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白髪小僧(しらがこぞう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-9 9:26:15  点击:  切换到繁體中文


   第一篇 赤おうむ


     一 銀杏いちょうの樹

 昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、きまった寝床さえありませんでしたが、ただ名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
 その第一の名前は白髪しらが小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
 第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次におし小僧というのは、この小僧が口を利いたためしが今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物をれと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決してめず他のあわれな者にもなく呉れてしまい、万一他人のあやうい事や困った事を聞くと生命いのちを構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がりうやまい、又は気味悪がり恐れておりました。
 けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々ゆうゆうと方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
 或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外まちはずれを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡いねむりをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
 これを見た白髪小僧は直ぐに裸体はだかになって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、ただもううれし泣きに泣いて、れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居すまいはこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞きょうだいや家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼をわして終う位でした。しかし白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室ひとまに通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
 ここでうち中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
 お礼を済ましたうち中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶のはちを捧げて這入はいって来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀ていねいに一礼して申しました。
「これは貴方あなたの御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、ただほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
 白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
ほど、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
 と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味しくてほおベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、そのうちに最前の午寝ひるねがまだ足りなかったと見えて、眼を細くしてむたそうな顔をしていました。
 大勢の人々は、こんな有り難い賜物たまものいただかぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、あきれ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様しようとしましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこのうちに一生涯養って、どんな贅沢ぜいたくでも思う存分せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡ひるねをさしてくれた方がぽど有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
 とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前さっきから椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息ためいきをついて考え込んでいた娘は、この時しずかに立ち上ってすずしい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令たといどんなたっとい品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。わたしはその理由わけをよく知っています」
 と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
 と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆一時いちどきに娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠くちごもりましたが、とうとう思い切って、
「そのわけはこの書物にすっかり書いて御座います」
 と云いながら、ふところから黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。
「この書物に書いてある事を読んで見ますと、白髪小僧様は今までこの国の人々が見た事も聞いた事もない不思議な国の王様なので御座います。ですからこの世の中でどんなに貴い物を差し上げても、どんなに面白い物を御目にかけても、御喜びになる気遣きづかいはあるまいと思います。そうしてそればかりでなく、白髪小僧様がわたしの命を御助け下さるという事は、ずっと前からまっていた事で、その証拠にはこの書物には、妾が水に落ちましてから、助けられる迄の事が、ちゃんと書いてあるので御座います。決して御礼を貰おうなどいうさもしい御心で御助け下さったのでは御座いませぬ」
 と決然きっぱりとした言葉で申しました。
 両親は云うに及ばず、大勢の人々もこの娘の不思議な言葉に、心の底から驚いてしまって、しばらくはぼんやりと娘の顔と白髪小僧の顔とを見比べていましたが、何しろあんまり不思議な話しで、どうも本当ほんとらしくない事ですから、父様は頭を左右に振りながら――
「これ娘、お前は本気でそんな事を云うのか。私はどうしてもお前の話しを本当ほんとにする事は出来ない。一体お前はどこでそんな奇妙な書物を手に入れたのだ」
 と言葉せわしく尋ねました。娘はどこまでも真面目まじめいて返事を致しました――
「いいえ、妾はちっとも気が狂ってはおりませぬ。そして又この書物に書いてある事を疑う心は少しも御座いませぬ。お父様でもお母様でもどなたでも、一度この書物に書いてあるお話しを御聞き遊ばしたならば、矢張やっぱ屹度きっと妾と同じように本当に遊ばすに違いありませぬ。でもこの書物には白髪小僧様と、妾の身の上にいて、今まであった事や、行く末の事がすこしも間違いなくくわしく書いてあるので御座いますもの。ですからこの書物を読みさえすれば妾がどうしてこの書物を手に入れたかという事も、すっかりおわかりになるので御座います。又今からのち白髪小僧様と妾の身の上がどうなって行くかという事も、追々とおわかりになる事と思います」
 皆の者は、聞けば聞く程不思議な話に、驚いた上にも驚いて、いた口がふさがりませんでした。
 両親もとうとう思案に余って、とにかくそれでは娘にこの書物を読まして一通り聞いた上で、本当ほんとうそか考えてみようという事にめました。
 両親の許しを受けて娘が書物を読み初めると、へや中の者は、みんな水を打ったようにしんとなりました。只その中で白髪小僧ばかりは何の事やら訳がわからずに大きな眼をパチパチさせながら、娘の美しい声に聞きれていましたが、間もなく聞き疲れてしまって、又うとうとと居睡いねむりを初めました。
 お嬢様はそれには構わずに、書物を繰り拡げて高らかに読み初めました。その話しはこうでした。

