一
この話の中に活躍する延寿国資と、金剛兵衛盛高の二銘刀は東京の愛剣家、杉山其日庵氏の秘蔵となって現存している。従ってこの話は、黒田藩に起った事実を脚色したものであるが、しかし人名、町名と時代は差障りがあるから仮作にしておいた。悪からず諒恕して頂きたい。
「不埒な奴……すぐに与九郎奴の家禄を取上げて追放せい。薩州の家来になれと言うて国境から敲き放せ。よいか。申付けたぞ」
数本の桜の大樹が、美事に返咲きしている奥庭の広縁に、筑前藩主、黒田忠之が丹前、庭下駄のまま腰を掛けていた。同じ縁側の遥か下手に平伏している大目付役、尾藤内記の胡麻塩頭を睨み付けていた。側女を連れて散歩に出かけるところらしかった。
裃姿の尾藤内記は、素長い顔を真青にしたまま忠之の眼の色を仰ぎ見た。そうして前よりも一層低く頭を板張りに近付けた。
「ハハッ。御意には御座りまするが……御言葉を返すは、恐れ多うは御座りまするが、何卒、格別の御憐憫をもちましてお眼こぼしの程……薩藩への聞こえも如何かと存じますれば……」
「……ナニッ……何と言う……」
忠之の両の拳が黄八丈の膝の上でピリピリと戦いた。庭先に立並んでいた側女たちがハッと顔を見合わせた。忠之が癇癖を起すと、アトで両の拳を自分で開き得ないで、女共に指を揉み柔らげさせて開かせる。それ程に烈しい癇癖が今起りかけている事を察したからであった。
「タ……タワケ奴がッ。島津が何とした。他藩の武士を断りもなく恩寵して、晴れがましく褒美なんどと……余を踏み付けに致したも同然じゃ。仕儀によっては与九郎奴を、肥後、薩摩の境い目まで引っ立てて討ち放せ。その趣意を捨札にして、あすこに晒首にして参れ。他藩主の恩賞なんどを無作と懐中に入れるような奴は謀反、裏切者と同然の奴じゃ。天亀、天正の昔も今と同じ事じゃ。わかったか」
「ハハ。一々御尤も……」
「肥後殿も悪しゅうは計ろうまい。薩藩とは犬と猿同然の仲じゃけにの……即刻に取計らえ……」
「ハハ。追放……追放致しまする。追放……あり難き仕合わせ……」
「ウム。塙代与九郎奴は切腹も許さぬぞ。万一切腹しおったらその方の落度ぞ。不埒な奴じゃ。黒田武士の名折れじゃ。屹度申付けて向後の見せしめにせい。心得たか。……立てッ……」
戦国武士の血を多分に稟け継いでいる忠之は、芥屋石の沓脱台に庭下駄を踏み鳴らして癇を昂ぶらせた。成行によっては薩州と一出入り仕兼ねまじき決心が、その切れ上った眥に見えた。お庭に立並んでいた寵妾お秀の方を初め五六人の腰元が固唾をのんで立ち竦んだ。
とたんに御本丸から吹きおろす大体颪に、返咲きの桜が真白く、お庭一面に散乱した。言い知れぬ殺気が四隣に満ち満ちた。
この上は取做せば取做すほど語気が烈しくなる主君の気象を知り抜いている大目付役、尾藤内記は、慌しくスルスルと退いた。すぐにも下城しそうな足取りで、お局を出たが、しかし、お局外の長廊下を大書院へ近づくうちに次第次第に歩度が弛んで、うなだれて、両腕を組んだ。思案に暮れる体でシオシオとお屏風の間まで来た。
「何事で御座った。大目付殿……」
お納戸頭の淵金右衛門という老人が待兼ねておったように大屏風の蔭から立現われた。
「おお。御老人……」
と内記は助船に出会うたように顔を上げた。ホッと溜息をした。
「よいところへ……ちょっとこちらへ御足労を……少々内談が御座る。折入ってな……」
「内談とは……」
「御老体のお知恵が拝借したい」
「これは改まった……御貴殿の御分別は城内一と……ハハ……追従では御座らぬ。それに上越す知恵なぞはトテモ拙者に……ハハ……」
「仰せられな。コレコレ坊主、茶を持て……」
二人は宿直の間の畳廊下へ向い合った。百舌鳥の声が喧しい程城内に交錯している。
お坊主が二人して座布団と煎茶を捧げ持って来た。淵老人が扇を膝に突いた。
「して何事で御座る」
尾藤内記は又腕を組んだ。
「余の儀でも御座らぬ。御承知の塙代与九郎昌秋のう」
「ハハ……あの薩州拝みの……」
