赤い鳥
村外れの
村の者は皆その贅沢さに眼を丸くした。誰もかれもその若大将の奥さんを見たがった。
「この界隈で家を建てて、棟上げの祝いを配らずに済ます家は、あの別荘だけじゃろ」
などと蔭口を利くものもあった。しかしその別荘は出来上ってから三箇月ばかりというもの閉め切ったまんまで、若い奥さんは影も形も見せなかった。
ところが真夏の八月に入った或る日の事、
「別荘の中は殿様の御殿のように、立派な家具家財で飾ってあるよ」
「女中みたような若い女が二人と、運転手が下男みたような男衆が六七人とで、そんな家具家財を片付けながら、キャッキャッとフザケ合っていたよ」
「六七台の自動車は日暮れ方にみんな帰ってしまって、
「その赤い鳥は奇妙な声で……バカタレ……馬鹿タレエッて云っていたよ」
というような事実が、その夕方、沖から帰って来た村中の男達に、大袈裟な口調で報告された。それを聞いた男たちは皆眼を
「ウーム。そんならその奥さんチウのはヨッポド
「いつ来るんじゃろ。その別嬪さんは……」
「あたしゃ初めあの女中さんを奥さんかと思うたよ。あんまり様子が立派じゃけん」
「あたしもそう思うたよ。……けんど二人御座るのも
「お妾さんチウもんかも知れんテヤ」
「ナアニ……その赤い鳥が奥さんよ」
「……どうしてナ……」
「……どうしてちうて……ウチの赤い鳥でも、毎日のように俺の事を、バカタレバカタレ云うてケツカルじゃないか」
そんな事を云い合ってドッと笑いこけながら、海岸に咲き並ぶ月見草を押しわけて帰る連中もあった。
そのあくる日のやはり夕方近くの事……本物の若い奥さんは、若大将と一緒に自動車で別荘に乗りつけた。そうして着物を着かえると
奥さんは村の者の予期に反して別嬪でも何でもなかった。赤い毒々しい色の日傘の中に一パイになるくらい大きなハイカラ髪に結って、派手な
「ねえあなた。いい景色じゃないの……
「……ウウン……
「……だけどコンナ村に住んでいる人間は可愛想なものね。年中太陽に
「ウーン。女でも男でもずいぶん黒いね。トテモ人間とは思えない」
「男はみんなゴリラで、女はみんな熊みたいに見えるわよ」
「ハハハハ、ゴリラかハハハ」
「ホホホホヒヒヒヒヒ」
すると、ちょうど網干場のまん中の
只さえ気の荒い
「……何コン畜生……ごりらタア何の事だ……」
「……知らんがナ……」
と
「……ナニイ知らん……知らんタア何じゃい……」
「何でもええがッ……畜生メラ。この村を軽蔑してケツカルんだッ」
「第一この村の
「……よしッ……みんな来いッ。これから行って談判喰らわしてくれる」
「……よし来た……喧嘩なら俺が引き受けた。モノと返事じゃ只はおかせんぞ」
と云ううちに四五人バラバラと立ちかけた。その時であった。
「……マア待て待て……待て云うたら……」
シャガレた声で
「何だいトッツァン……又止めるんか」
「ウン。止めやせんがマア坐っとれい。俺は俺で考えとる事があるから……」
「フーン……そんなら聞こう」
と桃の刺青が引返して坐った。ほかの連中もドタドタと自分の盃の前に尻を据えた。
「……ドンナ考えかえ……トッツァン……」
「考えチウてほかでもない。今度の夏祭りナア……ええか……今度の夏祭り時にナア……ええか……」
禿頭はニヤニヤ笑いながら桃の刺青の耳に口を寄せた。
「……ナ……ナ……そうしてナ……もしそれを、それだけ出さんと
「……ウム……ナルホド……ウーム……」
「……ナ……高が
「ウン。ヨシッ。ワカッタッ。みんなであの座敷をブチ
「シイッ。聞こえるでないか……外へ……」
「ウン。……第一あの
「アハハハハ。あんなヒョロッコイ
「イヨーッ
「ワハハハハハ」
そんな事でその時は済んだが、サテそのあくる日の正午近い頃であった。
七ツと六ツぐらいの村の子供が二人連れで、
その顔を見ると人なつこいらしい赤い鳥は、突然頭を下げて叫び出した。
「モシモシ。モシモシイ。コンチワ……コンチワコンチワ……」
二人の子供はビックリして砂だらけの顔を見合わせた。
それを見ると赤い鳥はイヨイヨ得意になったらしく、一心に子供の顔を見下しながら、低い声で歌を唄い出した。
「……ジャン、チェーコン、リウコン……コンリウ、コンジャン、チェーコンチェー……チェーリウコンコンジャンコンチェー……じゃんすいじゃんすい、ほうすいほう……すいすいじゃんすい、ほうすいほう……」
子供は又も黒い顔を見合わせた。
「何て云いよるのじゃろか」
「……お前たちの事をバカタレって云っているんだよ……ホホホホ」
という声が不意に
二人の子供はホッと安心したように溜め息を
「……エー皆さん……エー皆さん……私は……私は……すなわち……すなわち……」
と赤い鳥は又別の事を云い出した。それにつれて奥さんは、日の照りかかる小鼻に
「ホーラネ……ホホホホホホ……お前さん達の顔を見て馬鹿タレって云っているでしょう……ネーホラ……バカタレーッて……」
「……ちがう……」
と大きい方の
「イイエ……よく聞いて御覧……ホーラ……ネ……バカタレーッ……バカタレーッ……てね……ね……ホッホッホッホッ」
この笑い声を聞くと赤い鳥は、
「……バカタレーッ……バカタレーッ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエーッ……」
そう云う赤い鳥の顔を、眼をまん丸にして見上げていた大きい方の児が、みるみる渋面を作り出した。眼に涙を一パイ溜めたと思うと、口惜しそうにワーッと泣き出して、テングサの束を投げ出したまま裏木戸の方へ駈け出した。小さい方の児もテングサの
大きい方の児は、すぐに網干場に駈け込んで、そこに突立っている赤褌の、桃の刺青をした男に
桃の刺青はウンウンうなずきながら聞いていたが、そのうちに二三度鉢巻を締め直した。青筋を立てて怒鳴った。
