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街頭から見た新東京の裏面(がいとうからみたしんとうきょうのりめん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-9 8:42:36  点击:  切换到繁體中文


 そんなに制帽が気に入らないのなら、いっその事制服までやめてしまって、背広か何かにしたらよさそうであるが、それは又そう行かない理由がある。
「アラチョイト、あなた学生さん? 可愛いわね!」
 てな声を聞きたいために、時々金釦を光らかして見せなければならないからである。今一つには給仕や安腰弁と見られないためもあろうし、も一つには上等の学問をしているエライ人の卵で、金を持っている時は、気前よく使う人種であるという事を、先方に合点させる必要があるかららしい。
 これを要するに、東京の学生はみんな出来るだけ制帽を冠るまい、鳥打帽を冠ろうと心掛けているので、トドのつまり東京で朝から晩まで真面目に制帽を冠っているのは、浅草の仲見世や縁日に出て来る物売りの角帽だけと云っても過言でない。
 余談に亘るが、こうした傾向は単に学生ばかりではない。日本全般のすべての方面にあらわれていて、云わず語らずのうちに日本人全般の思想が或る重大な変化を来しつつある事を示している。
 皇室では恐れ多い事ながら成るべく民衆に親しく御接し遊ばすよう、すべての形式を御改廃中とかに洩れ承る。これに準じて官辺はもとよりすべての事が民衆化しつつある事は云う迄もないが、これにカブレて軍人までが官服を嫌うようになったそうである。そのような思想の変化が学生の鳥打帽となって現われた事は云う迄もない。

     鳥打帽下の新日本

 こうした学生仲間の鳥打帽の大流行に対して、学校当局はかく云う。
「震災後、学校の制服がどうでもよかった時代がありましたので、その影響でもありましょうか。いずれにしても彼等学生の腐敗と堕落は、この鳥打帽に原因しているに違いありません。大学生の中折れは、いくらか真面目な感じを含んでおりますので、まあいい方ですが、鳥打帽を見ると私共は、実に不愉快な、学校を軽蔑しているような、又は彼等の人格が疑わるるような一種の危惧の念に打たれざるを得ません。しかしこれを許さないと、学校の人気がわるくなるので止むを得ません。実に国家の青年の風紀上慨嘆に堪えぬ次第であります」
 これに対し学生の方はこう云う。
「制服制帽は官僚政治の遺風だ。偽善とか束縛とか因襲とかいう旧思想のお名残だ。学問は民衆的でなければならぬ。智識には囚われたところがあってはならぬ。だから鳥打帽の下に這入る智識こそ本当の智識と云うべきである。これを理解しない学校当局が日本にはまだ沢山居るから情けない。日本の前途のため実に慨嘆の至りだ」
 こう両方で慨嘆されては手の付けようがない。全く慨嘆の至りである。
 東京の中流学生の生活の中で鳥打帽一つを研究しても、かほどに広大無辺な意義を持っているので、そのほかの広大無辺さは到底筆舌の及ぶところでない。ことごとく鳥打帽の下に収めるのは不可能で且つ不自然である。
 しかし彼等の生活の裡面は、よくこの鳥打帽で代表されていると思う。勿論それは物質的の生活と云うよりも、精神的生活に近い方面を主として象徴している。
 極めて低い意味で云う物質と精神の二つのうち、学生の生活はどちらに傾いているかと云うと、無論後者の方である。言葉を換えて言えば、学生の生活は世間一般の人のソレよりも、物質に支配される割合がごく少い。鳥打帽を買うにしても必要からでなく、只そういった気分にひたりたいために二円乃至四円を奮発するので、参考書を買う余裕はなくても、新流行の鳥打を買う銭はあるのが彼等の生活の特徴である。
 こんな風だから彼等東京の学生生活には、一般人の生活と違った底抜けの自由さと奔放さがある。そうしてその自由さと奔放さは、震災後に流行する鳥打帽の下から現われたものでなければならぬ。
 彼等はこの鳥打帽式の自由な奔放な生活振りに依って東京を色付けている。風俗、商売、女等に彼等の思想傾向を反映さしている。
 排米問題の時、真先に米国物を買わなくなったのは彼等学生であった。ところが近頃舶来品排斥思想が一般に行き渡ると、真先にこの習慣を打ち破って舶来のノートや鉛筆を買い始めたのは矢張り彼等学生であった。舶来の石鹸、香水、歯みがき、ハンケチ等いうものを惜し気もなく買うのは彼等学生であるという。下宿屋で文化生活に凝るのは学生に限るとまで云われている。
 日本第一の剛健質朴を以て東都に幅を利かした一高の学生は、この頃羅紗ラシャのマントを好まなくなった。彼等の仲間にも鳥打帽が流行はやり出したという。
 一葉落ちて天下の秋である。震災後の東京に於ける制帽の凋落……鳥打帽の流行は、単に学生の平民化、智識の民衆化ばかりを意味するものであろうか。
 その鳥打帽は前の学校当局の言を借りて云えば、矢張り地震鯰が揺り出したものである。将来の新日本の中心文化が東京のバラックの下に芽生え育まれているものとすれば、その新文化の骨子たるべき新智識と新思想は、東京の学生がこぞって冠る鳥打ち帽の下に養成されている筈である。その新智識と新思想は角帽や金釦を馬鹿にするだけの権威あるものでなければならぬ。鳥打帽を冠る学生諸君たるもの……あに奮発勉励せずんばあらざるべけんやである。

