しかし吾輩は嬉しかった。何をいうにも内地から遥々の海上を吾輩が自身に水先案内して、それぞれの漁場に居付かせてやった、吾児同然の荒くれ漁師どもだ。その可愛さといったら何ともいえない。経費なんかはどうでもなれという気になって、東奔西走しているうちに妙なものだね。到る処の漁村の背後に青々、渺茫たる水田が拡がって行った。同時に漁獲がメキメキと増加して、総督府の統計に上る鯖だけでも、年額七百万円を超過するという勢いだ。その又一方に組合費の納入成績はグングン下落して、何とも云いもしないのに、タッタ一人の事務員が尻に帆をかけるという奇現象を呈する事になったが、それでも吾輩喜んだね。鮮海漁業の充実期して待つべし……更に金鞭を挙げて沿海州に向うべし……というので大白を挙げて万歳を三唱しているところへ、思いもかけないドエライ騒動が持ち上って来た。ウッカリすると折角、根を張りかけた鮮海の漁業をドン底までタタキ付けられるかも知れない大暴風が北九州の一角から吹き初めたもんだ。
……というのはほかでもない。海上の大秘密……爆弾漁業の横行だった。
ところで又一つ脱線するが、ここいらで所謂、漁業界の魔王、爆弾漁業の正体と、その横行の真原因を明らかにしておかないと困るのだ。世間に知られていない……永いこと官憲の手によって暗から暗に葬られて来た事実だが、実は今夜の話の興味の全部を裏書する重大問題だからね。
何だ……大いに遣ってくれ。非常に参考になる……ウン遣るよ。徹底的にやるよ。君なんか無論初耳だろうが、実に戦慄すべき国家問題だからね。
由来海上の仕事には神秘とか、秘密とかいう奴が、滅法矢鱈に多いものだが、その中でもこの爆弾漁業という奴は、超特級のスゴモノなんだ。
何故かというと一般社会ではこの爆弾漁業横行の原因を、利益が大きいから……とか何とかいう単純な、唯物的な理由でもってアッサリ片づけているようだが、永年、漁夫の中を転がりまわって、半風子を分け合った吾輩の眼から見ると、その奥にモウ一つ深い心理的な理由があるのだ。すなわち一言にして蔽うと、この爆弾漁業なるものこそ、吾が日本の国民性に最も適合した漁業法……怪しからんと云ったって事実なんだから仕方がない。イザ戦争となると直ぐに肉弾をブッ付ける。海では水雷艇の突撃戦に血を湧かしたがる。油断すると爆薬を積んだ飛行機を敵艦にブッ付けようかという、万事、極端まで行かなければ虫が納まらないのを、大和魂の精髄と心得ている日本人だ。……最初は九州の炭坑地方の河川で、慰み半分に工業用ダイナマイトを使って極く内々で遣っていた奴が、こいつは面白いというので玄海洋に乗り出すと、見る見る非常な勢いで氾濫し始めた。
君等は気が付かなかったかも知れんが、明治四十年前後まで、関西の市場に大勢力を占めていた対州鰤という奴が在った。魚市場へ行ってみると、黒い背甲を擦剥いて赤身を露した奴がズラリと並んで飛ぶように売れて行ったものだが、これは春先から対州の沿岸を洗い初める暖流に乗って来た鰤の大群が、沿岸一面に盛り上る程、押合いヘシ合いしたために出来たコスリ傷だ。いわば対州鰤の一つの特徴になっていたくらい盛んなものだった。
ところが、それほど盛大を極めていた鰤の周遊が、爆弾漁業の進出以来、五六年の中に絶滅してしまった。勿論、対州の官憲が、在住漁民と協力して極力取締を励行したものだが、何をいうにも相手が爆弾を持っている連中だから厄介だ。間誤間誤すると鰤の代りに、こっちの胴体が飛ばされてしまう。殉職した警官や、藻屑になった漁民が何人あるかわからない……といった状態で、アレヨアレヨといううちに、対州鰤をアトカタもなくタタキ付けた連中が、今度は鋒先を転じて南鮮沿海の鯖を逐いまわし始めた。
