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東京人の堕落時代(とうきょうじんのだらくじだい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 9:58:02  点击:  切换到繁體中文


     色魔的商売人

 上流の婦人を相手とする色魔的商売人は様々の仮面を持っている。
 音楽や茶の湯、生花の師匠に怪しいのが少くない。近頃では、美容術師やマッサージなぞいうのが盛に上流の家庭に出入りして、婦人を直接間接に誘惑するそうである。
 又、何々光線、又は気合術、呼吸法なぞいう新治療の出張応需式なのも逐次増加の傾向である。甚だしきに至っては、仏教や基督キリスト教の牧師、又は家庭教師と称するもので、怪しい商売をするものが殖えたと聴いた。
 こんな商売は、遊芸や何かの師匠と違って、素人でも割合い手に入り易いと同時に、上流の家庭に出入りするのにも都合がいい。逆に云えば、上流の家庭から電話や何かで自由に呼び出しが利く便利がある。又、その家庭の秘密を掴む上にも好都合なので、さてこそかように流行するのだと云う。
 このような色魔式商売の中で、最も斬新奇抜と思われるのは保険会社の勧誘員である。

     最新式の色魔業

 このような保険会社員は、眼星をつけた夫人や未亡人に時間を見計らって電話をかけて、面会の許諾を得る。次に堂々たる男振りと、立派な保険会社の名刺を振りまわして面会に来て、加入の許諾を得る。勿論、このかんには何回も断られたり、追い返されたりするのであるが、そこを根よく押して行くと、相手の方が次第に動いて来る。そこで加入? をすすめて、金を払込ませて、受取を渡す……とは表面で、金は本物、受取は偽ものである。しかも相手の夫人が承知の上だから恐ろしい。
 元来が保険会社の事だから、何回尋ねて来ても不審を持たれるようなことがすくない。未亡人は勿論の事、夫ある婦人でも、旦那の留守勝ちな場合なぞは殊に便利である。そうして関係を続けようとやめようと自由自在で、保険会社員として他の処で面会したり……今一歩進んで、相手の婦人の法律顧問になったりする事も可能である。
 只、このかん最も警戒しなくてはならぬ事は、その名乗りをあげた保険会社に電話をかけられぬように注意を払う事、云い換ゆれば、未亡人にたしかに渡る時以外に取次に名刺を渡さぬ事だそうな。
 ちなみにこの行き方は震災前からもあったので、震災後、それが本当の商売化したまでの事である。又、日本で新発明の商売でなく舶来の古物(日本では新しい)である事は、その筋の役人でなくとも、少し外国の事情に通じている人々は容易に認めるところだそうである。

     未亡人の下宿屋

 上流(すなわち金持ち)婦人の秘密は、まだいくらもある。何々夫人、又は何々未亡人の手芸研究所通いの中には随分怪しいのが多い。非道ひどいヒステリーの夫人や未亡人が、妙な神様や気合術なぞに凝り固まっておとなしくなったなぞいう例がいくらもある。
 中には、嫌がる亭主を無理に連れ出して、相手の技術者に紹介をする。こうして信用を得た上で、その技術者を自宅に引っぱり込むという式は、こうした婦人連の紋切型の手段である。
 なおこのほかに、金のある未亡人に特に多く行われている方法で、震災後急に殖えたのは素人下宿である。
 これは一つには、震災当時の状況がこうした要求に満ち満ちていたためでもあろうが、しかし、それを機会に未亡人たちが新しい自己満足の途を求めた事が疑われぬ。
 それはいいが、今では、この素人下宿の女主人が商売人なのか、又は下宿人が商売人なのかわからぬ程度まで、お互に進化しているらしい。うっかり素人下宿に泊って非道ひどい眼に会った学生、又はうっかり腰弁さんを下宿さして散々な眼に会った未亡人なぞがいくらもある。「下宿代を払わないので困る」とか、「下宿人が出て行かないので困る」とかいう法律相談や人事相談の裏面には、よくこうした事情が含まれている。
 東京に行く学生諸君、又は故郷から仕送る父兄達なぞ、心しても心すべき事である。

     若い燕を求むる心

 話がすこし固くなるが、日本婦人の教育程度の向上は、すべての意味で喜ぶべき事である。現在では、この教育程度向上のお蔭で、黒人くろうと上がりでない限り、日本の上流婦人は女学校卒業程度以上の学力あるものと限られているようである。最近の分では、賢母良妻主義凋落ちょうらく以後の教育を受けた若い婦人が沢山にある。そのような女性の最も多く進出する処は、云う迄もなく東京であった。
 然るに、維新後の日本の教育は、智識教育に偏り過ぎていた。本能、真情等の、所謂人間味の教育の方はお留守になっていた。この事実は万人の認むるところで、「性教育」などが高唱されるのも、このような欠陥がある事を証明しているのではないかとさえ考えられる。
 この欠陥は現代の婦人(勿論男子も)の性格の上に遺憾なく現われている。現代婦人は名誉を重んじ、人格の意味を解し、新智識と見識とプライドを有している。そうして、このようなものをいやが上にも刺戟し、向上させ、極端化するのは東京である。
 但、それは智識と見識とプライドの上だけである。彼女達の本能、又は盲情というものは、持って生れたままなのが多い。只、その盲情や本能の発露を、極めて自然的に合理化する智識と弁才を持っているに過ぎぬ。
 彼女達は、嫁いだ家、又は夫の名誉、手腕、財産等に奉仕せねばならぬ不平を、何者かに依ってなぐさめてもらわねばならぬ理由を持っていた。
 彼女達は、自分の智識や容貌の権威に媚び、且つ盲従する異性が欲しかった。さもなくとも、男性の秘密境――とそこに流露される男の真実性を認め得る年頃になった時、彼女達の智識は、当然、男子と同様に心の自然を求め得る理由を発見した。
 彼女達は皆、実際上か、又は空想上の「若い燕」たるべき相手を求めていた。

