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難船小僧(エス・オー・エス・ボーイ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-8 14:07:48  点击:  切换到繁體中文

船長おやじの横顔をジッと見ていると、だんだん人間らしい感じがなくなって来るんだ。骸骨を渋紙しぶがみで貼り固めてワニスで塗上げたような黒いガッチリした凸額おでこの下に、硝子球ガラスだまじみたギョロギョロする眼玉が二つコビリ付いている。マドロス煙管パイプをギュウと引啣ひっくわえた横一文字の口が、旧式軍艦の衝角しょうかくみたいな巨大おおきあご一所いっしょに、鋼鉄の噛締機バイトそっくりの頑固な根性を露出むきだしている。それが船橋ブリッジ欄干クロスに両ひじたせて、青い青い秋空の下に横たわる陸地おかの方を凝視みつめているのだ。
 そのギロリと固定した視線の一直線上に、巨大な百貨店らしい建物の赤い旗がフラフラ動いている。その周囲に上海シャンハイ市街まちが展開している上をフウワリと白い雲が並んで行く。
 ……といったような無事平穏な朝だったがね。昭和二年頃の十月の末だったっけが……。
 足音高く船橋ブリッジに登って行った俺は、その船長おやじ背後うしろでワザと足音高く立停まった。
「おはよう……」
 と声をかけたが渋紙面しぶがみづらは見向きもしない。なんしろ船長仲間でも指折ゆびおりの変人だからね。何か一心に考えていたらしい。
 俺は右手に提げた黄色い、四角い紙包かみづつみを船長の鼻の先にブラ下げてキリキリと回転さした。
「御註文の西蔵チベット紅茶です。やッと探し出したんです」
 船長おやじはやっと吃驚びっくりしたらしく首を縮めた。無言のまま六しゃく豊かの長身をニューとこっちへ向けて紅茶を受取った。
「ウウ……機関長おやかたか……アリガト……」
 とプッスリ云った。コンナ時にニンガリともしないのがこの渋紙船長の特徴なんだ。取付とりつきの悪い事なら日本一だろう。こんな男には何でも構わない。殴られたらなぐり返す覚悟でポンポン云ってしまった方が、早わかりするものだ。
「……昨夜ゆんべ陸上おかで妙な話を聞いて来たんですがね。今度お雇いになったあの伊那いな一郎って小僧ですね。あの小僧は有名な難船小僧っていういわく附きの代物しろものだって、みんな、云ってますぜ」
 俺はそう云いさしてチョックラ船長おやじの顔色をうかがってみたが、何の反応も無い。相も変らず茶色の謎語像スフィンクスみたいにプッスリしている。無愛相ぶあいそうの標本だ。
「あの小僧が乗組んだ船はキット沈むんだそうです。アイINAイナって聞くと毛唐けとうの高級船員なんかふるえ上るんだそうです。乗ったら最後どんな船でも沈めるってんでね。……だから今度はこのアラスカ丸があぶねえってんで、大変な評判ですがね。陸上おかの方では……」
 これだけ云っても船長の渋紙面は依然として渋紙面である。ネービー・カットのけむをプウと吹いた切り、軍艦みたいなあごを固定してしまった。しかし黒い硝子球ガラスだまは依然として俺の眼と鼻の間をギョロリと凝視している。モット俺の話を聞きたがっているらしいんだ。
「あの小僧はちっちゃくて容姿ようすいので毛唐の変態好色すけべえ連中が非常にくんだそうです。あの小僧もまた、毛唐の高級ハイクラスに抱かれるとステキに金がもうかるんで、船にばっかり乗りたがるんだそうですが、不思議な事にあの小僧が乗った船で、沈まない船は一そうも無いんだそうです。初めてあの小僧を欧州航路に雇傭チャータした郵船のバイカル丸が、ジブラルタルで独逸ハンのU何号かに魚雷ヤキイモわされた話は誰でも知っているでしょう。そん時に漂流端舟ながれボートい上ってハンカチを振ったのが彼小僧あいつのSOSの振出ふりだしだそうですがね。