残怨白紅花盛
余多人切支丹寺
「ふうん読めんなあ。これあ……まるで暗号じゃないかこれあ」
私は苦笑した。二尺三寸ばかりの刀の中心に彫った文字を庭先の夕明りに透かしてみた。
「銘は別に無いようだがこの文句は銘の代りでもなさそうだ。といって詩でもなし、和歌でもなし、漢文でもないし万葉仮名でもないようだ。何だい……これあ……」
「へえ。それはこう読みますんだそうで……残る怨み、白くれないの花ざかり、あまたの人を切支丹寺……とナ……」
私はビックリしてそう云う古道具屋の顔を見た。狭心症にかかっているせいか、一寸した好奇心でも胸がドキドキして来そうなので、便々たる夏肥りの腹を撫でまわして押鎮めた。
幇間上りの道具屋。瘠せっこちの貫七爺は済まし返って右手を頭の上に差上げた。支那扇をパラリと開いて中禿のマン中あたりを煽ぎ初めた。私はその顔を見い見い裸刀身を無造作に古鞘に納めた。
「大変な学者が出て来たぞ……これあ。イヤ名探偵かも知れんのうお前は……」
「ヘエ。飛んでもない。それにはチットばかり仔細が御座いますんで……ヘエ。実はこの間、旦那様からどこか涼しい処に別荘地はないかと、お話が御座いましたので……」
「ウンウン。実に遣り切れんからねえ。夏になってから二貫目も殖えちゃ堪まらんよ」
「ヘヘヘ。私なんぞはお羨しいくらいで……」
「ところで在ったかい。いい処が……」
「ヘエ。それがで御座います。このズット向うの清滝ってえ処でげす」
「清滝……五里ばかりの山奥だな」
「ヘエ。市内よりも十度以上お涼しいんで夏知らずで御座います。そのお地面の前には氷のような谷川の水がドンドン流れておりますが、その向うが三間幅の県道なんで橋をお架けになればお宅のお自動車が楽に這入ります。結構な水の出る古井戸や、深い杉木立や、凝ったお庭造の遺跡が、山から参いります石筧の水と一所に附いておりますから御別荘に遊ばすなら手入らずなんで……」
「高価いだろう」
「それが滅法お安いんで……。まだそこいらに御別荘らしいものは一軒も御座いませんが、その界隈の地所でげすと、坪、五円でもいい顔を致しませんのに、その五六百坪ばかりは一円でも御の字と申しますんで……ヘエ。話ようでは五十銭ぐらいに負けはせぬかと……」
「プッ……馬鹿にしちゃいけない。そんな篦棒な話が……」
「イエイエ。それが旦那。シラ真剣なんで……ヘエ。それがその何で御座います。今から三百年ばかり前に焼けた切支丹寺と申しますものの遺跡なんだそうで……ヘエ」
「フウム。切支丹寺……切支丹寺ならドウしてソンナに安いんだい」
「それがそのお刀の彫物の曰く因縁なんで……ヘエ。白くれないって書いて御座んしょう。その花を念のため、ここに持って参いりました。これが花でコチラが実と葉なんで……ちょと隠元豆に似ておりますが」
「ううむ。花の色は白いといえば白いが、実の恰好がチット変テコだなあ。紫色と緑色の相の子みたいじゃないか。妙にヒネクレて歪んでいるじゃないか」
「ところが実を申しますとこの花の方が問題なんで……とても凄いお話なんで……ヘエ」
と云ううちに貫七爺は眼の球を奥の方へ引込まして支那扇を畳んだ。その表情が東京の寄席で聞いた何とかいう怪談屋の老爺にソックリであった。