彼奴等が乗っている船は、どれもこれも申合わせたように一丈かそこらの木ッ葉船だ。一挺の櫓と一枚か二枚の継ぎ矧ぎ帆で、自由自在に三十六灘を突破しながら、「絶海遥かにめぐる赤間関」と来る。そこで眼ざす鯖の群れが青海原に見えて来ると、一人は艫にまわって潮銹の付いた一挺櫓を押す。一人は手製の爆弾と巻線香を持って舳先に立ち上るのだ。このバッテリーの呼吸がうまく合わないと、生命がけのファインプレイが出来ないのだ。
手製の爆弾というのは何でもない。炭坑夫が使うダイナマイト……俗にハッパという奴だ。ビンツケみたいにネバネバした奴を二三本握り固めて、麻糸でギリギリギリと巻き立てて手鞠ぐらいの大きさになったら、それで出来上りだ。ここまでは誰でも出来るが、そいつを左手に持ちながら立ち上って、波の下に渦巻く魚群を見い見い導火線を切る。この導火線の寸法なるものが又、彼奴等の永年の熟練から来ているので、所謂、教化別伝の秘術という奴だろう。魚群の巨大さや深さによって咄嗟の間に見計らいを付けるのだからナカナカ難かしい。……その導火線を差込んだ爆薬を右手に持ち換えて……左利きの奴も時々居るそうだが……片手に火を付けた巻線香を持ちながら、両方の切り口を唇に近付ける。背後を振り返って、
「ソロソロ漕げ……ソロソロ……ソロソロ……」
と呼吸を計っているうちに、鯖の群れ工合を見て導火線の切口と、線香の火をクッ付けて……フッ……と吹く。……シュッシュッと……来た奴をモウ一度、見計らって一気に投げる。はるかの水面に落ちて泡を引きながらグングン沈む。水面下に大渦を巻いている鯖の大群の中心に来たと思う頃、ビシイインという震動が船に来て、波の間から電光形の潮飛沫が迸る。……ソレッ……というので漕ぎ付けるとサア浮くわ浮くわ。何しろ何十万ともわからない魚群の中心で破裂するんだからタマラない。五六間四方ぐらいは背骨が切れる。臓腑が吹き出す。十四五間四方ぐらいは急激脳震盪を起して引っくり返る。その外側の二十間四方ぐらいの奴は眼をまわして、あとからあとから海面が真白になる程浮き上る。その中を漕ぎまわる。掬う。漕ぐ。掬う。瞬くうちに船一パイになったら、残余はソレキリ打っちゃらかしだ。勿体ないが惜しい事はない。タカダカ三円か五円ソコラの一発だからね。マゴマゴして巡邏船にでも見付かったら面倒だ。
それあ危険な事といったら日本一だろう。その導火線を切り損ねて、手足や頭を飛ばした奴が又、何百何千居るか知れないんだが、そんなのは公々然と治療も出来なければ葬式も出せない。十中八九は水葬礼だが、これとても惜しい生命じゃないらしい。
論より証拠……春鯖から秋鯖の時季にかけて、南朝鮮の津々浦々をまわって見たまえ。到る処に白首の店が、押すな押すなで軒を並べて、弦歌の声、湧くが如しだ。男も女も、老爺も若造も、手拍子を揃えて歌っているんだ。
「百円紙幣がア 浮いて来たア
百円紙幣がア 浮いて来たア
ドオンと一発 掴み取りイ
浮いたア浮いたア エッサッサア
浮いたア浮いたア エッサッサア
お前が抱かれて くれるならア
片手や片足 何のそのオー
首でも胴でも スットコトン
明日の生命が スットコトン
スットコスットコスットコトン
浮いたア浮いたア エッサッサア
百円紙幣がア 浮いて来たア……」
と来るんだ。どうだい……コイツが止められるかどうか考えてみたまえ。
こうして財布の底までハタイてしまうと、明日は又「一葉の扁舟、万里の風」だ。「海上の明月、潮と共に生ず」だ。彼等の鴨緑江節を聞き給え……。
「朝鮮とオ――
内地ざかいのアノ日本海イ――
