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名娼満月(めいしょうまんげつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 10:23:07  点击:  切换到繁體中文



 一方、銀之丞に別れた播磨屋千六は、途中滞りもなく長崎へ着いた。
 千六は長崎へ着くと直ぐに抜荷ぬけにを買いはじめた。抜荷というのは今でいう密貿易品のことで、翡翠ひすい、水晶、その他の宝玉の類、緞子どんす繻珍しゅちん羅紗ラシャなぞいう呉服物、その他禁制品の阿片アヘンなぞいうものを、密かに売買いするのであったが、その当時は吉宗将軍以後の御政道のゆるみかけていた時分の事だったので、面白いほど儲かった。モトモト千六は無敵な商売上手に生れ付いていたのが、女に痴呆ほうけたために前後を忘れていたに過ぎないので、こうして本気になって、女にも酒にも眼をれず、絶体絶命の死身しにみになって稼ぎはじめると、腕っこきの支那人でもかなわないカンのいいところを見せた。のみならず千六は賭博ばくちにもすぐれた天才を持っていたらしく、相手の手のうちを見破って、そいつを逆に利用する手がトテモ鮮やかでスゴかったので仲間の交際つきあいではいつも花形になったばかりでなく、その身代は太るばかり。長崎に来てからまだ半年も経たぬうちに、早くも一万両に余る金を貯めたのを、の夜の事を忘れぬように三五屋さんごやという家号で為替に組んで、大阪の両替屋、三輪鶴みわづるに預けていた。従って三五屋という名前は大阪では一廉ひとかど大商人おおあきんどで通っていたが、長崎では詰まらぬ商人あきんど宿に燻ぶっている狐鼠狐鼠こそこそ仲買に過ぎなかった。
 その年の秋の初めの事であった。千六は何気なく長崎の支那人街を通りかかると、フトかすかに味噌の臭いがしたので立ち佇まった。そこいらを見まわすと前後左右、支那人のうちばかりだからにら大蒜にんにく臭気においがする分にはチットモ不思議はない筈であるが、その頃までは日本人しか使わない麦味噌の臭気においがするとは……ハテ……面妖な……と思ったのが大金儲おおがねもうけいとぐちであったとは流石さすがにカンのいい千六も、この時まだ気付かなかったであろう。頻りに鼻をヒコ付かせて、その臭気においのする方向へ近附いて行くうちに味噌の臭気においがだんだんハッキリとなって来た。間もなく眼の前に屹立きったっている長崎随一の支那貿易商、福昌号ふくしょうごうの裏口に在る地下室の小窓からにおって来ることがわかった。そっと覗いてみると、暗い、微かな光線の中に一面に散らばった鋸屑おがくずの上に、百斤入きんいりと見える新しい味噌桶が十個、行儀よく二行に並んでいる。残暑にるる地下室で、味噌が腐りそうになったので、小窓を開いて息を抜いているものらしかった。
 そこで千六は暫く腕を組んで考えていたが、忽ちハタと膝を打って、赤い舌をペロリと出した。
「……そやそや……味噌桶と見せかけて、底の方へは何入れとるか知れたもんやない。この頃長崎中の抜荷買なかまが不思議がっとる福昌号の奸闌繰からくりちうのはこの味噌桶に違いないわい。ヨオシ来た。そんなら一つ腕によりをかけて、唐人共の鼻を明かいてコマソかい。荷物の行く先はお手の筋やさかい……」

