一
Q川はその幼年期の水勢をもつて鋭く山壁を浸蝕した。雲は濃霧となつて溪谷を蔽つてゐた。
山壁の成層岩は時々濃霧の中から墨汁のやうに現れた。濃霧は川の水面に纏りながら溪から溪を蛇行した。さうして、層々と連る岩壁の裂け目に浸潤し、空間が輝くと濃霧は水蒸気となつて膨脹した。
Q川を挾む山々は、此の水勢と濃霧のために動かねばならなかつた。
その山巓の屹立した岩の上では夜毎に北斗が傲然と輝いた。だが、その豪奢を誇る北斗はペルセウスの星が、刻々にその王位を掠奪しようとして近づきつゝあることには気附かなかつた。その下で、Q川は隣接するS川と終日終夜分水界の争奪に孜々としてゐた。
二
Q川の浸蝕する狭隘な溪谷へは人々の集団は近づいて来なかつた。それにひきかへ、S川の穏やかな溪谷には年々村落が増加した。
その国土の時代では、久しく天下に王朝時代が繁栄した。そのため、彼らの圧制は日毎に民衆の上に加はつた。
Q川は地質時代の軟弱な地盤を食ひ破つた。さうして、その河口にひとり黙々として堆積層のデルタを築き上げてゐるとき、その国土では、遂に鬱勃としてゐた民衆の反抗心が王朝に向つて突激を開始した。
民衆と王朝の激烈な争闘は続けられた。王朝はその久しい優惰のために敗北した。彼ら一党は民衆のために虐殺された。さうして、僅かに残つた数人は人目を忍んで人跡稀なQ川の濃霧の中へ逃げて来た。
彼らは武装を解いた。山々は嶮峻に彼らを守りながら季節に従つて柔かに青葉を変へた。彼らは高い山壁の傾斜層に細々とした径をつけた。さうして、彼らは溪流を望んだ岩角でひそかに彼らの逞しい子孫を産んでいつた。
三
Q川とS川との分水界の争奪は益々激烈になり出した。S川は恐らく数回の勝利を物語りながら、その河口に壮大な砂の堆積層を築いていつた。此のため、S川の浸蝕力は、Q川に比べてはるかに緩漫になり出した。だが、S川のその堆積層のデルタは、徐々として海面から壮麗に浮かび上つた。新しい滑かな処女地が河口を挾んで生れて来た。人々の集団はデルタの平野の上に訥朴な巣を造つた。彼らは純然たる土民であつた。彼らはその国土の支配者に屈服しながら、耕作しなければならなかつた。だが、彼らの国土の支配者は既に民衆ではなかつた。
曾て、王朝は民衆に顛覆された。しかし王朝を顛覆さした民衆は、再び彼らの野蛮な総帥のために支配されねばならなかつた。さうして、封建時代が堅実に彼らの国土の上へ君臨した。軈て、S川の造つた開析デルタの上へ一つの城が築かれた。
四
Q川の活動は幼年期から壮年期に這入つていつた。その水勢の浸蝕力は横に第三紀層の緩斜層を突き崩して拡つた。此のため、S川へ流れる分水界の水量は、その均衡を破つて次第にQ川の水流に誘惑された。
Q川を繞る綿々とした濃霧の中では、王朝時代の残党がその子孫を美しく繁殖させた。しかし、彼らは彼らの祖先が曾つて民衆に顛覆された事実と怨恨とを次第に忘れていつた。さうして、彼らの繁殖力はその屈辱の忘却力に従つて溪谷を下り、濃霧の中からQ川の洋々たる河口へ向つて拡がり出した。彼らはいづれの国王にも属さなかつた。しかし、彼らは彼らを繁殖せしめた直系の家族のために支配されねばならなかつた。そこで、Q川の流域には、隠然たる豪族がその団結力を延ばし出した。彼らはS川のデルタの上に生活する土民の集団に対抗するため、彼らもまたQ川の河口の岩角に尖鋭な一つの城を築き上げた。
だが、彼らは豊饒なS川の住民の生活力とその貧しい力を争ふことは出来なかつた。このため、彼らは彼らの生活力の主力を武力に向けた。
五
Q川とS川との水流の争闘が激しくなるに従つて、その各自の流域に築造された二つの城の争闘も激しくなつた。しかし、Q川の豪族の城が、しば/\S川の土民の城に圧迫されつゝあつたにも拘らず、川それ自身の争闘は絶えず反対の現象を示してゐた。Q川の浸蝕力は白堊紀の地層を食ひ破つて益々深刻になつていつた。S川の浸蝕力は、河口の堆積デルタが確乎とした地盤となるに従ひ、益々その力を弱めていつた。さうして、Q川はS川の支流の水を滔々と奪ひ出した。
六
此のSとQとの二川の争奪し合ふ現象を、絶えず眺めてゐたのは北斗であつた。だが、北斗それ自身は、遅々として天界で滅んでゐた。さうして、ペルセウスの星は、終に北斗の位置を掠奪した。新しい北斗は、再び争闘し合ふ此れらの山河の上で輝き出した。
Q河口の城の人々は、S河口の城主の久しい圧迫から跳ね起きるときが近づいた。何ぜなら、Q川の支流は完全にS川の支流を掠奪し終へたからである。此のため、S川の本流は、浸蝕された醜いケスタの段階を露はしながら、渇れ果てゝ茫々たる野になつた。かくして、S川の水量を奪つたQ川はひとり益々肥えていつた。それと同時に今迄S河口で行はれた通商は尽くQ河口へ集り出した。Q城の貧しい財政はその河口と共に膨脹した。新らしい生産が始つた。新らしい武器が購入された。さうして、Q城の拡大された新らしい生活力はS城に変つて、逆に彼らを圧迫し始めた。
