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鼻の表現(はなのひょうげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 10:08:05  点击:  切换到繁體中文

     はしがき

「鼻の表現」なぞいう標題を掲げますと、人を馬鹿にしている――大方おしまいにお化粧品の効能書きでも出て来るのじゃないかと、初めから鼻であしらってしまわれる方が無いとも限りません。
 しかし「鼻の表現」の一篇は、そんな不真面目なものではないのであります。初めからおしまい迄、「鼻の表現」なるものを、大にしては人類の盛衰、小にしては個人の死活にも関する大問題として極めて真面目に研究を進めて行ったものである事を、前以って御断り致しておきます。
 それならば、この「鼻の表現」の一篇は独特の研究にって編み出された新しい表現法であるかと云うに、これも左様さようでない事を御承知おき願わねばなりませぬ。
 昔から人類のうちには随分この鼻の表現という問題に就いて苦心研鑽を重ねた人が多いのであります。唯明らかに「鼻の表現」と銘を打って公表したり、又は直接に「これは鼻の事である」と裏書をしていないだけで、その道を得た人の多い事、そうしてこれに就いて述べてある心得のおびただしい事、書物だけにしても山を築くは愚か、殆ど想像も及ばぬであろうと考えられる位であります。
 それならば何故なにゆえに「鼻」と名乗って研究しなかったか。又は如何いかなる仔細で「鼻の表現」として公表しなかったか。この仔細又は理由の在るところはこの全篇を読み終られましたならば成る程と膝を打たれるところがあるでありましょう。要するに「鼻の表現」の一篇はそれ等の受け売りであります。それ等の書物の中から必要に随って文句や意味を選み出しては綴り合わせ、綴り合わせては拾い出して、あたかも一個人の意見であるかのようにして研究を進めて行ったものに過ぎませぬ。
 これは一つは、今日迄に遂げられた各方面の先覚者の研究が実に到れり尽せりで、新発見のつもりで研究を進めて行っても直ぐに鼻がつかえるからで、今一つは、この研究に一々独逸ドイツ式の例証を引いていたら、たった一つの問題の上に実に千百無数の各方面の説を積み上げなければならぬ事になります。それでは第一煩にえません。それよりも註釈をそっくりそのまま受け売りにして説明致しました方が早わかりであると信ぜられるからであります。
 前口上はこれ位に致しまして、早速さっそく本論に取りかかります。

     鼻の使命とは?
       ――懐疑と解釈のいろいろ

 鏡にうつる御自分の鼻を御覧になると、御満足御不満足は別問題と致しまして、鼻の恰好その物に就いて一種のぼんやりとした疑問をいだかれた方がすくなくないであろうと考えられます。些くとも一生に一度位はきっと……
 鼻ってものはどうしてこんなに高くなっているのか知らん……
 何故こんな恰好をしているのであろう……
 物を嗅いだり呼吸をしたりするほかには何の役にも立たないのか知らん……
 なぞと考えられた御経験がおありになる事と想像されます。さもなくとも誰でも一寸ちょっと気になるものだけに、お茶受け話しか何かにこの疑問を持ち出して、結局は矢張りお茶受程度の無駄話に落ちてしまった……なぞいう御記憶も矢張り一生に一度位はおありになる事と推測されます。
 ここでいて鼻なるものの正体に解釈を下しますといろいろな事になります。
 人間万事を実用一点張りで解釈して行こうとする人はず……
「鼻というものは元来不必要なものである。平面の上に穴が二ついているだけで結構用は足りるものである。耳朶じだが音を受ける程にも役に立たない。臭を吸い寄せる目的で高まっているものならば、もっとずっと長くなって穴はその先端になければならぬ」
 というところに気付かれるでありましょう。
「これは大方鼻をかむという刺激が積り積ってこんな事になったのじゃないか」
 なぞいう解釈を下している人もあります。
「しかしそれにしては鼻の頭が丸過ぎるし、左右の根っ株もふくれ過ぎている」
 という事も同時に気付かれるであろうと考えられます。
 これに反してもっと気取った人のうちにはこんな解釈を下しておられる向きもあります。
「鼻というものは万有進化の道程に於て一つの有力な条件と見られている美的方面の原理にのっとって出来たものである。一つは眉毛と同様に顔面の装飾のため。それから今一つは、その文化向上のプライドを何等なんらかの方法に依って標示したいという内的の刺激からこんな風に発達して来たものである。その証拠には下等動物程鼻が低くて、上等動物ほど鼻が高い。要するに鼻は、ピラミッドの芸術的価値と自由女神像の宗教的価値とを一つにした意味をもっているものである。鼻というものは只それだけのものである」
 ところがもっと神経の鋭い人は、こうした断定があるにしてもまだまだ不満足が感ぜられるに違いありません。依然としてこの鼻に対して懐疑の念を持ち続けられるに違いありませぬ。
「たしかに何等かの使命を持っているものに違いない。もっともっと高潮した意義を含む存在の理由……人間の内的生活に対して何等かの深い関係を持っているもののように思われてならぬ……そうして又見れば見る程不思議な恰好……恐ろしく神秘的なもののような……同時に又恐ろしく無意義なるもののような……」
 こうしてとうとう要領を得ずじまいに終られる方が多いであろうと考えられます。
 しかしこの疑問に対してもっと突込んで研究して行こうというのは、いずれにしても余程の閑人か又はかなりの生まれ損ないでなければなりませぬ。この忙しい世の中に自分の鼻を睨んで考え詰めるというような人は滅多にあるまいと想像されます。
 実際上世間では千人中の九百九十八人か九人位までは、生活の問題とその慰安あるいは特別のお楽しみ筋なんぞのために寸暇も無い位頭を使っておられるように見受けられます。
「鼻の表現なんてあるかないかあてになったものじゃない。あったにしたところが、持って生れた親ゆずりの鼻だ、動きの取れない作り付の鼻だ、鼻だけに惚れる奴がありゃあ格別、今日迄鼻の御厄介になって飯を喰った覚えはない。どうなろうとこうなろうといらざる心配だ。鼻の落ちない苦労だけで沢山だ。鼻の下の方がどれ位大切だか知れない。ひとの鼻の世話を焼いてるより自分の鼻糞でも掃除してろ」
 とお叱りを受けそうであります。
 こうなると鼻も可哀相で、折角顔のお城の御本丸にぶ声を挙げながらとんだお客分扱いにされてしまいます。