 そんな事をつぶやくうちに千六はもう二十日鼠のようにクルクルと活躍し初めていた。
 先ず福昌号の表口へ行って、その店の商品の合印あいじるしが○に福の字である事を、その肉の太さから文字の恰好まで間違いないように懐紙に写し取った。その足で長崎中の味噌屋を尋ねて、福昌号に味噌を売った者はないかと尋ねてみると、タッタ一軒、山口屋という味噌屋で三百五十きんの味噌を売ったというほかには一軒も発見し得なかった。
 それから同じく長崎中の桶屋を、裏長屋の隅々まで尋ねて、福昌号の註文で新しい味噌桶を作ったうちを探し出し、そこで百斤入の蓋附桶を十個作った事が判明すると、千六はホッと一息して喜んだ。
「それ見い。云わんこっちゃないわい。百斤入の桶が十個に味噌がタッタ三百五十斤……底の方に鋸屑おがくずと小判が沈んどるに、きまっとるやないか」
 とつぶやくと、思わず躍り上りたくなるのをジッと辛棒して、何喰わぬ顔で同じ型の蓋附桶を十個、大急ぎであつらえた。それから今度は金物屋に行って鉛の半円鋳なまこを六百斤ほど買集め、そっくりそのまま町外れのシロカネ屋(金属細工屋)に持って行って、これは蓬莢島ホルモサから来た船の註文ゆえ、特別念入りの大急ぎで遣ってもらいたい。蓬莢島ホルモサでも一番の大金持、万熊仙まんゆうせんという家で、この六月に生れる赤ん坊のお祝いに、部屋部屋の天井から日本の小判を吊るすのだそうで、ソックリそのまま蠅除はいよけにするという話。普通のうちでは真鍮の短冊を吊すところを金持だけにった思案をしたものらしい。面倒ではあろうが、この鉛鋳なまこの全部を大急ぎで小判の形に打抜いて金箔をタタキ付けてもらいたい。糸を通す穴は向うに着いてから明けるそうな。本物の小判のお手本はここに在る……といったような事を、まことしやかに頼み込んだ。
 賃銀がよかったのでシロカネ屋の老爺おやじは、さほど怪しみもせずに、両手を揉合もみわわせて引受けた。六百斤のナマコを三日三夜がかりで一万枚に近い小判型に打抜いて畳目まで入れたものに金箔を着せたのを、千六に引渡した。
 千六は、その小判を新しい唐米からまいの袋に詰込んで、手車に引かせ、帰りに桶屋から十個の桶を受取り、ついでに山口屋から味噌を四百斤と、材木置場から鋸屑おがくずを五俵ほど買込んで、同じ手車に積ませて、その日の暮れ方に舟着場へ持って来た。そこで百石積の玄海丸という抜荷ぬけに専門の帆前船を探し出して顔なじみの船頭に酒手を遣り、水揚人足に命じて車の上の荷物を全部積込ませると、念のためもう一度上陸してこの間の福昌号の裏口に行き、人通りの絶えたところを見計みはからって地下室の小窓に鼻を近付け、今一度中の様子を窺いてみた。中には四五日前の通りに味噌桶が行列して、黴臭かびくさい味噌の臭気においがムンムンする程籠もっていた。
 ニンガリと笑った彼は立上って空を仰いでみた。この辺では穏やかでないこち寄りの南風はえが数日来、絶え間なしに吹いているところで、追手の風でも余程自信のある船頭でないと船を出せるものでないことが商売柄千六にはよくわかっていた。
 舟着場に帰った千六は船頭をつかまえて、明日早朝に船が出せるかどうか。五島の城ヶ島まで行けるかどうか。船賃は望み次第出すが……と尋ねてみると、淡白らしい船頭は、城ヶ島なら屈託する事はない。心配する間もないうちに行き着いてしまう。ほかの船なら生命いのちがけの賃銀を貰うか知れぬが、この玄海丸に限って無駄な銭は遣わっしゃるな。この風に七分の帆を張れば、明日あすの夕方までには海上三十里を渡いて見せまっしょ……と自慢まじりに鼻をうごめかすのであった。
 千六は天の助けと喜んだ。すぐに多分の酒手を与えて船頭を初め舟子かこ舵取かんどりまで上陸させて、自分一人が夜通し船に居残るように計らった。
 船の中が空っぽになって日が暮れると、千六は提灯を一つけて忙がしく働き初めた。十個の味噌桶の底にそれぞれまがい小判を平等に入れて、上から鋸屑おがくずおおいかぶせ、その上から味噌を詰込んでアラカタ百斤の重さになるように手加減をした。厳重に蓋をして目張りを打つと、残った味噌と鋸屑おがくずは皆、海に投込んでしまった。アトを綺麗に掃出はきだして、海岸を流して行く支那ソバを二つ喰うと、知らぬ顔をして寝てしまった。