     職人の供給過剰

 東京市中の第三階級、即ち赤切符等は現在どんな生活をしているか。
 これはなかなか大問題で、記者のノートに止めてあるだけでも一年や二年では書き尽されぬ位である。だからその中で二ツ三ツ面白い事実だけを紹介して、その中に反映する彼等の生活を見て頂く事にする。但し街頭観の主旨にはそむくが……。
 第一は警視庁の人事相談所に持ち込まれて来るプロ階級の悲喜劇である。これを順序立てて観察すると、震災直後から今日までの彼等の生活の変遷がわかる。
 警視庁の人事相談所が丸の内のどこにあるか。どんな組織になっているか。そんな事はここには必要がないから略して、直接本論に移る。
 昨年、例の震火災があるとすぐに、警視庁では救護班を組織して、逃げ迷い、弱りたおれた人々の救護に従事した。これを九月十三日まで継続すると、次第に新しく持ち込まれる救護が減少して来たので仕事を打ち切った。
 この事実を逆に考えると、東京全市民が最も甚だしい酸鼻な境界にいたのは、九月の中旬頃までと見る事が出来る。……東京市中の手まわしのいい新聞社が、無代配布をやめて、月極めにし始めたのも丁度この頃からである。死ぬものは死に、助かるものは助かり、怪我人や病人はそれぞれ手当てを受けて落ちつく事になったのであろう。
 次に起る問題は助かった者の鼻の下の問題である。
 昨年九月十三日以後、警視庁で開始した労働紹介には非常な大群衆が押し寄せた。
 当局では管内の各署と協力して、これを片端から灰片付け、食料運搬等の仕事にまわして奮闘していると、約一ヶ月ばかりしてから市内の各自治団体で本式の職業紹介を開始したので、そっちに仕事を譲って、今度は人事相談所を開始した。
 以上の筋道を裏面から見ると、東京市中の人々は、生命を助かる道から生命をつなぐ道へという差し詰まった問題から、次第に人事のコザコザした相談へと落ち付いて来たその間が二ヶ月足らずという事になる。
 警視庁の人事相談所開始当時(大正十二年十月)は流石さすがに人探しの相談が多かった。これと一所いっしょに家主や地主に対する苦情も非常におびただしく持ち込まれた。すなわち震災後二三ヶ月の間、東京市中の家や人が別々の意味で宙に迷いつつあった事を裏書している。
 そのうちに押し詰まって来ると、次第に人探しの申込みが減って来た。代りに対家主の苦情がえると同時に、金の相談や証文の鑑定なぞが加わって来た。
「資本がほしいですが、無抵当で薄利で貸してもらう方法は」
「この金を預けるたしかな銀行は」
「これは焼け残った祖父の時代の証文ですが」
 なぞいうので、東京市内が次第に落ち付いて来た程度を説明している。
 このような状態が大正十三年度の三四月頃まで続いた。
 大正十三年度の三四月頃は、東京中の人気があらゆる意味でグラリと引っくり返った時機と見られているが、警視庁の人事相談所にもそうした影響が現われた。
 第一に大工や左官、その他の職人なぞいう労働者の賃金不払問題が盛に流れ込み始めた。
 震災直後の節季まではこんな現象は見られなかった。東京の復興を目がけて地方から押し寄せた連中は、皆引っぱりだこにされていたのである。只釘を打ってのこぎりを使えれば大工で通る。わらさえ刻めば左官で通る。賃金が四五円から五六円という景気であった。
 そのうちに大正十三年の春になった。
 東京市中は次第に落ち付いて、ソロソロ日本中の不景気の影響を受け始めた。同時に今まで復興の労働者を歓迎していた親方や請負師連は、逆に賃金の不払を始めた。
 もともと震災直後の東京に押寄せて来た連中は田舎者にきまっているので、欺され易く、馬鹿にされ易い。そこをつけ込んで使うだけ使って突放してしまうので、金は取れず、食費はかさむ、仕事には有り付けぬ、というのが続々と出来る。そこへ春先の時候がよくなるに連れて、田舎の不景気にアブレた連中、又は前の年の東京の景気を聞き伝えた面々が、何という事なしに押上って来たので、いよいよ不景気の上塗うわぬりとなった。
 東京は今日までもこうした職人の供給過剰となっている。
 ひと頃、いい加減な大工や左官が五円の六円のという勢であったのが、今では立派な腕の大工で四円五十銭、左官が三円以下という相場で居据わっている。それ以下のいい加減な職人が相手にされなくなったのは云う迄もない。
 その尻がドシドシ警視庁の人事相談所に押しかけて来たのである。

