煙草を吸う女学生
東京の或る女学校では、健康診断や体格検査の時に女生徒に口を開かせて、虫歯の有る無しを調べさせる。実は煙草を飲んでいるかどうか見させるのだそうな。そうして発見次第、その名前をブラックリストにつけても、大抵間違いはないという事である。
但、煙草を吸うからブラックリストにつけるのではなくて、男と交際している何よりの証拠だからだそうである。夜間なぞは、煙草を利用して男の学生に近付く不良少女がチョイチョイ居るという。
「一寸済みませんが燐寸を……」
と云うかどうか知らないが、九州の男学生にそんな事を云ったら気絶する……と云っておく。
活動館で様子のいい学生を見つけて、その近くに割込むのもある。
先ずハンケチを出して、かぐわしいエマナチオンを漂わせる。その学生が手でもたたくと、すぐに共鳴して、
「マア……」
とか何とか、つつましやかに溜息をする。これ位の技巧なら新しい少女は大抵心得ている。
そのうちに、
「あの……本当に失礼で御座いますが……プログラムをちょっと……あの……」
と引っかけて見る。熱狂したふりをして学生の膝に手を突いたり、ピッタリと寄り添ったりする。
相手の身体にズンズン電気が充実するのがわかる。
借りたプログラムに手紙を書いたり、仮病を使ったり、映画の批評や何かを話し込んで別室に連れ出したり、自由自在とある。
しかし、まだ驚いてはいけない。
少年の二段誘惑法
悲しい事に、今の女学生は男学生のあとをつける程の力を持たぬ。だから、活動なぞで誘惑するのは、ハネたあと数時間、もしくは一二時間の間で、その間にカフェーや何かに這入って必要な約束をせねばならぬ。故郷に遠い男学生で、旅の恥は掻き捨てなぞいう連中があったら、恐ろしく手軽で済む。カフェーの家族室やホテル、宿屋なぞで、「即決可決」が随分多いと聞く。
又、もし一人が失敗と見たら、ほかの団友に渡す。こうして前後二段に攻め立てると、そこは人間の浅ましさで、大抵固い少年でも自惚れが出て来る。これが油断の始まりで、つい気がうきうきして、第二の女学生の手段に引入られて見たくなる。
又、第一の少女「何子さんの友より」とか何とか書いて、第二の少女から手紙を出すのがある。
「あなたのために何子さんは病気におなりになりました。どうぞ助けると思って……」
但、ここまで来るのはよほど手強いので、もっともっと手軽いのが最近の東京では普通だという。
往来で知らぬ少女に名刺を突つけて結婚を申込む男……又は見も知らぬ男に、
「あなたの理想の御婦人はどんなのでしょうか。参考のために是非お知らせ下さいませ」
と手紙を出す少女が居るという位だから……。
匙を投げかけた記者
東京はこんな風に、大人の享楽主義の天国であるように、少年少女の花の都である。
牛込の神楽坂、渋谷の道玄坂、神田の神保町付近、本郷の湯島天神あたりの夜は、今でもそんな気分の「淀み」を作っている。
そうして、そんな処を摺り鉢の縁とすると、底に当るのが銀座である。
その銀座が夜になると、来るわ来るわ、東京市に居る人で銀座散歩を知らぬ人は余程の野暮天と笑われる位である。
色セメントや色ペンキで近代様式の数寄を凝らした家並み……意匠の変化を極めた飾窓……往来に漲る光りの洪水……どよめき渡る電車、自動車の響の中に、ささやき合い、うなずき合いつつ行く、華やかな「希望」や、あでやかな「幸福」の姿は、十分間も立ち止まっていれば、ガッカリする位眼の前を横切って行く。
どれが不良やら善良やら、見当が付きそうにも思えぬ。
しかし、記者はガッカリしなかった。そんな処を毎日うろついて、或る事を探ろうと試みた。或る事とは、不良少年少女の団体が、どんな風に活躍しているかという事であった。
しかし、それが又、片っ端から骨折り損になって行くのにはウンザリした。何一つ収穫なく、コーヒーで腹をダブダブにして、電車に揉まれて帰るのは全くイヤなものであった。
しまいには事実上殆ど匙を投げてしまった。
ところが――。
Mの字の売り切れ
ずっと前、東京市中の学生仲間に鳥打帽大流行の事を書いた。そんな材料を調べている最中の事であった。
神田の或る大きな帽子屋に、ちょっと気に入ったネクタイがあったから、這入って見ているうちに、一人の学生が這入って来た。
「Mって字、ありますか」
「Mは生憎売り切れまして、ほかの字では如何で……」
と、番頭はボール箱を取り出した。中には、鳥打帽の前庇を止める、金文字付きの留針がズラリと並んでいる。
「弱ったなあ。しようがないな、どこでも売り切れて」
と学生はボヤきながら、何文字か一つ買って行った。
記者は別に深い考えなしに、只一寸した好奇心に駆られて、その四十恰好の番頭にきいて見た。
「Mって字はどこでも売り切れかね」
「ヘエ。Mの字が一番よくお持ちになりますようで……」
