一
一人の乞食の小僧が山の奥深く迷い入って、今まで人間の行った事のない処まで行くと、そこに猿の都というものがあった。
猿の都は広い野原と深い森に囲まれた岩の山で、その岩には沢山の洞穴が出来ていて、まるで大きなお城のようになって、その中に沢山の猿が住まってキャッキャと騒ぎまわって日を送っているのであった。乞食小僧がそこへ来ると、猿共は人間を珍らしがって大勢まわりに集まって来たが、何と思ったか、皆で小僧を担ぎ上げて、お城の奥深く住んでいる猿の王様の処へ連れて行った。王様は大きな猿で、石の椅子の上に枯れ草を敷いて坐っていたが、乞食小僧を見ると驚いて岩の天井に駈け上った。けれども小僧は落ち付いて、街で貰った煎餅を一枚懐から出して王様に遣ると、王様は大層嬉しかったらしく、家来の猿共に云い付けて果物を沢山持って来らして小僧に遣った。小僧は果物が大好きであった。そして、こんな沢山喰べ物があるならば、街で乞食をしているよりもここに居る方がずっといいと思った。
翌る日から乞食小僧は猿共と一所になって遊んだ。そして先ず白い木の皮で冠を造って、赤い木の実で染めて、王様に冠せてやった。王様は喜んで、又沢山果物を呉れた。それから小僧は木の枝を集めて自分の家を造った。そして、感心して見ている猿共にも造ってやった。その他、小僧はいろいろな良い事を猿共に教えてやった。谷川に橋を掛ける事。怪我をした時に赤土を押し当てて血を止める事。渋柿を吊して露柿を造る事。胡栗を石で割って喰べる事。種子を蒔いて真瓜を造る事。
その代り少年は、猿からもいろいろな軽業を習った。木登り方は先生の猿よりも上手になった。綱渡りも名人になった。枝から枝へ飛び渡ったり、足を引っかけてブラ下ったり、身の軽い事鳥のようで、地面の上を歩くよりも木の上を駈けまわる方がずっと早い位になった。その中に猿の言葉はいうに及ばず、いろいろな獣や鳥や虫の言葉まですっかり記憶えてしまったので、今は遊び友達が大変に殖えて、いよいよここが面白くて面白くて堪らないようになった。
二
すると或る日の事、猿の王様の処で大変な評議が始まった。それは一匹のカナリヤが知らせに来たので、何でも山一つ向うに狼の強盗が沢山集まっていて、「猿の癖にお城に居るなんて生意気だ。これから攻め寄せてお城を取って、手向いをする奴は片っ端から喰ってしまおうではないか」と評議していると云うのであった。
これを聞くと猿共は、赤い顔が青くなる程驚いていろいろ相談をしたが、何しろ喧嘩ずくでは狼に敵わないから一層の事、狼に喰い殺されないうちにここを逃げ出して、他の所にいい住居を探そうという事に決めた。けれども小僧はこれを押し止めて、猿共を皆洞穴の中に隠して入り口を塞いで、自分一人森の外に出て狼の来るのを待っていた。
狼はとうとう或る夜やって来た。その数は何千か何万かわからぬ程ヒシヒシと猿の都を取り巻いて、先ず一時に鬨の声を挙げて大波の打つように攻め寄せて来た。けれども小僧は驚かなかった。狼が近寄ると、小僧は懐から燧石を出して森の外の枯れ草に火を放けた。すると折りから吹いて来た烈しい夜風に誘われて、見るうちに焼け広がって轟々と音を立てながら狼の方に吹きかかって行った。そのために深い草の中に居た狼共は皆焼け死んだ。死なないものも火の勢いに恐れてチリチリバラバラに逃げ失せた。その後狼共は又と再びこの猿の都に攻め寄せて来なかった。それから猿共は王様を始め皆、小僧を神様のように恐れ敬って、毎日いろいろな美味しい果物を捧げて、何でも云う事を聞くようになった。小僧は益得意になって大威張りで遊びまわった。
三
或る日の事、小僧は只一人で山の中を遊びまわっていると、思わず遠方まで来て一つの湖の傍へ来た。その湖は大変景色がよかったので、小僧はぼんやりと見とれていると、やがて沖の方から一艘の帆掛船が来るのが見えた。小僧は久し振りにこんなものを見たので、何だか懐かしいような気がしてなおも一心に見ていると、その船はだんだん近寄って、小僧の眼の前の砂原に着いて帆を卸した。そしてその中から、三人の荒くれ男が七八ツ位から十二三位の美しい子供を都合十三人、猿轡を噛まして後手に縛ったまま引きずり出して、砂原の上に坐らせた。そしてその前に一つ宛青い壺を据えて、その横で三人共庖丁を磨ぎはじめた。
「これは生き肝取りに違いない。助けてやろう」
と小僧は思った。そうしてつかつかと傍に近寄って、一人の男に向かって、
「もしもし。私の生き肝を序に一つ取って下さい」
と頼んだ。荒くれ男は三人共、不意に奇妙な子供が出て来た上に、こんな大胆な事を云ったので、驚いて顔を見合わせた。けれどもやがてその中の親分らしい一人は眼をギョロリと光らして、気味悪く笑いながら、