     自由恋愛と離婚

 その次に矢張り十三年度の三四月を区切って急にえて来たのは、取引上の紛紜いざこざ、喧嘩の後始末、夫婦喧嘩の尻拭いなぞである。このような傾向になった原因は小さくややこしいが、つまり一般の景気が落ち付くと同時に生活に多少の余裕が出来た。一方に今までの奮闘気味がダレて来たために不景気をシミジミと感ずる向きも出来たという、職業紹介所の係員の見方が穏当であるまいかと思われる。
 その中でも面白いのは夫婦別れの相談で、三四月頃まで絶対にないと云ってもよかったのが、花時から急に殖えて来て押すな押すなの盛況を見せた。
 このような夫婦別れに関係した法律その他の相談は、今日迄も引続いて警視庁の人事相談所に持ち込まれている。右に就いて相談所側の係員はこう観察している。
 東京の震災後、一般民心の昂奮状態は実に異状なものがあった。男も女もまるで小説中の人物であるかのように頭がすっかり一本調子になって、僅かの事にも感謝したり感激したりする状態であった。
 その結果、到る処に出来合いの夫婦関係が成立したもので、その当座世間がザワザワしているうちは、そのまま一所に生活や何かの問題に紛れて関係が続いて来た。ところが翌年の春となって、世間が落ち付いて、お互の間の緊張味がなくなって来ると、今更にお互の顔が見合わされて来た。アラが見えたり、イヤになったり、その他経済上の問題や夫の不品行なぞが問題になったりして、方々で別れ話が持ち上り始めた。
 この議論はチト乱暴であるが、元来が出来心の関係だから、花時になって急に合せ物の離れ物気分になったのも無理はないと云えば云える。
 さてこの夫婦別れの人事相談でも、よく観察するといろんな筋道があって、東京市民――もしくは現代人の生活の裏面の或る物を暗示している。
 先ず夫に別れたいという相談を持って来るのは、大抵学問や理性の備わっている人が多い。つまり夫婦になろうという時の気持ちは、学問や理性を超越した気持ちになっている時であるが、すこし落ち付いて来ると、その学問や理性が頭を持ち上げていろんな事を考えさせる。そうして別れ話を持ち上げさせるという順序で、彼等の身の上相談を聴いて見るとこの消息がよくわかる。現代の婦人がその得手勝手な理智と情緒とのために如何に苦しめられているかは、この一事でも遺憾なく説明されている。
 次に人事相談所に別れ話を持って来る女の中には職業婦人が非常に多い。それは男の欠点を最もよく知っているからだそうである。
 これ等の事実を煎じ詰めると、現在の東京で最不幸な結婚をするものは、学問のある婦人と技術を持つ婦人であると云える。普通ならば幸福と見て差支えない結婚を彼女等の技芸や学問が不幸なものと感じさせるのか、それとも彼等の学識や技術が初めから彼等に幸福な結婚をさせなかったのか、その辺の事は大いに研究に価する。すくなくとも親兄弟や親戚友人なぞの意見に盲従した結婚の別れ話がめったに人事相談所に来ない。自由結婚から来た自由離婚だけが来る。しかもそれが大正十三年の春以後の東京に激増した事は、新日本の新紀元を画すると云ってもいい位だそうである。
 も一つ序に書いておくが、警視庁の人事相談所ではこんな恐ろしい実例が挙がっている。