     地震と智識階級婦人

 彼等智識階級の婦人は、それでも永年の習慣で、そうそう思い切った事をし得なかった。筑紫の女王白蓮夫人? を初め、日向きむ子、神近市子、平塚明子、又は武者小路夫人などいう人々の、所謂合理的な行いを、彼女達は口先だけででも驚き呆れていた。彼女達は彼女達の自然(獣性)を彼女達の不自然(良心)の城廓に封じ込めていたのである。
 ところへあの大震災である。
 の土煙と火煙は、彼女等の頭の中のこうした城廓を、かなり烈しく打ち壊した。これと同時に、夥しい「若い燕」が東京市中に孵化して飛びまわる事になった。
 曠古こうこの大震災はこのような人々を一様に単純化した。情熱化した。智識、見識、プライド、又はこれに伴う人格等のすべてを奪い去って、平等に本能の飢渇に陥れた。明日をも知れぬ運命を、引き続く余震で暗示した。彼等は、最も浅ましい事以外に、最も貴いことを認めなくなった。
 しかもそれは一時の現象でなかった。

     私のお馬鹿さん

 現在の東京には、このような浅ましい傾向が、どれだけ増大して行くかわからぬ勢である。そうしてこの中にひたる東京の上流婦人の中に、次第にサジスムス性のソレが殖えてゆくのは、男性のソレと同様止むを得ない事である。
 このような婦人は、愛欲という言葉の中に含まれている「快感」が、必ずや「残忍」と「苦痛」とに依って強められなければ、本当の満足は得られないものと考えている。このような要求に応ずる男性は、初めから自分に征服されに来る者でなければいけない。学問あり見識ある智識階級の婦人が、特にこうした傾向を有する事は無論である。
 ところで、幸いにしてそのような性格を持った男性とスイートホームを作り得た婦人は、それこそ例の文化生活を徹底的に味わい得るわけであるが、さもない限りこうした要求は、自分の夫以外の「私のお馬鹿さん」や「お人形さん」に求めねばならぬ。そのような商売人が前述の通り東京にはいくらでも居る。殊に震災後急増したところを見ると、新東京の新文化の裏面が、如何に陰惨を極めたものであるかがわかるであろう。

     変態性欲と虚栄

 東京に於ける上流婦人のサジ式傾向の具体的説明はここに避ける。その男性(夫をも含む)を虐待し、その苦痛を忍受しつつ唯々諾々として自分の美の光りを渇仰する有様を見て、初めて愛欲の徹底的満足を受ける実況は、容易にうかがい得られぬと云うに止めておく。只ここに特筆しておきたいのは、このサジ式の性格を有する婦人のサジ趣味が所謂虚栄というものと関係がある、あたかも教育とヒステリーのそれのごとく切っても切れぬ関係があるということである。
 但、これは記者の新説でも何でもない。
 事実上、婦人のサジ性が生んだ虚栄は、新東京の新文化に興味ある影響を与えているのである。
 又話が理窟っぽくなるが、事実を説明するためには止むを得ない。
「理解ある結婚」という言葉が非常に流行するが、言葉と実際とは大きな違いで、現在のところでは、「理解ある」という言葉を「野合」の「野」の字に当てはめた方が早わかりである。
 九州あたりではそうではあるまいが、震災後の東京ではそうである。強いて理窟をつければ、教育ある男女の「野合」のことを「理解ある結婚」と名づくるとでも云おうか。そうして東京は、この流行の中心と認められている。
 こうした結婚が永続するかしないかは、男が女のヒス性又はサジ性を甘受するか否かにある。何でもハイハイと尻に敷かれるか否かにある事は、常識で判断してもわかる。

     二重の意味の快感

 女が一旦男を支配するようになると、どこまでも増長する。男を極度まで苦しめて飽きないものである事は、昔からその例証が多い。
 殊に、我儘からヒス性へ、ヒス性からサジ性へと加速度で進んで行くのは、教育ある婦人に限られているそうである。何故かと云うと、
 一、教育から見識が生れる。
 二、見識からプライドが生れる。
 三、プライドからヒステリーが生れる。
 四、ヒステリー性からサジスムス性が生れる。
 という四段論法が、最近の智識を有する男性社会に於て、真実と認められているからだそうである。
 ところでここに面白い事には、夜間はともかく、昼間に於て男性をくるしめる方法の第一は、買物に同伴する事だそうである。自分の好きなものを一ツ一ツり出す毎に、男が青くなったり赤くなったりするのを見るのは、二重の意味で云うに云われぬ面白さと愉快さだそうな。