     二 黒い表紙の書物

 この書物に書いてある事は、世界一の利口者と世界一の馬鹿者との身の上に起った、世界一の不思議な面白いお話しである。
 この話しを読む人は誰もこの中に書いてある事を本当ほんとないであろう。皆そんな馬鹿気た不思議な事がこの世の中に在るものかと思うであろう。唯世界一の利口な人と世界一の馬鹿な人だけは、これを本当ほんとにして読むのである。今のところそんな人はこの世のうちに唯二人しかいない。その一人はニコニコ王様の長生ながいきの乞食の白髪小僧で、今一人はこの国の総理大臣の美留楼みるろう公爵の末娘美留女姫みるめひめである。そうしてこの書物の持ち主は、この書物に書いてある事を、初めからおしまいまで本当ほんとにして読む人――つまりこの白髪小僧と美留女姫二人より他には無いのである。
 この書物にはその持ち主が、自分や他人の身の上について知りたいと思う事、又はの人に知らせたい、話して聞かせたいと思う事が、自由自在にや文字となって現われて来る。今美留女姫は自分がこの書物を手に入れた仔細わけを、両親ふたおややその他の人々に読んで聞かせたいと思っているから、このお話しはず美留女姫の身の上の事から始まらなければならない。
 今この書物を声高らかに読んでいる美留女姫は前にもある通り、この国第一の金持ちで、この国第一のたっとい役目と身分とを持っている公爵美留楼という人の末娘で、今年十四になったばかりであるが、生れ付きお話が大好きで、毎日一ツずつ新しいお話を聞かねばその晩眠る事が出来ないのがくせであった。姫の両親ふたおやはそのために、毎日毎日新しいお話の書物を一冊ずつ買ってやったが、今は最早もはやその書物が五ツの倉庫くらに一パイになってしまった。この上にはどこの書物屋を探しても、今までと違った新しいお話の書物は、一冊も無いようになってしまった。
 ところがここに一ツ困った事には、この美留女姫は大層物憶ものおぼえがよくて、どんなに古く聞いた話でも少しも間違わずにはっきりと記憶おぼえていて、初めの二言三言聞けばすぐにあとの話を皆思い出してしまうから、古い書物を二度読んで聞かせる訳には行かなかった。それかといって、この上に新しいお話は世界中に只の一ツも無いのだから、姫は毎日毎晩新らしいお話が聞きたくて聞きたくて夜もおちおち眠る事が出来なかった。
 けれども姫は両親ふたおやにこの事を話すと、かえって心配をかけると思ったから、毎晩故意わざとよく眠ったふりをして我慢がまんしながら、どうかして新しい珍らしいお話を聞く工夫はないかと、そればかり考えていた。
 ところが或る日の朝の事であった。姫は昨夜も夜通しまんじりともなかったので、呆然ぼんやりしながら起き上って顔を洗い御飯を喰べて、何気なく縁側に出て庭の景色に見とれた。丁度秋の半ば頃で庭には秋の草花が露に濡れて、眼眩めまぐるしい程咲き乱れていたが、姫は又もやお話の事を思い出して、ああ、あの花が皆い魔物か何かで、一ツ一ツに面白い話しをてくれればいいものを、の林の中にさえずっている小鳥が天人か何かで、方々飛びまわって見て来た事を話して聞かせるといいいものをとひとりでつまらなく思っていると、不意に耳の傍で――
「美留女姫、美留女姫」
 と奇妙な声で呼ばれたので、吃驚びっくりしてふり向いた。見るとそれはつい昨日きのうの事、美留女姫の兄様の美留矢みるやが、明日あす王様に差し上げるからそれまで飼っておいてくれと云って、美留女姫に預けた一羽の赤い鸚鵡おうむで、美留矢の家来が東の山からって来たものであった。美留女姫はこれを見るとさびしい笑みを浮かめて――
「まあ、お前だったのかい、今呼んだのは。まあ、何という利口な鳥でしょうねえ。最早もう妾の名前を覚えたの。大方お父様かお母様の真似でもているのでしょう。本当にお前は感心だわねえ」
