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謡曲黒白談(ようきょくこくびゃくだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 10:29:23  点击:  切换到繁體中文

    謡曲嫌いの事

 世の中には謡曲嫌いと称する人が大層多くて、到る処謡曲の攻撃をて廻わって、甚だしきに到っては謡曲亡国論なぞを唱える人がある。それ程でなくとも、謡曲が始まるとすぐにお尻をモジモジさせて、やがて妙な用事を思い出して御免をこうむる程度の人に到っては、浜の真砂まさごの類限りなく、殆ど十中九人はそうだと云っても差し支えはあるまいと思う。現に自分もこれを幾度となく、しかも深刻に経験した一人で、こんな人々は只拙者の謡いだけが嫌いなのかも知れないが、とにかくその中にも心底しんそこから嫌いな人も少なくはなかったろうと自惚うぬぼれているのである。そんな人々に、何故貴方あなたは謡曲がお嫌いですかと聞くと、誰でも先ず第一に、私には解かりませんからと云う。成る程、これも無理もなかろう。謡曲のうちでも比較的芝居がかりに出来ているはち安宅あたか等ですら、処々しょしょ三四行乃至ないし十四行ずつ要領の得悪えにくい文句が挿まっていて、習う本人のみならず黒人くろうとの先生方でも何だか解からぬままうなっているのが多く、ましてその他の曲に到っては全部雑巾のように古びた黒い寄せ文句で出来上っているのだから、局外者が聞いて訳が解かりかねて面白くないのももっともな事と思われる。
 けれ共何とかして謡曲の御利益を納得させて、あわよくば一曲御所望を云わせてやろうと思う甲種熱心家が「でも高尚ではありませんか」と切り込むと、その返事は大抵「でもあの声が……」と来る。ここに到って並大抵の天狗てんぐ様ならば一遍にギャフンと参いって、それなり生唾を飲み込んで我慢するところであるが、しかし慢性の超弩級大天狗になるとこれ位の逆撃はして痛痒つうようを感じない。かえってこれをしからぬというおももちで、直ちに第三発の十六インチを撃ち出す。
「ハハア。それはそうでしょう、まだ妙味を御存じないから。あの声というものは一朝一夕で出る声ではありません。他の音曲では浮いた声があっても差し支えありませぬが、謡曲では決してそんな声を用いる事を許しません。ですから他の音曲は面白くてもいやしく、謡曲は面白くなくても高尚なのです。この声を出すには、先ずこんな風に正座して身心を整斉虚名ならしめ、気海丹田たんでんに力をこう籠めて全身に及ぼし、心広く体胖たいゆたかに、即ち至誠神明に通ずるていの神気を以て朗々と吟誦するのです。ですから一句のうちに松影婆娑ばさたる須磨の浦を現わし、一節の裡に万人の袖を濡らす事が出来るのです」
 例えばこういう風に直ぐにも始めそうに身構えをして、相手の顔をグッと睨む。ここが危機一髪、相互の生死の分れるところで、折角の深い交際がおろそかになったり、恩義ある人に悪感を抱かせたり、又は大切の得意を失策しくじったりして、後悔ほぞむ共及ばぬような大事件が出来しゅったいするその最初の一刹那なのである。もしそれ掣電せいでんの機前に虎を捕え得るていの名外交家ならばいざ知らず、大抵の相手ならばここで大切な用事を思い出したり、天気が怪しくなったり、少く共いずれ又そのうちにという言葉を抵当にして、多少先方の心田に不満の種をいて帰るか、然らずんば先方に機先を制せられて、人間離れのした声でかみは天堂しもは地獄まで引きずりまわされて、散々に神経系統を攪乱こうらんされて、小便にも行けずに這々ほうほうの体で逃げ帰るのが落ちである。
 自分は熟々つらつら案じて見るに、こんな連中があとで極端な謡い嫌いになって、到る処この時の経験を吹聴してまわるから、世上に比較的謡曲嫌いが多く、下手謡曲家に捕まるのとすっぽんに喰い付かれるのとを同じ位の悪感を以て迎え、謡曲好きの近所に住むのと高架線のガードの下に住まうのとを混同して考えるような事になったのではあるまいかと思う。こう考えて見ると、世上に謡曲亡国論の多いのも無理はない事で、その原因は皆斯様かような脅迫的謡曲家が種を蒔いたという事に帰するであろう。於此乎ここにおいて斯道しどう愛好者は宜しく冷静に熟慮反省して、決して人間界に於てこの声を発せず、換言すれば深山幽谷に去って哀猿悲鳥を共として吟ずるか、もしくは環海の孤島に退いて狂瀾怒濤に向って号叫すべしである。思えば吾輩も飛んでもない道楽を始めたものだ。