     理解ある同伴

 東京が「理解ある結婚」の中心地である証拠に、最近の東京の街頭に異性と二人連れの姿を非常に多く見受けるのは記者ばかりでない。尤も、これを全部、街頭に於ける「理解ある結婚」の姿と名付けるのが無理ならば、単に「理解ある同伴」と云ってもいい。散歩もあろう。見物みもの、聞きものもあろう。しかしこの中に「買物のため」が沢山あるのは否まれぬ。
 前に述べた新東京の商売の模様を調べるついでに、店の者に聴いて見ると、
「近頃は御夫人連れのお客様が非常に殖えました。殊に御婦人の御趣味が高くなりまして、旦那様のお帽子からネクタイまで、なかなかお上手にお撰みになる向きが多いのです。殊にお帽子や何かにツヤツヤした毛のものとか、スベスベした絹のもの、又は冬の白い襟巻なんぞが流行はやりますのは、御婦人のお好みが大分まじっておりますようで……」
 と眼を細くして笑った。話だけでも身の毛が竦立よだつようである。
 否、まだ恐ろしい話がある。

     変態性欲とヘアピン

 或る米国帰りのドクトルは記者にこんな話をした。
「近来、若い婦人は様々の形をしたヘアピンを挿しているが、最近では若い夫人でもよく用いるようになった。然るに自分は、の鬼のような、けものの頭のような、又は異形ののこぎりのようなヘアピンを見ると、ゾッとするのを禁ずる事が出来ない。それは、震災後、のヘアピンで傷つけられた男を二人程手当をしてやったからである。その一つは頸動脈のところ、今一つは眼の近くで、いずれもかなりの傷であったから理由を問うたところが、二人共顔を赤らめて語らなかった。しかしその傷から私は察して、兇器はヘアピンであると思った。あの式のヘアピンは閨房に於ける婦人の唯一の武器らしい。のヘアピンの形は、婦人のヒステリー性や、サジスムス性を象徴した形をしている。流石さすが女性尊重の本家本元アメリカから輸入された事は争われぬ」
 おさし合いがあったら御免なさい。

     平民主義と風紀頽廃

 東京の上流人士が男女を通じてかように次第に堕落して行く原因の中に、今一つ記者の注意を惹いたものがある。それは古い言葉ではあるがデモクラシー世界の実現である。
 学生の鳥打帽――軍人の平服の事は前に書いた。かしこきあたりの御事は申すも畏し、一般の華族と富豪とかいう者は、元来非常に見識をたっとぶものであるが、それが今ではすたれて来た。平民的になって来た。
 これはまことに結構な事であるが、一方から見るとあまり面白くないことがないでもない。
 見識を取るとか威張るとかいう事は、一面、家内万事を儀式張らせる事で、殊に家柄を重んずる華族とか、家風を八釜しく云う町人とかは、こうして家風の取締をしたものであった。そのために深窓に育った子女達は、非常にその世間を狭められると同時に、堕落の機会をも亦甚だしく狭められていたのである。
 デモクラシーと名づくる春風は、次第にこの善良なる美風を吹き破り始めたのであった。某華族や某富豪の家庭の抜き記事が、次から次へと新聞を賑わした。デモクラ式男女関係を作る事が、新人の使命であるかのように思わるるに到った。

     天のデモクラ宣伝

 この傾向に大油をかけたのが過般の震火災であった。あれは天が人間界に試みた大々的デモクラ行為であった。あの名状すべからざるドサクサが、どれだけ上流の家庭に平民式をあおり込んだか。現在の新聞紙上で、上流の家庭の紊乱びんらんが如何に平凡な材料として取り扱われているかは、読者の熟知せらるるところであろう。思えば地震もいろんな揺れ方をしたものである。上下動何寸、水平動何寸という大ゆれのほかに、このような複雑な大震動がまじっていた事を思えば、東大の地震計がさじを投げたのも無理はない。
 しかもその震動の影響は、なかなかこれ位のことに止まらないのである。
 下層社会の者は、革命と云えば、人殺し泥棒勝手次第という意味に考えるのと同様に、上流社会の人々は、平民的と云えば、不義乱倫自由自在と解釈するのは止むを得ないかも知れぬ。さもなくとも「恋は思案のほか」とやら。
 ……こんな事で記者の頭は古いと思われては困るから、これ位にして上流社会の堕落記をやめる。
 そうして職業婦人の話に移る。
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   職業婦人



     職業婦人の真意義

 職業婦人!
 聞くだに美しく、勇ましい名前である。清い、新しい理想の光りをふり仰いで、一心に働く女性の姿が連想される。
 記者はそんな風に考えて東京に来て見た。そうしたらまるで違っていた。
 職業を持っている婦人……すなわち稼ぐ女を職業婦人というのなら何でもない。上は女官から女学校の教師、小学校教員、女判任官、女医、女歯科医、女薬剤師、婦人記者、婦人速記者、女会計、婦人外交員、女製図師、図書館その他の整理係。すこし有りふれては産婆、看護婦、保姆、タイピスト、女事務員、女店員、見張女、マッサージ師、美容術師、女車掌や運転士、交換嬢、モデル女、女優一切。女給、案内女、仲居、お茶子、芸娼妓もかためて中流に入れようか。ドン底に近付いてはトロの後押し、土方の手伝い、ヨイトマケ、紙屑り、工女、掃除女に到るまで、数えて来ると随分ある。これ等はみんな職業婦人に相違ない。
 しかし、復活した東京の新文化のはな然として、大道を闊歩している所謂職業婦人というのはそんなのではない。もっと新しい、現代的な意味でいう職業婦人である。