 と云いながら、かごの傍に近寄った。けれども鸚鵡は籠の真中の撞木に止まりながら、矢張やっぱり姫の名を呼び続けた――
「美留女姫、美留女姫、美留女姫」
 これを聞くと姫は益々笑いながら――
「まあ、可笑おかしい鸚鵡だ事。わかったよ、わかったよ、妾はここに来ているではないの。そうして妾に何か用でもあるの」
 と尋ねた。すると不思議なことには赤鸚鵡がたちまち姫の前の金網へ飛び付いて、姫の顔を真赤まっかな眼で見つめながら――
「美留女姫、美留女姫、用がある。話がある、面白い話しがある」
 と呼んだ。
 美留女姫はこれを聞くと、真青になって驚いた。真逆まさかこんな鳥が、人間と同じように、しかも自分に話しかけようとは夢にも思わなかったのだから、怪しんだのも無理はない。余りの事にあきれて口も利けなくなって、茫然ぼんやりと鸚鵡を見つめていると、赤鸚鵡は構わずに叫び続けた――
「怪しむな、驚くな、美留女姫、美留女姫。
 お前の願いは今かなった。
 新規の話しを聞きたいという。
 お前の願いは今叶った。
 行け行け、街に行け。
 たったひとりで街に行け。
 この広い街中で一番長く生きている。
 白髪しらが頭の人に聞け。
 不思議な姿の人に聞け。
 その人の身の上話しを……
 悧口な美留女姫。
 賢い美留女姫。
 疑うな、怪しむな、夢でない、本当だぞ。
 疑うな、怪しむな、夢でない、本当だぞ」
 美留女姫はこの時やっとれに帰って、夢から覚めたように思いながら、鸚鵡の言葉を一心に聞いていた。そうして心のうちで、この不思議な鳥の言葉を、驚き怪しみながらもまた、その云う事が決していつわりでも出鱈目でたらめでも何でもなく、本当に珍らしい話しを聞くのに、一等都合のうまい工夫を教えている事がかって、心から感心した。成る程この街で、一番珍しい奇妙な風体なりをしている、一番長生ながいきの白髪頭の老人を見付け出して、その人の身の上話しを聞かしてもらえば、屹度きっと面白い新規の話を聞く事が出来るに違いない。又仮令たといそんな人でなくとも、身の上話しならばどんな人を捕まえても、十人が十人違っているはずだから、同じ話を二度聞かされる心配はない。そうしてその御礼には、書物を一冊買うだけのおあしを遣れば、貧乏人等は喜んで話して聞かせるに違いないと、こう考え付くと美留女姫は、最早もう一秒時間も我慢が出来なくなった。眼の前の鸚鵡の事も忘れてしまって、直ぐに自分のへやに帰って帽子を頭にせるが早いか、たった一人で家を出てある人通りの多い橋のたもとへ駈けて来た。
 そこにしばらくの間立って待っていると、間もなくよい都合に向うから、おあつらえ通りの奇妙な風体なりをした白髪頭の人が遣って来たから、姫は天にも昇らんばかりに喜んで、いきなりその人の前に駈け寄ってそですがりながら十円の金貨を出して、身の上話をしてくれと頼んだ。その人は頭に高い帽子を三段も重ねて耳の処までかむっていた。そして身には赤い襯衣しゃつを着て、青い腰巻の下から出た毛だらけの素足に半長はんながの古靴を穿いていたが、赤い顔に白髪髯しらがひげ茫々ぼうぼうやして酒嗅さけくさ呼吸いききながら、とろんこ眼で姫の顔を呆れたように見つめていた。けれども姫から大略あらまし仔細わけを聞くと、大きな口を開いて笑い出した――
「アハ……。そうか。ではお前はここまでお話しを買いに来たのか。成る程、それは巧い思い付きだ。そうして第一番に俺をつかまえたのは感心だ。