「……ヘエ。その切支丹寺の焼跡になっております地面は、只今のところズット麓の方に住んでおりまする区長さんの名義になっておりまするが、その区長さんのお庭先に咲いておりますくれないの花と申しますのはこれなんで……ヘエ。御覧の通り葉の形から花の恰好まで白い方の分とソックリで御座いますが、ただ花の色だけが御覧の通り血のように真赤なんで……昔からくれないの花と申して珍重されていたものだそうで御座います。ヘエ。その切支丹寺でも三百年前にこの花を植えていたそうで御座いますが、その寺で惨酷い殺され方を致しました男だか、女だかが死に際にコンナ事を申しましたんだそうで……この怨みがドンナに深いか、お庭のくれないの花を見て思い知れ。紅の花が白く咲いているうちは俺の怨みが残っていると思えってそう云ったんだそうで……でげすから只今でもその焼跡に咲いておりますくれないの花だけは御覧の通り真白なんだそうで御座います」
「プッ……夏向きの怪談じゃないか丸で……どうもお前の話は危なっかしいね。マトモに聞いてたら損をしそうだ」
「ヘエ。どんな事か存じませんが証拠は御覧の通りなんでヘエ。……でげすから村の連中は子供でもそのキリシタン寺の地内へ遊びに遣りませんそうで……あの地内でウッカリ転んだりすると破傷風になるとか、何とか申しましてナ……」
「フウム。そんな事が在るもんかなあ今の世の中に……」
「ヘエ。何だか存じませんが三百年前にその切支丹寺で、没義道に殺された人間の白骨が、近所界隈の山の中から時々出て来るそうで御座います。梅雨時分になりますと、よく人魂が谷々を渡りまして、お寺の方へ参りますそうで……ヘエ。手前共も怖おう御座んしたが、思い切ってその荒地の中へ立ち入りまして、スッカリ見て参じました。序に御参考までもと存じまして、方丈の跡らしい処に咲いておりましたこの花を摘んで参いりましたんで……何しろ珍らしい、お話の種と思いましたから……ヘエ」
貫七爺は、そう云って又眼玉を凹ました。扇を開いて汗掻いた頭を上の方から煽ぎ初めた。
私はイクラカ薄気味わるく、その白くれないの花を抓み上げてみた。
「ふうむ。俺の知っている奴が九州大学の農学部に居るからこの紅と白の花を両方とも送ってやろう。おんなじ花が植えた処によって違った色に咲くような事実が在り得るかどうか聞いてやろう。怪談なんてものは、ちょとしたネタから起るもんだからね」
「ヘエ。それが宜しゅうがしょう。案外掘ってみたら切支丹頃の珍品が出て来るかも……」
「馬鹿。商売気を出すなよ」
「ヘヘヘ。千両箱なんぞが三つか四ツ……」
「大概にしろ。そんな事あドウでもいい。それよりも問題はこの刀身だ」
私は、今一度、古鞘から裸刀身を引出した。
「いい刀身だよ。磨は悪いがシャンとしている。中心は磨上らしいが、しかし鑑定には骨が折れるぞコイツは……」
「ヘヘヘ、……そう仰言ればもう当ったようなもんで……」
「黙ってろ……余計な文句を云うな。ふうむ。小丸気味の地蔵帽子で、五の目の匂足が深くって……打掛疵が二つ在るのは珍らしい。よほど人を斬った刀だな。先ず新藤五の上作と行くかな……どうだい」
「……ヘイ。結構でげすが、新藤五は皆様の御鑑定の行止まりなんで……ヘエ」
「零点なのかい……ウーム。驚いたよ。お前は知っているのかい作者を……」
「ヘエ。存じております。この刀身だけの本阿弥なんで……ヘエ」
「ムウム。弱ったよ。関でもなしと……一つ直江志津と行くかナ」
「ヘエッ。恐れ入りました。二本目当り八十点……この福岡では旦那様お一人で……」
「おだてるなよ。しかし直江志津というと折紙でも附いているのかい本阿弥さん」
