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涙のアリバイ(なみだのアリバイ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 9:59:54  点击:  切换到繁體中文

すべて無字幕、説明なしで、手だけを中心とし、その他の物体は、手の背景としてうつす。但、生きた人間の顔は絶対に取り入れぬこと。

     俳優登場

◇悪人の手……四十恰好の色の白い、指の長い、節の高い、青すじの走った毛ムクジャラ……。
……右の手の甲に大きな疵痕きずあと……。
……左の薬指に「槻田つきだ」と彫った巨大おおき認印みとめつきの指環ゆびわ一個……。
……時々思い出したように、ねばっこい、ヒネクレたわななきを見せる……。
◇美人の手……綺麗な、スンナリとした、上品な中年増ちゅうどしま……。
……左の薬指に華奢きゃしゃなダイヤ入りと、エンゲージリングを一ツずつ……。
……優しい心のふるえを時々あらわす……。
●女中の手……真黒く、丸々と脂切あぶらぎった……。
……ダラリとした無神経……。
●探偵の手……三十前後の、黒くて、強そうな……。
……頭のよさをあらわすテキパキとした動き……。

     第一の場面

……贅沢な事務用机の中央の、椅子に接した三尺四方ばかり……。
……った文具いろいろ……。
……高雅な卓上電燈、写真立て、豆人形、一輪挿し、灰落しなぞをキチンと並べてある……。
……一隅の置時計は九時十五分を示している……。
……薄暗い窓あかりがさしている……。
……時々自動車のヘッドライトが窓硝子ガラスに近づいては消えて行く……。
◇悪人の手登場……卓上電燈のスイッチをひねり、あたりをパッと明るくする。
……………………手袋を脱いで机の上に放り出し、続いてシガーケース、財布、名刺入れ、ハンカチその他を投げ出し、両手を揉み合わせて疲れた表情……。
●女中の手登場……珈琲コーヒーと、帝劇マチネーの案内状を机の上に置いて退場……。
◇悪人の手…………立ちながら珈琲を取り上げつつ案内状を見る。
……………………ペンを取り上げて同封の葉書の「出席」と印刷した下へ「槻田万策まんさく」と署名をして傍に置く。
……………………やがて椅子に腰をおろし、両手を机の平面にピタリと静止させ、あたりの様子をうかがうこなし…………。
……………………電燈を消し、机の横から、大きなインキ瓶を取り出し、夕あかりに透かしつつ机の上のインキ瓶のインキを半分ばかり、大きな瓶へ注ぎ返しもとの位置に直す。
……………………今一度あたりの様子をうかがいつつ、左右のカフスの間、その他、衣服の各所から、宝石をつまみ出して、一ツ一ツインキ瓶の中に沈めおわる。
……………………よろこばしげに両手を揉み合わせつつ電燈をつける。
●女中の手登場……『丸の内私立探偵局連水晃つれみずあきら』と刷った名刺を主人の手に渡す。
◇悪人の手…………その名刺を裏返したりヒネクッタリして困惑した表情ののち「こちらへお通し申せ」という手つきをする。
●女中の手…………うやうやしく握り合ったまま退場…………。
◇悪人の手…………女中が遠ざかるにつれてブルブルとふるえつつ、立ち上るこなし…………名刺を握り潰そうとして、又ハッと吾にかえる。
……………………間もなく慌てて机に帰り、ペンを取り上げ、レターペーパーを拡げて手紙を書き初める。
「拝啓 本日は光栄ある晩餐会に御招待を受け、格別の御厚遇に預り、殊に、朝野の名士数氏に御紹介を賜わり候事、面目これに過ぎ……」
……………………ここまで書くうちに次第次第に手がふるえ出し、文字が固苦しく乱れ始めて、とうとう中止する。
●探偵の手登場……ツカツカと机に近づき、立ったまま握手を求める
◇悪人の手…………ペンを棄て、さも愉快そうに立ち上ってこれに応じ、椅子を指して「サアドウゾ」というこなし……。
●探偵の手…………椅子に腰かけ、ハンカチで汗を拭う。
●女中の手登場……探偵の前に珈琲を置いて退場……。
◇悪人の手…………悠々と椅子に腰を下し、机の上のシガーケースを取り上げ、蓋を開いて探偵にすすめる。
●探偵の手…………軽く左右に振って断る。
◇悪人の手…………かすかにふるえつつ、自分でマッチを擦り、葉巻に吸いつける。
●探偵の手…………机の上に書きかけになっている晩餐会の礼状を指し「そこで盗んだものを下さい」という風に両手を軽く重ねてさし出す。
◇悪人の手…………強く否定して、身の潔白を表明する。
●探偵の手…………礼状の文字のふるえを指し、鋭く詰問する。
◇悪人の手…………非常に激昂し、固く握り締めて机をドンドンとたたき「出て行け」と命ずる如く入口のドアを指す。
●探偵の手…………皮肉にげたり伸ばしたりして悪人を指し、嘲弄しつつ立ち上る。
◇悪人の手…………ソロソロとポケットのピストルを探り、半分程引き出す。
●探偵の手…………往来に面した窓を指し、腕時計の時間「九時半」を指し示しつつ退場……………。
◇悪人の手…………ピストルを握り締めたまま見送る。
……………………やがてピストルをポケットに押し込み、急いで手袋をはめレターペーパーの書きかけを下の二三枚と一緒に破って、これもポケットに捻じこみ、机の上に投げ出した身のまわりのものを取り上げ、電燈を消して、探偵のあとをうて行く……。
    ――〔間〕――
◇美人の手登場……しずかに電燈をつける。
……………………指環をはめ直し、指先に残っている化粧のあとをハンカチで拭い消しなぞしながら、何気なく机の案内状と葉書とを取り上げてみる。
……………………さも嬉しそうに両手を打ち合わせる。
……………………インキをつけたまま投げ出してあるペンを、ソッと取り上げて「出席槻田万策」と書いてある横に、優しい筆跡で「同 シズ子」と並べて書き「欠席」の文字を消そうとして、インキの切れたのに気付き、つけ足そうとする。
……………………と………インキ壺の中に何か落ち込んでいるのに気がついて、ペン先で二三度突つき、その中の一個をかき上げると、ハッとしてペン軸を取り落す。
……………………ワナワナとふるえる指でレターペーパーを二三枚破って、吸取紙の下に重ねて、机のまん中に置き、抽出からピンセットを取り出して、インキの中にさし入れ、宝石を一つ一つ拾い上げてインキを切り、スッカリ紙に包み、その上からハンカチでくるんで懐に入れる。
……………………別の新しいハンカチを取り出して泣く風情……。
……………………そのまま静に、電燈を消して退場……。
    ――〔間〕――
●探偵の手登場……左右とも手袋をはめたまま、ソロソロと机に探り近づく。
……………………懐中電燈を照し、そこいらを調べまわる。………紙屑籠………唾壺つばつぼ………小型の瓦斯ガスストーブなぞ……。
……………………大きなインキ瓶の口が濡れているのに気付き、取り上げて二三回振ってみてから又下に置く。
……………………机のまわりを押しこころみて、秘密の落し戸の有無をたしかめる。
……………………次に、机の抽出しを下から上へ順々に検査して、机の表面まで懐中電燈を持って来る。
……………………まず、案内状の回答用葉書に新しく「同 シズ子」と書いたのを照し「欠席」の文字の上のカスレタペンのあとあらため、次いでインキに濡れたピンセットを照し出す。
……………………すぐにインキが半分以上減っている壺に電燈をさしつける。
……………………右手を握りしめて「めた」というこなし……。
……………………懐中電燈を消して退場……。