 世界中で俺位面白い愉快な身の上を持っているものは、他に唯の一人も無いのだからな。では今から話すからよく聞きなよ。俺は小さい時から酒が好きで、どうしても止められなかったんだ。親が死んでも構わずに酒を飲んだ。かかあや小供が死んでも矢張やっぱり酒を飲んだ。うちが火事になっても、ちゃっておいて酒を飲んでいた。うれしいと云っちゃ飲んだ。悲しいと云っちゃ飲んだ。昨日きのうも飲んだ。今日もたった今まで飲んだところだ。明日あした明後日あさっても……大方死ぬまで飲むんだろう。今からもまた、お前のお金で飲んで来ようと思うんだ。これでお仕舞い……目出度めでたし目出度しかね。ハハハ。イヤ有り難う。左様なら」
 と云ううちに姫のてのひらの中の十円の金貨を引ったくって、よろよろとよろめいて行った。
 姫は大層面白い話だとは思ったが、何しろあんまり短くて張り合いがなかった。だから今度はなるべく長くくわしく話してもらおうと思って、ぱらいのあとから通りかかったお婆さんの傍へ寄って、事情わけを話して身の上話しを聞かしてくれと頼んだ。
 このお婆さんも不思議な風体ふうていで、頭は白髪が茫々ぼうぼうと乱れているのに、わらで編んだ笠をかむり、身には長い穀物こくもつの袋に穴を明けたのに両手と首を通して着ていて、足には片方かたっぽうにスリッパ、片方には膝まで来る長靴を穿いて、一尺ばかりの杖を突張って地面に這い付く程に腰を曲げていた。そうして矢張やっぱり最前の酔払いと同じように、美留女姫が出し抜けに奇妙な事を頼んだのに驚いたと見えて、杖につかまって腰を伸ばしながら、霞んだ眼をまるにして姫の顔を見ていたが、やがてニヤリと笑いながら金貨を貰ってそのまま杖を突張って行こうとした。姫は慌てて袖にすがって――
「アレお婆さん。お話しはどうしたのです。何卒どうぞあなたの身の上話を聞かして下さいな」
「何も話す事はありませぬ。ただ三万日の間つまらなく長く生きていたばかりで御座います」
「まあ三万日……八十年ですわね。でもその間に何か珍しい事があったでしょう」
「アア。そうそうたった二ツありましたよ」
「それはどんな事ですか?」
「一ツは生れてはじめてお話気違いというものを見た事で御座います」
「オヤ。いつ、どこで?」
「今、ここで」
「マア。ではも一ツは?」
「十円の金貨というものをこの手に生れて初めて握った事で御座います。ほんとに有り難う御座いました。さようなら」
 と云いながら袖をふり払ってどこかへ行ってしまった。
 こんな風にう者も遇う者も皆姫を気違いか馬鹿扱いにして、散々嘲弄からかってはおあしを持って行ってしまったから、一時間と経たぬうちに姫の財布はすっかり空っぽになってしまった。そのうちでも非道ひどい奴はお金も何も取らない代りに――
「俺は今忙がしいんだ。そんな馬鹿の相手になってはいられない」
 と剣突けんつくくらわして行ったものもあった。
 姫はもうすっかり気を落してしまって、とてもこんな塩梅あんばいでは一生涯面白い珍らしい話を聞く事は出来ないであろう。の赤鸚鵡おうむは嘘をいたのか知らん。もし本当にこれから一ツも新しいお話を聞く事が出来なければ、もう一生涯何の楽しみも無くなってしまったのだから、死んだ方がいくらいか知れない。ああ、情ない事になった。つまらない事になったと、しくしく泣きながら、街外れのある河岸まで来るともなく歩いて来ると、そこに立っている大きな銀杏いちょうの樹の根元に腰をかけて、疲れた足を休めようとした。けれどもまだ腰をかけぬ前に姫はその銀杏の樹の根元に思いがけないものを見つけて、たちまおどり上らんばかりに喜んだ。その時姫が見付けたのがこの白髪小僧と題した不思議なお話の書物であった。
 姫はこの書物が、りゅうのようにうねった銀杏の樹の根本に乗っているのを見つけると直ぐに、この書物こそ自分が今まで一度も見た事のない書物だと思って、思わずけ寄って手に取ろうとしたが、又ハッと気が付いて立ち止まった。見れば大分古びた書物のようだから、これは屹度きっと誰かがここに置き忘れて行ったものに違いない。して見ればこれを黙って開いて見るのは泥棒と同じ事だと思って、出しかけた手を引っこめた。