「どこでもそうかね……」
「さあ……手前共では特別にMの字をよく仕入れますが、いくら仕入れましても無くなりますので……Mという頭字の付くお名前の方が余計においでになるからでも御座いましょうか、エヘヘヘ」
「じゃ、一番売れないのは何の字だね」
「さあ……さようで御座いますね……LだのQだのは全く売れませぬので、最初から仕入れませぬが、そのほかで売れませぬのは……サア」
と、彼はピンを一渡り見渡した。
「只今残っておりますのはP、A、E、J、Y、X……」
「いや、どうも有難う」
記者は安ネクタイを一つ買ってそこを出た。
それから記者は、一町ばかり行く間に、Mという字が特別によく売れるわけを考えるともなく考えたが、とてもわかりそうにもないのでやめにした。
そんな事をすっかり忘れたまま、一週間ばかり過ぎた。
ABCの秘密
天気のいい午後であった。
秋の西日を背中に受けながら、記者は上野動物園の杉木立に這入った。
日当りのいい、人糞に遠い、という条件の処に一つの平石を見つけて、腰をかけて、杉の木に倚りかかりながら居ねむりを始めた。これは、そのころ記者に出来ていた習慣で、毎日是非一度やらなければ頭の工合がどうもよくなかった。女なら血の道とでもいうところであろう。
暫く舟を漕いでから、ウトウト眼を覚ましていると、うしろの大きな杉の幹の向う側の根元に、中学二年位の生徒が来て話を始めた。何でも紙片か何かを開いて、一人が講釈をするのであった。子供の声で、おまけに誰も居ないと思っているのでよくわかる。
「いいかい、君。ABCの秘密ってんだよ」
「ウン。この鉛筆で書いたの、みんなそうかい」
「そうさ」
「驚いたな。君、書いたのかい」
「ウン。兄貴のを写したのさ」
「兄さんもきいたのかい」
「ウン、一緒さ。……いいかい。Aは第一の恋人、Bが第二の恋人、Cが第三の恋人なんだよ。大人だとA子は奥様で、B子だのC子だのといったらお妾さんの事さ。面白いだろう」
「ウン。もっと云って見給え」
「それからBだのPだのはお屁のこと、Cは女が小便をする事」
「ウフン」
「Dはウンコの事。Eは知らぬ顔をする事」
「何故?」
「何故だか知らないけれど、そうなんだっさ。それからFはお嬢さんの事。Gは芸者の事。Hは散歩をするとか、ハイカラとかいう意味。Iはお眼にかかりたいとか、承知しましたとかいうんだっさ」
「変じゃないか、それあ」
「なぜ?」
「Iってなあ自分のことじゃないか、英語で……」
「そうじゃない。『アイタイ』っていう『アイ』じゃないか」
「勝手にこしらえたんじゃないかい」
「僕がかい」
「そうじゃない。君に教えた英語の先生が、いい加減に教えたんじゃないかい」
「どうだか知らないけど……まあ、聞いて見給え。Jは質屋の事、Kはブンナグル事。KKは仇討ち。KKKはストライキで……(此処不明)……Lは永久に忘れないって事。Mは男のMで、あべこべにすると女のWになるってんだ……」
「フフフフ、面白いね」
「……ね……それからMはABCの真ん中にあるから、神様だの、真ん中だの、秘密だの、意味がいろいろあるんだそうだ。Nは反対って意味、Oは嬉しいとか承知したとかいう意味。OMとくっつけると、MWとおんなじに変な事」
「フフフフフフ」
「PQと書くとお金が無いという意味、QPと書くと愛するってこと」
「フーン、QPって人形じゃないか」
「違うんだよ……それから、ラブレターの隅にQPと書いてあると、そこにキッスしなくちゃいけないんだっさ」
「おかしいね」
「おかしいんだよ……それからRは本気だっていう事、Sはエスだから知ってるだろう(課業を逃げる意味)。二つ寄せると女同志ラブする事だっさ。Tは金槌だからなぐられた事や叱られた事、Uは共鳴したり賛成する事。Vは駄目だの、おしまいっていう意味。Wは女の意味だの、女のアレ……」
「ウフフフフフフ」
「……だの奥様だのいう……」
「Aと同じだね」
「ウン。Xは疑問の事、Yは枕草紙だのあんなものの事、Zは脅迫だの、誘拐だの、泥棒だの、いくらも意味があってわかりにくいんだっさ」
「みんな、君の英語の先生が教えたのかい」
「ウン――まだこんなのを二つも三つも重ねると、まだいろんな面白い事があるけれど、君達が不良になるといけないからって、そう云ってやがったぜ」
「馬鹿にしてらあ。じゃ、今度習ったらいいじゃないか」
「だけど、おれあ彼奴嫌いさ。好色漢だってえから……」
「誰が?」
「兄貴がそう云ったよ。兄貴はもっと習ったかも知れないけど……君、これを写さないかい」
「ウン、帰ってから写そう、貸し給え」
二人の少年は立ち上って、塵をハタキながら去った。
記者はノートを伏せて、彼等が見えなくなるまで見送った。