     乱暴な結婚媒介

 震災後の東京には、結婚媒介を商売にするものが雨後のたけのこのように出来た。これはさもあるべき事であるが、しかし如何に需要と供給の烈しい関係からといえ、その無責任な営業振りには驚かざるを得ぬ。
 ほかの商売と違って、どうでもいいようで実は極めてどうでもよくない事を、無暗矢鱈むやみやたらとどうでもよい式に取り扱うので、その結果は大抵滅茶滅茶と云う。それでも相当に繁昌しているのだから恐ろしい。東京の人々は棄て鉢で結婚するのではないかと思われる位である。
 しかし満更棄て鉢でもない証拠には、そうした結婚の失敗したあとをドシドシ警視庁の人事相談所へ持ち込んで来る。そのおのろけと涙の紋切形をば一々聴いてやる係員も大抵ではいともあるまいと思われる。
 係員の話に依ると、こんな不良結婚媒介所では売淫の仲介はしないらしい。その代りその仲介の方法は極めて乱暴である。
 誰でも結婚媒介所の門口をくぐった者は申込料として五円取る。それから似合いのがあるという通知を出して、何月何日の何時に双方やって来ると、今度は会見料として又五円取る。しかもこれは成功不成功にかかわらずで、おまけに男女双方から取るのだから一会見やらせると十円になるわけである。
「あんな女に紹介をして五円取るとはしからん。いけないにきまっているじゃないか」
 というような不平が相手にされない事は無論である。
 ここで双方よろしいとなると、成立料と名付け二十五六円以上三四十円位取るのであるが、そこの取り具合がなかなか手腕を要するのだそうな。
 こうした五十円内外の手数料で出来た結婚が破れ易いのは云う迄もない。男が手数料を出したとすれば、高価たかい、まずいオイランを買って流連いつづけした気で思い切る事になる。女が出したのならば……安い情夫に入れ上げた位の気持ちであきらめるのでもあろうか。
 警視庁の人事相談に持って来るのでは、早くて一週間、長くて一年持つ位のものだそうである。尤も震災後まだ二年にはならぬが……。
 夫婦別れの人事相談を持って来るのは大抵女である。彼女等は十人が九人まで媒介所の不親切を鳴らすが、媒介所では一切責任を持たぬ。
「何も無理に押し付けたわけではありませぬ。私の方では只料金を取って便宜を計らったまでで、申込みから結婚成立まで、皆お客様の御随意に任せたまでです」
 と云う。そんなら事実はどうか。
 結婚媒介所が結婚成立料を取りたがるのは云う迄もない。そのためには随分無理な押しつけ方をする事も云う迄もない。そうしてその結果、飛んでもない喜劇や悲劇を捲き起すのもまた云う迄もない事である。
 そんな例を挙げると数限りもないが、そのうちで最も極端な例を挙げるとこんなのがある。
 日比谷公園のバラックの中に、子供二人を持った二十七八の婦人があった。彼女は職業について二人の子を育てていたが、如何にも心もとない結果、五円を奮発して結婚媒介所の門を潜った。
「イヤ。それには持って来いのがあります」
 と媒介所でも揉み手をして彼女に一人の男を紹介した。
 その男は年齢四十歳位、極めて上品な、音なしい風采の男で、ちょっとよさそうであるが、只顔色があまり健康そうでなかったので、彼女は五円の会見料を納めたあと、
「とにかくも一ペン考えさして下さい」
 と云って日比谷のバラックに帰った。
 ところが驚いた事には、あくる朝になると、媒介所の男がその四十恰好の青い男を連れて彼女の居る日比谷バラックに押しかけて来た。青い男は一寸した羽織を着てはかままで穿いている。
「この辺のところでどうです。こんないい方は又とありませんよ。私の方では成立料が欲しいから云うのではありません。貴女あなたのおためを思って云うのです。略式ですが結婚式の調度も持って来ています。ここですぐに式をお挙げになってはどうですか。あとの手続や何かはすっかりこちらでやって上げます。どうです。善は急げです。今のところ、貴女の御注文にはまるおかたはこの方しかありません」
 とか何とか媒介所の男が無茶苦茶に勧めた。
  ………連載一回分(二千字前後)欠………