「……エエわからん……まっとハッキリ云え……ナニイ……あの別荘の奴等がか……ウンウン……あの赤い鳥にバカタレと云わせたんか……ウンウン……それに違いないナ」
横に立っていた小さい児も、指を
「……ヨシッ……わかった……泣くな泣くな……畜生めら……そんな
と云うより早く網を押しわけて別荘の方へ駈け出した。
しかし裏口から赤煉瓦の中へ這入ってみると、別荘の中はガランとしていて、人の気はいもなかった。ただ表の植込みから
「コン畜生……ひねり殺してくれる」
と
赤い鳥は驚いた。バタバタと羽根を散らして上の方へ飛び
「アッ……テテッ……テテェテテェテテェッ……」
桃の刺青も一生懸命になった。深く刺さった
「……君は一体何をするんだ……」
鳥のあとを
「……二百円もする鳥を何で逃がした……うちの家内が
若奥さんは帯を半分捲き付けたままベタリと縁側に坐った。ワーッ……と泣き出しながら板張りへ突伏した。
桃の刺青はこれを見ると肩を一つゆすり上げた。又も勢い付けられながら血だらけの手で鉢巻を締め直した。
「……ナ……何をするたア……ナ何だ。貴様等ア……あの赤い鳥を使って、俺の弟を泣かせたろう……村中の人間をバカタレと……イ……云わせたろう……」
「……そんなオボエはないぞ……」
「……何オッ。この豚野郎……証拠があるぞッ……」
「……証拠がある筈はないぞ……鳥が勝手に云ったんだから……」
「……ウヌッ……」
「……アレーッ……」
桃の刺青はイキナリ土足で縁側に飛び上ろうとしたが、グイと若旦那に突き落された。その力が案外強かったので、桃の刺青はチョット驚いたらしかったが、喧嘩自慢の彼はなおも屈せずに、
けれども柔道を心得ているらしい若旦那の腕力には
桃の刺青は真青になって、唇を噛んだ。起き上るや否や、
「覚えていろッ」
と云い棄てて裏口から飛び出した。村中を駈けずって仲間を呼び出してまわったが、その仲間の四五人が、
桃の刺青の仲間はいよいよ腹を立てた。炎天を走って来たお蔭で、一時に
村中は忽ち大騒ぎになってしまった。この
一方に別荘はこの騒動のあった日から、門も雨戸もスッカリ閉め切って、空屋同然の姿になってしまったが、そのあくる日のこと……村の女房や
「馬鹿タレ……バカタレエ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエッ……」
八幡まいり
帰りかけたのは午後の一時頃であったが、お宮の裏の近道に新しく出来たお湯屋を見かけると、お米はチョット
そのうちに一かたげ眠ったお米はクサメを二ツ三ツして眼を醒ましたが、高い天窓越しに、薄暗く曇って来た空を見ると、慌てて子守のお千代を揺り起した。
「チョット。
お千代は濡れた手で眼をコスリながらうなずいた。お米はソソクサと
それからお千代は又コクリコクリと居ねむりを初めたが、そのうちに鼻から湯を吸い込んで
帰り着いてみるとお
金作は界隈でも評判の
「オイ。子供はどうしたんか」
お米は妙な顔をしてお千代を見た。お千代も同じような顔をしてお米の顔を見上げた。
「オイ。どうしたんか……子供は……」
と亭主の金作は眼を丸くして裏口へ引っ返して来た。
お米はまだお千代の顔を見ていた。
「お前……背負うて来たんやないかい」
お千代もお米の顔をポカンと見上げていた。
「……イイエ……お神さんが負うて帰らっしゃったかと思うて……
二人は同時に青くなった。聞いていた金作も、何かわからないまま真青になった。
「……どうしたんか一体……」
「あたし……きょう……八幡様にまいって……」
「……ナニ……八幡様に参って……」
「……お宮の前のお湯に這入って……」
「……ナニイ……お湯に這入っタア……
「……………」
「それからドウしたんか」
「……………」
「……泣いてもわからん……云わんかい」
「……
「……ワア――ア……」
金作は二人を庭へタタキ倒した。黄な粉を引っくり返したまま、大砲のような音を立てて表口から飛び出した。
お米も
「大変だよ。ウチの人と一所に行っておくれよ。子供が……子供が居なくなったんだよッ……」
一方に八幡裏のお湯屋では、亭主と、巡査と、近所の人が二三人、番台の前で評議をしていた。その中で巡査は帳面を開いたまま、何かしら当惑しているらしかったが、やがて
「子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは
「ヘエ。……でも十銭置いてありますので……」
「フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ」
「ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……」
「
「ヘエ。どうも……これから心掛けます」
「つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ」
「ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたら
「馬鹿な……
その時に男湯の入口がガラリと
「居ったカッ」
「居ったッ」
いなか、の、じけん 備考
みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年9月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」日本小説文庫、春陽堂
1933(昭和8)年5月15日発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年1月13日公開
2006年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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