     方向と位置と
       ――鼻の静的表現(一)

 こんな御意見は詰まるところ、
「鼻は無いと困る。見っともなくて極りが悪いから」
 というだけで、それ以上には鼻の表現の価値も権威も認められぬという事であります。
 しかし如何程この意見を固守される方でも、御自分の鼻が御自分の向って行かれる方向を示している事だけは相違なく御認め下さるであろうと信ぜられます。
「どこへ行くんだ」
「鼻の向いた方へ」
 なぞいった調子で、鼻がその持主の行く方向を示す事、船のじくと同様であるという事は、三尺の童子といえども容易に認め得るところであります。
 同時に鼻が時々自分というもののすべてを代表する意味に於て認められている事も明かな事実であります。
「この鼻様がいるのを知らぬか」
 とか、
「この鼻を見忘れたか」
 なぞいう古い科白せりふもある位で、大抵の場合自分というものを示す全権公使には鼻が指定されるようであります。
 この二つの実例は何でもない事のようでありますが、鼻というものの表現……否、その鼻の持主のすべての表現と絶対の関係を持っているものであります。
 しかし普通の場合に於てはそこまで重大な意義を認められておりませぬ。極めて軽い意味で前者は本人の意志を表明し、後者はその存在を提示するもの位にしか考えられておりませぬ。

     その恰好と人物
       ――鼻の静的表現(二)