「ヘヘ。……それがその……折紙と申しますのはこのお書付なんで……ヘエ」
貫七爺は懐中から新聞紙に包んだ分厚い罫紙の帳面を取出した。生漉の鳥の子で四五帖分はある。大分古いものらしい。
「どこに在ったんだい。そんなものが」
「ヘエ。やはり今申しました区長さんの処に御座いましたんで……何でもその区長さんと申しますのが太閤様時代からその村の名主さんだったそうで……」
「成る程。その人が地所と一所にこの刀を売りに出したんだな」
「ヘエ。当主があんまり正直過ぎて無尽詐欺に引っかかったんだそうで……」
「それじゃこの帳面は刀身と一所に貰っといていいんだナ」
「ヘエ。どうぞ。まあ内容を御覧なすって……私どもにはトテも読めない、お家様で御座います」
「ふうむ。待て待て……」
私は書見用の眼鏡をかけて汚染だらけの白紙の表紙を一枚めくってみた。(註曰。以下掲ぐる文章は殆んど原文のままである。読み難い仮名を本字に、本字を仮名に、天爾遠波の落ちたのを直し補った程度のものに過ぎない)
片面鬼三郎自伝
われ生まれて神仏を信ぜず。あまたの人を斬りて罪業を重ね、恐ろしき欺罔の魔道に迷ひ入り、殺生に増る邪道に陥り行くうち、人の怨みの恐ろしさを思ひ知りて、われと、わが身を亡ぼしをはんぬ。その末期の思ひに、われとわが罪を露はし、思ふ事包まず書残して後の世の戒めとなし、罪障懺悔のよすがともなさむとて、かくなむ。
父母の御名は許し給ひねかし。
われは肥前唐津の者。門地高き家の三男にて綽名を片面鬼三郎となん呼ばれたる者也。
後陽成天皇の慶長十三年三月生る。寛永六年の今年五月に死するなれば足かけ二十五年の一生涯なり。
わが事を賞むるも愚かしけれど、われ生得みめ容、此上なく美はしかりしとなり。されども乳母の粗忽とか聞きぬ。三歳の時、囲炉に落ちしとかにて、右の半面焼け爛れ、偏へに土塊の如く、眉千切れ絶え、眥白く出で、唇、狼の如く釣り歪みて、鬼とや見えむ。獣とか見む。われと鏡を見て打ち戦くばかりなり。
されば名は体を顕はし、姿は心を写すとかや。われ生ひ立つに連れて、ひがみ強く、言葉に怨みあり。われながら、わが心の行末を知らず。両親に疎まれ、他人にあなづられて、心の僻み愈々増り募るのみなりしが、たゞ学問と、武芸の道のみは人並外れて出精し、藩内の若侍にして、わが右に出づる者無し。もとより柔弱なる兄等二人の及ぶ処に非ず。一年、御城内の武道試合に十人を抜きて、君侯の御佩刀、直江志津の大小を拝領し、鬼三郎の名いよ/\藩内に振ひ輝きぬ。
さる程に此事を伝へ聞きし人々、おのづから、われに諛ひ寄り来るさへをかしきに、程なく藩の月番家老よりお召出あり。武芸学問、出精抜群の段御賞美あり。年頃ともならば別地を知行し賜はるべし。永く忠勤を抽ん出可き御沙汰を賜はりしこそ笑止なりしか。
もとより、われは一握り程の碌米の為に、忠勤を抽出んとて武芸、学問を出精せるに非ず。半面鬼相にもあれ、何にもあれ。美しき女を数多侍らせ、金殿玉楼に栄燿の夢を見つくさむ事、偏へにわが学問と武芸にこそよれ。容貌、醜しとあれば疎み遠ざかり、あざみ笑ひ、少しの手柄あれば俄かに慈しみ、へつらひ寄る、人情紙の如き世中に何の忠義、何の孝行かある。今に見よ。その肝玉を踏み潰し、吠面かゝし呉れむと意気込みて、いよ/\腕を磨きければ二十一歳の冬に入りて指南役甲賀昧心斎より柳生流の皆伝を受くるに到りぬ。