     自己見せ付け競争

 現代的職業婦人の名称には、単純な意味と複雑な意味と両方ある。
 単純な方はつまり醜業婦の事である。救世軍や婦人矯風会、又はその筋の言明に依ると、震災後特に馬力をかけて撲滅に努力しているという。又、実際、撲滅されかけているように見える。
 複雑な意味の職業婦人というのは、要するに裏と表と二重の職業を持っている婦人で、こちらは反対にドシドシ増加しつつある。
 この事実を疑うものは、東京人の中に一人も無いと云っていいであろう。
「ああ、あれかい。あれあ、君、職業婦人だよ」
 という言葉は、大抵の場合、この種類の婦人を意味すると考えるのが現代式だそうである。だから記者も、この種類の職業婦人のことを職業婦人と名づけて取り扱う事にする。
 彼女たち職業婦人は、その名前の美しく雄々しいように、その姿も派手で活溌である。最新流行は愚かなこと、永年東京に住んでいる東京人でも眼を丸くしてふり返るような、思い切ったスタイルでサッサと往来を歩いて行く。流行の競争はとっくの昔に通り越して、自分自身が万人の注目の焦点となるべく、あらゆる極端な工夫を凝らしているかのように見える。

     九州で福岡は東京流行のさきがけ

 九州で東京風の流行の真先に這入はいって来る処は福岡で、その次が大分県の別府だそうである。
 それかあらぬか、記者が東京の職業婦人の新スタイルを見て仰天して帰って来て見ると、こはいかん、ツイ一ヶ月ばかり前まで気ぶりも見えなかった福岡の淑女令夫人達が、堂々とそのふうを輸入して、得意然と大道を練り歩いて御座る。別府には行って見ないからわからぬが、これは流行はやっているにしても、福岡のように土着の人がやっているのではあるまいから、さまで驚くにも及ばぬであろう。
 四五年このかた流行はやり始めた頭の結い方に、「ゆくえしらず」というのがある。今では通俗化して、一般の真面目な人――主として中年以上の婦人がやっておられるようであるが、まげが無いために前髪やびんをかなり思い切って膨らさねばならぬ。
 東京の職業婦人の頭はここいらから発達したものであろうか。その形の思い切って大きいのが何よりも先に眼に付く。

     頭髪の大きさの競争

 職業婦人の頭といえば、直ぐに一抱えもある毛髪の集団かたまりを思い出す。日露戦争当時流行した二百三高地どころでない。五百三から八百三位まである。それへくしやピンの旗差し物が立てられて、白昼の往来をねって行く……と云ったら法螺ほらと云う人があるかも知れぬ。
 法螺かも知れぬが、記者は間もなくそんな頭を見慣れてしまった。更にそれ以上の変妙不可思議な頭をいくつも見た。
 もっとも彼女達は初めからこんな大きな頭をしていたのではない。
 彼女たちは自分の頭をかつて見た最大の頭よりも見栄みばえあらしめるために、一袋十銭のスキ毛を一ツずつ突込んで、遂に三十四十に及んだまでの事である。列強の大艦巨砲競争と似たような原因結果である事は疑われぬ。只、これを制限する華盛頓ワシントン会議がない代りに、讃美する新東京人があるだけ違う。だから彼女たちの頭の大きさの競争が、たおれてのちむところまで行く。

     丸ビル式と銀座髷

 流石さすがに福岡あたりを歩いている新式の髷には、東京の職業婦人のそれのように非常識者なのは無い。これは、福岡の婦人に東京のような意味の職業婦人が少い、従って自己見せ付けの競争が東京程烈しく行われないからであるらしい。
 しかしこの競争もある程度まで行くと、行き詰まりになるのは止むを得ない。そこで今度は恰好の競争が始まる。
 その頭の恰好にも又いろいろある。記者が見たり聴いたりしただけでも新旧百幾通りもある。皆新聞や雑誌で宣伝されているから略するが、そのうちで有名な丸ビル式と銀座髷というのについて一寸ちょっと説明を加えておく。
 丸ビルというのは東京で丸の内ビルディングの事、銀座は同じく目抜の通りと云ったら笑われるかも知れぬ。それ程左様さように有名な建築や町の名を髷に戴いているわけは、その建築や町に出入りする職業婦人に新しい意味の職業婦人が多い証拠である。職業婦人たちが人気と注目の焦点となっている結果である。