「ウン。取られたければ取ってやらん事もないが、一体何だってそんなに肝が要らなくなったんだ」
「私は今までこの山奥の猿の都に居たんです。そして猿共と一所に木登りをするけれども、木から木へ飛び移ったり綱渡りをするのが恐ろしくて恐ろしくて、どうしても猿共に敵わないんです。ですから猿の王様にそのわけを聞くと、王様が云うには、人間の肝は猿の肝より小さいからそんなにビクビクするのだ。俺は今七八ツ程肝を仕舞って、時々出して洗濯しているが、欲しければ新しいのを一つ遣ろう。その代り今持っているのを棄ててしまえというのです。けれども私はどうしたら肝を出していいか分らないから、誰か肝を取る事の上手な人に頼もうと思ってここまで来たところです。丁度いいから取って下さい」
「ハハハハ。貴様は馬鹿だな」
「馬鹿じゃありません。本当に頼むんです」
「ウン、そんなら取ってやろう。その代り少し痛いからじっとしていなくちゃ駄目だぞ」
「痛い位驚きません」
「よし。こちらへ来い」
と云って、親分は一本の大きな樹の下に連れて行った。小僧はその幹によりかかって、胸を開いて、
「さあ取って下さい」
と云いながら突き出した。あとからついて来た二人の男は驚いて、
「馬鹿な小僧だなあ」
と云った。
けれども親分らしい男は黙って、今磨いだばかりの庖丁を小僧の眼の前に突きつけて、睨み付けて云った。
「さあいいか」
これを見ると、小僧は急に高らかに笑い出した。
「アハハハ。お前達に肝を取られるような間抜じゃない。今のは鳥渡嘘を吐いて嘲弄ったのさ。態を見ろヤイ」
と云いながら、親分の顔にプッと唾を吐きかけた。親分は「奴れ」と云い様、小僧の胸を目がけて庖丁をグサと突き立てた。けれどもその胸は板のように固かった。ハッと驚いてよく見ると、庖丁は木の幹に突っ立っていて、小僧の姿はどこへ行ったかわからなかった。
「ヤーイ。馬鹿野郎。間抜け野郎。ここまでお出で。甘酒進上」
と云う声が木の上からきこえて来た。それと一所に水がバラバラと降って来た。見ると小僧はいつの間にか木の上に駈け上って、三人に小便をしかけていた。三人は怒るまい事か、庖丁を口に啣え、手ん手に木に登り初めたが、三人が小僧の傍まで来ると、小僧は又一段高い処に登って散々に悪態を吐いた。三人は益憤って、どこまでもと追いつめた。そしてとうとう一番天辺まで来ると、小僧は鳥のように隣りの木の枝へ飛び移って、スルスルと地面へ辷り降りて砂原へ来て、十三人の子供を船に乗せて帆を揚げた。三人の悪者が木から降りた時は、船はもう沖の方へ出ていて、只小僧の声ばかりが岸まで聞こえていた。
「馬鹿ヤーイ。態を見ろヤーイ。小便引っかけられやがったヤーイ」
四
船が向う岸に着くと、小僧は十三人を船から卸して、家はどこだと聞いて見ると、皆この国の都の貴い人々の子供ばかりで、中にも一番小さい七つになる児は天子様のお世継ぎの太子様であった。或る日、十三人は揃って川遊びに行った途中、お伴の者の船にはぐれて悪者共に捕えられたのであった。小僧はそれでは都まで送ってやろうと約束すると、皆泣いて喜んだ。それから小僧は十三人を、一番小さい太子様から順々に一列に並べて、青い壺を胸の処に掛けさせて都の方へ出発した。そして口々に次のような歌を唄わせた。
私達は都の子供
都合合せて十三人
生き肝取りにかどわかされて
手をば縛られ口ふさがれて
青い壺をば背に負わされて
歩け歩けと打ちたたかれて
野越え山越え悲しい旅路
泣いても泣いても声は出ぬ
船は帆揚げて潮越えて
砂の浜辺に座らせられて
胸を割かれてしまったならば
あとに残るは只生き肝と
肝を封じた青い壺
不思議の生命を助かって
都へ帰る十三人
生命の代りに首からかけた
壺は青壺瀬戸物壺よ
中に溜るは助かる生命
うれしうれしの喜び涙
又は父様母様恋し
兄様姉様妹弟
恋し恋しのなげきの涙
又はこの歌きく人々の
清い尊い情の涙
たまりたまった行く末は
遠く遠くの都まで
やがて帰ったその時に
土産にするもの一つ
汲んで尽きせぬ人間の
涙を湛えた青い壺
ほんに私の生命の壺よ
大切な大切な青い壺
空を行く日よ野を吹く風よ
心して照れ心して吹け
壺に溜った生命の泉
清い涙を乾かすな
これを聞いた人々は皆、涙を流して気の毒がって、子供達の胸にかけた壺の中に喰べ物やお金を入れてくれた。小僧は見えかくれにそのあとに従いて行って、自分は木の実を千切ったり、
掃き
溜めを漁ったりして喰べて行った。
五
都へ帰る途中に大きな森があった。そこへ来ると一匹の