     第二の場面

…………暗い部屋に置いたピアノのキーのところ、三尺四尺ばかり……。
…………楽譜は置いてない……。
…………一方の窓から薄あかり……。
◇美人の手…………何か快活らしい曲を弾いている。
……………………時々手を止めてハンカチで涙を拭うようす……。
――そのうしろから突然にパッと光線がさす――
◇美人の手…………ハッとしてハンカチを取り落す。
●探偵の手…………懐中電燈をさしつけつつ近寄る。
◇美人の手…………わなわなと慄え出す。
●探偵の手…………ピンセットで物をつまみ上げる真似をして見せる。
◇美人の手…………宝石の包みを差し出しつつ、わななき悲しむ。
●探偵の手…………包みを受け取って中味を検め、固く結び直して無造作にポケットに入れる。
……………………くら暗の中に、拇指おやゆびを出して見せ、食指とくっつけ合わせて「お前と共謀だろう」と詰問するてい
◇美人の手…………烈しくわななきつつ左右に振って否定し「ピアノを弾いていた。何も知らない」と主張する。
●探偵の手…………懐中電燈をつけ、ピアノのキーの上に落ち散った涙を一ツ一ツに照し出すうち、指先が感動して微かにふるえ出す。
……………………ともったままの懐中電燈をしずかにピアノのキーの上に置き、わななく女の白い手をハンカチごと両手で強く握り締め「御安心なさい」という風に軽くたたいて慰撫する。
――その上から涙がポトポトとしたたりかかる――





底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「日本探偵小説全集 第十一篇 夢野久作集」改造社
   1929(昭和4)年12月3日発行
初出:「猟奇」
   1928(昭和3)年11月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2005年9月10日作成
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