揚げたア――片帆がア――アノよけれエ――ど――もオ――。ヨイショ……
月は涯てし――も――ヨッコラ波枕ヨオ――いつか又ア――女郎衆のオ――膝枕ア――」
と来るんだから遣り切れないだろう。海国男児の真骨頂だね。
そのうちに又、ドオンと来る。五千、一万の鯖が船一パイに盛り上る。コイツを発動機船の沖買いが一尾二三銭か四五銭ぐらいの現金で引取って、持って来る処が下関の彦島か六連島あたりだ。そこで一尾七八銭当りで上陸して、汽車に乗って大阪へ着くとドンナに安くても十四五銭以下では泳がない。君等は二十銭以下の大鯖を喰った事があるかい。無いだろう。どの位儲かるかは、この一事を以て推して知るべしだよ。
ところでサア……こうなると所謂、資本家連中が棄てておかない。今でも××の海岸にズラリと軒を並べている※友[#「┐」を全角大とした、屋号を示す記号、240-14]とか○金とかいう網元へ船を漕ぎ付けた漁師が、仕事をさしてくれと頼むかね……そうすると店の番頭か手代みたような奴が、物蔭へ引っぱり込んで、片手で投げるような真似をしながら「遣るか」と訊く。そこで手を振って「飛んでもない……そんな事は……」とか何とか云おうものなら、文句なしに追払いだ。誰一人雇い手が無いというのだから凄いだろう。
そればかりじゃない。そうした各地の網元の背景には皆それぞれの金権、政権が動いているのだ。その頭株が最初に云ったような連中だが、その配下に到っては数限りもない。みんなこの爆薬の密売買だの爆弾漁業だので産を成した輩ばかりだ。しかも彼等が爆弾漁業者……略して「ドン」と云うが、そのドン連中に渡すダイナマイトというのが、一本残らず小石川の砲兵工廠から出たものだ。梅や、桜や、松、鶴、亀の刻印を打ったパリパリなんだから舌を捲くだろう。
どこから手に入れるかって君、聞くだけ野暮だよ。強ちに北九州ばかりとは云わない。全国各地の炭山、金山、鉱山の中に、本気で試掘を出願しているのがドレ位あると思う。些くとも半分以上はこの「ドン」欲しさの試掘願いだと云っても過言じゃない。しかもその願書の裏を手繰って行くと又一つ残らず、最初に云った巨頭連中の中の、どれかに引っかかって行く事は、吾輩が首を賭けて保証していいのだ。……同時に彼等巨頭連が、こうした非合法手段で巨万の富を作りつつ、一方に極力、不正漁業を奨励して天与の産業を破壊している事その事が、如何に赤い主義者や、不逞鮮人の兇悪運動を庇護、助長しているか。日本民族の将来の発展に対して、如何に甚しい障害を与えているか……という事実は、吾輩が改めて説明する迄もないだろう。
ところが今云った巨頭連中は、そんな事なんかテンデ問題にしていないのだ。……勅令……内務省令、糞を啖らえだ。いよいよ団結を固くして、益々大資本を集中しつつ、全国的に鋭敏な爆薬取引網を作って行く。それが現在、ドレ位の大きさと深さを持っているかはあの報告書を引っぱり出す迄もない。吾輩の話だけでもアラカタ見当が付くだろう。
そこで、こんな風に爆弾漁業が大仕掛になって横行し始めると、何よりも先にタマラないのは、云う迄もなく南鮮沿海五十万の普通漁民だ。
しかも絶滅して行くのは鯖ばかりじゃない。全然爆薬の音を聞かされた事のない、ほかの魚群までもが、テンキリ一匹も岸に寄付かなくなるんだから事、重大だろう。
……ウン……それあ実際、不思議な現象なんだ。専門の漁師に聞いたって、この重大現象の理由はわからない。魚同志が沖で知らせ合うんだろう……ぐらいの説明で片附けている……いわば海洋の神秘作用と云ってもいい怪現象なんだが、コイツを科学的に研究してみると何でもない。頗る簡単な理由なんだ。