あの少年兄弟は教師に誘惑されているらしい――とその時思った――こんなつまらない事を教えてやると云って、生徒を誘惑する先生がよく居るからである。
こう考えると、アルファベットの秘密も何だかつまらなくなって来た。探偵小説の重大発見か何かのように、あの生徒の話をノートに取ったのが、無暗に馬鹿馬鹿しくなって来た。
それから四五日経った。
Mの字の秘密
記者がある老刑事さんを訪うて苦心談をきいていると、偶然こんな事を云い出した。
「この頃は学校生徒が無暗に鳥打帽を冠るので困るよ。変な事をやってる奴を押えても、出鱈目の名前を云って困るんだ。和服ん時に名前が書いたるのは鳥打帽だが、大抵は英語の金文字一字ッキリだからしようがない。学校の名前だと吐かしア、それでもいいし、自分の名前だと云っても、そうかってなわけだからね。麦稈帽や中折れだと、Wは大概早稲田だし、Kは慶応、Mは明治と学校の名前を使っているのが多い。鳥打帽でも昔のだとそうなんだが、この頃は全く出鱈目らしいね。その中でもMなんて字は、学校の名前だか自分の苗字だか見当が付かないね。医科大学がMだし、明治がそうだし、まだあるだろう。自分の名前にしても、松田だの、前田だの、村井だの、三井だの、何でもその場で云えるだろう。Rだの、Cってな、そんなわけに行かないからね。Mって字はだから便利な字さ」
「そんなら、Mの字をつけてる奴は大抵不良なんですね」
「アハハハハ。そんなわけじゃないがね。とにかく気をつけて見たまえ。Mの字を帽子につけてる奴が馬鹿に多いから。おれあ、どうも腑に落ちないと思っているんだがね……」
記者はこの最後の言葉にあまり注意を払わなかった。只、Mの字がよく売れることだけは間違いないと思っただけであった。
すると今度はその翌日の事……。
英語の先生の話
冷い雨の降る日――四谷から牛込へ帰る途中――飯田橋から新宿行の急行電車に乗り換えると――あの中学生――一週間余り前に、上野公園の杉の木蔭で、友達にアルファベットの秘密を教えた生徒が、偶然に記者の前に立っているのを発見した。
記者はニコニコして問うて見た。
「どこまで帰るのですか、君は」
彼はハニカミ笑いをしながら答えなかった。
「あなたの英語の先生は何といいますか」
これは頗るまずい問い方であったが、ついそんな調子になってしまった。彼は矢張り答えなかったが、その代り意外の処から返事が来た。
「私ですが、何か御用ですか」
記者は驚いてふり返った。すぐうしろに一人の学校教師らしい四十恰好の人が立っている。あまり立派でない背広に中折れで、ゴムのコートを着て、ゴムの長靴を穿いている。背はあまり高くなく、強度の近眼鏡をかけた学者風の丸顔で、一見神経質の人らしく見える。好色漢らしいところは微塵もなく、却て記者を不良か何かと見たらしい顔付である。
記者は面喰らいながら帽子を脱いだ。
「ハイ、実はここではお話も出来かねる事で……」
と傍の少年をかえり見た。
先生は何と思ったか、急に物柔かな態度になった。
「ア……そうですか。では恐れ入りますが、私の宅までお出願われますまいか」
「それは恐縮ですが……」
「イヤ、お構いさえなければ……むさくるしい処ですが」
記者は風向きがあまり急に変ったので少々面喰らった。しかし兎も角も、抜け弁天の付近にある先生の私宅まで、ザアザア降る中をお伴して行った。
その私宅というのは或る富豪の長屋で、少年はその家の三番目の令息であった。兄と一緒に(この日は何故かその兄と一緒でなかった)神田辺の或る中学に通っているので、その中学英語の先生田宮(仮名)はその家庭教師として長屋に居るのであった。ところが兄弟とも成績と品行があまりよくないので困っているらしい事が、田宮夫人のオシャベリでわかった。
先生が私服に着かえて出て来ると、記者は改めて職業と名前を名乗って用件を話し出した。ABCの一件からMの字の秘密なぞをザッと述べて、もっと詳しくお話を承わりたいと云った。
田宮氏は顔色をかえて狼狽した。奥さんと不安そうな顔を見合わせた。しかし最後には、青白い顔を心持ち赤くしながらオズオズと云った。
「そんな事を云っておりましたか。どうも困りますので……実は最前の生徒の父兄に、こんな事があると話しておりましたのを、蔭から聴いたものと見えます。しかし、そんなに詳しくは話しておりませんので……実は私も直接にきいたわけでは御座いません。永年家庭教師をやっておりますうちに、又聞きや何かでききまして……参考にもなりますし……つい興味を持ちまして調べましたので……」
聴いている記者の胸は躍った。
「あなたの御職業を信じてお話し致しますが……御参考になりますかどうか……」
と田宮先生が話し出した事は、ABCの話かと思ったら、これこそ又意外千万の話であった。記者はその話が次第に脱線して行くのを止める事が出来なかった。