 姫は折角こんな有り難い事に出くわしながら、指一本指す事も出来ず、持ち主の来るのを待っていなくてはならぬのが、自烈度じれったくてたまらなかった。早く持ち主が来てくれればいい。そうして自分にこの書物を貸してくれればいいと、足摺りをして立っていた。けれどもどういうものか、持ち主はおろか人間らしいものは一人も遣って来ないで、その代りに空から銀杏の葉が黄金こがねの雪のようにチラチラと降って来て、書物のまわりに次第次第に高く積りはじめた。そうしてその黒い表紙がだんだんと見えなくなって、もうあと一二枚落ちるとすっかり銀杏の葉で隠れてしまいそうになると、最前さっきから我慢の出来るだけ我慢をしていた姫は、もうたまらなくなって、我れ知らず傍に走り寄って、銀杏の葉をけて書物を拾い上げて、表紙を一枚夢中でめくって見た。
 すると姫は又もやそこに夢ではないかと思う程不思議なものを見つけた。その初めの処にはっきりとした文字で『白髪小僧と美留女姫みるめひめ』という言葉が、チャンと二行に並んで書いてあったのである。姫は白髪小僧の事は兼々かねがねお附の女中からくわしく聞いて知っていたが、今目の前に自分の名前と一緒にチャンと並べて書いてあるのを見ると、どうしても誰かの悪戯いたずらとしか思われなかった。
 けれども姫が又急いで次のページを開いて見ると、今度はいよいよ二人の名前が出鱈目でたらめに並べてあるのではなく、この書物には本当に、自分と白髪小僧の身の上に起った事が書いてあるのだという事がわかった。その第三頁目には王冠をいただいた白髪小僧の姿と美事な女王の衣裳を着けた美留女姫が莞爾にっこと笑いながら並んでいる姿がいてあった。
 もう姫はこの書物から、一寸ちょっとも眼を離す事が出来なくなった。すぐに第四枚目を開いてそこに書いてあるお話を次から次へと読んで行くと、疑いもない自分の身の上の事で、姫がお話の好きな事から、身の上話を買いに出かけた事、そうして銀杏の根本でこの書物を見つけたところまで、すっかりくわしく書いてあるものだから、全く夢中になってしまって、これから先どうなる事だろうと、先から先へと頁を繰りながら、うちの方へ歩いているうちに、一足ずつ川岸の石崖の上に近づいて来た。折からそこを通りかかった二三人の人々はこの様子を見てきもつぶし――
「危いッ、お嬢様危い。ソラ落ちる」
 と大声揚げて駈け附けた。
 しかし姫は書物に気を取られていたから人々の叫び声も何も耳に入らなかった。
 矢張やっぱ平地ひらちを歩いているつもりで片足を石垣の外に踏み出すや否や、アッと云う間もなく水煙みずけむりを立てて落ち込んでドンドン川下へ流れて行った。
 けれども仕合わせと白髪小僧の御蔭おかげで危い命を拾ったが、これが縁となって美留女姫は白髪小僧をへ連れて来て、両親を初め皆の者に白髪小僧と自分との身の上に起った、今までの不思議な出来事を読んで聞かせると、皆心から驚いて、一体これはその書物に書いてあるお話しか、それとも本当に二人の身の上に起った事かと疑った。そうして今の話で、この間赤い鸚鵡が云った一番長生ながいきの白髪頭の奇妙な姿をした老人というのはお爺さんでもお婆さんでも何でもなく、この白髪小僧の事に違いないことがわかった。成程、白髪小僧ならば、世界中で二人とない不思議な身の上話を持っているに違いない。そうしてそれを聞くのは世界中でこの人達が初めてで、しかもそれが美留女姫の身の上と一所になって、どこかまだ知らぬ国の王様と女王になるらしく思われたから、皆の者は最早もう先が待ち遠しくてたまらなくなって――
「それからどうしたのです。早く先を読んで下さい」
 と口々に催促さいそくをした。