そもそも鯖とか、鰯とかいう廻游魚類が、沿岸に寄って来る理由はタッタ一つ……その沿岸の水中一面に発生するプランクトンといって、寒冷紗の目にヤット引っかかる程度の原生虫、幼虫、緑草、珪草、虫藻なぞいう微生物を喰いに来るのが目的なんだ。
だからその寄って来る魚群を温柔しく網で引いて取ればプランクトンはいつまでもいつまでも居残ってあとからあとから魚群を迎える事になる。発動機船の底曳網でも、かなり徹底的に、沿海の魚獲を引泄って行くには行くが、それでもプランクトンだけは確実に残して行くのだ。
ところが爆漁と来ると正反対だ。あっちでもズドン、こっちでもビシンと爆発して、生き残った魚群の神経に猛烈な印象をタタキ込むばかりでない。そこいらの水とおんなじ位に微弱なプランクトンの一粒一粒を、そのショックの伝わる限りステキに遠い処までも一ペンに死滅させて行くんだからタマラない。……対州が何よりのお手本だ。……餌の無い海に用はないというので、魚群は年々、陸地から遠ざかって行くばかり……朝鮮海峡をサッサと素通りするようになる。年額七百万円の鯖が五百万、二百万と見る見るうちにタタキ下げられて行く。税金が納められないどころの騒ぎじゃない。小網元の倒産が踵を接して陸続する。吾輩が植え付けた五十万の漁民が、眼の前でバタバタと飢死して行くのだ。
ここに於て吾輩は猛然として立上った。実際、臓腑のドン底から慄え上ってしまったのだ。……爆弾漁業、殲滅すべし。鮮海五十万の漁民を救わざるべからず……というので、第一着に総督府の諒解を得て、各道の司法当局に檄を飛ばした。続いて東京の各省の諒解の下に、北九州、山陰、山陽の各県水産試験場、南鮮の各重要諸港で、十二節以上の発動機船を準備してもらった奴に、武装警官を乗組ませて、ドン船と見たら容赦なく銃口を向けさせる。これは対州の警察が嘗めさせられた苦い経験から割出した最後手段だ。一方にその頃まだ鎮海湾に居た水雷艇隊を動かしてもらって、南鮮沿海を櫛の歯で梳くように一掃してもらう事になった。……というのは吾輩が、司令官の武重中将を膝詰談判で動かした結果だったがね。
とにかくコンナ調子で、爆弾漁業を本気で掃蕩し始めたのはこの時が最初だったものだから、その騒動といったらなかったよ。南鮮沿海に煮えくり返るような評判だった。
ところがここに、お恥かしい事には、吾輩、元来、漁師向きに生れ附いただけあって、頭が単純に出来ているんだね。そんな風に吾輩の弁力のあらん限りを動員して、爆弾漁業と青眼に切り結んだところは立派だったが、その当の相手の爆弾漁業者の背景に、どんな大きな力が隠れているか……彼等が何故に砲兵工廠の「花スタンプ」附きの爆薬を使っているか……なぞいう事を、その頃まで夢にも念頭に置いていなかったんだから何にもならない……。要するに単純な、無鉄砲な漁師どものアバズレ仕事とばかり思い込んでいたものだから、一気に片付けるつもりで追いまわしてみると、どうしてどうして。水雷艇や巡邏船が百艘や二百艘かかったってビクともしない相手である事が、一二年経つうちに、だんだんと判明って来たもんだ。
第一に驚かされたのは彼奴等の船の数だった。石川や浜の真砂どころではない。慶南、慶北沿海の警察の留置場が、満員するほど引っ捕えても、どこをドウしたかわからないくらい夥しい船が、抜けつ潜りつ荒しまわる。朝鮮名物の蠅と同様、南鮮沿海に鉄条網でも張り廻わさなければ防ぎ切れそうに見えないのだ。