震災前、SSS団という団体が某私立中学に出来ていた。Sというのはエスケープの略語、即ち学校をなまける事で、日本の学生特有の読み方である。それを米国のKKK団、又はIWW団の真似をしてSSSとしたのであったが、この時まではまだ不良と名づける程の仕事もしていなかった。活動見物とか、カフェーの只飲み、喰い逃げ、付け文位が関の山であった。しかしそのSSSへ不良青年がまじるようになると、いつの間にか仕事が著しい不良性を帯びて来た。同時に文房具にSSSというのが出来たので、改めてSMSと改名した。
「このMという字が問題です。元来日本の学生は外国の文字に勝手な意味をつけるので、漢字でもそうだそうですが、Bの字を臀部の恰好に考えたり、IWを色女なぞと読んで見たり、実にどうも……」
と先生は茶を飲んだ。
この流儀でSMSは、Mの字を男性のあるもの、Sを少年の意味に使って、SMSというと或る怪しからぬ行いを仕事にする団体という意味にしたものであった。無論、かなり堕落した学生ででもなければ、そんな意味はつけ得なかったのである。
その中にSMS団はMMM団と改称された。Mの字の意義が高潮して女の方にも関係するようになった事が、この改称に依て察せられる。
その中に又、MMMが飽かれたかして、後には単に「享楽団」と呼ばれるようになった。
その時に地震が来た。
ところで、彼の大地震で引っくり返ったものは単に家ばかりではなかった。
男性の享楽団MMMも引っくり返ってWWW団となった。但、そんな名前が出来たわけではない。MMMが地震と共に音も沙汰もなくなって、その代りに少女ばかりで組織された享楽団なるものが現われたのであった。
その途中の経過としてMWWとか何とかいった時代があったかどうかわからぬが、男の享楽団の名は消え失せたらしく、どこの家庭にも、Mよりとか、Sよりとかいう名前の手紙が来たという事を聴かなくなった。
同時に、その享楽団の団長は一人の私立高女の上級生で、その団長の指揮に依ってその団員は盛に享楽事業を拡張しているという噂が、どことなく耳寄りの人に耳寄って来た。
その不良少女享楽団長の名前を聴くと、記者は思わず膝を打った。
「ああ、あれですか」
と声を出した。
田宮先生は面喰らったらしかった。
「あなたは御存じで……」
「イヤ、一寸聞いた事があるのです。一高生にカルメンと呼ばれて持てはやされている和田(仮名)の事でしょう」
「さあ、名前は同じですが、同じ人間ですかどうですか。私共の仲間では、何故あの女を放校しないのでしょうと云っていますがね」
「ヘエ、そんなに有名なのですか」
「あの女学校で知らぬ生徒は恐らくありますまい。皆名前は云わずに団長団長と云っている位です」
「一体、団長ってどんな仕事をしているのでしょう」
「さあ……何でも中学生や高等学校生徒を誘惑するのが上手だと云いますがね。エー、あと月だったかね(と夫人をかえり見て)、私の学校の生徒の中から二人ばかり連れ出して、或る珈琲店へ這入って、今夜上野で望遠鏡で月を見る会があるからと、いろいろ面白い話をしたそうです。少年は二人共本当にして、誘い合わして行こうとしたのを、一方の親御さんが気付かれて止められたそうですが……上野にそんな会があったかどうか存じませぬが、話上手は事実らしいのです」
「ヘエ、先生はよく詳しく御存じですな……」
と云いさして、これは失礼と思ったが、果して田宮氏は赤面した。
「ハイ……その、実は私の同窓がその女学校におりますので……実は貴方の御職業を信じてお話し致しますわけで御座いますが……必ず御内分に願いたいので御座いますが……」
記者はこのほかに二三、田宮夫人からの話をきいて引上げた。
心から感謝の辞を述べて……。
不良少女享楽団長
××女学校の名は日本中に響いている。畏きあたりの御おぼえ目出度い某名流夫人が創立して以来数十年、今年の某月某日、やんごとなき方々の台臨を仰いだ程の学校である。七百余人のお嬢さんに一定の制服を着せて、頭髪の結び方まで八釜しく云っている。設備の完備している事は東都の私立女学校でも有数である。
その上級生に和田(仮名)という生徒が居る。
背丈けはあまり高くなく、どちらかと云えば痩ギスで面長である。心持ち眼が下がっているのと、眉毛の細くて長いのが特徴といえば特徴であるが、鼻は尋常である。全体に美人という程でもなく不美人という程でもない。只平凡な可愛い顔である。
陸軍中将か何かの未亡人の独り子で、学校の成績は中位、持ち物や髪の結い方等も質素だから、大勢の中に居ると一寸探し出し難い位である。
しかし、彼女の行動を見ると、不思議に思われる事がいくつも出て来る。
