青ネクタイ
「ホホホホホホホ……」
だって可笑しいじゃありませんか。
……妾はねえ。失恋の結果世を儚なみて、何度も何度も自殺しかけたんですってさあ。
いいえ。妾は知らないの。そんな事をした記憶はチットも無いのよ。初めっから失恋なんかしやしないわ。第一相手がわからないじゃないの……ねえ。可笑しいでしょう。ホホホホホホ……。
それあ変なのよ。女学校を出てからというもの毎日毎日お土蔵の二階の牢屋みたいな処に閉じ込められて、一足も外へ出ちゃいけないって云い渡されていたの。何故だかよくわからないけど……おまけに着物も何も取上げられちゃって、妾ほんとうに極りが悪かったわ。着物を引裂いて首を縊るからですってさあ。妾はもう情なくて情なくて………。
御飯を持って来てくれるのは乳母だけなの。お父さんは妾が生れない前にお亡くなりになるし、お母さんも妾をお生みになると直ぐに、どこかへ行っておしまいになったんですって……。ですから妾は、その頃まで独身者で、お金を貸していた叔父さんの手に引き取られて、その乳母のお乳で育ったのよ。それあいい乳母だったの……。
その乳母が、妾が小さい時に持っていた、可愛らしい裸体のお人形さんを持って来てくれた時の嬉しかったこと……。
……まあ。お前は今までどこに隠れていたの。お母様と一緒に遠い処へ行っていたの。よくまあ無事で帰って来てくれたのね……ってそう云って頬ずりをして泣いちゃったのよ。そうして妾は、それからというもの、毎日毎日来る日も来る日も、そのお人形さんとばっかりお話していたの。お母様のことだの、お友達のことだの、先生の事だの……それあ温柔しい、可愛らしい、お利口な、お人形さんだったのよ。
そうしたらね。そうしたら或る夕方のことよ……。
お土蔵の鼠が、そのお人形さんのお腹を喰い破っちゃったの。そうして中から四角い、小さな新聞紙の切れ端を引き出したのよ。妾がチャンと抱っこしていたのに……ええ。そうなのよ。そのお人形さんのお腹の壊れた処を新聞で貼って、その上から丈夫な日本紙で貼り固めて在ったの。それが剥がれて出て来たの。大方鼠がその糊を喰べようと思って引き出したのでしょう。可哀そうにねえ。
妾その時ドレ位泣いたか知れやしないわ。そうしてね、余り可哀そうですから、頂き残りの御飯粒で、モト通りに貼ってやりましょうと思った序に、何の気も無しに、その切端の新聞記事を読んでみたらビックリしちゃったの。妾、今でも暗記してるわ……あんまり口惜しかったから……。
こうなのよ……。
……彼女は遂に発狂して、叔父の家の倉庫の二階に監禁さるるに到った。ここに於て彼女を愛していた名探偵青ネクタイ氏は憤然として起ち、この事実の裏面を精探すると、驚くべき真相が暴露した。すなわち強慾なる彼女の叔父は、彼女の母親の財産を横領せむがため、窃かに彼女の母親を殺して、地下室の壁の中に塗籠めたもので、次いでその遺産の相続者たる彼女を不法檻禁して発狂せしめ、法律上の相続不能者たらしめようとしていた確証が発見され、彼女の正気なる事が判明したので、彼女は巨万の富を相続すると同時に、青ネクタイ氏と結婚する事になった。同時に悪むべき彼女の叔父は死刑の宣告を受けて……。
……っていうのよ。ねえそうでしょう。あのお人形さんは、妾に本当の事を教えに来てくれた天使だったのよ。ねえ。そうでしょう。妾、その晩、日が暮れると直ぐに、お土蔵を脱け出しちゃったの……。
いいえ。お土蔵を脱け出すくらい何でもなかったのよ。妾あんまり口惜しかったから、アノお土蔵の二階の窓に嵌まっていた鉄の格子ね。あれを両手で捉まえて力一パイ引っぱってやったら、まるで飴みたいに曲ってしまって、窓枠と一緒にボロボロッと抜けて来たのよ。キット鉄でなくて、鉛か何かだったのでしょう。何から何まで人を欺していたことが、その時に、初めてわかったわ。妾は口惜し泣きしいしい、その窓から飛び降りたのよ。
