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人間腸詰(にんげんソーセージ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 10:02:31  点击:  切换到繁體中文

 あっしの洋行の土産話みやげばなしですか。
 イヤハヤどうも……あんまり古い事なんで忘れちゃいましたよ。何なら御勘弁願いたいもんで……ただもうビックリして面喰めんくらって、生命いのちからがら逃げてけえって来たダケのお話でゲスから……。
 ……ヘエ……あの話。あの話と申しますと? ヘエ。世界が丸いお蔭で、あっし腸詰ソーセージになり損なった話……。
 うわあ。こいつあ驚いた。誰からお聞きになったんで。ヘエ。あの植木屋の六から……弱ったなあドウも。飛んでもねえ秘密をバラしやがって……アイツのお饒舌しゃべりと来た日にゃ手が附けらんねえ。死んだ親父おやじから聞きやがったんだナ畜生……誰にも話したこたあねえのに……。
 ヘエヘエ。これあドウモ御馳走様でゲス。こうやって自分の手にかけたお座敷で、兄弟分きょうでえぶんがこしれえたお庭を眺めながら、旦那様のお相伴しょうばんをして一杯いっぺえ頂戴出来るなんて職人冥利みょうりの行止まりでげしょう。ヤッ、これあドウモ奥様のおしゃくで……どうぞお構い遊ばしませんで……手酌で頂戴いたしやす。チイット世界が丸過ぎるようで。ヘヘヘ。オットット……こぼれますこぼれます。
 それじゃそのガリガリの一件から世界のマン丸いわけが、わかったてえお話を冒頭まくらからやって見やすかね……ガリガリてなあ人間を豚や犬とゴッチャにして腸詰ちょうづめにする器械の音なんで……ヘエ。亜米利加アメリカに今でも在る。旦那様も御存じ……ヘエヘエ……そのガリガリの中へあっしが這入はいそこねたお話なんでゲスからアンマリ気持のいいお話じゃ御座んせん。亜米利加アチラでは人を殺すとアトがわからねえように腸詰めにしちまうんだそうですからね。今思い出してもゾッとしますよ。お酒のおさかなになるようなお話じゃねえんで……何なら御免をこうむりてえんで……。
 ヘエッ。奥様はソンナお話がだいのお好きと仰言おっしゃる……恐れ入りやしたなあドウモ。そんな話を聞いてるうちに眼尻が釣上って来て自然と別嬪べっぴんになる……新手あらての美容術……ウワア。エライ事になりましたなあドウモ。あっしかかあなんぞはモウ以前せんに水天宮で轆轤首ろくろっくびの見世物を見てけえって来ると、その晩、夜通しうなされやがったもんで……ほかじゃあ御座んせん。手前てめえの首が抜けそうで心配になっちゃったんだそうです。……ヒヤア、抜ける抜けるとか何とかつまらねえ声を真夜中出しやがるんで……篦棒べらぼうめえ、抜ける程の別嬪と思ってやがるのか……ってんで、背中を一つドヤシ付けてやりましたらヤット正気付きましたがね。あれがドウモいけなかったようで……とうとう一生涯、別嬪にならず仕舞じまいで、惜しい事をしましたよ。まったく。ヘヘヘ。世の中は変れば変るもんでげす。
 あっしが二十七の年でゲスから三十年ばかり前のことでしょう……明治三十何年かのお正月の話でゲス。その時分は台湾の総督府で仕事さして頂いておりましたが、その春から夏へかけて亜米利加アメリカ聖路易セントルイスてえ処で世界一の博覧会がオッぱじまるてんで、日本の台湾からも烏龍茶ウーロンちゃの店を出して宣伝してはドウかてえお話が持上りました。その時分までは何でもカンでも舶来はくれえ舶来はくれえってんで紅茶でも何でもメード・イン・毛唐けとうでねえと幅が利かねえのがしゃくだってんで……。印度インド産の極上品よりもズット芳香かおりの高い、味のい烏龍茶を一つ毛唐に宣伝してみろってえ、その時の民政長官の男爵様で、後藤新平ごとうしんぺいてえ方が……ヘエ。その蛮爵ばんしゃく様が号令をおかけになったんだそうで……あっしも一つ台湾風の大きなカフェエを、この博覧会の中へ建てに行かねえかってえ蛮爵様からのお言葉でしたがね、ビックリしやしたよマッタク。
 自慢じゃ御座んせんが小学校を出たばかりのタタキ大工なんで……雀がチューチューからすがカアカア。チイチイパアパアが幼稚園の先生ぐれえの事しか知らねえ江戸ッ子一流の世間見ずでゲス。箱根の向うへ行ったら日本語でせえ通じなくなるんですから、洋行なんて事あ考えてみた事も御座んせん。
 総督府の官舎を建てに台湾へ渡る時にも、乗っている船が陸地おかの見えない海の上を平気でドンドン走って行きますので、何だか妙な気持になっちゃいましてね。あっしたちを引率している藤村てえ工学士の方に聞いたら笑われましたよ。