それから第二に手を焼いたのは、その密漁手段の巧妙なことだ。「ドーン」という音を聞き付けた見張りの水雷艇が、テッキリあの舟だというので乗付けて見ると、果せるかなビチビチした鯖を満載している。そこで「この鯖をドウして獲ったか」と詰問すると澄ましたものだ。古ぼけた一本釣の道具を出して「ちょうど大群に行き当りましたので……」という。「しかしタッタ今聞えたのは確かに爆薬の音だ。ほかに船が居ないから貴様達に違いあるまい」と睨み付けると頭を掻てセセラ笑いながら「そんなら舟を陸に着けますから一つ調べておくんなさい」と来る。そこで云う通りにしてみると成る程、巻線香のカケラも見当らないから……ナアーンダイ……というので釈放する。
実に張合いのない話だが、しかし考えてみると無理もないだろう。水兵や警官は漁師じゃないんだからね。爆弾船の連中が持っている一本釣の道具が、本物かそれとも胡麻化し用の役に立たないものかといったような鑑別が一眼で出来よう筈がない。とりあえず糸を引切ってみればタッタ今まで使ったものかどうかは吾々の眼に一目瞭然なんだが……爆弾船に無くてはならぬ巻線香だって、イザという時に海に投げ込めばアトカタもない。もっとも生命から二番目のダイナマイトはなかなか手離さないが、その隠匿しどころが亦、実に、驚ろくべく巧妙なものなんだ。帆柱を立てる腕木を刳り抜いたり、船の底から丈夫な糸で吊したり、沢庵漬の肉を抉って詰め込んだり、飯櫃の底を二重にしていたりする。そのほか、狭い舟の中でアラユル巧妙な細工をしている上に、万一あぶないとなれば鼻の先で手を洗う振りをしながらソッと水の中に落し込む。その大胆巧妙さといったら実に舌を捲くばかりで、天勝の手品以上の手練を持っているんだからトテモ生やさしい事で捕まるものでない。何しろ彼奴等は対州鰤時代に手厳しい体験を潜って来ているのだからね。……そこで吾輩はモウ一度、引返して、各道の判検事や警察官に、爆弾船の検挙、裁判方法を講演してまわるという狼狽のし方だ。泥棒を見て縄を綯うのじゃない。追っかけながら藁を打つんだから、およそ醜態といってもコレ位の醜態はなかったね。
ところがここで又一つ……一番最後に驚ろかされたのは、吾輩のそうした講演を聞きに来ている警察官や、判検事連中の態度だ。先生方がお役目半分に、渋々聞きに来ている態度はまあいいとして、その大部分が本当に気乗りがしていないばかりじゃない。何となく吾輩の演説を冷笑的な気分で聞いている事が、最初から吾輩の頭にピインと来たもんだ。これは演壇に慣れた人間に特有の直感だがね……のみならず中には反抗的な態度や、嘲笑的な語気でもって質問を浴びせて来る奴が居る。しかもその質問というのが十人が十人紋切型だ。
「一体、爆弾漁業というものは違法なものでしょうか。……巾着網よりも底曳網の方が有利だ……底曳網よりも爆弾漁業の方が多量の収穫を挙げる……というだけの話で、要するに比較的収益が多いというだけのものじゃないですか。……だからこれを犯罪とせずに正当の漁業として認可したら却って国益になりはしまいか。これを禁止するのは炭坑夫にダイナマイトを使うな……というのと、おなじ意味になるのじゃないですか」
と云うのだ。……どうも法律屋の議論というものは吾輩に苦手なんでね。吾々みたいな粗笨っぽい頭では、どこに虚構が在るか見当が附かないんだ。そこで止むを得ず受太刀にまわって、南鮮沿海の漁民五十万の死活に関する所以を懇々と説明すると、
「それならばその普通漁民も、ほかの方法で鯖を獲る方針にしたらいいでしょう。朝鮮沿海に魚が居なくなったら、露領へでも南洋にでも進出したらいいじゃないですか」
と漁業通を通り越したような無茶を云い出す。ドウセ無責任と無智をサラケ出した逃げ口上だがね。そこで吾輩が躍起となって、