それから人に見付からないように、お縁側から這い上って、奥の押入の中に在る長持と、壁の間に挟ってジイッとしていたの。随分苦しかったわ……でも叔父は用心深いんですからね。雨戸を閉めちゃったら、もうトテモ這入れないのよ。そのうちに、やっとの思いで夜が更けて来て、お台所の時計が十二時を打つのをチャンと数えてから、ソーッと押入を出て行って、叔父の蒲団の下に隠して在った白鞘の刀を、中味だけソーッと引き抜いてしまったの……叔父はいつもそうして寝ていたんですからね。そうして素ッ裸体のままお酒を飲んで寝ている憎らしい叔父の顔をメチャメチャに斬ってやったの……お母さんの讐敵……って云ってね。
……それあ怖かったわ。血みどろになった素ッ裸体の叔父が、死物狂いになって掴みかかって来るんですもの。それをあっちに逃げたり、こっちに外したりしながらヤットの思いで斬り倒してやったわ。
それから大勢の雇人が出て来て、妾の事をキチガイだキチガイだって、ワイワイ騒ぎ出したの。妾口惜しかったから思い切って暴れてやったわ。大きな男が色んな物を持って向って来るのを、何人も何人も斬ったり突いたりしてやったけど、大勢にはどうしても敵わなかったの……だって撃剣の上手なお巡査さんなんか呼んで来て加勢させるんですもの。妾、お床の間の前に追い詰められながら、一生懸命に刀を振りまわして闘ってみたけど、トウトウ刀をタタキ落されちゃったの。おまけに叔父さんの死骸に引っかかってドタンと尻餅を突いたお蔭で逃げ損って、そのお巡査さんに押え付けられてしまったのよ。デモ面白かったわ。ホホホホホホ……。
それから自動車でこの病院に連れて来られると、ここの院長さんが思いがけない親切な方で、トテモトテモ頭のいい方だったのよ。お美味い冷水を何杯も何杯も御馳走して下すった上に、妾の話をスッカリ聞いて下すって、色んな事を云って聞かせて下すったのよ。……モウ暫くの間キチガイになった振りをして、この病院に這入っていた方がいいってネ……そう仰言るの……お前の叔父さんはまだ生きていて、青ネクタイ氏と裁判所で争うって云っているのだから、その叔父さんの罪状が決定して、監獄に入られるようになったら、その時に病院から出してやる。青ネクタイ氏とも結婚させてやる。それまで辛抱して待っていないと、叔父さんが又ドンナ悪企みをして、お前の生命を取りに来るか解らない。しかしこの鉄筋コンクリートの室に隠れていれば、誰も近づく事は出来ないからってネ……そう云って下すったから、妾スッカリ安心して、ここに隠れているのよ。そのうちに青ネクタイ氏が、キット会いに来て下さると思ってネ……楽しみにして待っていたのよ……。
そうしたら可笑しいの……まあ聞いて頂戴……この頃ヤット気が付いたの……。
ここの院長さんこそ名探偵の青ネクタイ氏なのよ。……ホラ御覧なさい。誰だってビックリするにきまっているわ。妾だってオンナジ事よ。あんなに頭が禿ていらっしゃるのでチットも気が付かなかったのよ。
でもこの頃、窓の前をお通りになるたんびに青いネクタイを締めていらっしゃるでしょう。新しい……派手なダンダラ縞の……ネ。ですからもしやそうじゃないかと思って気を付けていたらヤットわかったのよ。
妾、感謝しちゃったわ。あんなにまで苦心して、妾を保護して下さるんですもの……。
何故ってあの禿頭は変装なのよ。仮髪なのよ。オホホホホホ。可笑しいでしょう。妾はチャンと知っているけど知らん顔をしているの。でも時々可笑しくて仕様がなくなるのよ。
あんな禿頭の人と結婚するのかと思ってね。ホホホホホホ。ハハハハハハ……。
