……ところでそのRの四号君が、ドレ位の腕前を持っているかということは、今云う通り経歴がヤヤコシイからサッパリ判然っていないんだが、とにかく一当り当って焦点を合わせてくれ、トランクの中味もまだ突止めていないが、近いうちに日支関係が緊張するのを見越して、上海の巨商黄鶴号から、長崎の支店へ送るべく青紅嬢に委託された貴重品らしいという話だったがね。ハハハ。王君はナカナカ眼が高いよ。
……ナニ……王君の正体は何だって聞くのか。……フフフ……それを聞いてドウするんだい。王君の親友が吾輩なんだから、大抵想像が付くだろう。序に吾輩はこの船の機関長でも何でもない。だから最前から饒舌り続けた経験談なんかは、ミンナ受け売りのゴッタ雑炊だ。トランクの中味がわかるまで君を釣っとくためのヨタだった……と云ったら、尚の事、焦点がハッキリしやしないか。ハッハッハッ……ナニ……日本のスパイ船……僕が参謀将校……ウフウフ。当らずと雖も遠からずと云っておくかね。
……フーン。何だって、僕に秘密の相談がある? 何だ。云って見たまえ。ナニイ。聞いてる者が居ちゃ話せない。ウン。よしよし……。オイ。ボン州。こいつのオモチャを取り上げてくれ。モウ外に何も持っていないな。万年筆と名刺だけか。よしよし。それだけ残しとけ。後で書かせる事があるかも知れないから……それから手前等はこの室を出て、扉をピッタリと閉めておけ。用があったらベルを押すから……ナアニ。俺の事は心配するな。この坊ちゃんは話がよくわかっていらっしゃるんだからな……。
サア。誰も居ない。鍵穴まで閉がっているんだ。その秘密の相談というのを聞こうじゃないか。何だ何だ。何だって服を脱ぐんだ。ハハア。裏に縫い込んだな。G・P・Uの指令か。フウン。暗号だな。ウム。とうとう白状したね。日本の参謀本部が喜ぶだろう。青紅嬢が日本の諜報勤務を馬鹿にし過ぎたから君がコンナ眼に合うんだよ。
……何だ。まだ着物を脱ぐのかい。まだ何か縫い込んであるのかい……アッ……。君は婦人ですな……。
イヤッ……これあどうも……最前から平気で色眼鏡を外したり、僕と一緒に男便所へ入ったりされるから真逆と思っておりましたが……ハハア……貴女がサイ・メイ・ロン君の青紅嬢で、同時にRの四号君。ウムムム。チットも知らなかった。イヤもう解りました解りました。ズボンは脱がなくともいいです。わかっております……アッ……。
……ま……待った待った。待って下さい。ここじゃ困ります。危険です危険です。実際危険なんです。ま……ま……まあ着物を着て下さい。発見ると都合がわるい……早く服装を直して下さい。そうそう。それからの御相談です。そうそう……イヤ。Rの四号君が貴女だと解れば、一番喜ぶのは日本の参謀本部でしょう。G・P・Uの指令系統がわからなくて困っているらしいんですからね。貴女に敬意を表さして下さい。そうして一つ僕と握手して下さい。これでも理解は早いつもりです。ヘヘヘ。そうですそうです。これでも金儲けのために働いているコスモポリタンですからね。世界中が独裁政治と共産政治の二つに別れる……ドチラも金が儲からないとあれあコスモポリタンになった方が便利ですからね。世界中のインテリはみんな一種のコスモポリタン式エゴイストですからね。そうですそうです……貴女と握手すれば随分大きな金儲が出来ます。
済みませんがモウ一度腰をかけて下さい。ナアニ。外に聞えるもんですか。外の雑音の方が高いのですから……電流が来ているなんて云ったのは嘘の皮です。寝台の下には誰も居りません。御心配なら僕の椅子を取り換えて上げましょう。御覧なさい。コードも何も付いていないでしょう。ハハハ……。……いいですか……耳を貸して下さい。とりあえずここで必要な事だけ話しておきますから。いいですか……この船の正体は最早お察しでしょう。日本の参謀本部の無電一本でどこへでも行く船なんです。第一長崎へなんか行きやしません。嘘だと思われるならば甲板へ上って、羅針盤を覗いて御覧なさい。チャンと大連行きのコースを取っておりますから。実は大連からツイ今さっき無線電信が這入りましたのでね……この珈琲茶碗の内側に電文が暗号で書いてあります。この通り飲み残りを傾けると同時に出て来るでしょう。……あっちで又、似寄りの仕事があるのです。やっぱり王君のような人間が網を張っておりますからね。……そればかりじゃない。貴女が専門家ならすぐに気が付くでしょう。この船がタッタ今出しかけている速力に……二十一節一パイに出しかけているところですからね。
……ね。貴女と僕の立場が容易でない事がわかったでしょう。国事探偵としての貴女と僕の地位は、大将と兵卒ぐらい違うのですが、ここ暫くの間は僕に任せて下さらないと困りますよ。いいですか。貴女は依然として遊離細胞のR四号君ですよ。そのつもりで何でも僕の云うなりになって下さらないと……そうそう……それじゃいいですね。