第一、彼女の顔は極めて平凡で、これという特徴は一つも無いが、一度見たら永久に忘れられぬ程印象が深い。相手の心に何物かを遺さねば措かぬといったような気味合いがある。これは同窓の生徒同志でも不思議がっている事である。
彼女は平凡な顔でありながら、表情が極めて上手である。送別会とか何とかいう会合に出ると、あまり嫌みを見せずに盛に切ってまわす。一高生徒の会合なぞに臆面もなく乗り込んで、カルメンと持てはやされるというが、彼女以外にそんな大胆な手腕を揮い得る少女は滅多にあるまいと考えられる。
彼女は全校の生徒七百の中二三十人の友達を持っているが、その友達との交際振りがまた一種特別である。どんな事かわからぬが、彼女の命令に従う少女を彼女は手を尽して可愛がる。これに反して、彼女の命令に従わぬ少女は、自分の持ち物を持たせたり何かして、云うに云われぬ虐待をする。だから彼女の友達は彼女の思い通りにかわって行く。
彼女の学校の帰り途を知っているものは一人も無い。昨日は西、今日は東と、まるで方向違いの道をどこへか消えて行く。全くどこへ行くのかわからぬ。
彼女は丸い、黒い、径二寸位の化粧箱を持っている。中には頬紅と白粉が這入っている。頗るハイカラなもので、一個九円である。某化粧品屋の特製とかで(この間福岡の新道で只一個見かけたが、価格は四円五十銭と云った。安くなったと見える。しかも、その後二三日して行って見たら売れていた)、あまり方々で売っていない。これは東京随一の不良少女享楽団が全部揃いで持っているもので、どこかに合印か何かあるらしいがハッキリとわからない。
彼女のこうした振舞は、いつの間にか学校生徒の大部分に知られてしまっている。誰も彼女の本名を呼ぶものはない。「団長」とか「団長さん」とか蔭で云って敬遠している。
彼女が支配している享楽団の性質を探って見ると、更に奇怪なことが多い、
第一、享楽団という名前が随分古くからあるが、これは仮りにその団体の正体を指した通り名で、実際は始終名前を換えているらしく、何を目標に、どこで会合しているのか、記者の力では探り得なかった。彼女はいつも一人で、いろんな男の学校の生徒の会合、慈善市、又は東京市内の方々で催される展覧会、その他あらゆる会合に関係をつけて出席しては、気の利いた社交振りを見せているが、彼女の助手や部下がその裡面でどんな活躍をしているかは露程も感付かせぬ。彼女から、自分の身元の何から何まで探られていながら、気付かぬ男が随分多いという。
彼女はそんな方面に素晴らしく明晰な頭脳を持っているらしい。
彼女の支配する不良少女の団体は水も洩らさぬ活躍ぶりを示すが、その仕組みは皆彼女の胸三寸から出るらしく、彼女以外の団員の姿は一人も見えない。いつも彼女は一人ぼっちの少女のように見える。
享楽団というのは、名の通り少女達が男性を誘惑して享楽する団体で、それ以外の事は何もしないらしい。只、その仕事が組織的にキビキビしているために有力な不良少女団と認められている。その組織の中心はいつも彼女である。彼女は片っ端から少女を誘惑して団員とし、一方から望み次第に若い男性を引っぱって来てその少女に宛がって享楽させる。しかも彼女自身は割りにその方面に超然としているらしく、さればといっていい人があるようにも見えぬ。
どちらかと云えば八方美人にも見えるし、一種の変態性欲主義者ではないかと思われる。又は、そうした悪魔的の仕事その物の興味に満足しているに過ぎぬのではないかと思われる節もある。
――そこが彼女の凄いところだ――彼女の血色、表情、身体のこなし等から見て、彼女は恐ろしい男喰いとしか思えない――彼女は自分の不行跡を蔽い隠すために享楽団を作っているのだ――享楽団員は彼女のお下りを頂戴して、彼女の享楽の後始末をつけてやっているのだ――そこに彼女の表情上手な性格から来た極端な社交性と、その深刻な個人主義とが生きているのだ――。
――と反駁する人があれば、記者は否定する材料を一つも持たない。
彼女の団体は他の不良少年団と協力して悪い事をするとの噂もある。しかし、彼女の怜悧さ、警戒心の強さ、又はそのプライドの高さから見て、そんな事は有り得まいと思う。
……………………
記者はこれだけの材料を集めると、もう一歩も進み得なくなった。いろいろと考えた揚句、警視庁に出かけて彼女の事を暗示して見た。しかし、警視庁の二三の人は、そんな真面目な学校に、そんな生徒が居られるだろうかというような、疑いの眼付きで記者を見た。却て震災後のいろんな犯罪の統計や報告を作るのに忙しいように見えた。
記者は失望して引き退った。その翌々日、「東京全部」に見切りをつけて郷里へ帰ってしまった。
因に、去る二月頃、東京で捕まった不良少年少女の一団の中には、彼女の名は無かった。彼女はもう無事に卒業しているかも知れぬ。
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結論