     第二職業広告用の理髪

 彼女達職業婦人のグループはこうしたわけで派手を競うた。そうして、その背景や職業に依って服装が違って来ると同時に、頭もこれに釣り合って変化して来た。すなわち背景と職業が似通っているために、その服装から次の恰好にまで共通点が出来て来る。丸ビル式や銀座髷はこうして出来た。
 丸ビルの方は、丸ビルそのものはもとより、付近の背景が皆ガッシリした大建築ばかりで、そこに出入りをする職業婦人は大抵事務員式のスタイルであった。
 銀座の方は大部分バラック式の派手やかなもので、職業婦人といえば大部分飲食に関係ある店の女給である。
 そうした空気の中からこんな髷が生れたのか、それとも或る一人がその特徴から工夫し出して全体に広めたものか、その辺は判然せぬ。いずれにしてもこのような背景や職業に……そうしてその第二の職業の広告に最適当したスタイルである事は云う迄もない。
 尚、丸ビル式は大正十三年の秋の末までいきおいがあったが、例の不良少女団ジャンヌダルクの一件以来、勢力を打ち消された形になった。これに取って代るべく生れたのが銀座髷かどうか知らぬ。
 もしそうだったら、近いうちに又一騒ぎ持ち上るかも知れぬ。

     髷の恰好とお手本

 職業婦人の頭には、こうしてチャンと名前の付いたのもあるが、尚このほかに名前のわからぬので凄いのが多い。猫型、木魚型、鳥型、帽子型、真甲鯨まっこうくじら型とでも名付けたい位である。
 その上からこてをかけて大波小波を打たせる。耳のあたりは渦を捲いたように見せかける。それから髷の競争である。
 髷は前髪やびんと平均を取るために極度に大きくしたのもあれば、正反対に首の根づるに押下げて小蜜柑大にしたのもある。又は様々の形に結んだり、横たえたり、ブラ下げたりして、横から見ると随分気味の悪い恰好をしているのがある。そこへ例の色羽根や花飾り、飾り櫛、ピン、その他様々の旗差し物を出来るだけ賑やかにあしらったところは、奇観というも愚かである。
 しかし彼女たちが決して出放題にこんな頭を発明したものでない事は、その恰好や装飾品の取合わせをよく気をつけて見ているとわかる。
 彼女たちの頭のお手本は、大抵日本や外国の活動女優、又は雑誌、新聞の挿し絵や口絵を真似したものらしい。中には自分の顔に似合わせたものもある。又はそんな事をお構いなしのもある。

     和漢洋入り乱れた様式の流行あたま

 雑誌や新聞に宣伝されている、新しい髷の結い方を真面目に研究して応用しているのは、職業婦人には皆ないと見た方が至当であろう。勿論、多少影響はしているに違いないが、とてもそんな手ぬるい結い方では満足しないらしい。
 又、例外と見えるのがいくらでもある。
 眉の上まで庇を冠せて、そのうしろに中将姫のようなビラビラを戴いているのがある。
 一方に、低い束髪にしてから、元禄髷に似た縦長い髪毛の束を三寸ばかり上に突上げたのが居るかと思うと、洗い髪同様の髪を玄冶店げんやだなのおとみ式にうしろに投げ卸して、その先を三つ組にして輪飾りの七五三のようにしているのがある。この式は将来職業婦人用の頭として最新流行を作るかも知れぬ。
 サザエのツボヤキをずっと大きく高くして、リボンで鉢巻をしているのは、希臘ギリシャの巫女の真似であろうか。行衛ゆくえ知らずの行衛を半分見せたようなの、蓮の巻き葉のように左右から巻き込んだのなぞ、数え立てれば限りもない。
 その中で最も風変りな二つの流行は、襟足を剃ることときまき毛をブラ下げることである。これは流石さすがの福岡でもまだ行われていない。

     襟足を剃る式

 襟足を剃るのは、無論、束髪に限っている。多分、首を長く見せるつもりでもあろうか。剃り上げた首の左右に限って、二本の毛の束がブラ下がっているのを見受けるところから考えると、アヤツリ人形の真似をしたのかとも考えられる。とにかく、首の付け根からボンノクボの上まで、頭のうしろの半分ばかりを、耳の高さと並ぶ位にむごたらしく剃り上げてしまう。そこへ白粉おしろいをコテコテと塗るのであるが、大抵はまだらになった上に、キメが荒いから粟肌とりはだが一面に出来ていて、首の方向を変えると白いしわの波が出来る。そのきたないこと。殊に非道ひどいのになると、毎日剃らないせいか、黒い毛がプツプツと芽を吹いて、白粉おしろいとゴチャゴチャになって、タ眼と見られぬ醜態である。他人ひとのを見てもわかりそうなものだが、自分のは見えないから立派にしているつもりらしい。冬なぞはさぞ寒いだろうと同情に堪えぬ。