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崑崙茶
婦長さん……看護婦長さん。チョットお願いがあるんです。ちょっと来て下さい。大至急のお願いが……。
あのね……耳を貸して下さい。済みませんが……。
……僕の不眠症の原因がわかったんです。ここへ入院してからというもの、どうしても眠れなかった原因が……。
僕は飛んでもない呪詛にかかっているのです。イイエ。虚構じゃありません。卒業論文なんかに呪詛われて、神経衰弱にかかったんじゃありません。別にチャンとした原因があるのです。事実の証拠が眼の前に在るのです。
僕はね……ビックリしちゃいけませんよ。僕はね。すぐ横のベッドに寝ている支那の留学生ね。アイツに呪詛われているのですよ。あいつに呪詛われて殺されかけているのです。ですからこの室に居たら到底助かりっこないのです。
エッ……どの支那人かって……? ……ホラ……そこに寝ているじゃありませんか。貴女の背後の寝台に……エッ……そんなものは見えないって……? ……貴女は眼がドウかしているんじゃないですか。……ね。わかったでしょう。あいつですよ。ツイ今しがた先生に注射をしてもらったばかりなんです。ね、グーグー眠っているでしょう。
何ですって……? ……あの支那人を僕の脅迫観念が生んだ妄想だって云うんですか……? ……そ……そんな事があるもんですか。チャンとした事実だから云うんです。ね。御覧なさい。死人のように頬ペタを凹まして、白い眼と白い唇を半分開いて……黄色い素焼みたいな皮膚の色をして眠っているでしょう。
僕はあの顔色を見てヤット気が付いたのです。この留学生はキット支那の奥地で生れたものに違い無い。あの界隈で有名な、お茶の中毒患者に違い無いと……。
イイエ。貴女は御存じ無い筈です。
お茶に中毒した人間の皮膚の色は、みんなアンナ風に日暮れ方のような冷たい、黄色い色にかわるのです。光沢がスッカリ無くなってしまうのです。そうして非道い不眠症に罹って、癈人みたようになってしまうのです。
イヤ。それが普通のお茶とは違うのです。
普通のお茶だったら僕なんかイクラ飲んだってビクともするんじゃありませんがね。あの留学生が持っている奴はソンナ生やさしいもんじゃありません。崑崙茶といって、一種特別のタンニンを含んだお茶から精製したエキスみたいなものなんです。ですからトテモ口先や筆の先では形容の出来ない、天下無敵のモノスゴイ魅力でもって、タッタ一度で飲んだ奴を中毒させてしまうんです。トッテモ恐ろしい、お茶の中のお茶といってもいい位な、お茶の中のナンバー・ワンなんです。
その崑崙茶のエキスで作った白い粉末で「茶精」[#「茶精」は底本では「精茶」]っていう奴をあの留学生は、どこかに隠して持っているのです。どこに隠しているかわかりませんが……支那人の中には魔法使いみたような奴が多いのですからね。……そいつを僕の枕元の鎮静剤の中に、すこし宛粘り込んでいるんです。そうして誰にもわからないように、僕の生命を取ろうとしているのです……僕は時々頭から蒲団を冠る癖がありますからね。その隙に入れるんだろうと思うんですが……僕が頂いている鎮静剤はステキに苦いでしょう。おまけにプンと臭いがするでしょう。ですから「茶精」が仕込んで在るのが解らないんです。
エッ……そんな悪戯をする理由ですか。
それあ解り切っているじゃありませんか。貴女はまだ不眠症にかかった事が無いんですね。そうでしょう。……いつもかも、睡むくて困る……アハハ……だから不眠症患者の気持がわからないのですよ。
……こうなんです。アイツは僕が先生の注射のお蔭でグーグー眠っているのを見ると、妙に苛立たしくなって、癪に障って来るのです。そうして終いには殺してしまいたいくらい憎らしくなって来るんです。