東京人の堕落に対する各方面の驚きの声
以上は、東京人の堕落に就いて見聞した事実の概要である。誇張されたらしい噂や誤聞を避けたため、材料が不徹底に感ぜられたところもあったろう。又は、書いているうちに旧聞になって、読者のお笑い草になった箇所もあったろう。
併し同時に、本紙がこの稿の過半を掲載し終えた頃から、東京の各方面に於て、「東京人の堕落」に関する驚きの声が俄然として起り始めた事は、予期していた事とはいえ、記者の報道が如実に裏書された点に於て満足を感じないわけには行かなかった。
同時に別の意味で、記者は頗る不満に感じた点があった。それ等の報道の大部分が、東京の堕落を説明するのに、恰も東京の「堕落の甚だしさ」を、恰も東京の「文化の向上した程度」を示す者であるかのように、寧ろ誇りかに叙している点であった。
記者は明言する。
東京人の堕落は東京の文化の向上を意味するものでない。却て東京の文化の滅亡頽廃を表明しているものであることを。
「東京人の堕落時代」の一篇を読んだ人々は、この意味を正しく理解されたことであろうと信ずる。そうして、東京人の堕落がどんな色彩と傾向を帯びて移りかわっているかという事を、多少に拘らず知り得たであろうと思う。
東京の名に於て踏み潰された日本の面目
明治維新後六十年に近く、日の丸の旗の下に、あれだけの犠牲と努力とを払って築き上げられた、吾が大和民族の文化の中心は、一朝の地震で「ゼロ」にまでたたき潰されてしまった。あとには唯浅ましい本能だけが生き残って、大正十三年以降の大堕落時代を作ったのであった。
これは日本人として――殊に文化という事に就て考える人達が、特にその眼を見開いて、徹底的に観察せねばならぬ大きな出来事であろうと思う。
大正十二年の夏まで、日本を背負って立つ意気を示しているかのように見えた江戸ッ子の、現在の屁古垂れ加減を見よ。
そうして、これに取って代った新東京人の風俗のだらしなさ加減を見よ。
その武威に、その文化に、東洋の新興民族として、全世界の眼を瞭らした日本人の化の皮は、その首都の名に於て、美事に引っ剥がされてしまったのであった。
彼等東京人の云う忠君愛国、勤倹尚武、仁義道徳は皆虚偽であった。
彼等東京人の持つ外国文化の驚くべき吸収力、その不可思議な消化力、並びにその文化方面の宣伝力……それ等は只一時の上辷りのカブレに過ぎなかった。
彼等東京人は文化民族としての日本人の価値を、真実の意味で代表していたものではなかった。
彼等東京人が真実に模倣し得るものは、只外国文化の堕落した方面のみであった。彼等が本当に持っているものは、唯浅ましい本能だけであった。
東京人は、日本中で先登第一に、アメリカ魂、イギリス魂、独逸魂、ロシア魂のすべてにカブレて、そのどれにもなり得なかった。只、大和魂をなくしただけであった。そうしてそのあとに、浅薄な意味の文化的プライドに包まれた、低級な本能だけを保有しているに過ぎなかった。だからイザとなると、今までのプライドをなくしてしまって、禽獣の真似をして恥じないのであった。
――新しい東京の女の美しさは鳥の美しさである。その無自覚さと口巧者さは、鳥の無自覚と口巧者そっくりである――。
――新しい東京の男のエラサは獣のエラサである。その無作法さ、図々しさは、獣の不作法さ、図々しさと撰ぶところない――。
これは記者が作った形容詞ではない。東京人が実地にやって見せている実況である。
一切の説明を超越した「事実」である。
この事を報道し、且つ警告したいために、記者はこの筆を執った。
地方の人々は考えて頂きたい。
特に東京を吾が日本民族のすべての中心とあおぐ大人諸氏、及び「東京に行きたい東京に行きたい」とあこがれ望む地方の若い人々は、今一度考え直して頂きたい。
諸君は何故にそんなに東京を尊敬されるか。東京のどこにそんな価値を認められるか。
東京は事務を執りに行く処という。しかし厳密に云えば、東京は事務を堕落させに行く処と断定すべきである。
地方から起った神聖な精神的運動、又は真剣な殖産興業等の事業は、それ等が土地で企画されているうちは、まことに真剣で且つ純真であるが、一度東京に持ち込まれると、忽ちその真剣味が抜き取られて、空虚な、不真面目な、汚らわしいものと化せられてしまう。
東京には、地方から上って来る純真なもの、生き生きしたもの、又は充実したものを取って喰う商売人が、お互に爪を研ぎ、牙を磨いて、雲霞の如く待ち構えている。否、「東京」は、そのような無残なもののすべてを人格化した「悪魔」の別名である。
