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帰つてから(かえってから)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-22 10:07:42  点击:  切换到繁體中文


さかところまできますよ。』
 かう云つていて来る母親から次第に遠く離れて双子ふたご急足いそぎあしで女子学院に添つた道を歩くのであつた。鏡子はお照を新橋から迎へて来て此処こゝを歩いて居た時の自分のその人に対する感情は純なものであつたなどゝ思ふ。けれど今だとてあの人を悪くは少しも思つて居ない。子供が俄かに母の手に帰つたので云ひやうもない寂寞を昨日きのふからあの人はあぢはつて居るのであるから、あゝしたとがつた声で物を云つたり、可愛い榮子を打つたりするのである。さう同情して思ふから、一層こののちがあの人のためにも自分のためにも心配でならないと、こんな事を思つて居る鏡子は俯向うつむき勝ちにを運んで居た。何時いつの間にか回生病院の前へ出た。
『さよなら。』
 今度は母の方から大きく云つた。
『さようなら。』
 双子ふたごは振返つて一寸ちよつとお辞儀をしたが、さかを駆けて降りやうとした。十けん程先で二人はぱつと左右に分れた。そしてわつと泣き出した。鏡子がまださかの上に立つて居た事は云ふ迄もない。鏡子はころぶやうに子の傍へ行つた。二人を両手で同じ処に引き寄せた。鏡子はべつたり土に坐つて、親子三人は半年前の新橋の悲しい別れを今の事に思つて道端みちばたで声を放つて泣いたのであつた。小学生が四五人怪しさうにこれを見て通つた。
かあさん、かあさん。』
 と絶えず云ふ瑞木の言葉の奥には行つちやあいやと云ふ声が確かにあるのをもとより母は知つて居た。[#「底本では「。」は脱落]
『ぢやあ幼稚園まで送つて上げようね。』
 二人は泣きながら黙頭うなづくのであつた。歩み出してもなき[#「なき」は底本では「ない」]じやくりが止まりさうにない。
『泣いては人が笑ひますよ。ねえ、かあさんはもう何処どこへもかずにうちにばかり居るのだからいいでせう。』
 云ふと二人は何でも黙頭うなづくのであるが泣声はますます高くなる。幼稚園の門で別れやうとすると、
かあさう、かあさん。』
 とまた云ふ鏡子はお照の居ないうちなられて帰るものをと思ふのであつた。爺やに慰められても聞かず二人は母を廊下に上げて教場けうぢやうまでれて行つた。
『さあ、運動へ行きませう、花木さんはおねえさんぢやありませんか。おねえさんが泣いてはをかしいですね。瑞木さんももう泣かないでせう。』
 保姆ほぼに云はれて二人は泣きながらまた黙頭うなづいて居た。
 悔恨の銀の色のおもりを胸に置かれた鏡子が庭口にはぐちから入つて行つた時、書斎の敷居の上に坐つて英也は新聞を見て居た。座敷のえんではお照がまだ榮子にちゝを含ませて居た。
『おかヘり遊ばせ。』
『お早う御座います。寝坊をしてしまひました。』
 と云ふ英也にも口が利かれなくて、唯お辞儀をしただけで鏡子は花壇の傍へ走つて行つて、二人には後向うしろむきになつて葉鶏頭の先を指で叩いて居た。鏡子はふと晨坊はどうしたであらうと思つて胸をとゞろがせた。今縁側の傍迄行つた時に、晨が書棚の横の五寸と一尺程のひこんだ隅に立つて居た事に気が附いたのである。
『晨坊、いらつしやい。』
 鏡子は縁側のところへ寄つて行つた。
『なあに。』
 と晨の云つて居るのはやはりの狭いところからである。
『晨は何時いつもあんなところはいつて居るのですか。』
『そんなこともないんですがねえ。』
 とお照は云ふ。
『いらつしやい。』
 晨は赤い口唇くちびるを細くすぼめながら母の手へ来た。鏡子はそれを肩に載せてまた花壇へ行つた。
『いいお花ね。』
 子に見せながら、この子をもう一人かうして出ればあとには心残りがない。うちへ帰りたい帰りたいと思つたいへと云ふものは実はこんなものなのかと思つた。
ひでさん、今日けふはお出かけ。』
 かう快活な声で云つて暫くして鏡子は上ヘあがつて来た。
『さあ。』
『行つていらつしやい。展覧会へでもね。』
『さあ。』
『そんなに東京を見くびるものぢやないわ。私は昨日きのふ東京を見て感心しちやつたのよ。麹町はい所ぢやありませんか、ねえお照さん。』