     梳き毛ブラ下げ式と頬に描いたホツレ毛

 次に、梳き毛をブラ下げたのはあまり多くないようであるが、奇抜なだけに、見たと云う人はいくらもある。見ない人はタボ毛が抜け落ちたんだろうと云うが、決してそうでない。わざわざ瓢箪ひょうたん型や糸瓜へちま型にこしらえた梳き毛の固まりを、耳の前にブラブラと釣るして歩くので、ドンタクでもあまり見かけない新型である。記者も初め遠くから見た時は、大昔の美津良みずら式を復活させたものかと思ったが、近付いてよくよく見ると、髪毛とは全く別の感じを持った黒い固まりなので腹の皮がれた。しかも、本人、大澄ましだから豪気である。多分、外国の活動女優の舞台姿か何かを真似たものと思われるが、本人にいて見る勇気を持たなかったのは遺憾であった。
 なお、参考のために書き添えておくが、現在の東京で中年以下の婦人の断髪は時々見かける。しかし前髪を切ってちぢらした式は、在京中、只一人しか見受けなかった。それから、職業婦人で日本髪に結っているのは、その職業が特別のものでない限り極く珍らしい方である。
 尚今一ツ、眼のふちを隈取ったのは九州方面でもよく見受けるが、びんのホツレ毛を書いている人はあまり無いようだから、参考のために書いておく。実は東京でもたった一人しか見なかったのだから、流行とは云えぬかも知れぬ。しかし、ほかに見たと云う人が二人ばかしある。
 その女は二十歳前後で、例の耳隠しの大渦巻きの下から頬紅の下へかけて、左右平等に二本並んだ波形の直線を、黒く斜めに描いていた。ほかの連中が見たのも同様であったかどうかは聞き落した。とにかく新しい方では特等賞請合いである。
 次は職業婦人の服装である。

     職業婦人の服装

 職業婦人の服装は、その頭やお化粧程奇抜ではない。田舎風に、無暗むやみにケバケバしいだけである。しかし、中には素晴らしく上品なのや、恐ろしく凝ったのも居ないではない。
 概して、産婆や、女事務員の年増や何かは、貴婦人風を理想としているようである。タイピストや看護婦、女給等は令嬢風、交換嬢や看視女等は女学生に見られよう見られようとつとめているように見える。
 しかし、いくらそんな風になり切っているつもりでも、生活がそうでない限り、どこかにお里があらわれているのは止むを得ない。第一、貴婦人らし過ぎたり、令嬢らし過ぎたり、女学生じみ過ぎたりしているところに、何となく不自然な感じを受ける。まして親たちの指図や許可を得て買った身のまわりと、自分達の勝手な趣味や思う通りの金で買い集めた身のまわりが、感じの点で非常に違うのは当り前である。一方がつつましやかに落付いているのに反して、一方が派手やかに気取っているところに、ありありとネタが暴露している。その上に、彼女等の職業や生活の上から来る気持ちの反映、身体からだのこなし、顔の表情、眼の光りの澄み加減や落ち付き加減にまで注意したら、職業婦人であるかないかは、如何なる場合でも一目瞭然であろう。

     職業婦人が理解し得るバラック趣味

 第二は、彼女たちの背景である。彼女たちの背景となっているバラック都市は、彼女たちの姿をイヤでも派手にせねばならぬように、寝てもさめても刺戟している。
 バラック建築の色や形が如何に派手で変化が多くて、薄っぺらで毒々しいかは前に述べた。そのケバケバしい色や形の中に住む人間は、互に負けないようにケバケバしくするか、又は反対に陰気にジミにするかしなければ引っ立たない。
 新東京の新東京人の中で、男は後の方法を取った。中流社会の着物道楽の項で述べたように、現在の東京で最もハイカラな男といえば、最もジミな青白い服装をした男である。
 一方に、女がこれと反対の流行を作ったのは止むを得ないところであろう。彼女達の服装はいやが上にも派手に突飛とっぴになって行った。
 芝居の書割りよりも、もっと自由に奔放な形式を使っているバラック建築のデコレーションに調和すべく、彼女達職業婦人は舞台化粧以上に白く塗らなければならなかった。唇を血のように染めなければならなかった。頬をダリヤのように赤く隈取らなければならなかった。思い切って大きな飾りを活躍せしむべく、頭髪の舞台面をどこまでも拡大しなければならなかった。着物の柄は調和を破る位に極端な取り合わせを用いなければ引っ立たなかった。それは趣味の低い彼女たちにもよく理解される趣味であった。

     バラック都市の夜の光線と処女達の美

 彼女達職業婦人が真面目な仕事をする時間は大抵昼間である。したがって、彼女達がその持ち前の美を自由に発揮する時は夜である。
 然るにバラック都市の夜の光線は、水蒸気の多い日本の昼間の光線がすべてをドス暗くみじめにすると正反対に、華やかである。だから彼女たちの姿が、夜の光りに調和すべく、仰山に毒々しくなって行くのは止むを得ないであろう。
 その真似をして真昼間の平和な町をあるく九州地方の婦人の姿が、如何に不気味に阿呆らしいかは皆さん御承知のところであろう。
 神田の或る美容術師はこんなことを云った。
「田舎へのお土産に東京の最新式の髪をという意味の御注文がよくあります。しかし東京式の結い方はあまりお上品向きでありませんから、お客様のお姿や服装から御家庭をお察しして、苦心しいしい調和よく結って差し上げますと、どうも御気に召しません。反対に職業婦人風にして差し上げますと、一も二もなくお喜びになります。すべておぐしは御家庭や、御職業や、又はそのお帰りになるお国の風土によって違います。外国でも気の利いたお方は、御旅行先や御転居先の風俗をよく研究されて、これに調和されて行きます。お料理なぞとすこしも違いません。福岡ならば福岡風があるのが本当なのです。日本中が東京風になるのは、日本の方がまだ本当の趣味を御理解なさらぬためだと考えられます」云々。