地方から上京した真剣な事業や運動が、東京と名乗る悪魔の乾児たる横道政治家の金儲けの種、高等遊民の飯喰い種として、片っ端から犠牲とされ、腐敗堕落させられて行く有様は、恰も地方から上京する青年処女の純真な志が、東京に入ると忽ち不浄化され、頽廃化させられてしまうのと同様である。否、すべての事は、東京に入って堕落させられなければ、本場を踏んだと云われない。東京の「腐敗」そのもの以上に「腐敗」しなければ、日本第一流と云われないとさえ考えられる。
日本人に対する東京の不浄な使命
茲に於て、東京の所謂「生存競争」なるものは、事実上、「腐敗堕落競争」である事が容易く理解されるであろう。
学問とても同様である。地方の少年少女は東京を学問の府としてあこがれている。しかし、東京の学校のどこに、地方の学校のような純真なる風が認められるか。
この事を詳しく説明すると限りもないが、多少脱線の嫌いがあるから略するとして、要するに東京は、学者として、又は学生として摺れっ枯らしに行く処である。もしくはいろんな風潮にカブレて、自分の学問の根底を握る精神力を空っぽにしに行く処である。少くとも東京の学校の学生と教師は、日本を指導する意気はない。学者も学生も、唯、自分の地位や飯喰い種に、学問を売り買いしているとしか見えないのである。
重ねて云う。
東京は日本のすべての文化の中心機関の在る処と認められている。
東京というボイラーに投げ込まれて初めて、石炭は火となり、水は水蒸気となるが如くに考えられているが、これは大変な感違いである。
東京は、地方に芽ざした聖い仕事の種子を積上げて、腐らして、あらゆる不良政治家、不良事業家、不良学者、不良老年、不良少年少女の根を肥やすための大堆肥場である。そのためにあれだけ大きな家が並び、あれだけの砂ほこりが立ち、あれだけの電燈が輝いているのである。その中に身も心も投げ込んで、腐れ爛れて行く自己を楽しむべく、人々は東京へゆくのである。
そのほかに東京に何の用があるであろうか。
静かに胸へ手を置いて考えて頂きたい。
東京は旧時代の産物たる科学文明に依て築かれた都である。
科学文明の都市――折角向上しかけた人類の精神文化の象徴たる宗教――道徳を数字攻めにして責め殺し、芸術をお金攻め、実用攻めにして堕落させて、精神美を無価値なものにして、物質美を万能にして、遂に文化的に禽獣の真似をするよりほかに楽しみを持たぬ程度にまで落ちぶれ果てた人類――その真似をするのは無上の光栄と心得る、日本人の中での罰当りが寄り集る処――それが東京である。
数字とお金とで動かせる死んだ魂の市場――それが東京である。
智識と才能と人格の切り売りどころ――それが東京である。
たとえば……。
東京に欺かるるな、何物をも与えるな
大きな立派な人間が仕立卸しのハイカラな服を着て、表情沢山の誇張だらけで地方の人々を手招きしている。彼もしくは彼女の機智頓才、魅力弁力、その衒学的の博引広証、いずれも一時的に人を煙に捲くに足る。
しかもその腹を割れば、何等の理想も主義もない。只、金と獣欲ばかりである。一朝事があれば、彼もしくは彼女は畜生のように、又は餓鬼のように昏迷して地面を這いまわる。そうして一朝事が無くなると、又澄まして文化面をして田舎者を馬鹿にする。
そんな人間を「東京」と名づけるとすれば、諸君は果して尊敬するであろうか。諸君はこんな人間を吾が大和民族の代表者として許すであろうか。
序の事に、今一つの方面から東京を批判させて頂きたい。
従来、日本の首都(都会と云いたいが、ここでは取り敢ず首都だけに就いて考えたい。無論、都会という意味に取られても構わないが)は、吾が日本民族に対してどんな仕事をしたか。
奈良でも、大阪でも、京都でも、又は今の東京でも、皆日本民族のブル思想の反映に過ぎなかった。地位、名誉、傲奢の府として、地方に悪感化を及ぼす使命しか持たなかった。
これに憤慨して起った地方的勢力も、一度時を得て都に入ると、すぐに堕落してブル政治を施し、ブル生活を壟断して、自分の一族一派以外のものを賤民扱いにした。
源の頼朝は極度にこれを嫌った。
京都を離れた鎌倉に幕府を開いたところに、この首都のブル式悪感化を避けた用意が見える。戦功に傲ってブル化しようとした義仲、義経を片っ端から殺してしまった。範頼もとやかく攻め亡ぼした。そこに頼朝の生真面目な性格がほの見える。彼のブル嫌い、都会嫌いの気持ちがあらわれている。
しかし、実朝に到って、源氏のブル化が次第に濃厚になって、遂に北条に亡ぼされた。
北条氏は頼朝の遺志を最もよく理解して、殆ど極端なプロ式武人政治を行った。しかし、高時に到ってブル化して亡びた。
それから後は、ブルに代るにブルを以てしたのみで、明治に入っては薩長土肥のブル思想は東京を濃厚に彩り、遂に今日に及んだものである。
彼等藩閥は初め、徳川のブル的腐敗を憎んで起った、地方的の勢力であった。「王政維新」なる標語の中には、そのような地方的勢力が懐抱する真実さが、底知れぬ程満ち溢れていた。