「地球は丸いものだから心配しなくてもいいよ。イクラ行ったって、おしまいにはキット日本へ帰り着くんだから」
「ヘエ、誰か見た者がおりますかえ」
「見なくたってわかっている。日本男児の癖に意気地いくじえんだナお前は……。天草の女を御覧……世界が丸いか四角いか、わかりもしない娘ッ子のうちから世界中を股にかけて色んな人種を手玉に取って、お金を捲上げちゃあ日本の両親の処へ送るんだ。大したもんだよソレア。世界中のどこの隅々に行っても天草女の居ない処は無いんだよ」
「ヘエッ……成る程ねえ。そんなもんですかねえ」
「まったくだよ。洋行するとわかる」
「ヘエ、そんなに天草女ってものは大勢居るんもんですかねえ」
「居るか居ないか知らないが、外国では炭坑でも、金山かなやまでも護謨ゴム林でも開けると器械より先に、まず日本の天草女が行くんだ。それからその尻をぎ嗅ぎ毛唐の野郎がくっ付いて行って仕事を初める。町が出来る。鉄道がかかるという順序だ。い事でも悪い事でも何でも、皮切りをやるのはドッチミチ日本の女だってえから豪気ごうぎなもんだよ。まったく思いがけない処でヒョイヒョイ天草女にぶつかるんだからね」
「ヘエ。そんな女は、おしまいにドウなるんでしょうか」
「それアキマリ切っている。そのうちに世界の丸いことがホントウにわかって来ると、そこで一人前の女になって日本へ帰って来て、チャンと普通あたりまえの結婚をするんだ。又……それ位の女でないと天草ではかかあび手が無い事になっているんだから仕方がない」
「嫁入道具に地球儀を持ってくようなもんですね」
「まあソンナもんだ。だから天草には、世界の丸いことがわからないと洋行出来ないナンテ意気地の無い女は一匹も居ないんだよ」
 あっしは余計な恥を掻いたんで赤くなっちゃいましたよ。それでもイクラか安心するにはしましたがね。
 ですから亜米利加アメリカへ渡る時には相当、落付いておりましたよ。仲間の奴に……大工と左官とで、植木屋の六の親子も入れて十四五人ぐれえ居りましたっけが……そんな連中に基隆キールンで買った七十銭の地球儀を見せびらかして、日本の小さい処を講釈して聞かせたりして片付いておりましたがね。そのうちに毎日毎日アンマリ長いこと海の上ばっかりを走って行くのに気が付くと妙なもので、理窟は呑込んでいる癖に、何となく心配になって来ました。今でも初めて洋行する人は、よくソンナような頭のヘンテコになる病気にかかるんだそうで、熱ぐらいあったかも知れません。別に何ともないのに、何だかミンナが欺されて島流しにされるんじゃねえか。佐渡が島へ金坑かね掘りに遣られるんじゃねえか……なんて考えているとドウモ頂くものが美味おいしく御座んせん。毎日毎日そのライスカレーとシチウとコロッケに飽きちゃったのかも知れませんがね。
 そのうちに船の中で演芸会が初まりました。あっしがステテコを踊ることになったんで……船の中に派手な三桝みます模様の浴衣ゆかたと……その頃まだ団十郎くだいめが生きておりました時分で……それから赤い褌木綿ふんどしもめんと、スリがね、太鼓、三味線さみせんなんぞがチャント揃ってたのには驚きましたよ。
 当日になると中甲板の五六百人ぐらい這入はい広間ホールに舞台が出来て、そこへ一等の船客から吾々特別三等の連中まで一パイになって見物するんで、皮切りにヒョウキンな西洋人の船長が飛出して西洋手品を初める。ナカナカ鮮かなもんでしたが、これあ当り前でさあ。そのあとへ日本人が上ってヤッパリ西洋手品を使いましたがアンマリえません。メード・イン・ジャパンが今でも幅の利かないのは手品ばっかりでしょう。そのうちあっしのステテコの番が来たんで立上ろうとしているところへ今の植木屋の六の親父でゲス。その時はモウいい禿頭はげあたまの赤ッ鼻でしたっけが、あっしから世界の丸い話をきいてからというもの毎日毎日甲板に出て、船の周囲まわりをグルグルまわってゆく蓄音器のレコードみたいに平べったい海を見まわしながら首をひねっていた奴なんで……その日も、あっしと組になってステテコを踊ることになっていたんですが、そいつが派手な浴衣に赤褌あかふんのまんまボンヤリ甲板から降りて来やして、囃子はやしを聞いているあっしの顔をジイッと穴のあくほど見ながら、ッポケなドングリまなこをパチパチさせたもんです。
「おれあドウしてもわからねえ」
「何がわからねえ」
「世界が丸いてえ理窟が……」
「馬鹿だな手前てめえは……イクラ云って聞かせたってわからねえ。台湾へ渡った時にヤットわかったって安心してたじゃねえか」
「それはおめえだけだ。おらあアレからチットモ安心していねえんだ。不思議でしようがねえんだ」
