日本人の上に今や一つの大問題が起っております。近頃の新聞を読む人の誰も気が附く通り、それは西伯利亜へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。
これに対して我々婦人はどういう意見を持つでしょうか。習慣として、我国の婦人はとかくこういう大問題を眼中に置きません。女は家庭に終始する者として、公の事は男子の意見に任せていました。けれども今は、男女の別なく人として十全に生きるために、一切を知り、一切を享楽する敏感が必要であると共に、一切を正確に認識して、それの価値を批判する理性が必要である時代となりました。人は個人として、国民として、世界の人類として、生存しかつ発展するために、平等に思索し、平等に意見を述べ、平等に行動するの自由を持つようになりました。婦人なるが故にわざとこういう問題に目を閉じているようなことがあれば、それは国民としての権利を行使する義務を怠ったもので、新しい国民道徳からいえば罪悪の一種に当ります。
私はこの問題について自分だけの感想を述べようと思います。
先ず私の戦争観を述べます。「兵は凶器なり」という支那の古諺にも、戦争を以て「正義人道を亡す暴力なり」とするトルストイの抗議にも私は無条件に同意する者です。独逸流の教育を受けた官僚的学者にはこれを以て空想的戦争観とする人ばかりのようですが、一人福田徳三博士は「これを個人の間において言うも、相互間の親密を増進し、意志の疏通を計るがために、先ず人を殴打するということのあるべき道理は決してない。国際間においても干戈を以て立つということは、既に平和の破壊であって、正義人道とは全く矛盾した行動である。それ故に如何なる口実の下においても、戦争たる以上は正義人道の上から見ると変則であるといわねばならぬ。実に戦争その物が正義人道を実現するものでないことは多言するまでもない」と本月の『太陽』で述べられたのが光輝を放って私の眼に映じます。私は福田博士と全く同じ考えを戦争の上に持っております。
それなら、性急に軍備の即時撤廃を望むかというと、私はそれの行われがたいことを予見します。内政のためでなくて、今日のように国際のために設けられた軍備は、露西亜のレニン一派の政府のように極端な無抵抗主義に殉じるの愚を演じない限り、一国だけが単独に撤廃されるものではありません。それは列国の合意の下で円滑に実行される日に向って期待すべきことで、今からその日の到来を早くすることに努力するのが自然の順序だと思います。
私は遺憾ながら或程度の軍備保存はやむをえないことだと思います。国内の秩序を衛るために巡査の必要があるように、国際の平和と通商上の利権とを自衛するために国家としては軍備を或程度まで必要とします。これは決して永久のことでなく、列国が同時に軍備を撤廃し得る事情に達する日までの必要において変則的に保存されるばかりです。その「或程度」というのはあくまでも「自衛」の範囲を越えないことを意味します。それを越ゆれば軍国主義や侵略主義のための軍備に堕落することになります。私は日本の軍備が夙にこの程度を甚だしく越えていることを恐ろしく思っております。
さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは外国電報と在野の出兵論者の議論とに由って想像する外ありませんが、政府に出兵の意志の十分にあることは、干渉好きの政府が出兵論者の極端な議論を抑制しない上に、議会において出兵の無用を少しも明言しないので解ります。
英仏が我国に出兵を強要して、露西亜の反過激派を救援し、少くも莫斯科以東の地を独逸勢力の東漸から独立させたい希望のあることは明かですが、これは日本軍が自衛の範囲を越えて露西亜の護衛兵となるのですから、名義は立派なようでも断じて応じることの出来ない問題です。露国は露人自身が衛るべきものだと思います。露人に全く、自衛の力がないとは思われません。それに果して独逸の勢力が東漸するか、露国の反過激派が日本に信頼するかも疑問です。
今一つの出兵理由は、西比利亜に独逸の勢力が及ばない先に、出兵に由って予めそれを防ぐことは、西比利亜に接近している我国が独逸から受ける脅威に対して取る積極的自衛策であるという説です。これが補説としては、西比利亜に渋滞している日本の貨物の莫大な量を独逸へ転送されない前に抑留せねばならないといい、また西比利亜にある七、八万の独逸俘虜が既に武装しつつあることの危険を報じます。
しかし私たち国民は決してこのような「積極的自衛策」の口実に眩惑されてはなりません。西部戦場での決戦さえまだ手を附けない独逸が、連合軍側が口穢く言い過ぎるように如何に狂暴であるにしても、その武力を割いて西比利亜に及ぼし、兼ねて日本を脅威しようとは想像されません。我国の参戦程度を手温しとする英仏は、種々の註文を出して日本を戦争の災禍の中心に引入れたいために、独逸勢力の東漸を法外に誇大するでしょうが、日本人はそれを軽信してはならないと思います。
西比利亜出兵は恐らく独軍と接戦することはないでしょうから、殺人行為を繁くするには到らないでしょうが、無意義な出兵のために、露人を初め米国から(後には英仏からも)日本の領土的野心を猜疑され、嫉視され、その上数年にわたって撤兵することが出来ずに、戦費のために再び莫大の外債を負い、戦後にわたって今に幾倍する国内の生活難を激成するならば、積極的自衛策どころか、かえって国民を自滅の危殆に陥らしめる結果となるでしょう。
以上は紙数の制限のために甚だ簡略な説明になりましたが、この理由から私は出兵に対してあくまでも反対しようと思っております。(一九一八年三月)
(『横浜貿易新報』一九一八年三月一七日)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「若き友へ」白水社
1918(大正7)年5月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2003年5月18日修正
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