しかし、一度首都の地を踏むと、それ等の勢力の純真さ、熱烈さは、いつとなく方便化され、御都合化されて、結局、ブル生活の根底を培う腐土と化し去ったのである。
茲に於て読者は理解されるであろう。
日本の生命は首都には無くて、地方に在る。すべての地方の純美さ、真面目さが、日本の命脈を精神的にも物質的にも支持しているので、東京が日本を支持しているのでは決してない。
江戸の昔、或る有名な侠客は、ボロボロの百姓おやじに訪問を受けた時、わざわざ土間に降りて、低頭平身して挨拶をした。
「私どもは娑婆のアブク銭を掴んで喰う罰当りで御座います。お百姓様のような、正真正銘の仕事をするお方の上手に座るような身分のものでは御座いません」
というのがその趣旨であった。
当局の農村振興宣伝と間違えてはいけない。それとこれとは意味がまるで違う。都会に住む、手の白い役人や学者が、日給を貰って名文に綴り上げて、メガホンで吹き散らすお役目物の宣伝と、この侠客の態度とは、その真実味に於て、鉄の弾丸と風船玉ほどの違いがある。
吾々日本人は、この博徒の一親分の言葉に依って自覚せねばならぬ。同時に、地方の自然を相手に稼ぐ労働者諸君は、この言葉に依って覚醒せねばならぬ。
吾々地方人は東京に何物をも与えてならぬ。東京が如何に巧言令色を以て吾々を招くとも、これに眩惑されてはならぬ。東京の中で最も美しく、大きく、貴く見えるものでも、地方人の額の汗の一粒に及ばぬ事を知らねばならぬ。
現在擡頭しつつある無産階級の運動でもそうである。それが都会人、殊に東京人の指導下にある間は、将来、結局無価値なものとなりはしまいかと憂慮される余地が十分にある。
同時に、それ等の無産階級の人々が目標とし、規準とする生活が、東京人の生活と同様の意味の文化生活を夢見るものであったならば、それ等の人々の覚醒と運動とは、将来に於て無価値のものとなり終るべき可能性を、充分に持っていはしまいかと疑い得られるのである。
口も筆も不調法な地方の若い人の自覚の力
さなきだに、毒々しい薄っぺらな都会の文化は全人類に飽かれつつある。反対に、ジミな、精神の籠もった地方色や、真剣な個性に依って作り上げられた農民文化が尊重される傾向が出来つつある。そうして、その個性や地方色を集めたものを民族性と名づけ、その民族性に依って荘厳された文化を人類文化と称える、そこに個性と人類性との共鳴があり、そこに民族の自由解放の真意義がある――というような説が次第に高まりつつある形勢である。
吾が大和民族は一民族を以て一国家を形成している。すくなくとも欧米各国のように雑然たるものでない。そこに吾が民族性の強みがあり、そこに吾国の地方色の真実味が生れ、そこに洗練された吾が国民の個性の貴重さと偉大さが表現されなければならぬのではあるまいか。
日本民族の全人類に対する使命を自覚し、これを達成する程の活力ある生命は、ペンキ塗の窓の中に人工の光りに照らされて、ストーブに蒸されて濁った空気を与えられて育てらるべきものでない。新しい、強い、生きた魂は、清らかな太陽と、シットリした大地と、真面目に真面目に伸びて行く草木との間に立って、爽やかな空気を呼吸しなければ美しく生長せぬ。
新たに天下を取る者は常に田舎者である。都会人は常に田舎者の支配下にある。死んだ魂――売り物買い物である魂――投げやりな魂が、売り物買い物でない、生きた魂に支配されなければならぬのは当然の事である。
「都会」が「田舎」を軽蔑する理由は絶対にない。同時に、地方人が東京を尊敬し、憧憬するところも亦絶対にあり得ない――という事を、今の「東京人の堕落時代」は最も明瞭に証明しているのではあるまいか。
そうして、吾が日本民族は、今の中にこの意味で覚醒する必要はあるまいか。
今日の如く、東京を憧憬する人々、東京の文化を本当の文化と信ずる人々が無暗に殖えて行ったならば、今に日本人全体が東京人のようになってしまいはしまいか。一朝国難にでも際会したならば、吾が大和民族は、遂にその首都の東京人が地震の打撃に依って本音を吹いた如く、ダラシない民族と成り果てはしまいか。
しかも――。
このような自覚――思想は都会人に依って宣伝されたのでは駄目である。否……厳密に云えば、記者の如き手の白い労働者によって称道されたのでも駄目である。
却て、地方の純真な、堅実な、そうして口も筆も不調法な、若い人々の腹の底でウ――ンと覚悟されたのでなければ、絶対に無力、無価値なものとなるのではあるまいか。
記者はこれだけの疑問を読者諸君に呈したいためにこの稿を起した。自ら惴らぬ罪は謹んで負う。
(大正十四年三月三十一日夜)
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