「それでも銃砲火薬類の取締上、由々しき問題ではないか」
と逆襲すると、
「それは内地の司法当局の仕事で吾々に責任はありません」
と逃げる。実に腸が煮えくり返るようだが、何を云うにもソウいう相手にお願いしなければ取締りが出来ないのだから止むを得ない。情なく情なく頭を下げて、
「とにかくソンナ事情ですから、折角定着しかけた五十万の南鮮漁民を助けると思って、何分の御声援を……」
と頼み入ると、彼等は冷然たるもので、
「それはまあ、総督府の命令なら遣って見ましょうが、何しろ吾々は陸上の仕事だけでも手が足りないのですからね」
といったような棄科白でサッサと引上げてしまう。怪しからんといったってコレ位、怪しからん話はない。無念……残念……と思いながら彼奴等の退場する背後姿を、壇上から睨み付けた事が何度あったかわからないが、思えばこの時の吾輩こそ、大馬鹿の大馬鹿の三太郎だったのだね。
こんな事実が度重なるうちに……吾輩ヤット気が付いたもんだ。君だってここまで聞いて来れば大抵、感付いているだろう。……ウンウン。その通りなんだ。明言したって構わない。爆弾密売買の元締連中の手が朝鮮の司法関係にまで行きまわっているんだ。何しろその当時の朝鮮の官吏と来たら、総督府の官制が発布されたばかりの殖民地気分のホヤホヤ時代だからね。月給の高価いのを目標に集まって来たような連中ばかりだから、内地の官吏よりもズット素質が落ちていたのは止むを得ないだろう。……それと気が付いた吾輩は、それこそ地団太を踏んで口惜しがったものだ。地団太の踏み方がチットばかり遅かったが仕方がない。
そこでボンヤリながらもそうと気が付くと同時に吾輩は、ピッタリと講演を止めてしまって、爆弾漁業の本拠探りに没頭したもんだ。先ず手頃の人間で吾輩のスパイになってくれる者は居ないか……と頻りに近まわりの人間を物色してみたが、それにしてもウッカリした奴にこの大事は明かせない。何しろ五十万人の死活問題を背負って立つだけの器量と、覚悟を持った奴でなければならない上に、ドンの背景となっている連中が又、ドレ位の大物なのか見当が付かないのだから、とりあえず佐倉宗五郎以上の鉄石心が必要だ。もちろん組合の費用は全部、費消っても構わない覚悟はきめていた訳だがそれでも多寡は知れている。それを承知で活躍する人間といったら、当然、吾輩以上の道楽気が無くちゃならんだろう……ハテ……そんな素晴らしい変り者が、この世界に居るか知らんと、眼を皿のようにして見廻わしているところへ、天なる哉、命なる哉。思いもかけない風来坊が吾輩の懐中へ転がり込んで来る段取りになった。
……ところでドウダイもう一パイ……相手をしてくれんと吾輩が飲めん。飲まんと舌が縺れるというアル中患者だから止むを得んだろう……取調べの一手にソンナのが在りやせんか……アッハッハッ……。
ナニ。この三杯酢かい。こいつは大丈夫だよ。林青年の手料理だが、新鮮無類の「北枕」……一名ナメラという一番スゴイ鰒の赤肝だ。御覧の通り雁皮みたいに薄切りした奴を、二時間以上も谷川の水でサラシた斯界極上の珍味なんだ。コイツを味わわなければ共に鰒を語るに足らずという……どうだい……ステキだろう。ハハハ……酒の味が違って来るだろう。
いよいよこれから吾輩が、林の親仁を使って爆弾漁業退治に取りかかる一幕だ。サア返杯……。
ナニ。林のおやじ……? ウン。あの若い朝鮮人……林の親父だよ。まだ話さなかったっけな……アハハハ。少々酔ったと見えて話が先走ったわい。
