探偵小説作家なぞと呼ばれて返事を差出すのは、如何にも烏滸がましい気がして赤面します。けれども元来が探偵小説好きなのですから、ソウ呼ばれますと何がなしに嬉しいことも事実です。
ところで私は今でも探偵小説の定義がわからずに困っているのです。阿呆らしい話ですが、自分の書いているものはドンナ種類に属する小説だろうかと時々疑ってみる事さえあります。そうして漠然ながら、これでも探偵小説に入れられぬ事はあるまい……といったようなアイマイな、コジツケ半分の気持ちで満足して、自分勝手な興味を中心に書いている状態です。
私が一番最初に読んだ探偵小説は、涙香の「活地獄」だったと思います。モット古い記憶にさかのぼりますと私は十歳前後から、読んではいけないと叱られ叱られ新聞を読んでおりましたが、そのたんびに、新聞記者というものは、どうしてコンナに色んな事を探り出すのか知らん。エライものだナアと思って感心していた気持ちなぞが、探偵小説愛好慾の芽生えだったかも知れません。
動物園に行って、奇妙な恰好をして生きている動物たちの気持ちをアッケラカンと考えてみたり、郵便屋さんが家々に投げ込んで行く手紙が、どこから来るのか一々たしかめてみたくなったり、千金丹売りや新四国参りのお遍路さんは、どこから来てどこへ帰るのかと、うるさくお祖母さんに尋ねたのもその前後の事でした。
又、尋常科三四年頃、小国民とか、少年園とかいう雑誌があった。科学めいた怪奇談や、世界珍聞集みたようなものが載っておりましたが、これも探偵趣味の芽生えを培ったに違いありません。そのほか少年世界のキプリングもの、磯萍水や江見水蔭の冒険もの、単行本の十五少年漂流記なぞも無論その頃の愛読書で、どこの発行でしたか、何々少年と標題した飜訳の少年冒険談が、全集式の単行本によって出ていたようですが、そんなものも押川春浪の冒険談と一緒に二十冊ばかり虎の子のようにしておりました。
そのうちに中学に這入って涙香ものに喰い付いた訳ですが、そのころ他に探偵小説めいたものは殆んどありませんでした。家庭小説や自然主義小説の全盛期でしたので、もっと深刻なものを要求していた私の読書慾は絶えずイライラしていたようです。「人間の先祖は猿である」という進化論の理詰めを読んでたまらない痛快味を感じたのもその頃の事でした。
ところが又そのうちに中学の三年か四年の頃、少年界か少年世界かでポーの「黒猫」の意訳を読んで非常に打たれたものでしたが、私の探偵小説愛好慾は、それ以来急激な変調を来したようです。つまり涙香物が浅く感じられて来ましたので、逆にアラビヤンナイト式のお伽話的怪奇趣味の中にモグリ込んでしまいました。そうして矢鱈に変テコなお伽話を書いて人に見せたり、話して聞かせたりしたものでしたが、誰も相手にしてくれませんでした。一方に私は不勉強で英語が出来ませんでしたので、外国の探偵ものを探して読む勇気もなく、棠陰比事や雨月物語なぞの存在も知らないままに又もイライラを続けておりますと、そのうちにフトした動機から宗教に凝りはじめました。
で、経典以外のものには心を打たれなくなってしまいました。
私は信心に凝っているうちに、今まで見た事も聞いた事もない怪奇な世界を数限りなく発見しました。それは自分の心の中の邪悪と、倒錯観念の交響世界で実に不可思議な苦痛深刻を極めたものでした。謡曲阿漕の一節に、
「丑満過ぐる夜の夢。見よや因果のめぐり来る。火車に業を積む数。苦るしめて眼の前の。地獄もまことなり。げに恐ろしの姿や」
とあるのはそうした気持ちの一例とでも申しましょうか。
そうして、これは芸術にならないかしらと時々思いましたが、一方にそれは芸術の邪道であるというような、宗教カブレらしい気咎めもしましたのでそのままに圧殺しておりました。
ところがこの頃になって探偵小説が流行して、飜訳や創作に、そんな性質や意味の芸術作品がドシドシ発表されるのを見ると愈々たまらなくなりました。
そこへ博文館の懸賞募集が出ましたので早速投稿した訳ですが、それが二度目にヤットコサと二等に当りましたのが病み付きで、時々覚束ないものを書かせて頂く事になりました。
考えてみるとこれが直接の動機に違いありません。
ですから私は目下のところ本格物は書けないようです。
一々事実にくっ付けて一分一厘隙のないようにキチキチとキメツケて行く苦しさに、いつも書きかけては屁古垂れさせられて終います。
九大の某教授なぞはいつでも来い、タネを遣るからと云われますが、ドウしても貰いに行く勇気が出ません。ヴァンダインの探偵小説作家心得なぞを読むと猛然として反抗してみたくなりますが、サテ紙に向うと一行も書かないうちにトテモ駄目な事がわかって憂鬱になってしまいます。
私は探偵小説作家のなり損いかも知れません。
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