此時、われに縁談あり。藩内二百石の馬廻り某氏の娘御にしてお奈美殿となん呼べる今年十六の女性なりしが、御家老の家柄にして屈指の大身なる藤倉大和殿夫婦を仲人に立て、娘御の両親も承知の旨答へ来りし体、何とやらむ先方より話を進め来りし気はひなり。
われ何となく心危ぶみて、自身に藤倉大和殿御夫婦を訪ひ、お奈美殿は藩内随一の御綺倆とこそ承れ。いまだ一度の御見合ひを遂げざるに御本人の御心如何あらむ。相手の婿がねが某なる事、屹度、御承知に相違御座なきやと尋ねし処、藤倉殿申さるゝ様。奈美女殿の母親は当家より出でたるものにて、奈美女と、われ等夫婦とは再従妹の間柄に当れり。何条粗略なる事致すべき。殊に奈美女は孝心深き娘なり。両親さへ承知すれば何の違背かあるべき。這は決して仲人口に非ず。申さば御身のお手柄とも見らるべし。左様なる事、若き人の口出しせぬものぞかし。一切をわれ等に任せて安堵されよと言葉をつくしたる説明なり。われも強ひて抗ひ得ずして、成り行く儘に打ち任せつゝ年を越えぬ。
かくて兎も角も其夜となり、式ども滞なく相済み、さて嫁女と共に閨に入るに、彼の嫁女奈美殿、屏風の中にひれ伏してシミ/″\と泣き給ふ体なり。われ胸を轟かしつゝ、今宵の婿がね、此の片面鬼三郎なりし事、兼ねてより御承知なりしやと尋ねしに、奈美殿、涙ながらに頭を打振り給ひて、否とよ。何事も妾は承り侍らず。何事も母上様がと云ひさして又も、よゝとばかり泣き沈まるゝ体なり。因に奈美殿の母親は継母なり。しかもお生家が並々ならぬ大身なる処より、嬶天下の我儘一杯にて、継子苛めの噂もつぱら[#「もつぱら」は底本では「もっぱら」]なる家なり。されば最初よりかゝる事もやあらむと疑ひ居りし我は、恥かしさ、口措しさ総身にみち/\て暫時、途方に暮れ居たりしが、やがて嫁女奈美殿の前に両手を支へつ。此の粗忽はわが不念より起りし事なり。平に許させ給ふべしと、詫言するとひとしく立上り、奥の間にて喜びの酒酌み交し居りし仲人、藤倉大和殿夫婦を右、左に斬り倒ふし、うろたへ給ふ両親をかへりみて、われ乱心したりとばし思召されなよ。今一人斬るべき者の候間、そを見てわが心を知らせ給へ。孝不孝はかへりみる処に非ず。虚偽は男子の禁物なり。鬼三郎の一念、今こそ思ひ知り給へやと云ひ棄てゝ走り出で、奈美殿の両親の家を訪ひ、驚きて迎へに出で来る継母御を玄関先に引捕へて動かせず。静かに鬼三郎の云ふ事を聞き給へ、義理の娘が憎くさの余り、生家方の威光を借りて、かゝる縁談を作り上げ、吾を辱かしめ給ひしに相違あるまじ。その御自慢のお家柄、藤倉殿御夫婦は唯今討果したるばかりなり。性根を据ゑて返答し給へ。如何に/\と問ひ詰むるに、黙然として答無し。すなはち一刀の下に首を打落して玄関に上り、物蔭にて打戦き給ふ奈美殿の父御を探し出し、やよ。岳父御よ。よく聞き給へ。此度の事は泰平の御代に武道を忘れ、縁辺の手柄を頼に出世を望み給ひし御身の柔弱より出でし事ぞかし。今夜斬りし三人の顔触れを見給はゞ奈美殿の清浄潔白は証明立つ可し。安心して引取り給へ。われは生涯、女を絶ち、おとなしき娘御の孝心に酬いまゐらすべし。さらば/\と云ひ棄てゝ其の家を出で、夜もすがら佐賀路に入り、やがて追ひ縋り来りし数多の捕手を前後左右に切払ひつゝ山中に逃れ入り、百姓の家に押入りて物を乞ひ、押借り強盗なんどしつゝ早くも長崎の町に入りぬ。
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