     三 青い眼

 美留女姫も同じ事で、最前さっき水に落ちたのを、白髪小僧に救い上げられてから今までの出来事は、皆本当に自分の身の上に起っている事か、それともこの書物に書いてあるお話しかと疑った。そうして皆から催促される迄もなく、白髪小僧と自分の身の上のお話がどうなるか、早く読みたくて堪らなかったけれども、一先ずじっと気を落ち着けて皆の顔を見まわしながらニッコリと笑った。そうして――
「待って下さい。わたしもこれから先どうなるか知らないのです。今から先を読みますから静かにして聞いていて下さい」
 と云いながら、胸を躍らせて次の頁を開いた。
 見ると……どうであろう。次の頁は只の白紙しらかみで、一字も文字が書いて無いではないか。これは不思議……今まであった話が途中で切れるはずはないと思いながら、慌てて次の頁を開いたがここも白紙はくしで何も書いて無い。その次その次とお終い迄バラバラ繰り拡げて見たが矢張やっぱり同じ事。真逆まさか白髪小僧と自分の身の上が、これでおしまいになった訳ではあるまいと、美留女姫は胸が張り裂ける程驚き慌てて、今度は前の方を引っくりかえして見ると又驚いた。今まであんなに書き続けてあった文字が一字も無く、この書物は全くの白紙しらかみの帳面と同じ事になっていた。
 美留女姫はあまりの事に驚きあきれて思わず書物から眼を離すと又不思議、今までたしかに大広間の中で大勢の人に取りまかれて、書物を読んでいた筈なのに、今見まわせばそんなものは、書物の文字やと一所に、どこかへ綺麗きれいに消え失せてしまって、自分は矢張り最前の銀杏いちょうの根本に、書物を持ったままぼんやりと突立っているのであった。しかも眼の前の最前書物の置いてあった銀杏の樹の根本には、いつの間にどこから来たか、白髪小僧が腰をかけていて、お話を聞きながらうとうとと居睡いねむりをしているではないか。姫は何だかサッパリ訳がわからなくなった。最前からのいろいろの不思議の出来事は、矢張り本当の事ではなく、皆この書物を読みながらそのお話しの通りに自分がたように思っただけで、本当は矢張り最前さっきからここに立ったままで、白髪小僧は自分の気付かぬにここに来て眠っているのだとしか思われなかった。姫は益々呆れてしまって、思わず手に持っていた書物をパタリと地上じべたに取り落すと、間もなくさっと吹いて来た秋風に、がバラバラと千切れて、そのまま何千何万とも知れぬ銀杏の葉になって、そこら中一杯に散り拡がった。見るとその葉の一枚ごとに一字ずつ、はっきりと文字が現われている様子である。
 重ね重ねの不思議に姫は全く狐につままれた形で、ぼんやりと突立って見ていると、その内に又もや風が一しきり渦巻うずまって、字の書いてある銀杏の葉をクルクルと巻き立てて山のように積み重ねてしまった。
 するとそこへどこからか眼の玉と髪毛かみのけひげが真青な、黄色い着物を着た一人のおじいさんが出て来たが、この銀杏の葉の山を見ると、これも何故なぜだか余程驚いた様子で――
「これは大変な事になった。一時いっときも棄てておかれぬ」
 と云いながら直ぐそばの石作りの門の中に這入ったが、やがて大きな袋とほうきを持って来てすっかり銀杏の葉をその中へんで、どこかへかついで行く様子である。これを見ていた姫はこの時はっと気が付いて、あの銀杏の葉に書いてある字を集めると、屹度きっと今までのお話しの続きがわかるのに違いないと思ったから、持って行かれては大変と急に声を立てて――
「お爺さん、一寸待って下さい」
 と呼び止めた。
 けれども青い眼の爺様は見向きもしないでただ――
「何の用事だ」
 と云い棄ててずんずん先へ急いで行った。
 美留女姫はこれを見ると、慌ててお爺さんにすがって――
「お爺さん。何卒どうぞ御願いですから待って下さい。そうしてその銀杏の葉に書いてある字を妾に読まして下さい」
 と叮嚀ていねいに頼んだ。けれどもお爺さんは矢張り不機嫌な声で――
「馬鹿な事を云うな。これは悪魔の文字だ。これを見ると悪魔に魅入られるのだ。見せる事は出来ない」
 と答えながらなおも足を早めて急いで行く。
 美留女姫は気が気でなくなおもお爺さんに追い縋って尋ねた――
「では貴方あなたはそれをどうなさるのですか」
「うるさい女の子だな。山へ持って行って焼いてしまうのだ」
「エエッ。それはあんまり勿体もったいないじゃありませんか。それには面白いお話しが沢山書いてあるのです。妾はそれを読んでしまわなければ、今夜から眠る事が出来ませぬ。明日あしたからは生きている甲斐かいが無くなります。何卒どうぞ何卒どうぞ後生ですから妾を助けると思って、その銀杏の葉に書いてある字を読まして下さい。ね。ね」
 と泣かんばかりに頼みながら、老人に追い付いて袖に縋ろうとした。けれども爺さんは尚も意地悪くふり払って――
「そんな事を俺が知るものか。この銀杏の葉に書いてある文字は、藍丸国あいまるこくの大切な秘密のお話しで、これをうっかり読んだり聞いたりすると、藍丸国に大変な事が起るのだ。とてもお前達に見せる事は出来ない。あきらめて早く帰れ」
 と云いながら一層足を早めて歩き出した。
 するとこの様子を見ていた白髪小僧は、何と思ったかたちまちむっくり起き上って、大急ぎであとを追っかけはじめた。そのうちに美留女姫も一生懸命に走ってお爺さんに追い付いて、何をるかと思うと、ふところから小さなはさみを取り出して、お爺さんがかついで行く袋の底を少しばかり切り破った。そうして、その破れ目から落ちる銀杏の葉を、お爺さんが気付かぬように、ずっと後ろから拾って行きながら、その上に書いてある一字一字をすずしい声で読み初めたが、その一字一字は不思議にも順序よく続き続いて、次のような歌の文句になっていた。

     四 石神の歌

「三千年の春ごとに、栄え栄えた銀杏の樹。
 三千年の夏毎に、茂り茂った銀杏の樹。
 こずえに近い大空を、月が横切る日が渡る。

 流るる星の数々は、枝の間に散り落ちて、
 千万億の葉をふるう、今年の秋の真夜中の、
 霜にす文字の数、つなぎ繋がる物語。

 春はどこから来るのやら。秋はどっちへ行くのやら。
 毎年まいとし毎年花が咲き、毎年毎年葉をふるう。
 昔ながらの世の不思議、今眼の前に現われて、
 眼は見え耳はきこえても、手足は軽く動いても、
 昨日きのうた事今日忘れ、先刻さっきした事今忘れ、
 自分の事も他事ひとごとも、忘れ忘れていつ迄も、
 限りない年生き延びた、聞こえつんぼの見え盲目めくら
 不思議な王の知ろしす、奇妙な国の物語。