とりあえず甲板の部屋へ帰りましょうね。あそこでユックリ御相談しましょう。ナアニ。この船の中では船長以下が僕の命令通りに動きますから、心配は要りません。問題は大連に着いてからです。大連から清津へ抜けて、あすこから浦塩へ抜ける途がありますから……露西亜語ならお手のものでしょう……ハラショ……済みませんがそのベルをモウ一度押して下さい。いくつでもよろしい。デッキの部屋へ二人分の寝床を支度させましょう。ヘヘヘ……オイ。ボン州、銀州、エテ公。チョット来い。用がある……ウン。扉を閉めてこっちへ這入れ……。こいつを押さえろッ……その万年筆を取上げろッ……毒瓦斯らしいから……。
アハハ。どうです。身動きが出来ないでしょう。僕の部下は素早いでしょう。ハハハ。お断りしておきますが、今まで云った事はみんな嘘です。この船は国際的ルンペン船でもなけあ、日本の諜報船でも何でもない。貴女はまだ御存じないでしょうが、日本と支那の間を、荷物船に化て往復しているG・P・Uの海上本部K・G・M号です。そうして僕はこの船の船長ですよ。わかりましたか。ハハハ。……貴女がG・P・Uを裏切って、日本に隠れようとしていることを看破した王君が、取りあえず僕に引渡したんですが、お気の毒ながら……ナニ……僕の国籍? 名前……ヘヘヘ。今は日本語を使っているから日本人ですが、浦塩へ這入れば露西亜人で通りましょう。こいつ等は皆日本語のわかる朝鮮人ですが、国籍を持っている奴なんか一匹もこの船に居ないんですよ。……まあ……そんな事はどうでもよろしい。……ナニ……僕の日本語が巧妙過ぎる?……大きなお世話だ。お前さんの露西亜語ぐらいのもんさ。東京の寄席には漫談をやっている露西亜人が居るんだぜ。……ニチエウオ……オットその万年筆はソーッとその棚の上に置いとけ。落ちたら大変だぞ……そいつが恐ろしかったから呼んだんだ。序に着物を引っ剥いでくれい。ナイフで切り裂いても構わない。そうだそうだ……。
ハハハ……どうだ、驚いたか。女だろう。いい肉付きだ。
ナアニ……可哀相も糞もあるもんか。スッカリ引っ剥がしてしまえ。着物はこの寝台の上に並べろ。靴も……ズロースも……俺が後で検査してやるから。まだ別に日本内地のG・P・Uの名簿と暗号の鍵を隠して在る筈だからな。コイツ奴、日本の参謀本部に売り付ける了簡で持って来やがったんだ。危ねえの何のって……。
オット。痛い目を見せなくともいいんだ。女スパイには経験があるんだ。これ位の女になるとモウこの上に泥を吐く気づかいはないんだ。それよりも身体中をスッカリ調べろ。喰い付かれるなよ。誰か片手で頭の毛を掴んでろ。それからスパナか何か持って来て口をコジ開けるんだ。開けなけあそのナイフを噛ませて見ろ。強情な女だな……そうそう。金歯かアマルガムがあったらペンチで引っこ抜くんだ……血だらけで見えないか。懐中電燈を出せ。俺が見てやる……ウム。みんな綺麗な歯だ……よしよし……今度は鼻の穴だ……イイカ。唇をシッカリ抓んでろ。唾液でも吐きやがると穢いからな……ちょっとこの電燈を持っててくれ。動かすんじゃねえぞ。反射鏡を使うんだから……ウム。何も無いと……耳の穴はドウダ。ウム。よしよし。チャント掃除してやがる。学生らしくもなかったな。ハッハッ。髪の毛の中はドウダ。何も無いか。よしよし。それでよしと……。
そんならモウこの剥身に用は無いな。ハラショ。貴様達に呉れてやるから、そっちへ持って行って片付けろ……ナニ……。
何だ何だ……モウ一つ云う事がある。云ってみろ。ハハア……貴方がたを疑って済まなかった。G・P・Uを裏切ったのじゃない。裏切った形にして東京の×××大使館へ重大な密書を運ぶんだ……成る程……密書の内容は?……ウム。上海の排日で……上海の排日で……それがどうした……オイ……シッカリしろ……サ……ブランデーを飲ましてやる……シッカリしろ。上海の排日がどうした……ウム。上海の排日で、世界大戦の導火線を作る見込みが充分に付いた……×××は他の国と同盟せずにキャスチングボートを握ってくれ。……御要求の利権を承認する旨、本国へ取次いでくれ……何だ。それあ南京政府の密書か……そうじゃない。蒋介石の仕事か、フフウ、そいつあ問題が大きいぞ。……本文は万年筆の鞘に塗り込んである。これか……ナアル程。エボナイトじゃないわい。パラフィン塗りの紙細工か。ウマク細工したもんだ。……ウン。これが密書か。有難い有難い。コイツはドエライ金になるぞ。尤も若槻内閣へ売っちゃドッチミチ損だが……。ウム。ヤット本音を吐きやがった。……オイ姐さん。この船を密輸入目当ての海賊船たあ思わなかったかい。それよりもこの王さんの顔をモウ見忘れたのかい。チットばかり細工はしているが、あんまり見識り甲斐がなさ過ぎるじゃないか。眼付きを見ただけでも日本人とわかりそうなもんだが……アハハハ。姐さんにも似合わない。K・G・Mが海牛丸の洒落と気付かなかったばっかりにスッカリ底をハタイちゃったね。フフフ……。
ああくたぶれた。焦点が合わないので恐ろしく手間を喰わせやがった。女はドウモ苦手だ……ハハン……。モウいいから片付けちまえ。ホラッ……喰い付かれるなとタッタ今云ったじゃないか。見ろ……。
……オイオイ。扉を開け放して行く奴があるか。馬鹿野郎。ハッハッ。アトは汽鑵へブチ込むんだぞ……ハッハッハッハッハッハッ……。
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