「シッ……その事じゃ。あの増長者奴が、一昨年の夏、あの宗像大島の島司になっているうちに、朝鮮通いの薩州藩の難船を助けて、船繕いをさせた上に、病人どもを手厚う介抱して帰らせたという……な……」
「左様左様。その船は実をいうと禁断のオロシャ通いで、表向きに世話すると八釜しいげなが……」
「ソレじゃ。そこでその謝礼とあって今年の春の事、薩州から内密に大島の塙代の家へ船を廻して、莫大もない金銀と、延寿国資の銘刀と、薩摩焼御紋入りのギヤマンのお茶器なんどいう大層な物を、御使者の手から直々に塙代与九郎へ賜わったという話な……御存じじゃろうが」
「存じませいでか。与九郎はこれが大自慢でチト性根が狂うとるという話も存じておりまする。つまりその薩州小判で、蓮池の自宅の奥に数寄を凝らいた茶室を造って、お八代に七代とかいう姉妹の遊女を知行所の娘と佯って、妾にして引籠もり、菖蒲のお節句にも病気と称して殿の御機嫌を伺わなんだ。馬術の門弟もちりぢりになって散々の体裁じゃ。のみならず出会う人毎に、薩州は大藩じゃ。違うたもんじゃ違うたもんじゃとギヤマン茶碗や、延寿の刀や、姉妹の妾を見せびらかして吹聴致しているので皆、顔を背向けている。あのような奴は藩の恥辱じゃから討って棄てようか……なぞと、部屋住みの若い者の中にはイキリ立つ者も在るげで御座るが、何にせいかの与九郎はモウ白髪頭ではあるが、一刀流の自信の者じゃで、皆二の足を踏んでいる……というモッパラの評判で御座るてや」
「フーム。よう御存じじゃのう。塙代がソレ程のタワケ者とは知らなんだ。遊女を妾にしている事や、家中の若い者の腹構えがそれ程とは夢にも……」
「アハハハ。左様な立入った詮議は大目付殿のお耳には却て這入らぬものじゃでのう。……して今日のお召はその事で……」
「まったくその事で御座る。番座限のお話で御座るが……」
「心得ました。八幡口外は仕らぬ」
「忝のう御座る。おおかたお側の女どもの噂からお耳に入ったことと思うが、殿の仰せには、薩藩から余に一言の会釈もせいで、黒田藩士に直々の恩賞沙汰は、この忠之を眼中に置かぬ島津の無礼じゃ。又、塙代奴が余の許しも受けいで、無作と他藩の恩賞を受けるとは不埒千万。不得心この上もない奴じゃ。棄ておいては当藩の示しにならぬ。家禄を召上げて追放せい。切腹も許さぬ……という厳しい御沙汰じゃが……」
「それは殿のお言葉が、恐れながら順当で御座ろう。とやかく申しても当、上様は御名君のう。天晴れな御意……申分御座らぬ……」
尾藤内記は唖然となった。長い顔を一層長くした。玄翁で打っても潰れそうにない淵老人の頑固面を凝視した。
二
「……これは如何なこと……御老人までがその連れでは拙者、立つ瀬が御座らぬ。塙代与九郎の家は三百五十石、馬廻りの小禄とは申せ、先代与五兵衛尉が、禁裡馬術の名誉以来、当藩馬術の指南番として、太刀折紙の礼を許されている大組格の名家じゃ。取潰すとあれば親類縁者が一騒動起すであろう」
「イヤ。大騒動を起させるが宜う御座ろう。却て見せしめになりましょうぞ」
「いかなこと。殿の御意もそこで御座る」
「さればこそ。結構な御意……我君は御名君。老人、胸がスウーッと致した。早々与九郎を追放されませい」
「ささ。それが左様手軽には参らぬ。与九郎奴の追放は薩藩への面当にも相成るでな」
「イヨイヨ面白いでは御座らぬか。この頃のように泰平が続いては自然お納戸の算盤が立ち兼ねて参りまする。ドサクサ紛れに今二三十万石、どこからか切取らねばこのお城の馬糧に足らぬ。手柄があっても加増も出来ぬとあれば、当藩士の意気組は腐るばっかり。武芸出精の張合が御座らぬ。主君の御癇癖も昂まるばっかり……取潰し結構。弓矢出入り尚更結構……塙代与九郎を槍玉に挙げて、薩州のオロシャ交易を発き立てたなら、関ヶ原以来睨まれている島津の百万石じゃ。九州一円が引っくり返るような騒動になろうやら知れぬ。そうなったら島津の取潰し役は差詰め肥後で、肥後の後詰は筑前じゃ。主君の御本心もそこに存する事必定じゃ。どっちに転んでも損は無い。……この老人の算盤は、文禄、慶長の生残りでな。チィット手荒いかも知れぬが……ハッハッ……」
