自分の故郷は日向國の山奧である。恐しく山岳の重疊した峽間に、紐のやうな細い溪が深く流れて、溪に沿うてほんの僅かばかりの平地がある。その平地の其處此處に二軒三軒とあはれな人家が散在して、木がくれにかすかな煙をあげて居る。自分の生れた家もその中に混つて居るので、白髮ばかりのわが老父母はいまだに健在である。
斯く山深く人煙また極めて疎なるに係らず、わが生れた村の歴史は可なりに古いらしい。矢の根石や曲玉管玉等を採集に來る地方の學者――中學の教師などが旅籠屋の無いまゝによく自分の家に泊つては、そんな話をして聞かせた。平家の殘黨のかくれ棲んだといふ説も或は眞に近い、よく檢べたら必ずその子孫が存在して居るに相違ないとも言つた。斯かる話は斯かる峽間の山村に生れたわが少年の水々しい心を、いやに深く刺戟したものであつた。自分の家は村内一二の舊家を以て自任し、太刀もあり槍もあり、櫃の中には縅の腐れた鎧もある。
自分の八歳九歳のころ、村に一軒の小學校があつた。とある小山の麓に僅かに倒れ殘つた荒屋が即ちそれで、茅葺の屋根は剥がれ、壁は壞れて、普通の住宅であつたのを無理に教場らしく間に合せたため、室内には不細工千萬に古柱が幾本も突立つてゐた。先生はこの近くの或る藩士の零落した老人で、自分の父が呼寄せて、郡長の前などをも具合よく繕つて永くその村に勤めさせてゐたものであつた。恐しい酒呑みで頑固屋で、癇癪持ちで、そして極めての好人物であつた。自分は奇妙にこの老人から可愛がられ、清書がよく出來た本がよく讀めたと云つては、ありもせぬ小道具の中などから子供の好きさうなものを選り出して惜しげもなく自分に呉れてゐた。飮仲間の父に對つてはいつも自分のことを賞めそやして、貴君は少し何だが、御子息はどうして中々のものだ、末恐しい俊童だ、精一杯念入にお育てなさるがいゝ、などと口を極めて煽てるので、人の好い父は全くその氣になつてしまひ、いよいよ甘く自分を育てた。
學校に於ける大立者は常に自分であつた。自身の級の首席なるは勿論のこと、郡長郡視學の來た時などの送迎や挨拶、祝日の祝詞讀みなども上級の者をさしおいて、幼少の矮小の自分が獨りで勤めてゐた。で、自づと其處等に嫉妬猜疑の徒が集り生ぜざるを得ない。そしてその組の長者と推薦せられたのは、矢野初太郎といふ一少年であつた。
初太郎は自分に二歳の年長、級も二級うへであつた。その父は博勞で、博徒で、そして近郷の顏役みたやうなことをも爲てゐた。初太郎はその父とは打つて變つた靜かな順良な少年で、學問も誠によく出來た。田舍者に似合はぬ色の白い、一寸見には女の子のやうで身體もあまり強くなかつた。以前は自分もよく彼に馴染んで、無二の親友であつたのだが今云ふ如く自分の反對黨のために推されて、その旗頭の地位に立つに及び小膽者の自分は飜然として彼を忌み憎み、ひそかに罵詈中傷の言辭を送るに忙しかつた。
それやこれやで、初太郎の自分に對する感情も以前の通りであることは出來難くなり、自然自分を白眼視するに至つた。なほそれで止らず、この感情はわが一家と彼の一家との間に關係するに至つた。その頃、博奕で儲けあげて村内屈指の分限であつた初太郎の父は兼ねて自分の父などが、常々「舊家」といふを持出して「なんの博勞風情が!」といふを振すのが癪に障つて耐らなかつた所であつたので、この一件が持上るに及び、忽ち本氣になつて力み出した。そして萬事につけ敵愾心をむに至つた。小さな村のことではあり、このことは延いて一村内の平和にも關係を及ぼさうかといふ勢になつた。で、當の兩個は全く夢中になつて啀み合はざるを得ない。自分の如きは晝夜戰爭にでも出てゐる氣持で勉強した。殆んどもう何年級などといふことには頓着無く、教科書ばかりでは飽足らず、「少國民」「幼年雜誌」などといふ雜誌をも取寄せて耽讀し、つゆほどの知識をも見逃すまじと備へた。
所が初太郎は突如として、その村の小學校を去つて(彼はその頃、尋常科の補習部にゐた)縣廳所在地の宮崎町の高等小學に轉じた。自分との啀み合ひが無かつたのならば當然彼は土地の尋常科補習部を卒業したままで、靜かにその山村生活に入るべきであつたのである。