七
Q城の豪族の勢力は、日に日にその領土を拡張した。Q河口に集る人々の集団は年々に増加した。その村落は市街になり、その市街は港になつた。さうして、S城との小さき争闘は豊富な武力と財力とを以つて続けられた。
S城の市民はその疲弊の原因をS川の枯渇と知つた。彼らは川水の復活を計るため、彼らの財力を専心S川の開鑿に用ひ出した。
Q城の市民は彼らの開鑿を妨害するため、Q川へ流れる上流の支流を堅固な石垣で尽くせき止めた。しかし、S城の市民は忽ち彼らの石垣を突き崩した。
一大戦闘が二城の間に開始された。軍馬の集団が日毎に、川上と川下とで殺戮し合つた。しかし、Q城の嶄新な武力は終にS城を惨虐に圧倒した。
八
Q川がS川の水量を掠奪したと同様に、Q城はS城を掠奪した。S城はQ城の藩屏として、Q城の直属の家臣がその新らしい城主にされた。
此の横逸したQ城の勢力は、S川の流域で新しい生命を産んでいつた。此れらの生命はSとQとの混種となつて汎濫した。従つて彼らS城を守る系統は漸次独特の体系をとつて若々しく発達し始めた。
それと同時に、S城の市民はS川の復活を願ひ出した。彼らはQ城の城主に向つて、しば/\S川の支流の石垣の撤廃を懇願した。しかし、Q城の城主はS城の勢力の擡頭を恐れねばならなかつた。S川が常に枯渇してゐる限り、S城は常にQ城の藩屏として苦しき忠実を守らねばならなかつた。さうして、Q城はその拡充された勢力と共に、次第にS城に対して横暴を極めていつた。
九
日月は経つた。北斗となつたペルセウスは、その天界でひそかにアンドロメダの星のために狙はれてゐた。
下界ではかの横暴なQ城の城主の勢力が、年々S城の市民を苦しめた。S城の市民の反逆心は地にひれ伏しながら鬱屈した。
しかし、Q城の横暴が、S川をせき止めてゐる堅牢な石垣と等しく続いてゐるとき、Q川の横暴もまた続いた。Q川はS川の水源を集めて貪婪になればなるほど、その尨大な浸蝕力は徐々として自身の河口にそれだけ高く堆積物を築いてゐた。此の堆積物はQ城の市民にとつては癌であつた。彼らの誇つた港湾は浅くなつた。海外の船舶は彼らの領土から隣国の港へ外れ始めた。
此の現象は自然とQとSの二城を相殺さすことは明かなことであつた。
十
遂に、Q城の城主はS川の支流を止めた石垣の撤廃を命令した。何ぜなら、Q城はQ川の浸蝕力の運ぶ堆積物を調節しなければならなかつたからである。
S川は復活し始めた。Q川がその河口に高く堆積層のデルタを築いたそれだけ川の水流は緩漫になつてゐた。従つて、S川が再びQ川の水源を奪回するのは容易であつた。それにS川の渇れた川道は前から十分の準備を以つて開鑿せられてあつた。S川は日々の雨量と共に俄然として奔流した。それは恰もS城の市民の鬱屈してゐた反抗心に、着々として豊富な資力を注ぎ込んでゐるのと等しかつた。
S川の流域は豊饒になり出した。S城の市民は黙々として産業の拡張をし始めた。生産物は増加した。通商が勃興した。さうして、彼らは暗黙の中にQ城の支配下から独立しようとして活動した。
十一
QとSとの二川の浸蝕力は均衡を保つて来た。だが、Q川はその河口の堆積層の肌を、漸次に海面から胸のやうに擡げ出した。新らしい海岸平野は、古層の横に、モーバンを描きながら生れて来た。市街はそれらの段階デルタの上へ輝やかしく拡がつた。それと同時に、Q川の浸蝕力は益々緩漫になつて来た。
しかし、S川はそれとは全く反対の状況を示し始めた。S川は曾ては前にその水源をQ川に掠奪されたごとく、今は逆にQ川の分水界の水線を奪ひ出した。浸蝕力は奔騰した。さうして、その河口の古層デルタの水平層へ二輪廻形の累層を新鮮な上着のやうに爽々しく着始めた。しかし、S城の市民は、Q城の市民が、その河口の活動状態を忘れてゐる暇に、絶えずS川の河道の開鑿に注意した。
S城の勢力は勃然と擡頭した。Q城の市民は、自身を亡すよりも、S城を滅亡さす予想の方がより彼らにとつては幸福であつた。
十二
Q城の城主は藩屏たるS城に対して再びS川の支流を堰き止めることを命令した。しかし、S城の城主は、今は断乎として横暴な命令を拒絶した。
Q城からは軍兵がS川の上流へ向つて進軍した。彼らは城主の意をもつて、再び石垣を築くために単独の行為をとつた。
それに応じてS城からは、直ちに軍兵が出動した。戦端が濃霧の中で開かれた。QとSとの河水は絶えず血液と油と屍とを浮べて流れ出した。
しかし、Q城の軍兵は純然たる王朝時代の残党から成つてゐた。従つて祖先を異にするS城の混種の軍兵よりもその団結力は強かつた。久しい二軍の接戦から勝ち得る者は、より強固な団結力の所有者に違ひない。Q城の軍兵は次第にS城へ攻め襲せた。さうして、Q軍は終に再び勝つた。
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