政治家や実業家は便宜主義を重んじる習慣の中に生きています。便宜主義は一時的のものです。それが必ずしも正義と一致して永久の価値を持っているとは限りません。否、むしろ正義に背いている場合の多いのが便宜主義の特色です。
現代では、便宜主義の習慣から解放されていると否とで、真の政治家であるか、真の実業家であるか否かが判断されます。目前の功利さえ挙げれば、その行為が道理に合っても合わないでも構わないという態度は時代遅れです。
政界や実業界には、こういう時代遅れの態度を持った人たちがまだ全く勢力を占めています。彼らは個人的にも国家的にも、唯だ利己主義的な欲望さえ満足すれば好いので、それ以上の高遠な理想を持っていませんから、正義は要するに鬼の空念仏であって、実際に利己主義を貫徹するためには、如何なる厚顔無恥な手段をも採り、正義に対する反省も、自己の食言に対する羞恥も、全く思料の外に抛擲してしまいます。
昔から便宜主義に反対する者は学者と芸術家です。世を挙げて目前の利害を追うに急であっても、せめて学者と芸術家だけは便宜主義の習慣から超越して、常に正義人道の主張者であり擁護者であって欲しいと思います。それでこそ思想家や詩人は人類の指導者たることも出来、進化して止まない人文生活の冒険者たることも出来るのです。
私は今日まで人道平和の理想を基礎としかつ国際連盟を前提とする講和会議を期待していました。かつてウィルソンの十四カ条を読んだ時から、今度の講和は従来のそれとは全く異って、――戦勝的国家と戦敗的国家との間に、一方は強圧を以て望み、一方は屈辱を以て対するという関係でなく、――連合国側の人民と独墺側の人民とが互に敵味方の国境的、階級的、差別的、尊卑的の感情を忘れ、戦勝者の持つ復讐心や侵略思想を綺麗さっぱりと抛ち、戦敗者の持つ自卑自屈と僻みとを一切捨て去って、愛と正義と自由と平等との中に、どの国民もねたみ恨みなくのびのびした文化主義的生活を未来に発展し得ることを条件とした講和の成立を望んでいたのでした。
しかるに何という怖ろしい事でしょう。連合国に依って提示された講和条件は、世界に文字があって以来どの国の書物にも書かれたことのない、人間の持っている極度の復讐心と、極度の貪欲心と、極度の虐殺思想とをさらけ出したものだと思います。
敵を愛せよという基督教の思想は何処へ行ったか。仏蘭西の自由、平等、博愛の三大思想は何処へ行ったか。英国流の紳士的道徳と米国流の人道思想とは何処へ行ったか。この講和条件の中には、戦争中に歓迎された露西亜流の無併合、無賠償説の影響のないのは勿論、ウィルソンの堂々たる十四カ条の痕跡さえ留めていないではありませんか。
かつて戦争中に公にされたウィルソンのいくつかの宣言の中には、連合国は専ら独逸の軍閥政府と軍国主義とを敵とし、それを撲滅するために戦うものである。独逸人に対しては何らの敵視すべき理由を持たない。むしろ独逸人を軍国主義の重圧から救って、世界的平和の中に自由なる生活を遂げしめようとするのが連合軍の志であり、殊に米国の参戦理由であるという意味の事が声明されました。世界はこれに対して一言の異議をも唱えなかったのみならず、武士道国である日本までが石井駐米大使をして幾度も賛意を公表せしめたほど、世界の是認を経たものでした。しかるに講和条件は明かにこれを裏切って、現に独逸人その物を極度に敵視し、あらゆる強暴苛酷な条件を以て七重八重は疎か、十重二十重にその未来の発展を阻害しようとのみ計っています。もしこの条件通りに強制されるならば、独逸国民ばかりでなく、如何なる戦敗国民も現代の文化から落伍して戦勝国民の奴隷となり、次第に死滅する外はなかろうと考えます。
これが果して正義人道の実現でしょうか。世界を民主主義化する公平な方法でしょうか。
この事は独逸人の事として考えてはなりません。全く人間の問題です。個人的の利己主義を排し、刑法上の報復主義を抛ちつつある今日、我々は国民の名において、他の国民に対して残忍非道なる利己主義と復讐主義とを施して好いでしょうか。それが英米及び仏蘭西のいわゆる「正義」そのものでしょうか。
世界の感情は今病的に極端から極端へ馳せています。暴に報いるに暴を以てしています。私はこれを見て、世界の勢力者である政治家と実業家の個人的及び国家的利己心の根柢の深いことを今更の如く恐れずにいられません。ウィルソンの明哲を以てして、なおかつそれらの多数勢力者の利己心から掣肘されているのです。
それにつけても、日本の道徳論者はなぜ沈黙しているのでしょうか。彼らが平生よく国民に向って教える所のいわゆる日本固有の道徳は、欧米の基督教的道徳とは違っているはずです。その「異っている」所の立派な道徳に依って世界を指導する絶好の機会は、この度の極度に非人道的な講和条件を日本道徳の見地から忌憚なく厳正に批判する事ではないでしょうか。
論壇には若宮卯之助氏のように、常に世界の大勢に盲従することを排撃する人たちがあります。私は今こそその人たちの手腕を示さるべき時だと思います。私は講和条件に現われたような思想が到底明治天皇の「教育勅語」の道徳と一致するものとは考えられません。世界はすべて濁るとも、日本だけは独り高く浄まりたいと思います。(一九一九年五月二十二日)
(『横浜貿易新報』一九一九年五月二十五日)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「激動の中を行く」アルス
1919(大正8)年8月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
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