エッ。自動車を奢る?」
「ええ。羽振の居所を教えて下すった、お礼ですよ。……まあ聞いていらっしゃい」
女将が何かしらニコニコ笑って立上った。コック部屋の横の帳場に坐り込むと、電話帳を調べてから念入りにダイヤルをまわした。
特別に品のいいオリイブ色の声を出した。
「モシモシ、モシモシイ。唖川伯爵様のお宅でいらっしゃいますか。ハイハイ、コチラはねえ、アノこちらはねえ、大学前の自働電話で御座いますがねえ……ハイハイ。私はねえ、唖川様の若様を存じ上げております女で御座いますがねえ……」