鳶が来て、小僧に大変な事を知らせた。
「早くどこかへ隠れなければ危ないよ。三人の悪者が弓と矢を持って、お前達を追っかけて来るよ」
小僧はこれを聞くと、その三人の悪者はこの間の生き肝取りに違いないと思った。そして、「
最早今度は勘弁しないぞ」と思いながら、子供達を皆木の上に隠して、自分は直ぐに近所の村に行って何か探しまわった。見ると
只ある小径を横切って沢山の蟻が行列を立てて行くから、
「どこに行くのか」
と聞くと、一匹の大きな蟻が頭を上げて、
「砂糖を取りに行くのです」
と答えた。
「俺も砂糖を探しているのだ。何なら仕事を手伝ってやろう。その代り山分けにしてくれなければ嫌だ」
「どうぞ手伝って下さい。あまり沢山あって運び切れないので困っているのです。砂糖は向うの広場に落ちております。
大方砂糖車から
零れたのでしょう」
小僧はそこへ行って見ると、成る程沢山の砂糖が散らばって落ちていた。それを掃き集めてその半分を蟻の穴の傍へ持って行ってやると、蟻共はもうこれだけで穴に這入り切らないと云って喜んだ。小僧はあとの半分を持って引っ返して、森の奥深く這入って行った。
やがて生き肝取りの悪者三人がやって来ると、小僧は往来の真中へ飛出して大きな声で笑った。
「ヤーイ。又来やがったな。馬鹿野郎共。今度はあべこべに
生命を取ってやるぞ。その前にこれでも喰らえ」
と云いながら、お尻を出してたたいて見せた。
「それ」
と云って三人が弓に矢を
番えると、小僧は早くも身をかわして、子供達が隠れているのと反対の森に駈け込んで、木の頂上に
逆立をしたり、
逆様にブラ下ったりして見せた。そしてだんだん三人を森の奥深く誘い込んで行った。三人の悪者はドンドン追っかけて行ったが、その中の一人はあまり上ばかり見ていたので、うっかりして
熊蜂の巣に足を踏み込んだ。驚いて飛び
退くと、そのあとから何千何万とも知れぬ熊蜂が一度に
鬨と飛び出して、三人の悪者に飛びかかって、滅茶滅茶に刺して刺して刺し殺してしまった。悪者共が死んでしまうと、小僧は悠々と樹の上から降りて来て、
「ヤア、熊蜂共。御苦労御苦労。さあ、約束の通り御褒美を遣るぞ」
と云って、砂糖の
包を投げてやった。熊蜂共はブンブンと喜んで、
「これさえ下されば、私共は
生命も何も要りません」
と土に這い付いてお礼を云った。
六
こうして猿小僧の御蔭で十三人の子供は皆無事で都に着いて、両親や兄弟に会う事が出来たが、皆の者の喜びは
譬えようもなかった。中にも王様は小僧を御殿のお庭に呼び寄せて、太子を助けてくれた御褒美にと云って、いろいろのものを賜わったが、小僧はお金や着物なぞはちっとも欲しがらずに、只喰べ物ばかりを欲張った。そして、あまり嬉しかったので、逆立ちをしたり
筋斗返りをしてお眼にかけた。王様も大層お喜びで、今日からこの小僧に乞食をやめさせて、御殿の
中に抱えてやれとお言葉があった。
それから小僧は御殿の
中でお湯に入れられて、美しい着物を着せられて、いろいろな礼儀や学問を教えられたが、小僧はそんな事は大嫌いであった。その
中でも、広い長い重たい着物を着せられるのが一番
厭で、うっかりするとお付の者の眼を盗んで
直に下着一枚になって、御殿の屋根の上を駈けまわった。それから夜はどうしても寝床の中に寝ないで、王様の馬小屋の藁の中に寝た。その馬は王様を載せるのが自慢で、「自分が通ると、人間が皆頭を
下る」と小僧に話して聞かせた。
「それだからお前は馬鹿なんだ。それはお前に頭を下げるのじゃない、王様に
下るのだ。そんな事を喜んでいるより、俺と一所に来て野原で遊んで見ろ。日は照るし、風は吹くし、川は流れているし、
美味しい草はいくらでもあるし、こんな面白い気持ちのいい事はないぜ」
と話して聞かせた。
「そんなら連れて行って下さい」
「うん、連れて行ってやろう」
と約束したが、やがて夜が明けると直ぐに
閂を外して、馬を出して、その背中に飛び乗って王宮の御門の処へ来た。門番は驚いて、
「どこへ行く」
と尋ねた。
「王様の馬と一所に野原に遊びに行くのだ」
「この馬泥棒」
と云う
中に門番は馬を押えた。猿小僧は直ぐに馬の背から御門の屋根へ飛び上って、外へ出てしまった。
七
小僧が久し振りに山奥の猿の都へ帰って来ると、猿共は泣いて喜んだ。小僧も生れて始めて嬉し泣きに泣いた。そして云った。
「人間の都より猿の都の方が余っ程いい。もう決してここを出て行かないから安心しておくれ」
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