何を隠そうあの林という青年は朝鮮人じゃないんだ。林友吉という爆弾漁業者の一人息子で、友太郎という立派な日本人だ。彼奴の一身上の事を話すと、優に一篇の哀史が出来上るんだが、要するに彼奴のおやじの林友吉というのは筑後柳河の漁師だった。ところが若いうちに、自分の嬶と、その間男をした界隈切っての無頼漢を叩き斬って、八ツになる友太郎を一人引っ抱えたまま、着のみ着のままで故郷を飛出して爆弾漁業者の群に飛び込んだという熱血漢だ。
ところがこの友吉という親仁が、持って生れた利かぬ気の上に、一種の鋭い直感力を持っていたらしいんだね。いつの間にか爆薬密売買の手筋を呑み込んでしまって、独力で格安な品物を仕入れては仲間に売る。彼等仲間で云う「抜け玉」とか「コボレ」とかいう奴だ。そうかと思うと沖買いの呼吸を握り込んで「売るなら買おう」「買うなら売るぞ」「捕るなら腕で来い」といったスゴイ調子で南鮮沿海を荒しまわる事五年間……忰の友太郎も十歳の年から櫓柄に掴まって玄海の荒浪を押し切った。……親父と一所に料理屋へも上った……というんだから相当のシロモノだろう。
然るにコイツが、ほかの爆弾連中の気に入らなかった……というよりも、彼等の背後から統制している巨頭連の眼障りになって来た……と云った方が適切だろう。
忘れもしない明治四十五年の九月の五日だった。吾輩がこの絶影島の裏手の方へ、タッタ一人で一本釣に出た帰り途にフト見ると、遥かの海岸の浪に包まれた岩の上に、打ち上げられたような人間一人横たわっている。その上に十二三ぐらいの子供が取り縋って泣いている様子だから、可怪しいと思い思い、危険を冒して近寄ってみると、倒れているのは瘠せコケた中年男だが、全身紫色になった血まみれ姿だ。そこでいよいよ驚きながら、何はともあれ子供と一所に舟へ収容して、シクシク泣いている奴に様子を聞いてみると、こんな話だ。
「……ウチの父さんが昨日、この向うでドンをやっていたら、どこからか望遠鏡で覗いていた水雷艇に捕まって、釜山の警察に引っぱって行かれた。……その時にウチはメチャクチャに泣き出して、父さんの頸にカジリ付いて、イクラ叱られても離れなかった。……そうしたら警察の奥の方から出て来た紋付袴の立派な人が、ウチ達をジロジロ見て、警部さんに許してやれと云うたので、タッタ一晩、警察に寝かされただけで、きょうの正午過ぎに釈放された上に、舟まで返してもろうた。父さんは大層喜んで、お前の手柄だと云って賞めてくれた。
……そうしたら又……釜山の南浜から船に乗って、絶影島を廻ると間もなく、荒くれ男を大勢載せた、正体のわからない発動機船が一艘、どこからか出て来て、父さんを捉まえて踏んだり蹴ったりしたから、ウチもその中の一人の向う脛に噛み付いてやったら、一気に海へ蹴込まれてしもうた。……ウチの父さんは、平生から小型な、鱶捕りの短導火線弾を四ツ五ツと、舶来の器械燐寸を準備していた。これさえ在れば発動機船の一艘二艘、物は言わせんと云うとったのに、釜山の警察で取上げられてしもうたお蔭で負けてしもうた。それが残念で残念で仕様がない。
……そのうちに発動機船は、父さんの身体を海に投込んでウチ達の舟を曳いたまま、どこかへ行ってしもうた。その時に波の間を泳いでいたウチは直ぐに父さんの身体に取り付いて、頭を抱えながら仰向き泳ぎをして、一生懸命であの岩の上まで来たけれど、向うが絶壁で登りようがない。そのうちに汐がさして来て、岩の上が狭くなったから、どこかへ泳いで行くつもりで、父さんの耳に口を当て、「待っておいで……讐敵を取ってやるから」と云うていた。そうしたら先生が来て助けてくれた。……ウチは今年十二になる。ドンは怖くない。面白い……」
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