取殘された自分は、さらばといふので舊藩主の城下たる延岡町の高等小學に進んだ。兩個の少年は遠く三十里の平原を距てゝ尚ほ且つ力み合つてゐたのである。高等小學二年を修業して自分が其土地の中學校へ入つたころは、初太郎は既に中學の二年級であつた。彼の勉強はその地方の評判に上る位ゐになり、勉強狂人と人は評し合つてゐたといふ。勿論自分も勉強した。一時は級の首席をも占領し、可なりに勉強家といふ評判をも取つてゐた。けれどもさういふ時期は極めて短かかつた。中學の二年級の終りの頃からででもあつたらう、嚴格を極めてゐた寄宿舍内の自分の机の抽斗の奧には、歌集「みだれ髮」がかいひそみ、縁の下の乾いた土の中には他人の知らぬ「一葉全集」が埋められてあるやうになつたのは。机に對ふことも極めて少なくなり、多くの時間は學校の裏山の木の蔭や、程ちかい海のほとりの砂原で費されるやうになつて了つた。撃劍や野球の稽古に常に小鳥の如く輝いてゐた自分の瞳には日に増し故の無い一種の沈悒を湛へて來た。珍しく机に對つても茫然と考へ込むことが多かつた。
いつの年であつたか、自分は久しく忘れてゐた初太郎の名を新聞で見た。彼が初めから終りまで首席で通して目出たく今囘卒業したことを賞讚した報道で、次いで今後直ちに彼は高等學校の醫學部に進むべしと書き添へてあつた。丁度その年のこと、夏になつて自分は休暇で村に歸省した。父母はこの一二年前よりの自分の成績の惡くなつたことを口を極めて叱責し、聲をひそめて、初太郎を見ろと言つた。それでもすぐまた續けて、父は微かな冷笑を眼に浮べて、然し、幾ら勉強が出來たところで、あの身體ぢや既う駄目だ、と言ひ足した。母も續いて、それにあゝりがわるくては傳造も息子をば如何することも出來ないだらう、とこれも口の邊で聲を出さずに笑つた。自分は心の中で、初太郎が熊本で高等學校の入學試驗を受けに行つてゐて勉強過度の結果急に血を咯いて、其父の傳造が迎ひに行つてからもう一ヶ月半にもなるといふ話を思ひ起してゐた。なほ聞けば、この一年程以前からあの傳造の賽の目の出が急にわるくなつて、瞬く間に財産の大半をば減つてしまつたとかいふことで、どうせ泡のやうに出來たものだから泡のやうに無くなつて行くのも無理は無からうと、母は父を見遣つて微笑した。その横顏を見てゐて自分は少なからず淺間しく且つ面憎く思はざるを得なかつた。我等自身の家でもその年は血の出るやうな三度目の山賣りを斷行して、辛くも焦眉の急の借財を返した當座では無かつたか。先祖代々が命より大事にして固守し來つた山林田畑を自分等の代になつて賣拂つて、そして「舊家」を誇るといふは少々面の皮が厚過ぎはしないだらうか。斯く思ふと自分はその座の酒さへ耐へがたく不味かつた。
その夏は暮れ、翌年の夏、自分はまた歸村した。初太郎の肺病はやゝ輕くなつてゐて、その頃は折々溪河へ魚釣などにも出て來ることがあつた。或日のこと、自分は我家のすぐ下の瀧のやうになつて居る長い瀬のほとりの榎の蔭で何か讀書してゐた。日は眞晝、眼前の瀬は日光を受けて銀色に光り、峽間の風は極めて清々しく吹き渡り、細かな榎の枝葉は斷えず青やかな響を立てゝそよめいてゐた。雲も無い空は峯から峯の輪郭を極めて明瞭に印して、誠に強烈な「夏の靜けさ」に滿ちた日であつた。何を讀んでゐたのであらう、定かには覺えて居らぬ。とにかくしんみりと身も心をも打ち込んで、靜かな感興を放肆にしてゐたに相違ない。所が不圖何ごころなく眼を書物から外すと、すぐ自分の居る對岸に一個の男が佇んで釣竿を動かして居る。注意するまでもなく自分は直ちに彼の初太郎であることを知つた。
なるほど痩せた。特に濡れた白襦袢一枚のぴつたりと身に密着いて、殆んど骨ばかりの人間が岩上に佇んで居るとしか見えない。多く室内にゐて珍しく出かけて來たのであらう、日に炒りつけられた麥藁帽子の蔭の彼の顏は痛々しく蒼白く、微かに紅みが潮してゐるのがなか/\に哀れである。彼の特色の大きい黒い瞳ばかりはさして昔に變らず、すが/\しく釣竿の一端に注がれてある。重さうに彼は時々兩手でその竿を動かす。竿が動き、糸が動き、糸のさきにつながれて居る囮の鮎まで銀色の水の中から影を表すことがある。いま彼のあはれな全生命は懸つてその竿の一端にあるのだ。暫く見つめて居るうち、一尾の魚が彼の鉤にかゝつたらしい。彼は忽ち姿勢を頽して、腰から小さな手網を拔きとり、竿を撓ませて身近く魚を引寄せ、終に首尾よく網の中に收めて了つた。そして彼はそれを靜かに窺き込んで居る。噫、その無心の顏、自分は自分の瞼の急に重くなるを感じた。
[1] [2] 下一页 尾页