イイヤ。そうなんです。これが不眠症患者の特徴なんです。つまり極端なエゴイストになってしまうんですね。いくら眠ろう眠ろうと思っても、思えば思うほど眠れない事がわかって来ると、だんだん気違いみたいな気持になって来るんですよ。……世界中の人間が一人残らず不眠症にかかって、ウンウン藻掻いている真中で、自分一人がグーグー眠れたらドンナにか愉快だろう……なんかと、そんな事ばっかりを、一心に考え詰めている矢先に、横の方から和ごやかな寝息がスヤスヤ聞えて来たりなんかしたら、最早トテモたまらなくなるんです。神経が一遍に冴え返ってしまって、煮えくり返るほど腹が立って来るんです。聞くまいとしてもその寝息が一つ一つにスヤリスヤリと耳の奥に沁み込んで来る。そのたんびに腹立たしさがジリジリと倍加して行く。しまいにはその寝息の一つ一つが、極度に残忍な拷問か何ぞのように思われて来て、身体中にビッショリと生汗がニジミ出て来るのです。そうして、その寝息をしている奴を殺すか、自分が自殺するか、二つに一つ……といったような絶体絶命の気持になって、あっちに寝返り、こっちに寝返りし初めるのです。アイツは僕のために、毎晩そんな気持を味わせられているんです。おまけに僕は肥厚性鼻炎なんですから、眠ると夜通しイビキを掻くでしょう。その上に相手は個人主義一点張りの支那人と来ているんですから、一層たまらない訳でしょう。
ですからアイツはその茶精を使って、僕を絶対に眠らせまいとしているのです。そうして僕を次第次第に衰弱させて、殺して終おうと巧らんでいるのです。
イヤ。それに違い無いのです。僕は昂奮なんかしていません。キットそうなのです。駄目です駄目です。僕の空想なんかじゃありません。……この室に居ると僕はキット殺されます。……どうぞ助けると思って僕を他の室に……エッ……室が満員なんですって? そんなら野天でも構いません。どうぞどうぞ後生ですから、僕を別の室に……。
……何ですか。崑崙茶の由来ですか。……貴女は御存じ無いのですか。
ヘエ。崑崙茶がドンナお茶か見当が付けば、中毒を解くのは何でもない。……成る程。植物性の昂奮剤は色々あるから、話をよく聞いて見ない事には見当の付けようがない。……そんなものですかねえ。……そんなら訳はないでしょう。その留学生が持っている「茶精」を取上げて分析してみたら直ぐに判明るでしょう。
……成る程。隠している処がわからないと困る……それもそうですね。キット魔法使いみたいな奴に違い無いのですからね。……そればかりじゃない。注射で眠っている奴を途中で起すと、利き残った薬が身体に害をする……そんなもんですかねえ。ヘエ……。
実は僕も崑崙茶の成分なんか知らないんですがね。イイエ。与太話なんかじゃありません。そのお茶に関するモノスゴイ話だけなら、ズット以前に何かの本で読んだ事があるんですが……僕はモトから支那の事を研究するのが好きでね。支那は昔から実に不思議な国ですからね。僕の憧憬の国といってもいい位なんです。今度の卒業論文にも支那の降神術に関する文献の事を書いておいたんですが……。
ヘエ。貴女も支那のお話がお好きですか。御祖父さんが漢学者だったから……ああそうですか。それじゃ聞かして上げましょうとも。しかし、他の話なら兎も角、崑崙茶の話だったら、その御祖父様から、最早、トックの昔にお聞きになっているかも知れませんがね。有名な話ですから……ヘエ。全く御存じ無いんですか。妙ですね。それじゃ貴女が思い出されるかどうか話してみましょう。
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