     千束町式、蠣殻かきがら町式

 東京の職業婦人の服装を、あんなに馬鹿馬鹿しく派手にした第三の原因は極めて深刻である。
 御存知の方もあろうが、昔、東京に千束町風又は千束町式、千束町スタイルなぞいう熟語があった。千束町というのは浅草観音の裏手にある醜業窟で……なぞ云ったら笑われるかも知れぬが、順序だから仕方がない……醜業婦の理想的なのがウジャウジャ居て日本中の男の油を絞った。その税金は浅草区有数の財源となっていた。
 そこの女達はあらゆる派手な姿をしていた。頭の天辺てっぺんから足の爪先まで、極端な派手ずくめの低級趣味で男を引き付けた。その女達特有の毒悪な安香水は千束町香水と呼ばれた。
 今の東京の職業婦人のスタイルは、この千束町式の変化したものに外ならぬ。その派手やかさとダラシなさ加減は、低級趣味の男の欲情をそそるのに最も適当している。
 今一つこれも知ったか振りであるが、約二十年近く前から東京に蠣殻かきがら町式という言葉が出来た。これは蠣殻町の取引所界隈にあった高等内侍のスタイルで、千束町式ほど下劣でなく、どちらかと云えば貴婦人好みが多かった。多分はお相手をする相場師連の嗜好から生れたものであろう。これが発達して帝劇美人式となって、現在の貴婦人のスタイルに影響したものかどうか知らぬが、そんな感じがする位である。今の東京に於ける女医、産婆、美容術師等いう年増の職業婦人は、大抵この流れを汲んだスタイルをしているので、駈け出しの刑事なぞにはとても見分けが付かないそうである。

     アレは職業婦人!

 職業婦人はその服装が如何に立派であっても、どこかに彼女たちの裏面の生活が反映しているものである。彼女たちは金を儲けるために働かなければならぬ。一日のうち何時間かは自己を殺していなければならぬ。その代り、彼女達は又、家庭の女が持ち得ない自由な時間と金を毎日いくらかずつ持っている。その時間と金とを彼女たちは勝手気儘に使って、しいたげられた自己を慰める。これを妨げようとするものがあると、彼女たちは猛然として反抗するのが普通である。そうしてますます勝手気儘になる。ダラシなくなる。ムシャクシャを増長させる。彼女達を高尚に、シッカリと、奇麗に、健康に育て上げようという指導者が次第に遠退いて行く。その結果が彼女達の服装に先ず現われる。
 白粉おしろいを塗り過ぎる。しかし襟垢えりあかは残り勝である。
 髪を大切にする。しかし毛の根は油でよごれている。
 美しい着物を着る。しかし裾にしまりがない。
 取り澄まして歩む。しかし眼づかいは下品である。
 そのほか唇のしまり、好みの調和なぞ、彼女たちのダラシなさを挙げたら数限りもない。しかも現在の東京人は、こんな風に見える女をすぐに解放された女と認めて讃美するのである。そうして男同士の間では、
「彼女は職業婦人だよ」
 と冷笑し合うのである。

     洋装の流行と活動

 職業婦人には時々洋装を見受ける。普通の婦人にも時々見かけるが、よく似合っているのは十人に一人もない。
 洋装の生命とするところは、顔でもなく、尻でもなく、只首と足の恰好だそうで、その中でも足は最も大切な条件なのだそうであるが、日本人の足……殊に女の足は十人が十人駄目である。東京の女学校で汐干狩をやると、皆足を気にしてとやかく云うそうであるが、さもあろう。日本婦人がズングリムックリした、無暗むやみに派手な洋装を尾張大根のような足で運んで行く恰好はあまりよくない。
 おまけに彼女たちはダンスのダの字も知らないのだから、身体からだのこなしが洋服とまるで調和していない。いわく何、曰く何と、日本婦人の洋装批難の声はすべての男の批難の的になっている。それでも流行するのは、大方、活動の宣伝がきいているのであろう。

     職業婦人の服装が派手になって行く訳

 職業婦人の服装がどうしてこんなに派手になって行くか。どうしてそんな突飛な流行にまで突きつめて行くか。
 これには大略三つの理由がある。
 第一は彼女達が解放されていることである。彼女たちは金が自由になると同時に、親兄弟の意見を聴かないでも済む権利が出来た。即ち家庭から精神的に解放された。彼女たちは勝手なものを買って、好きに身を飾り得る境遇に這入った。一方、新東京の街頭には、原価の二倍以上の掛け値をした新織物や、新装身具が一パイに並んで彼女達を誘惑しているのである。抜け目のない商人たちはこう考えている。
「今の職業婦人は、今までの日本人の娘としては、真に驚く程の小遣いを持っている。しかも彼女たちの趣味は、育ちが育ちだけに極めて低級である。大きいか、美しいか、珍らしくさえあればいい。安くて、派手で、ちょっと上等のに見えさえすればいい」
 と。彼女たちは、毎日毎日、この手で誘惑されつづけているのである。

