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郊外(こうがい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:56:29  点击:  切换到繁體中文

       ※(始め二重括弧、1-2-54)※(終わり二重括弧、1-2-55)

 時田ときだ先生、名は立派なれど村立そんりつ小学校の教員である、それも四角な顔の、太いまゆの、大きい口の、骨格のたくましい、せいの低い、言うまでもなく若い女などにはあまり好かれない方の男。
 そのくせ生徒にも父兄にも村長にもきわめて評判のよいのは、どこか言うに言われぬ優しいところがあるので、口数の少ない代わりにはうそを言うことのできない性分、それは目でわかる、いつも笑みを含んでいるので。
 嫁を世話をしよう一人ひとりいいのがあると勧めた者は村長ばかりではない、しかしまじめな挨拶あいさつをしたことなく、今年三十一で下宿住まい、このごろは人もこれを怪しまないほどになった。
 むめちゃん、先生の下宿はこの娘のいるうちの、別室はなれちゅう二階である。下は物置で、土間どまからすぐ梯子段はしごだんが付いている、八畳一間ぎり、食事は運んで上げましょというのを、それには及ばないと、母屋おもやに食べにく、大概はみんなと一同いっしょぜんを並べて食うので、何を食べささりょうと頓着とんちゃくしない。
 梅ちゃんは十歳とおの年から世話になったが、卒業しないで退校ひいても先生別に止めもしなかった、今は弟の時坊が尋常二年で、先生の厄介になっている、うちへ帰ると甘えてしかたがないが学校ではおそれている。
 先生の中二階からはその屋根が少しばかりしか見えないが音はよく聞こえる水車すいしゃ、そこにこうちゃんという息子むすこがある、これも先生の厄介になッた一人で、卒業してから先生のうち夜分やぶん外史を習いに来たが今はよして水車の方を働いている、もっとも水車といっても都の近在だけに山国の小さな小屋とは一つにならない。月に十四、五両も上がるうす幾個いくつとかあって米を運ぶ車をく馬の六、七頭も飼ッてある。たいしたものだと梅ちゃんの母親などはしょっちゅううらやんでいるくらいで。
『そんならこちらでも水車をやったらどうだろう、』と先生に似合わないことをある時まじめで言いだした。
こうちゃんとこのようにですか、だってあれは株ですものう、水車がそういつだってできるもんならたれだってやりますわ。』おかみさんは情けなそうに笑って言った。
『なるほど場処がないからねエ。』先生はまじめに感心してそれで水車の話はやんで幸ちゃんのうわさに移ッた。
 おかみさんはしきりと幸ちゃんをほめて、実はこれは毎度のことであるが、そして今度の継母ままはははどうやら人が悪そうだからきっと、幸ちゃんにはつらく当たるだろうと言ッた。
『いいとしをしてもう今度で三度めですよ、第一小供こどもがかあいそうでさア。』
『三度め!』先生は二度めとばかり思ッていたのである。
『もっとも幸ちゃんの母親おふくろくなッたんですけれども。』
 この時、のそり挨拶あいさつなしに土間に現われたのが二十四、五の、小づくりな色の浅ぐろい、目元の優しい男。
『オヤ幸ちゃんが! 今お前さんのうわさをしていたのよ。』実はお神さん少し驚いてまごついたのである。
『先生今日は。』
『この二、三日見えないようであったね。』
『相変わらず忙しいもんですから。』
『マアお上がんなさいな、今日こんにちはどちらへ。』お神さんは幸吉こうきち衣装なりに目をつけて言った。
神田かんだ叔父おじの処へちょっと行って来ました、先生今晩お宅でしょうか。』幸吉の言葉は何となく沈んでいる。
在宅るとも、なんか用だろうか。』
『ナニ別に、ただ少しばかし……』
『今夜うち浪花節なにわぶしをやらすはずだから幸ちゃんもおいでなさいな、そらいつかの梅竜ばいりゅう』お神さんは卒然言葉をはさんだ。
『そうですか、来ましょう、それじゃあまた晩に』と言って幸吉は帰ってしまった。
『幸ちゃん今日きょうはどうかしているよ』とお神さんは言ったが、先生別に返事をしないで立てひざをしながらお神さんの手元をながめていた。お神さんは時田のシャツの破綻ほころびを繕っている。