「何が不思議だえ」
「だってかんげえても見ねえ。あの地球儀みてえなマン丸いものの上にドウしてコンナに水が溜まっているんだえ……。おまけに大きな浪が打ってるじゃねえか……ええ……」
 そう聞くとあっしも頭のしんがジインとしてかんげえ込んじまいました。口では強いことを云いながら心の奥ではやっぱり心配していたんですね。そこが病気のセイだったかも知れませんが、図星を指されてハッとしたようなアンバイで変テコレンな眼のまわるような気もちになっちゃいました。そこいらがだんだん薄暗くなって気が遠くなって行くようなアンバイで……そのまんま引っくりけえっちゃったらしいんです。気が弱かったんですね、あっしは……もっともその時にはモウ六の親父おやじと一緒に揃ってソンナ病気にかかっていたんだそうですから仕方がありませんがね。妙な病気があればあったもんでゲス。癲癇てんかんなら差詰さしづめ地球癲癇だったのでしょうが、そんなオボエは毛頭なかったんで……自分でも、おかしいと思いましたよ。
 ですから同じ病気にかかっていた六の親父おやじも、あっしが引っくりけえったのを見ると直ぐに追っかけて引っくりけえりやがったんだそうで……これは大変だと思ったトタンに世界中が平ベタクなったてんですからダラシのねえ野郎で……お蔭でステテコはオジャンになっちまいました。誰が云い出しものか知れませんが、モトモト平べったい処に住んでいる人間に「世界は丸い」なんて罪な御布告おふれを出したものですよ。まったく、大本教おおもときょうのお筆先ふでさきに引っかかったみてえで……それから亜米利加へ着くまで二週間ばかりの間、六の親父とあっしと二人で上甲板の病室に入れられてウンウン云っておりました。
 アトから聞いてみると揃いも揃ったステテコが二人つながって引っくりけえった。場違いのステテコだ……てんで船中の大評判になったんだそうで……おまけに二人とも……大変だ大変だ……とか何とか変な譫語うわごとを並べたもんですから、念のために血を取って調べてみると恐ろしいもんでゲス。浮気の痕跡あとがタップリと血の中に残っている。この白痴こけ野郎ッ……てな毒の名前なめえだったと思いますがね。ヘエ。そのゴノゴッケンの陽性なんで、テッキリ脳梅毒……何をするかわからねえということになってめ込みを喰ったもんです。その又、船のお医者って奴がチャチなしょっぱい野郎だったのでしょう。そのうちにホントの病気の名前なめえがわかったんだそうですが……。
 ヘエ。その病気の名前でゲスか。エエト……そうそう六の親父おやじのが「野垂のたれ死に」てえんで、あっしのが「鸚鵡おうむ小便シッコ」てんだそうで……笑いごとじゃねえんで……ヘエ。ノスタレジイ……ノスタルジヤにホーム・シックでゲスかい。どうもおかしいと思った。お笑いになっちゃ困ります。二人とも熱が八度ばかり出ましたよ。日本へ帰ってから聞いてみたら舶来の神経衰弱なんだそうで……重いのがノスタレジイで軽いのがオーム・シッコてんだそうですが、ハイカラな病気があればあるもんですな。派手な浴衣の赤褌あかふんどしに、黄色い手拭の向う鉢巻がノスタレのオーム・シッコでウンウン云ってるんですから世話ありやせんや……。
 それでも亜米利加へ上陸あがると二人とも急に元気になりましてね。聖路易セントルイスへ着くと直ぐに建前たてまえにかかりやした。藤村てえ工学士さんが引いてくれた図面の通りに台湾式の御殿を建てましたが大した評判でげしたよ。ソレアあっしとノスタレじいの写真が大きく新聞に出ましたよ。ノスタレ爺の方は植木屋でゲスからその台湾館の前に作った日本式のお庭が大受けに受けちゃったんで……ノスタレ爺の野郎は雪舟の子孫だってえ事になったんですからあきれて物が云えませんや。あっしの方はモットおかしいんで……あっしはこれでも小手斧こちょうなの癇持ちでげして、小手斧こちょうな木片こっぱが散らかるのが大嫌いでげす。そこで最初ノッケから手を附けた四十尺ばかりの美事な米松べいまつ棟木むなぎをコツンコツンとこなして行くうちに四十尺ブッ通しのつながった削屑アラをブッ放しちゃったんで、見ていた毛唐の技師がきもを潰したもんだそうです。その話が亜米利加中の新聞に出たってんで、あっしが船の中で退屈しのぎに作った箱根細工のカラクリ箱が、まだ博覧会の初まらねえうちにスッカリ売約済みになる。六の親父おやじをお雪の旦那のピイピイモルガンて奴が買いに来るってなアンバイで大した景気でしたよ。毛唐って奴はつまらねえ事を感心するんですね。ヘヘヘ。

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