 鼻は又その恰好に依ってその持主の性格、意志、感性なぞを表明しているものとも考えられておるようであります。それかあらぬか鼻にはいろんな名称があって、その名前を聞いただけでもその感じがわかる位であります。
 もっともこれ等の名称は芸術家や人類学者又は骨相学者なぞがおのおのその立場立場に依ってそのつけ方を違えているのだそうでありますが、鼻の表現の研究材料としてはその名前と感じだけがわかればよろしいのであります。
 先ず和製では、野生的の勇気を表わす「獅子鼻」を筆頭に、意地の悪い感じを与える「わし鼻」、お人好しと見られる「団子鼻」、無智を示す「蓮切鼻」、無能を示す「トンネル鼻」、あわて者を表白するという「二連銃」、むずかし屋を表明する「いかり鼻」(「怒り鼻」?)、分別を見せる「かぎ鼻」、又は物々しい「二段鼻」、安っぽい「つまみ鼻」なぞいうのがあります。
 意気筋では、よくは存じませぬが、江戸前の「ツンケン型」、上方式の「京人形型」、「オキャーセ型」、「アキマヘン型」、「バッテン型」なぞいうのが、その地方地方のこうした社会の気前を代表しているのだそうであります。
 これを人類学的に分類致しますと、「アイヌ型」「コーカサス型」「モンゴリア型」「天孫型」「アレイ型」なぞの数種になる。いずれも本来はその文化程度を標示している筈のものだと申します。
 一方舶来では各人種それぞれに共通の標準型があって、各その国民性もしくは民族性を代表しているそうであります。先ず上品な「希臘ギリシャ型」、勇敢な「羅馬ローマ型」、悪ごすそうな「猶太ユダヤ型」、高慢チキな「アングロサクソン型」、意地の強い「ゲルマン型」、単純な「スラブ型」、そのほかいろいろ。下って「ニグロ型」「食人種型」「擬人猿類型」、就中なかんずく狒狒ひひ型」「猩猩しょうじょう型」なぞいうものがありますが、もうこの辺になると、のんだくれの異名か好色漢の綽名あだなか、又は進化論者が人類侮辱の刷毛序はけついでにつけた醜名しこなか、その辺のところがはっきりしません。先ず「赤っ鼻」や「潰れ鼻」又は「ポカン鼻」なぞいう病的表現と一所にここでは唯敬意だけ払っておく事に致します。
 初対面の場合なぞは、この鼻の恰好から来る感じをソックリそのままその人の全人格の感じと認められている場合がたまにあるようであります。つまり鼻の恰好も一つの表現として見れば見られぬ事はないようであります。しかし鼻の方向や位置がその人の意志や存在を示す場合と違って、鼻の恰好が即ちその人の人格の表現であるとイキナリ決定してしまうのは、あまりに早計でチト物騒ではあるまいかと考えられるようであります。
 近来西洋では、
「学問のある女性の鼻の方が、学問の無い女性のそれよりも高い」
 という統計が出来ているそうであります。つまり鼻の低い女性でも学問さえすれば鼻が高くなるという……まるで落し話しでありますが、「その人類の文化程度は建築物の高さとあらかた一致する」というのと同じ論法で真面目に伝えられているそうであります。
 そんなところからみれば鼻の形と人間の素養、性格なぞとはまるきり関係が無いとは言えないかも知れませぬ――否、大いにあってもらいたいものであります。
 学問のある人の鼻は高く、人格者の鼻は端正に、無学文盲の鼻はヒシャゲて、悪人の鼻はねじくれていたら、世界の文化はどれ位向上し、人類の生活はどれ位幸福になるか知れませぬ。さらに今一歩を進めて、すべての男女の鼻が義務教育終了程度、中等学校程度、専門学校程度、学士、博士、大博士程度とそれぞれ高さが違って行く位になったら、世界の文運はどれ位進展するか知れますまい。
 ところが実際から見るとこんな事例は先ず認め難いのであります。それどころかかえって正反対の現象がのべたらにのぼって来るのであります。西洋人は生れながらにして日本人よりも学者という訳ではありませぬ。ニグロの中にも印伊インイ人をしのぐ学者がいるのであります。些くともこれは大勢同志を比較した統計で、ふだん出合頭であいがしらに鼻の高し低しを見てその人間の文化程度を測定するのは大間違いの初まりではあるまいかと考えられます。
 尤も一方にこんな事実も多少はあり得ないと限らないのであります。
 元来自分の鼻の恰好というものは存外に気にかかるものでありまして、一度鏡で見ておきますとどうかした時によく思い出すものであります。威勢のいい獅子鼻なぞを持っている人は、自分の鼻に対してもじっとしておられない場合が無いとも限らない。他人でも初対面の時なぞは一寸頼もしそうな鼻に思えて、ついおだてて見る気になる。一方不景気な抓み鼻を持っている人は、何だか顔を出しても出しばえがしないような気がするし、他人も目星をつけないままについ引込思案になるような事がないとも云えませぬ。
 ところでこれが何しろ長い間の事でありますから、チョイチョイそんな気になっているうちには幾分性格にも差し響いて来る。つまり自分の鼻の恰好に感化を受けるという事も全く無いとは保障出来ないのであります。これは顔付でも同様で、多少共にこの傾向を持った人が存外多いものではないかと考えられます。
 しかしこれは何と云っても愚かな話で、何も自分の鼻の恰好に義理を立てて余計な苦労を求める必要はあるまいと考えられます。持って生まれた根性と持って生まれた鼻の恰好とは、偶然に一致していない限り全く無関係なものであります。いくら鼻に義理を立てようとしても、本心に無い事である限り、そうそうは立て切れるものであるまいと思われます。
 事実上その例証はいくらでもあります。
 高利貸のような凄い鼻を持っている人でも交際つきあって見ると存外無欲な人であったり、チョイとした愛嬌タップリの鼻の持主でも意想外に兇暴残忍な奴がいたりします。高徳な人の鼻の穴が正面から底まで見えたり、下司げす張った奴の鼻の恰好が芝居の殿様のようであったりするといったような実例はザラにあります。「人は見かけに依らぬもの」という格言が鼻にも通用するものであるならば、この格言の出来た理由の一つにこんな実例も加えて決して差しつかえあるまいと思われる程、左様に多いのであります。

その人の先天的もしくは後天的の性格と鼻の恰好との間にはこれと云って取り立てる程の関係はない。
鼻の恰好から来る感じをその人の性格その他の表現と見るのは間違いと断定して大過は無い。

 こうした判断のしかたは非常な危険を伴うものである。
 という事はここまで研究して参りますと一目瞭然するのであります。

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