K夫人(ふじん)はいひ澁(しぶ)つたが、氣(き)の毒(どく)さうに病人(びやうにん)を見(み)ていふのだつた。
『此處(ここ)は、御存(ごぞん)じでせう、ほら××村(むら)のH病院(びやうゐん)ですのよ。それは宗教(しうけう)の病院(びやうゐん)になんか、あなたをお入(い)れしたくなかつたんですけれど、差(さ)し迫(せま)つた事(こと)ではあるし、經濟的(けいざいてき)にどうにもならなかつたもんですからね、全(まつた)く仕方(しかた)のないことでした。』
病人(びやうにん)はK夫人(ふじん)の顏(かほ)の下(した)で、小兒(こども)のやうに顎(あご)で頷(うなづ)いて見(み)せた。上(うへ)の方(はう)へ一束(ひとたば)にした髮(かみ)が、彼女(かのぢよ)を一層(そう)少女(せうぢよ)らしく痛々(いた/\)しく見(み)せた。
K夫人(ふじん)は病人(びやうにん)の耳(みゝ)もとに口(くち)を寄(よ)せて囁(さゝや)くやうにたづねた。
『遠(とほ)くにゐる方(かた)で、お逢(あ)ひになりたい方(かた)もありませう?』
彼女(かのぢよ)は默(だま)つて首(くび)を振(ふ)つた。その眼(め)には涙(なみだ)がいつぱいに溜(たま)つた。
『でも、知(し)らしてだけは置(お)く方(はう)が好(い)いんですのよ、來(き)ようと思(おも)ふ氣持(きもち)がありさへしたら、すぐに來(き)てくれるかもしれませんからね、ね、電報(でんぱう)を打(う)ちませうね?』
K夫人(ふじん)の言葉(ことば)に、病人(びやうにん)は感謝(かんしや)するやうに、素直(すなほ)に頷(うなづ)いた。
隣室(りんしつ)には、Aの夫人(ふじん)、Cの母堂(ぼだう)、若(わか)いTの夫人(ふじん)等(ら)が集(あつま)つてゐた。病室(びやうしつ)の方(はう)での忙(せは)しさうな醫員(いゐん)や看護婦(かんごふ)の動作(どうさ)、白(しろ)い服(ふく)の擦(すれ)音(おと)、それらは一々病人(びやうにん)の容態(ようたい)のたゞならぬ事(こと)を、隣室(りんしつ)に傳(つた)へた。
そこへ今朝(けさ)、片山(かたやま)の假(かり)出獄(しゆつごく)を頼(たの)む爲(ため)に辯護士(べんごし)の處(ところ)へ出(で)かけて行(い)つたK氏(し)が戻(もど)つて來(き)た。
疲勞(ひらう)と睡眠(すゐみん)不足(ふそく)とに、K氏(し)は蒼(あを)ざめて髭(ひげ)[#底本では「髮」と誤記]さへ伸(の)ばしてゐた。
『どうも困(こま)つちやつたんです。』
K氏(し)は婦人達(ふじんたち)を見(み)るなりさういつた。
『片山(かたやま)さんのことですか?』
『それもどうも望(のぞ)みはないらしいですがね、それよりも金(かね)の事(こと)ですよ。先刻(さつき)、僕(ぼく)が此處(ここ)へ入(はひ)らうとすると、例(れい)のあの牧師(ぼくし)上(あが)りの會計(くわいけい)の老爺(おやぢ)が呼(よ)び止(と)めるのです。それから事務所(じむしよ)へ行(い)つて今(いま)までゐたんですが、施療(せれう)は村役場(むらやくば)の證明書(しようめいしよ)のない患者(くわんじや)には絶對(ぜつたい)にできない規定(きてい)だといふんです。だから十日(か)分(ぶん)の入院料(にふゐんれう)を前金(ぜんきん)で即時(そくじ)に納(をさ)めろといふんです。だが、ないものは拂(はら)へないからそこは宗教(しうけう)の力(ちから)で、何(なん)とか便宜(べんぎ)を計(はか)つてはくれまいかと嘆願(たんぐわん)して見(み)たんですが、彼奴(あいつ)はどうして、規定(きてい)は規定(きてい)だから、證明書(しようめいしよ)もなく金(かね)もないなら、すぐに病人(びやうにん)を連(つ)れてゆけつて酷(ひど)い事(こと)をぬかしやがる、此方(こつち)もつい嚇(かつ)として呶鳴(どな)つて來(き)ちやつたんですが…………』
『だうりで先刻(さつき)から幾度(いくど)も、證明書(しようめいしよ)お持(も)ちですかつて、婦長(ふちやう)さんが顏(かほ)を出(だ)しました。』
『十日(か)分(ぶん)の入院料(にふゐんれう)を前金(まへきん)で納(をさ)めろですつて、今日(けふ)明日(あす)にも知(し)れない重態(ぢうたい)な病人(びやうにん)だのに――ほんとに、キリスト樣(さま)の病院(びやうゐん)だなんて、何處(どこ)に街(まち)の病院(びやうゐん)と異(ちが)ふ處(ところ)があるんだ。』