     東京の犯罪地帯

 東京市中でほかの犯罪はみんな殖えているのに、殺人傷害だの、強盗だのいう荒っぽいところが枕を並べて減少しているのも面白い。
 震災後の東京は一時無警察に近い状態となって、寂寥せきりょうたるバラック街に強盗が盛に横行した。このままで行ったならば、日本の首都は今に大晦日おおみそかの北京のようになりはしまいかと思われたが、案に相違して一時の現象で済んだのは芽出度い。
 こんな風に荒っぽい犯罪が減った原因については、いろんな見方がある。第一は震災後の東京市民が一体に文化的――言葉を換えて云えば理智的に気が弱くなった事、第二には一時減少した人間がその急に殖えて、家数が建込んだ事、第三は復興気分で下層社会の景気がよくなった事等であるが、その中でも第一の原因が最も有力であるらしい事を警視庁の統計が示している。
 すなわち「傷害」と「殺人」の原因のうち、酩酊の結果だの、痴情の果だのいうのは極めて少い。一番多いのは腹立はらたち紛れの傷害殺人であるが、それでも傷害が百人に対し殺人は一人弱の割合に当っている。すなわち彼等の傷害三昧が、殺すつもりは滅多にない、理智的の動機から出た脅かしの意味が多量に含まれている証拠である。
 東京の人間が温柔おとなしくなった、言葉を換えて云えば文化的に利口になった証拠が、今一つ前記の表の中に現われている。
 全体から云って、いろんな犯罪が無茶苦茶に殖えたのと正反対に、捕まる数が恐ろしく減ったのもその証拠と云えば云える。
 しかしこれは、東京市内の各署が若い巡査をドシドシ採用したり、震災を機として烈しい異動を行ったりしたのが影響しているとも云えるし、又住民の状態や何かに大変化を来して、今までのように捜索が楽でなくなったというような関係もあるから一概には考えられぬ。
 しかし又前記の表に依ると、東京市中で詐欺脅喝や横領がかなり増加している一方に、捕まる数が恐ろしく減った事になっている。これは明らかに東京市中の震災後の人気を物語っているので、殊にそれが、震災の影響を遠ざかった大正十三年前半期中の状態であるだけに、一層の興味を惹くのである。或る署員の話に依ると、この頃の詐欺の被害者の届出は非常に早くなった。これは泥棒でも同様で、一体に出来るだけ警察を頼るようになったようである。しかし一方、逃げる手段も非常に巧妙になったので、なかなか捕えるのに骨が折れるとは、そうもありそうな事である。
 これに反して東京市中の賭博ばくちは非常に増加しているが、捕まる数も同様に非常に殖えている。これは下層民に金が多いのと、射倖心しゃこうしんが旺盛なのと、素人しろうと賭博が殖えたのと、家がバラックで露見し易いなぞいう原因からこうなったのである。
 序に書いておくが、震災後の東京に賭博の殖えた事は非常なものである。その中でも支那式と朝鮮式が最も多い。これはそういった労働者が多数に入り込んで宣伝した結果で、しかも労働者ばかりでなく、昨今では中流から上流まで押上って旺盛を極めている。殊に支那式の麻雀なぞいうのは、高価な道具を使うので上流社会にはやされて、多額の金が賭けられているが、取締が非常に困難だそうである。
 次に面白い統計は、東京市内に於ける犯罪者の捕まった場所と、犯罪者の住所である。ここにその最も多い処だけを数字抜きにして掲げると、捕まった場所は亀井戸が最も多く、その次が浅草付近で、その次が外神田から巣鴨という順序である。又犯罪人が住んでいる場所は、第一番が矢張り亀井戸で、その次が南千住、巣鴨、浅草という順で、あとはズッと落ちるが坂本署、四谷署の管轄内といった順序になる。
 このような地名が醜業婦と貧民窟の名所として知られていることは云う迄もない。震災後、浅草やその他の醜業婦を一掃したと誇っている当局の統計に、こうした反証が挙がっているのは実に面白い皮肉な現象である。
 極めて大まかな眼で見ると、東京の北部、吉原と浅草を中心とする一帯の地域は、東京に於ける犯罪者の根拠地といって差支えないであろう。
 東京市中の第三階級の生活はこれ位にして、浅草と活動写真、醜業婦の現況、不良少年少女の研究に移り、この稿を終る事にしたい。





底本:「夢野久作全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年6月22日第1刷発行
※底本の解題によれば、初出時の署名は「杉山萠圓すぎやまほうえん」です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、「六ヶしい」は大振りに、それ以外は小振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年4月25日公開
2006年5月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
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