尾藤内記は苦り切って差しうつむいた。独り言のように溜息まじりにつぶやいた。
「それが左様参れば面白いがのう。ここに一つ、面白うない事が御座るて……」
「フーム。塙代与九郎奴は大目付殿の御縁辺でも御座りまするかの……言葉が過ぎたら御免下されいじゃが」
「イヤイヤ。縁辺なら尚更厳しゅう取計らわねばならぬ役目柄じゃが」
「赤面の至り……では何か公辺の仔細でも……」
「……それじゃ……それそれ。先ずお耳を貸されい。の……これは又してもお納戸金をせびるのでは御座らぬが、この頃の手前役柄の入費が尋常でない事は、最早お察しで御座ろうの……」
「察しませぬでか。不審千万に存じておりまする」
「御不審御尤も……実は江戸からチラチラと隠密が入込んでおりまする」
「ゲエッ……早や来ておりまするか」
「シイッ……黒封印(極秘密)で御座るぞ。……主君の御気象が、大公儀へは余程、大袈裟に聞こえていると見えてのう。この程、大阪乞食の傀儡師や江戸のヨカヨカ飴屋、越後方言の蚊帳売りなぞに変化して、大公儀の隠密が入込みおる。城内の様子を探りおる……という目明し共の取沙汰じゃ。コチラも抜からず足を付けて見張らせている。イザとなれば一人洩らさず大濠へ溺殺にする手配りを致しているがのう……油断も隙もならぬ。名君、勇君とあれば、御連枝でも構わず取潰すが、三代以後の大公儀の目安(方針)らしい。尤も島津は太閤様以来栄螺の蓋を固めて、指一本指させぬ天険に隠れておるけに、徳川も諦めておろう。……されば九州で危いのはまず黒田と細川(熊本)であろう……と備後殿(栗山)も美作殿(黒田)も吾儕に仰せ聞けられたでのう。そのような折柄に、左様な申立てで塙代奴を取潰いて、薩州と事を構えたならば却って手火事を焼き出そうやら知れぬ。どのように間違うた尾鰭が付いて、どのような片手落の御沙汰が大公儀から下ろうやら知れぬ。それが主君の御癇癖に触れる。大公儀の御沙汰に当藩が承服せぬとなったら、そこがそのまま大公儀の付け目じゃ。越前宰相殿、駿河大納言殿の先例も近いこと。千丈の堤も蟻の一穴から……他所事では御座らぬわい。拙者の苦労は、その一つで御座る」
「フーム。いかにものう」
と淵老人も流石に腕を組んで考え込んだ。青菜に塩をかけたようになって嘆息した。
「成る程のう。そこまでは気付かなんだ。……しかし主君はその辺に、お気が付かせられておりまするかのう」
「御存じないかも知れぬが、申上げても同じ事じゃろう」
「ホホオ。それは又、何故に……」
「余が家来を余が処置するに、何の不思議がある。……黒田忠之を、生命惜しさに首を縮めている他所の亀の子大名と一列とばし了簡違いすな……。そのような立ち入った咎め立てするならば、明国、韓国、島津に対する九州の押え大名は、こちらから御免を蒙る。龍造寺、大友の末路を学ぶとも、天下の勢を引受けて一戦してみようと仰せられる事は必定じゃ。大体、主君の御不満の底にはソレが蟠まっておるでのう。その武勇の御望みが、御一代押え通せるか、通せぬかが当藩の運命のわかれ道……」
「言語道断……そのような事になっては一大事じゃ。ハテ。何としたもので御座ろう」
「さればこそ、先程よりお尋ね申すのじゃ。よいお知恵は御座らぬか」
「御座らぬ」
と淵老人はアッサリ頭を振った。
「お気に入りの倉八殿(十太夫)に御取りなしを御願いするほかにはのう」
内記は片目を閉じてニヤリ笑い出しながら、頭をゆるやかに左右に振った。老人もニヤリと冷笑して頭を掻いた。倉八十太夫も、お秀の方も、殿の御気に逆らうような事は絶対にし得ない事を知っている二人は、今更のように眼を白くしてうなずき合った。
微な溜息が二人の顔を暗くした。城内の百舌の声がひとしきり八釜しくなった。
「五十五万石の中にこれ以上の知恵の出るところは無いからのう」
「吾々如きがお納戸役ではのう」
「今の塙代与九郎は隠居で御座ったの」
と尾藤内記は突然に話題を改めた。
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