『さうですね。京都よりところもありますね。』
 今度はお照が極く滅入めいつた調子である。
『歌舞伎座の案内を頼むのにい人があるのですがね、勤めの身ですからね、今日けふはだめだらうと思ふのですよ。』
 かう微笑ほゝえみながら云ふ英也が、自分のよく知らない良人をつと若盛わかざかりと云ふものの影ではないかなどと鏡子は一寸ちよつと思ふ。
『私、あなたが飲んでいらつしやるのを見るとまた煙草たばこが飲みたくてならなくなるのよ。』
 鏡子は英也の横顔を眺めながら云つた。
『お飲みになればいいぢやありませんか。』
 さう云つて英也はアイリスを一本火鉢にかざした叔母の指に持たせた。
『折角よしたのですからね。』
 と鏡子は云つて居た。此人は甥であつても年下であつても、もう思想がちやんと出来上つて居る人で、自身などを叔母、叔母と云ふだけが最善の事をして居ると思つて居るに違ひないのであると、こんな事を鏡子が思つて居るうちに煙草たばこは皆になつて灰の上に散つて居た。煙草たばこに気が附いた時鏡子はい事をしたと思つた。めた事をあんなに良人をつとからよろこばれた煙草たばこだからと、さう思ふのであるが水色の煙が鼻の前になびくのを見るとへ難くなつて座を立つた。
 昼飯ひるはんの時も榮子は目をふたいで食べた。お照が叱ると、
『末とあべる。』
 と云ふ。
かあさんがいやなの、他所よそへ行つちまつたらいと思ふの。』
 鏡子が笑声わらひごゑで云つた時、榮子は初めて目をいて母を見て点頭うなづいた。
『榮子はいやな人ね。かあさんは今日けふ鞄を開けたらもう一つ人形があるのだけれど、榮子はいらないこと。』
『欲しくないや。いらないや。』
 榮子は叔母の方を向いて低い声で云つた。
 一時頃に英也は出て行つた。鏡子はコロンボ以来の消息を良人をつとに書かうとして居た。畑尾が来た。畑尾は昨日きのふ彼方此方あちらこちらで聞いた鏡子の噂などを語るのであつたが、鏡子は此人が今に大阪なまりを忘れ得ないで居るのが、一層この人をなつかしのある人にするのであるやうに、お照は京言葉を使へばいではないか、女中困らしの彼方あちらの固有名詞は最も多く使つて居るのになどと思つて居た。お照が榮子を抱いて来た。
あまうますわねえ。』
『ええ。』
 と云つて、お照はまた、
『此人は一番ねえさんのお気質によく似て居るのでせうよ。何力どちらも強い者同志でびんと撥ねてるのですよ。』
 と云つた。
『あら、あんな事、私がそんなに強い人なものですか。ねえ畑尾さん。一人行つて一人帰るのがさう云つた人に見えるか知らないけれど、違ひますねえ、畑尾さん。まるでねえ、畑尾さん。』
 訴へるやうに畑尾を見て云つた。畑尾は口をなかばけて、ほゝをむごむごさせて限りもなく気の毒に思ふと云ふ表情を見せた。
『それでもねえ。』
 とだお照は云つて居た。榮子の眉と目の間、高い鼻、口元がお照に似て居ると云ふ事も鏡子は云ひ出すのに遠慮をして居る自分とは違つた気強きづよい人を恨めしく思つた、畑尾はそこそこに帰つて行つた。瑞木と花木が朝の涙などは跡方あとかたもない顔して帰つて来た。滿と健も帰つて来た。何と思つたか健が手紙を涙をこぼしながら書いて居る母の傍へ来て、
かあさん、何時いつ迄も生きて居て頂戴よ。え、かあさん。』
 と云つた。
かあさんとこへ行つていらつしやいよう。いらつしやいてばよう。』
 癇走かんばしつた声が打叩きする音に交つてしきりきこえる。鏡子は立つてかうとしてまた思ひ返して筆をとつた。
『榮子なんか駄目だ。馬鹿。威張ゐばつたつて駄目だよ。あにさんをつたりしてももう聞かないよ。』
 滿ののゝしる声がしたかはたれどきに、鏡子は茶の間へ出てくと、お照は四畳半で榮子をじつとじつといだいて居た。

(終り)





底本:「新小説」春陽堂
   1913(大正2)年2月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※底本の総ルビを、パラルビにあらためました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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