Cの母堂(ぼだう)まで憤慨(ふんがい)した。
K氏(し)はすぐに、村役場(むらやくば)へ證明書(しようめいしよ)を貰(もら)ひに出(で)て行(い)つたが、失望(しつばう)して歸(かへ)つて來(き)た。證明書(しようめいしよ)なるものが下附(かふ)されるには、十日(か)かゝるか二十日(はつか)かゝるか、解(わか)らないといふ事(こと)だつた。事態(じたい)はそんなものを待(ま)つてはゐられなかつた。
その朝(あさ)は、もう病人(びやうにん)の爪先(つまさき)を紫色(むらさきいろ)に染(そ)めて、チアノーゼ[#底本では「チノアーゼ」と誤記]が來(き)てしまつた。
彼女(かのぢよ)は、生命(いのち)の灯(ひ)の、消(き)える前(まへ)の明(あか)るさで、めづらしくK夫人(ふじん)に話(はな)しかけた。
『Kのおくさん、私(わたし)はいま何(なん)て幸福(かうふく)――』
『え、幸福(かうふく)?』夫人(ふじん)も微笑(びせう)を返(かへ)した。
『私(わたし)はかうして皆(みな)さんに圍(かこ)まれてゐると、氣持(きもち)の好(い)いサナトリウムにでも來(き)てゐるやうですよ、私達(わたしたち)の爲(ため)にも、病院(びやうゐん)やサナトリウムが設備(せつび)されてゐたら、此間(このあひだ)亡(な)くなつたSさんなんか、屹度(きつと)また、健康(けんかう)になれたんでせうにね。』
Sとは、極度(きよくど)に切(き)り詰(つ)めた生活(せいくわつ)をして、献身的(けんしんてき)に運動(うんどう)をしてゐた、若(わか)い一人(ひとり)の鬪士(とうし)だつた。
『今日(けふ)は脚(あし)から、ずん/\冷(つめ)たくなつてゆくのが自分(じぶん)にも解(わか)るんです。私(わたし)も矢(や)つ張(ぱ)りあのSさんのやうに皆(みな)さんにもうお訣(わか)れです、でもね私(わたし)は今(いま)、大(おほ)きな大(おほ)きな丘陵(きうりよう)のやうに、安心(あんしん)して横(よこ)たはつてゐますのよ。』
夫人(ふじん)も涙(なみだ)の眼(め)で頷(うなづ)いた。
それが彼女(かのぢよ)の最期(さいご)の言葉(ことば)だつた。
證明書(しようめいしよ)とか、寄留屆(きりうとゞけ)とか、入院料(にふゐんれう)とか、さうした鎖(くさり)に取(と)り卷(ま)かれてゐる事(こと)を、彼女(かのぢよ)は少(すこ)しも知(し)らなかつたのである。
幾回(いくくわい)ものカンフル注射(ちうしや)が施(ほどこ)されて、皆(みな)は彼女(かのぢよ)の身内(みうち)の者(もの)が、一人(ひとり)でも來(き)てくれる事(こと)を待(ま)ち望(のぞ)んでゐたが、電報(でんぱう)を打(う)つたにも拘(かゝは)らず、誰一人(たれひとり)、たうとう來(こ)なかつた。
秋(あき)の日(ひ)が暮(く)れた。彼女(かのぢよ)の屍體(したい)は白布(しろぬの)に掩(おほ)はれて、その夜(よ)屍室(ししつ)に搬(はこ)ばれた。
そして病院(びやうゐん)がいふには、入院料(にふゐんれう)を持(も)つて來(こ)ない限(かぎ)り、決(けつ)して屍體(したい)は渡(わた)さないと。
それが宗教(しうけう)の病院(びやうゐん)だつた。
翌日(よくじつ)、同志達(どうしたち)は皆(みんな)から醵金(きよきん)した入院料(にふゐんれう)を持(も)つて、彼女(かのぢよ)の體(したい)を受(う)け取(と)りに來(き)た。すると、黒衣(こくい)の坊(ばう)さん達(たち)が、彼女(かのぢよ)の周圍(しうゐ)を取(と)り捲(ま)いたが、K氏(し)は斷然(だんぜん)それを拒絶(きよぜつ)した。
怜悧(れいり)な快活(くわいくわつ)な、大(おほ)きい眼(め)を持(も)つてゐた美(うつく)しい彼女(かのぢよ)、今(いま)は一人(ひとり)の女(をんな)として力限(ちからかぎ)り鬪(たゝか)つた。そして遂(つひ)に安(やす)らかに睡(ねむ)つた。
底本:「若草6巻2号」宝文館
1930(昭和5)年2月1日発行
入力:林幸雄
校正:大野裕
ファイル作成:野口英司
2001年1月17日公開
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