     消えゆく処女美

 彼女たち職業婦人はこうした昔の職業婦人の流れを汲んで、更にそれ以上に文化的な、蠱惑こわく的な風俗を作るべく工夫を凝らしている。首のつけ根を剃り上げたり、梳き毛をブラ下げたり、ホツレ毛を描いたりするのは、その苦心の最高潮のあらわれと見るべきである。
 職業婦人の名が二重の職業を意味しているとは、彼女たちのこうした風俗からでも訳なく察せられる。
 彼女たちはこうして処女の美を早くから失って行く。同時に夜ふかしや白粉おしろい焼け等が、彼女達の「美」と名づくる資本を奪って行く。そのために彼女達のお化粧は日に増し濃くなり、彼女達の頬紅、口紅は日毎に赤くなり、彼女たちの服装は年毎に若返って行く。哀れと云うも愚かである。
 このような不自然な美しさは、昔では色町やその他の限られた場所でしか見られなかったそうである。それが今では全東京の街頭に流れ出した。病院、学校、会社、銀行、商店、カフェー、バーは云うに及ばず見受けられる事になった。時勢の進歩の中でも最もハッキリした進歩はこれではあるまいか。

     彼女達はどうして堕落するようになったか

 記者は弁護する。
 彼女達職業婦人は決して初めから二重の職業を持っていたものでないことを。
 同時に記者は確実に予言し得る。
 一度ひとたびかくの如く滔々と白昼の街頭に流れ出して、かくの如く公然と官私の仕事に喰い込んだ職業婦人の職業だけを、二度と再び昔の色町や醜業窟に追い込む事が永久に不可能である事を。
 どうしてこんな事になったか……彼女たち職業婦人の大部分が、どうしてかように二重の職業を習い覚えるようになったか。
 ただこの問題一つを研究するだけでも、人間一代を棄てるねうちがあるかも知れぬ。大正十二年九月以降、東京の市中に二重の職業を持つ婦人が激増した。その後に日本国中の婦人の風俗までが影響を受けて大変化を来たしたという事は、社会学上の大きなレコードだから……。
 しかし又一方から見れば、すこぶる簡単明瞭である。彼女たち職業婦人の身の上を出来るだけ沢山に調査すれば、わけなく解る問題である。東京市内にある相談所、紹介所、又は会社や銀行の職業婦人を取り扱う掛りの人々は、こんな材料をいくらでも話してくれる。
 職業婦人堕落の原因は、極めて平凡で、しかも最も奇抜な結果になるのである。

     世間の世智辛さと教育から来た弊害

 世間がだんだんと世智辛くなるのは、大昔から今日まで引きつづいた事である。その中でも最も早く世智辛くなる処は、何といっても東京であった。田舎の人々が都会へ都会へと集まる傾向は、一層この状態を甚だしくした。
 女子供でも遊んでいられなくなった。親子兄弟の間でも、個人主義にならなければやり切れなくなった。
 外国から輸入された思想はこの傾向をいよいよ高潮さした。日本の教育=忠孝仁義を説きながら、実は物質万能、智識万能を教える日本の教育当局の方針も、この思想をますます底深く養い上げた。
 日本の女子供は、非常に早くから、生活とか権利とかいう言葉の意味を知るようになった。試験に及第する事、学問のよく出来る事が、即ち生活のもとであり、享楽の種であるという意味で、現在の日本の若い男女はことごとく文化の歎美者であり、物質万能主義者となったわけである。
 そうした事情と、こうした教育の中から職業婦人が生れた。紡績の工女、看護婦、交換嬢、女給、店番なぞいう、小学卒業程度でもつとまるのを初めとして、タイピスト、事務員、女教員なぞいう高女卒業程度のものまで盛に要求され出した。もっと進んだものとしては、婦人速記、製図手、外交員、会計助手、歯科医なども近々殖えそうである。このような傾向に伴った、日本女性の向学心の旺盛な事は、日に月に当局を喜ばした。
 同時に、無智で単純な女でなければつとまらぬ「女中」は、ますます払底して来た。「高級家政婦」を求むる広告が、日に増し新聞紙上に増加して来た。
 これに対して、時間めの女中を世話する派出婦会が、東京市中に殖えて来た。これも新生な意味の職業婦人に入れられると云う人と、入れられぬと云う人とあるそうである。前者は大抵婦人で、後者は大抵男だそうである。

     彼女達の三資本

 職業婦人はこうして次第に東京を横行し始めた。
 彼女たち職業婦人は裏と表と両方の意味に於て、生活という事を理解している。
 彼女たちの資本は、その「健康」と、「美」と、「あたま」との三つである。その中で最もねうちある資本が、その「美」であることは云うまでもない。だから彼女たちの大部分はうら若い連中である。
 彼女たちのこの三つの資本のうち二つか三つかが使い切られた時、彼女達の職業婦人としての価値はどうなるか。彼女達は如何にして生きて行こうとするであろうか。それは今から十年後の東京に来て見なければわからない。又彼女達自身も考える余裕を持たぬであろう。
 彼女たちはこの三つの資本を最も大切に且つ最も厳重に保護してくれる人々、即ち旧式の家庭や社会から逃れ出た。彼女達はこの意味に於て全然解放されていると云ってもいい。彼女達が自身に金を儲けるという事は、ただちに家庭と社会に対する精神的の自由を意味するからである。

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