夕闇の部屋の中へ流れ込むのさへはつきりと見えてゐた霧はいつとなく消えて行つて、たうとう雨は本降りとなつた。あまりの音のすさまじさに縁側に出て見ると、庭さきから直ぐ立ち竝んだ深い杉の木立の中へさん/\と降り注ぐ雨脚は一帶にただ見渡されて、木立から木立の梢にかけて濛々と水煙が立ち靡いてゐる。
其處へ寺男の爺さんが洋燈に火を點けて持つて來た。ひどい降りだ、斯んな日は火でも澤山おこさないと座敷が濕けていけないと言ひながら圍爐裡に炭を山の樣についでゐる。流石に山の上で斯うせねばまた寒くもあるのだ。そして早速雨戸を締めてしまつた。がらんとした廣い室内が急にひつそりした樣であつたが、それも暫しで、瀧の樣な雨聲は前より一層あざやかにこの部屋を包んでしまつた。來る早々斯んな雨に會つて、私は深い興味と氣味惡さとに攻められながらも改めてこの朽ちかけた樣な山寺の一室をしみ/″\と見さざるを得なかつた。
爺さんはやがて膳を運んで來た。見れば私の分だけである。先刻の峠茶屋の爺さんの言葉もあるので私は強ひて彼自身の分をも此處に運ばせ、徳利や杯をも取り寄せ、先刻茶屋から持つて來た四合壜二本を身近く引寄せて二人して飮み始めた。
爺さんの喜び樣は眞實見てゐるのがいぢらしい位ゐで、私のさす一杯一杯を拜む樣にして飮んでゐる。斯ういふ上酒は何年振とかだ、勿體ない/\といひながら、いつの間にか醉つて來たと見え、固くしてゐた膝をも崩し、段々圍爐裡の側へもにぢり出して來た。爺さん、名を伊藤孝太郎といひ、この比叡山の麓の坂本の生れで、家は土地でもかなりの百姓をしてゐたが、彼自身はそれを嫌つて京都に出て西陣織の職工をやつてゐた。性來の酒好きで、いつもそのために失敗り續けてゐたが、それを苦に病み通した女房が死に、やがて一人の娘がまた直ぐそのあとを追うてからは、彼は完全な飮んだくれになつてしまつた。郷里の家邸から地面をも瞬く間に飮んでしまひ、終には三十五年とか勤めてゐた西陣の主人の家をも失敗つて、旅から旅と流れ渡る樣になり、身體の自由が利かなくなつて北海道からこの郷里に歸つて來たのが、今から六年前の事であるのださうだ。歸つたところで家もなし、ためになる樣な身よりも無しで、たうとう斯んな山寺の寺男に入り込んだといふのである。その概略をば晝間峠の茶屋で其處の爺さんから聞いて來たのであつたが、いま眼の前にその本人を見守りながらその事を思ひ出してゐるといかにもいぢらしい思ひがして、私は自分で飮むのは忘れて彼に杯を強ひた。
難有い/\と言ひ續けながら、やがてはどうせ私も既う長い事は無いし、いつか一度思ふ存分飮んで見度いと思つてゐたが、矢つ張り阿彌陀樣のお蔭かして今日旦那に逢つて斯んな難有いことは無い、毎朝私は御燈明を上げながら、決して長生きをしようとは思はない、いつ死んでもいいが、唯だどうかぽつくりと死なして下されとそればかり祈つてゐたのであるが、この分ではもう今夜死んでも憾みは無い、などと言ひながら眼には涙を浮べて居る。五尺七八寸もあらうかと思はれる大男で、眼の大きい、口もとのよく締らない樣な、見るからに好人物で、遠いといふより全くの金聾であるほど耳が遠い。それが不思議に、酒を飮み始めてからは案外によく聞え出して、後では平常通りの聲で話が通ずる樣になつた。そして今度は向うで言ふ呂律が怪しくなつて、私の耳に聞き取りにくくなつて來た。
今夜死んでもいいなどといふのを聞いてから、急に斯う飮ませていいか知らと私も氣になり出したのであつたが、いつの間にか二本の壜を空にしてしまつた。私だけは輕く茶漬を掻き込んだが、爺さんはたうとう飯をよう食はず、膳も何も其儘にしておいて何か鼻唄をうたひながら自分の部屋に寢に行つた。私も獨りで部屋の隅に床を延べて横になつたが妙に眼が冴えて眠られず、まじ/\としてゐるとまた耳につくのは雨の音である。まだ盛んに降つてゐる。のみならず、妙な音が部屋の中でする樣なので細めた灯をかきあげてみると果して隅の一本の柱がべつとりと濡れて、そのあたりにぽとぽとと雨が漏つてゐるのである。枕許まで來ねばよいがと、氣を揉みながらいつか其儘に眠つてしまつた。
眼が覺めて見ると雨戸の隙間が明るくなつてゐる。雨は、と思ふと何の音もせぬ。もう爺さんも起きた頃だと勝手元の方に耳を澄ませても何の音もせぬ。まさか何事もあつたのではあるまいと流石に胸をときめかせながら寢たまゝ煙草に火をつけてゐると、朗かに啼く鳥の聲が耳に入つて來た。
何といふその鳥の多さだらう。あれかこれかと心あたりの鳥の名を思ひ出してゐても、とても數へ切れぬほどの種々の音色が枕の上に落ちて來る。私は耐へ難くなつて飛び起きた。そして雨戸を引きあけた。
照るともなく、曇るともなく、燻り渡つた一面の光である。見上ぐる杉の木立は次から次と唯だ靜かに押し並んで、見渡す限り微かな風もない。それからそれと眼を移して見てゐると、私は杉の木立と木立との間に遙かに光るものを見出した。麓の琵琶湖である。何處から何處までとその周圍も解らないが、兎に角朧々とその水面の一部が輝いてゐるのである。
餘りに靜かな眺めなので私はわれを忘れてぼんやりと其處らを見してゐたが、また一つのものを見出した。丁度溪間の樣になつて眼前から直ぐ落ち込んで行つてゐる窪地一帶には僅かの間杉木立が途斷えて細長い雜木林となつてゐるが、その藪の中をのそり/\と半身を屈めながら何か探してゐる人がゐるのである。頭を丸々と剃つた大男の、紛ふ方なき寺男の爺さんである。それを見ると妙に私は嬉しくなつて大聲に呼びかけたが、案の定、彼は振向かうともしなかつた。
後、庭に降りて筧の前で顏を洗つて居ると爺さんは青々とした野生の獨活を提げて歸つて來た。斯んなものも出てゐたと言ひながら二三本の筍をも取出して見せた。
この××院といふのは比叡の山中に殘つてゐる十六七の古寺のうち、最も奧に在つて、また最も廢れた寺であつた。住持もあるにはあるが、麓の寺とかけ持ちで、何か事のある時のほか滅多には登つて來ず、年中殆んどこの寺男の爺さんが一人で留守居をして居るのである。四方唯だ杉の林があるのみで、しかも溪間の行きどまりになつた所に在るために根本中堂だの淨土院だの釋迦堂だの、または四明嶽、元黒谷などへ往來する參詣人たちも殆んど立ち寄る事なく、まる一週間滯在してゐる間、私はこの金聾の爺さんのほか、人間の顏といふものを餘り見る事なくして過してしまつた。
多いのは唯だ鳥の聲である。この大正十年が當山開祖傳教大師の一千一百年忌に當るといふ舊い山、そして五里四方に亙ると稱へらるる廣い森林、その到る所が殆んど鳥の聲で滿ちてゐる。
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