 昔々のその昔、世界に生きたものが無く、
 ただ岩山とにごり海、真暗闇まっくらやみのそのうちに、
 或る火の山の神様と、ある湖の神様と、
 二人の間に生れ出た、たった一人の大男。
 金剛石の骨組に、肉と爪とは大理石。
 黒曜石の髪の毛に、肌は水晶血は紅玉ルビー

 岩角ばかりで敷き詰めた、広い曠野あれのの真中で、
 大の字なり仰向あおむけに、何万年と寝ていたが、
 或る時天の向うから、大きな星が飛んで来て、
 寝てる男の横腹へ、ドシンとばかりぶつかった。

 男はウンと云いながら、青玉の眼を見開いて、
 どこが果ともわからない、やみの大空見上ぐれば、
 左の眼からは日の光り、右の眼からは月の影、
 金と銀とに輝やいて、二ツ並んで浮み出し、
 一ツは昼の国に照り、一ツは夜の国に行く。

 まばたきすれば星となり、呼吸をすれば風となり、
 くしゃみをすればらいとなり、欠伸あくびをすれば雲となる。

 男はやがてむっくりと、山より大きな身を起し、
 ずっと周囲まわりを見まわせば、四方あたりは岩と土ばかり。
 もとより生きた者とては、くさ一本も生えて無い。

 男はあまりの淋しさに、オーイオーイと呼んで見た。
 けれどもあたりに一人いちにんも、人間らしい影も無く、
 大石小石の果も無い、世界に自分は唯一人。

 青い空には雲が湧く。幾個いくつも幾個も連れ立って、
 さも楽し気に西へ行く。けれども自分は唯一人。

 黒い海には波が立つ。仲よく並んでやって来て、
 岸に砕けて遊んでる。けれども自分は唯一人。

 もとより不思議の大男。うちも着物も喰べ物も、
 何んにも要らぬ身ながらに、相手といっては人間や、
 鳥やけものはまだ愚か、くさ一本も眼に入らぬ、
 広い野原の恐ろしさ。石の野原のすさまじさ。

 折角生れて来たものの、話し相手も何も無い、
 淋しさつらさ情なさ。男はとうとうれ出して、
 一体誰がこの俺を、こんな野原に生み出した。
 一体誰がこの俺を、こんな荒野あれのに連れて来た。

 いっそ眠っているならば、死ぬまで眠っているならば、
 こんな淋しい情ない、つらい思いはしまいもの。
 一体誰がこの俺を、ドシンとなぐって起したと、
 ぬっくとばかり立ち上り、声を限りに怒鳴どなったが、
 答えるものは山彦の、野末に渡る声ばかり。

 青い空には雲が湧く。けれども自分は只一人。
 黒い海には波が立つ。けれども自分は只一人。

 男はとうとう怒り出し、吾れと吾が髪引掴み、
 赤く血走る眼を挙げて、遠い青空にらみつつ、
 大声揚げて泣きながら、天もひびけとののしった。

 大空も聞け土も聞け、山も野も聞け海も聞け。
 目に見えるもの見えぬ者、あらゆる者よみんな聞け。
 俺は死ぬのだ今直ぐに、この場で死んでしまうのだ。
 われと自分の淋しさに、天地をうらんで死ぬるのだ。
 こんな淋しい恐ろしい、所に長く生きていて、
 悲しい思いするよりは、死んでしまった方が好い。

 こんな眼玉があったとて、面白いもの見なければ、
 綺麗なものを見なければ、何の役にも立たないと、
 われと吾が眼をえぐり出し、虚空こくうはるかに投げ棄てた。
 その投げ上げた眼の玉が、地面じべたに落ちたその時は、
 一字も文字の書いて無い、巻いた書物となっていた。

 二ツの耳もこの上に、面白い事聴かれねば、
 他人ひとの話しもきかれねば、何の役にも立たないと、
 両方一度に引き千切り、地面の上に打ち付けた。
 すると二ツ耳も亦、地面に落ちると一時いちどきに、
 一ツも穴の明いて無い、重たい石の笛となる。

 鼻はあっても見る限り、咲く花も無い広い野の、
 ほこりせるばかりでは、かえっ邪魔じゃまにしかならぬ、
 くその役にも立たないと、これも千切って打ち付けた。
 するとガタンと音がして、糸を張らない月琴げっきんが、
 この大男の足もとの、石の間に落っこちた。