     謡曲の廃物利用の事

 この、下手謡曲に限って聞かせたい、又その相手は聞きたくないという心理状態は、近頃のように謡曲隆盛の昭代にその到る処深刻に又痛切に繰り返し繰り返し経験されて、あたかも欧州戦前のバルカンの如く、日露戦前の竜岩浦りゅうがんぽの如く、如何なる名外交家といえどしりえ瞠若どうじゃくたらしむるていの難解問題となっているのであるが、併し又世上にはこの外交上の大難問題を丸一まるいち大神楽だいかぐらの如く自由に操縦して、逆に外交上の便宜に利用し、銀山鉄壁の如き上官、重役の威厳を指呼の間に土崩瓦解せしめ、又は槓杆てこでも動かぬ長尻の訪客を咄嗟の間に紙片のように掃き出してしまうという辣腕らつわん家が時あってか出頭して、人天の眼を眩ぜしむるには驚かされるのである。
 正に毒草を変じて薬となし、糞土をて醍醐をなすていの怪手腕と称すべしで、謡曲の教外別伝の極地、声色の境界を超越した、玄中の玄曲を識得した英霊漢というべしである。かくの如きに到っては、到底吾人味噌粕輩みそかすはいは申すに及ばず、斯道五流の大家と雖も倒退三千里で、畢竟ひっきょう百説ひゃくせつ不会ふえただ識者しきしゃの知に任せ、達者の用にまかして、はるかに三拝九拝して退くより他にみちはないのである。