 翌る朝は、まだの明けないうちに船頭たちが帰って来た。昨夜ゆんべの酒手が利いたらしくキビキビと立働らいて、間もなく帆を十分に引上げると、港中の注視の的になりながら、これ見よがしに港口を出るや否や、マトモ一パイに孕んだ帆を七分三分に引下げた。暴風雨あらし模様の高浪を追越し追越し、白泡を噛み、飛沫しぶきを蹴上げて天馬くうはしるが如く、五島列島の北の端、城ヶ島を目がけて一直線。その日の夕方も、まだ日の高いうちに、野崎島をめぐって神之浦こうのうらへ切れ込むと、そこへ山のような和蘭陀オランダ船が一艘碇泊かかって、風待ちをしているのが眼に付いた。
「ナアルほどなあ。千六旦那の眼ンクリ玉はチイットばかり違わっしゃるばい。摺鉢すりばちの底の長崎から、この船の風待ちが見えとるけになあ。ハハハハ……」
 と感心する船頭の笑い声を眼で押えた千六は、兼ねて用意していた福昌号の三角旗を船の舳に立てさした。風のない島影の海岸近くをスルスルとすべるように和蘭オランダ船へ接近して帆をおろすと、ピッタリと横付けにした。
 船の甲板から人相の悪い紅毛人の顔がズラリと並んで覗いていた。口々に和蘭オランダ語で叫んだ。
「何だ貴様は……何だ何だ……」
 千六はもう長崎に来てから、各国の言葉に通じていた。そのうちでも和蘭オランダ語は最も得意とするところであった。
「福昌号から荷物を受取りに来ました。この頃、長崎の役人の調べが急に八釜やかましくなって、仕事が危険やばくなりましたのに、この風で船が出なくなって、皆青くなっているところです。支那人はみんな臆病ですから、私が頼まれて四百五十斤の小判を積んで、嵐を乗切って来たのです。どうぞ荷物を渡して下さい」
 と殆んど疑問の余地を残さないくらい巧妙に、スラスラと説明した。
「フーム。そうかそうか。それじゃ上れ」
 と云うと船から梯子はしごおろしてくれたので千六は内心ビクビクしながら船頭と二人で上って行った。そうして船長室で船長に会って葡萄酒と珈琲コーヒーと、見た事もない美味おいしい果物を御馳走になった。
 千六は福昌号の信用の素晴らしいのに驚いた。積んで来た十個の味噌樽が全部、ロクに調べもせずに和蘭オランダ船に積込まれて、代りに夥しい羅紗ラシャとギヤマンの梱包が、玄海丸に積込まれた。まだ羅紗と、絹緞けんどん翡翠ひすいの梱包が半分以上残っているが、この風と玄海丸の船腹では積切れまいし、こっちも実はこの風が惜しいばかりでなく、非常に先を急ぐのだから、向うの海岸に卸しておく。今一度長崎へ帰って、風を見てから積取りに来いと云って、千六と船頭を卸すと、和蘭オランダ船はその夜のうちに、白泡を噛む外洋に出て行ってしまった。
 アト見送った千六は慌しく船頭の耳に口を寄せた。
「直ぐにこの船を出いておくれんか。この風を間切まぎって呼子よぶこへ廻わってんか。途中でインチキの小判と気が付いて引返やいて来よったらかなわん。和蘭陀オランダ船は向い風でも構いよらんけに……呼子まで百両出す。百両……なあ。紀国屋文左衛門や。道程みちのりが近いよって割合にしたら千両にも当るてや、なあ。男は度胸や……。あとはコンタの腕次第や。酒手を別にモウ五十両出す……」
 玄海丸は思い切っていかりを抜いた。それこそ紀国屋文左衛門式の非常な冒険的な難航海ののち、翌る日の夕方呼子港へ這入った。そこで玄海丸を乗棄てた千六は巧みに役人の眼をくらまして荷物を陸揚して、数十頭の駄馬に負わせた。陸路から伊万里いまり嬉野うれしのを抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の抜荷ぬけに買を呼集め、それからそれへと右から左に荷をさばかせて、忽ちのうちに儲けた数万両を、やはりことごとく為替にして大阪の三輪鶴みわづるに送り付けた。

 千六のこうした仕事は、その当時としては実に思い切った、電光石火的なスピード・アップを以て行われたのであった。
 果して、そのあとから正直な五島、神之浦こうのうらの漁民たちが海岸にコンナ荷物が棄ててありましたと云って、夥しい羅紗や宝石の荷を船に積んで奉行所へ届出たというので長崎中の大評判になった。これこそ抜荷の取引の残りに相違ないというので与力、同心の眼が急に光り出した。結局、五島の漁夫りょうし達が見たという○に福の字の旗印が問題になって、福昌号に嫌疑がかかって行ったが、その時分には千六は最早もはや長崎に居なかった。仲間の抜荷買連中と共に逸早いちはやく旅支度をして豊後国、日田ひたの天領に入込み、人の余り知らない山奥の川底かわそこという温泉にひたっていた。
 千六はそれから仲間に別れて筑前の武蔵むさし、別府、道後と温泉まわりを初めた。たとい金丸長者の死に損いが、如何に躍起となったにしたところが、とても大阪三輪鶴の千両箱を三十も一所いっしょに積みはせまい。その上に銀之丞殿の蓄えまで投げ出したらば、松本楼の屋台骨を引抜くくらい何でもあるまい。もし又、万一、それでも満月が自分を嫌うならば、銀之丞様に加勢して、満月を金縛りにして銀之丞様に差出しても惜しい事はない。去年三月十五日の怨恨うらみさえ晴らせば……男の意地というものが、決してオモチャにならぬ事が、思い上がった売女ばいために解かりさえすれば、ほかに思いおく事はない。おのれやれ万一思い通りになったらば、三日と傍へは寄せ附けずに、天の橋立の赤前垂あかまえだれにでもタタキ売って、生恥いきはじさらさせてくれようものを……という大阪町人に似合わぬズッパリとした決心を最初からきめていたのであった。

 京都に着いても満月の事は色にも口にも出さず。ひたすらに相手の行衛ゆくえを心探しにしていた銀之丞、千六の二人は期せずして祇園の茶屋で顔を合わせた。お互いに無事を喜び合い、今までの苦心談を語り合い、この上は如何なる事があっても女の情に引かされまい。満月の手管に乗るような不覚は取るまい。必ず力を合わせて満月を泥の中に蹴落し、世間に顔向けの出来ぬまで散々に踏みにじって京、大阪の廓雀くるわすずめどもを驚かしてくれよう。日本中の薄情女を震え上らせて見せようでは御座らぬか……と固く固く誓い固めたのであった。

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