 又一人いちにんも話しする、相手が無ければこの舌も、
 無駄なものだと云ううちに、ブツリとばかり噛み切って、
 石の間にてた。それと一緒にコロコロと
 振り子の附かない木の鈴が、地面の上に転がった。

 こうして我れと吾が身をば、のろつくした大男、
 息はたちまち絶え果てて、石の野原に打ちたおれ、
 手足も頭もバラバラに、胴と離れて転がった。

 折しも四方に雲が湧き、雷が鳴り風が吹き、
 月日の光りも真暗に、砂や小石を吹き上げて、
 車軸を流す大雨を、泥や小砂利の滝にして、
 の大男の亡骸なきがらも、埋もるばかりにふりかけた。

 その時海も野も山も、砕くるばかりに鳴り渡る、
 さも物凄い恐ろしい、真暗闇のただ中に、
 の石男の眉間みけんから、赤い光りが輝やいて、
 額の骨が真二まっぷたツに、パッと割れたと思ううち、
 真赤な鸚鵡が飛び出して、東の方へ飛んでた。

 又石男の胸からは、青い光りが輝やいて、
 身に宝石のうろこ着た、細い海蛇かいだを巻き付けた、
 大きな鏡が現われて、南の方へ飛んでた。

 やがて空には雲が晴れ、地には嵐が吹き止んで、
 泥の野原に泥の山、濁った海のその他は、
 何にも見えぬそのはてに、真赤な真赤な太陽が、
 ぐるぐるぐると渦巻いて、まぶしく沈みかけていた。

 その時地面のドン底の、の石男の亡骸なきがらの、
 数限りない毛穴から、何億万とも数知れぬ、
 大きい小さい様々の、石の卵が湧き出して、
 暖かい日に照らされて、一ツ一ツにかえり出す。

 足から出たのはくさや木に、胴から出たのは虫けらに、
 手から出たのは鳥獣とりけもの、水に沈めばうおくずに、
 又頭から湧いたのは、数限りない人間に、
 われて這い出て世の中に、今の通りに散らばって、
 一ツの国が出来上り、藍丸という名が付いた。

 さてその中に只一つ、へその中から湧き出した、
 小さい白い一粒は、気高い尊い御姿の、
 若いお方に抜けかわり、藍丸国の王様の、
 位にいてそのままに、何千何万何億と、
 数限りない年月としつきを、無事に治めておわします。

 この藍丸の国のうち、津々浦々に到るまで、
 皆正直に働いて、この珍しい長生ながいきの、
 王に忠義をつくす故、王はおいでになりながら、
 広い国中何一つ、御気にかかった事もなく、
 いつも御殿の奥深く、銀の寝台ねだいに身を休め、
 うつつともなく夢ぞとも、御存じのない魂は、
 他の世界へ抜け出でて、他の世界の人々に、
 王の心の気楽さを、示し歩いておわします」[#最後の5行は底本では字下げなし]

 ここまで読んで来ると生憎あいにく、先に立ったお爺さんは、この時不図ふと袋が軽くなったのに気が付いて、変だと思いながらふり返って見ると、自分の背中の袋から落ちた銀杏の葉が、ずっと背後うしろまで長く続いているのを見付けた。これは大変と吃驚びっくりして袋を調べて見ると、最前さっき美留女姫が鋏で切り破った穴が、袋の底に三角にいている。お爺さんはこれを見るとおこるまい事か――
おのれ小娘、覚悟をしろ。こんな悪戯わるさをして俺の大切な役目を破ったからには生かしておく事は出来ないぞ。どうするか見ておれ」
 と大きな声で怒鳴りながら、たちまち鬼のような顔になって袋も何もちゃって、あと引かえして追っかけて来た。
 美留女姫は二度吃驚びっくり。もう銀杏の葉の字を読むどころの沙汰さたではない。慌てて逃げ出して、あとから来た白髪小僧の袖に縋って――
「あれ、助けて頂戴。白髪小僧さん。助けて頂戴。あのお爺様に殺されます。わたしを助けて頂戴。連れて逃げて頂戴。早く。早く」
 と云いながら、もう先へ立って駈け出した。この様子を見たお爺さんは益々腹を立てて真赤になって、
おのれ悪魔の娘、逃げようとて逃がすものか。空の涯までも追っかけて引っ捕えてくれる。引っ捕えたら生かしてはおかないぞ。あとから行く白髪の男、貴様も待て。二人共悪魔であろう。国を乱す悪魔であろう。石神のふみを読んだからには悪魔の片われに違いない。逃がす事は出来ないぞ。生かしておく事は出来ないぞ」
 と大きな声でわめきながら追っかけた。

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