     聴き手は注意してえらむべき事

 自分も実は大の聴聞脅迫党で、今まで随分謡曲嫌いを製造した覚えがあるが、ここに只一つ無類飛び切りの謡曲好きに出会でくわして、かえってヘトヘトに悩まされてりした珍談がある。その謡い好きというのは拙者の祖母で、今年九十三歳になって中風の気味で郷里福岡の片傍かたほとりの伯父の家に寝ているのであるが、これをこの間久方振りに帰郷した時見舞いに行って見ると、折節おりふし伯父伯母は下女を残して外出の留守で、小供は皆学校に行っているし、祖母は只一人奥の六畳に霞んだ眼をして寝ているところであった。拙者は兼てから祖母が非常に記憶力が減退していると聞いていたが、会って見ると左程でもなく、よく拙者を記憶していて、いつ東京から帰ったかとか、幾つになったかとか、嫁はまだ貰わぬかなど聞いた。そうして最後に、
わたし最早もはや余程長い事こうやっていて退屈してなあ」
 と云った。この時に自分は不図ふとこの祖母が謡い好きであった事を思い出して、忽ち胸中に湧き出した野心が半天にみなぎり渡ると、思い切って独逸流に、
「お祖母ばあ様。私は東京に行って謡いを稽古して来ました。御退屈なら伯父が帰るまでに一ツ謡って見ましょうか」
 と切り出した。その時の祖母の喜びようと来たら全く地獄で仏に会ったようであったが、自分もまた御同様で全くこの祖母を拝みたい位に思ったのである。
しかし何を謡いましょうか」
 と尋ねて見ると、祖母はその濁った眼を天井に放ってしきりに考えている様子であったが、
「ああ、それそれ、死んだ爺さんが謡い御座った、あの、それ……四方にパッと散るかと見えてというあれを」
「富士太鼓ですか」
「それそれ、その富士太鼓――」
 果然、富士太鼓は拙者の得意の出し物であった。今は何条猶予すべき、直ぐに偉容を張って謡いおわったが、我れながら会心の出来で、殊に、
「乱れ髪乱れ笠、思いはいつか忘れむと」
 のあたり、即座に天関てんかん地軸を撲落して、唯一人の美人を天の一方に仰ぐような心地がした。祖母も余程感に堪えた様子で、二ツ切りの手拭を顔に押し当てて涙を拭いながら、
「ああ、久し振りで面白かった。死んだ爺さんが生きて御座ったらなあ……。今一つ聞かせて」
 と云った。拙者はこの言葉を聞いて正直のところ涙が出そうであった。自分が謡曲を始めてから今日までこれ位に感動を他人に与えた事はないので、全く自他の本懐といい祖母への孝養といい申し分のない大成功であった。ところがさて
「今度は何を謡いましょう」
 と尋ねて見ると、祖母は又もや涙を拭いながら、
「お前はあの富士太鼓を知っていなさるかの」
 と云った。自分はいささか驚いて、
「今うたいましたよ、それは」
「何をば」
「その富士太鼓をです」
「ああ、その富士太鼓富士太鼓。妾はようよう思い出した。死んだ爺さんはそれが大好きで、毎日毎日謡い御座った。あれを一ツ」
 これには自分も全くうんざりしてしまった。真逆まさか祖母の記憶力がここまで消耗していようとは夢にも思わなかったが、併し謡わないよりはしだと思って又一番あい勤めた。けれ共その終い際になったら、もともと厭気がさしている上に疲れているものだから、声がかんに釣り上ってヘトヘトになってすっかり汗を掻いてしまった。そうしてやっと謡って仕舞うと、祖母は又もや涙を拭いながら、
「ああ、久し振りで面白かった。死んだ祖父じい様が生きて御座ったらなあ。それでは今度は富士太鼓を一ッつ何卒どうぞ
 と云った。自分はとうとう死に物狂いのていで今一番富士太鼓を謡って、伯父伯母が帰らぬ内に這々のていで退却した。
 そうして聴き手をえらむべきものだと、この時つくづく感じた事であった。

     夢中運動の事

 電車の中なぞでよく見受けるが、分別盛り以上の年輩で一廉ひとかどの服装をしてひげなぞを生やしている人が、夢を見るような眼付で天の一方を睨みつつ、お経の化け物見たいな声を高く低く出しながら、手や足を痙攣けいれん的に動かして拍子を取っている御仁がある。知らぬものは一寸ちょっと驚くが、これは狐付きでも何でもない。謡曲の第三期中毒者で、すこしも危険の恐れのない発作症状を今現わしているところなのである。謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓やまいこうこうに入ったというもので、頓服とんぷく的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽しらくに聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜ロシアで革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧ねっとう世界を遠く白雲※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)めんばくの地平線下に委棄しきたって、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹あしたか山や富士の高峰たかね」の上はるかなる国に羽化登仙うかとうせんし去るのである。
 南無阿弥陀仏もよかろう。アーメンも面白かろう。天理教の蒟蒻躍こんにゃくおどり、静坐法の癲癇舞踊、皆それぞれ相当の境界があろう。けれ共世の中にこれ位高尚で、玄妙で、無害で楽しみの深い境界に容易に到達し得る宗旨は滅多にあるまい。拙者は大方の諸君が一日も早くこの宗旨に帰依して、九段の本山の大会に随喜渇仰かつごうの涙を以て臨んで、用いて尽きず施して足らざる事なき大歓喜の至楽をけられむ事を希望してまぬものである。





底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:小林徹
2001年10月29日公開
2006年3月3日修正
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