 夜食が済むと座敷を取り片けるので母屋おもやの方は騒いでいたが、それが済むと長屋の者や近所の者がそろそろ集まって来て、がやがやしゃべるのが聞こえる。日はとっぷり暮れたが月はまだ登らない、時田は燈火けないで片足を敷居の上に延ばし、柱にりかかりながら、茫然ぼんやり外面そとをながめている。
『先生!』梅ちゃんの声らしい、時田は黙って返事をしない。『オヤいないのだよ』とってしまった、それから五分もったか、その間身動きもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然やおら立って着衣きものの前を丁寧に合わして、とこ放棄ほうってあった鳥打ち帽を取るや、すたこらと梯子段はしごだんりた。
 生垣いけがきを回ると突然だしぬけに出っくわしたのがお梅である。お梅はきゃんな声で
『知らないよ。いいジャアないかあたしがだれのうわさをしようがお前さんのかまった事ジャアないよ、ねエ先生!』
 時田は驚いて下闇したやみを見ると、一人の男が立っていたが、ツイと長屋の裏の方へ消えてしまった。
『だれ。』時田はたずねた。
『源公の野郎やろう、ほんとにこの節は生意気になったよ。先生散歩?』お梅は時田のそばに寄って顔をのぞくようにして見た。
『あの幸ちゃんが来たら散歩に行ったって、そしてすぐ帰るからッて言っておくれ、』と時田は門を出た。お梅はあとについて来て、
『すぐお帰んなさいナもう梅竜ばいりゅうが来ましたから。あらお月さま!』お梅は立ち止まった。時田は橋を渡って野の方へと行ってしまった。
 二時間もったろうか、時田の帰って来たのは。月影にすかして見ると橋の上に立っているのはお梅である。
『先生どこを歩いていました今まで、幸ちゃんがさっきから待っていますよ。』
『梅ちゃんここで何してたの。』
『先生を待っていました、幸ちゃんの用ッて何でしょう。』
『何だか知らない。何だってよいジャあないか。』
『だって何だか沈鬱ふさいでいるようだから……もしかと思って。』
『ああ少し寒くなって来た。』
 二人ふたりは連れだって中二階の前まで来たが、母屋おもやでは浪花節なにわぶし二切ふたきりめで、大夫たゆうの声がするばかり、みんな耳を澄ましていると見えて粛然しんとしている。
『幸ちゃんに今帰ったからッて、そ言っておくれ、』と時田は庭の耳門くぐりはいった、お梅はばたばたと母屋おもやの方へけ出して土間へそっと入ると、幸吉が土間の入口に立っている。
『帰って?』幸吉は低い声で言った。
『今帰ってよ、用が済んだらまたお寄んなさいナ。』お梅の声もささやくよう。
『ありがとう。』幸吉は急いで中二階の方へ行った、しかし頭をれたまま。お梅は座敷のすみの方の薄暗い所に蹲居つくなんで浪花節を聞いていたが、みんなが笑う時でも笑顔えがお一つしなかった。二切りめが済むと座敷はにわかににぎやかになって、煙草たばこを吸うやら便所に立つやら大騒ぎ。
『お梅。』母親おふくろがきょろきょろと見回すと、
『なに。』お梅は大きな声で返事をした。
『どこにいたのさっきから。』
『ここでいていたのよ、そして頭が痛くって……』と顔をしかめて頭をこつこつと軽くたたく。
『奥へ行って、やすみな、寝てたッて聞こえるよ。』母親おふくろは心配そうに言う。それでもお梅は返事をしないでそのまま蹲居つくなんでいた。そのうち三切みきりめが初まるとお梅はしばらく聴いていたが、そッと立って土間へ下りると母親おふくろが見つけて、低い声で、
『奥でおやすみな。』半ばしかるように言った。お梅は泣き出しそうな顔をして頭を振って外面そとへ出た。月はえに冴え、まるで秋かとも思われるよう。庭木の影がはっきりと地にいんしている。足を爪立つまだてるようにして中二階の前の生垣いけがきのそばまで来て、垣根しに上を見あげた。二階はしんとしている。この時母屋おもやでドッと笑い声がした。お梅はいまいましそうに舌うちをして、ほんとにいつまでやってるんだろうとつぶやきながら道へ出た。橋の上で話し声が聞こえるようだから、もしかと思って来ると先生一人、欄干にっかかッて空を仰いでいた。
『オヤお一人?』
『あア。』気のない返事。

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