……それから第二丹洋丸がスコタラ沖でエムデンにアッパーカットを喰わされた時も、あの小僧は丁度、新式救命機の着込み方のモデルにされていたところだったそうで、そのまんま飛込んで助かっちまったんだそうです。……まあ運のい奴といえばいえましょうが、彼小僧あいつの運がいたんびに船全体の運命がメチャメチャになるんだからかないません。……まだ他にも二三艘、大きなやつを沈めているんだそうですが、そんなに大きな船でなくとも、チョット乗った木葉船こっぱぶねでも間違いなく沈めるってんで、とてすごがられているんです。早い話が房州がよいの白鷺しらさぎ丸にチョイと乗組んだと思うと、直ぐに横須賀の水雷艇と衝突させる。毛唐けとうの重役の随伴おともをしてブライトスター石油社オイルの超速自働艇モーターていに乗ると羽田沖で筋斗とんぼ返りを打たせるといった調子で、どこへ行っても泣きの涙の三りんぼう扱いにされているうちに、運よく神戸でエムプレス・チャイナ号のAクラス・ボーイに紛れ込んで知らん顔をして上海まで来た。そいつを、どこかで伊那の顔を見識みしっていた毛唐の一等船客が発見して、あの小僧ボーイと一所なら船を降りると云って騒ぎ出した。そこで今度は事務長が面喰めんくらって、早速小僧を逐出おいだしにかかったが、小僧がなかなか降りようとしない。食堂の柱へかじり付いて泣き叫ぶ奴を、下級船員が寄ってたかって、拳銃ピストル鉄棒パイプ突付つきつけてヘトヘトになるまで小突きまわして、泥棒猫でもい出すようにして桟橋へたたき出してしまった。そこで小僧はエムプレス・チャイナの給仕服ユニフォームのまま生命辛々いのちからがら手提籠バスケット一個ひとつを抱えて税関の石垣の上でワイワイ泣いているのを、チャイナ号の向い合わせに繋留かかっていたアラスカ丸の船長……貴下あなた発見みつけて拾い上げた……チャイナ号へ面当つらあてみたいに小僧の頭をでて、慰め慰め拾い上げて行った……という話なんです。現在、陸上おかでは酒場のみやでも税関でも海員ふね奴等やつらが寄るとさわるとそのうわさばっかりで持切もちきってますぜ。アラスカ丸の船長おやじはそんないわく因縁、故事来歴附の小僧だって事を、知って拾ったんだか……どうだかってんでね。非道ひどい奴はアラスカ丸が日本に着くまでに沈むか、沈まないかってかけをしている奴なんか居るんですぜ」
 俺は元来デリケートに出来た人間じゃない。君等きみらみたいな高等常識を持った記者諸君に「海上の迷信」なんて鹿爪しかつめらしい、学者振った話なんか出来る柄じゃ、むろんないんだ。もっとも若いうちは不良の文学青年でバイロンの「海の詩」なんかを女学生に暗誦あんしょうして聞かせたりなんかして得意になっていたもんだがね。しかしそれからのち、永年荒っぽい海上生活を続けて来たお蔭で性根しょうねが丸で変ってしまった。身体からだこそこんなに貧弱な野郎だが、兇状持揃きょうじょうもちぞろいの機関室でも、相当押え付けるだけのうでぷしと度胸だけは口幅くちはばったいが持っているつもりだ。現に船員連中ふねじゅうから地獄の親方と呼ばれている位だ。……けども、その俺が、この渋紙船長おやじの前に出ると、出るたんびに妙に顔負けしてしまう。いつもこうしてペラペラと安っぽく喋舌しゃべらせられるから妙なんだ。しかも忠告する気で云っている話が、ツイお伽話とぎばなしか何ぞのようにフワフワと浮付うわついてしまう。しの利かない事おびただしい。
「何も御幣ごへいを担ぐんじゃありませんがね。そんな篦棒べらぼうな話がるかって反対もしてみたんですがね。今まであの小僧が乗った船が一艘残らず沈んだのが事実だったら、今度沈むのも事実に違いない。乗組員全体の生命いのちにもかかわる話だ。何もあの小僧が居なけあ船が出ねえって理窟りくつもあるめえし……おめえんとこの船長おやじがいくら変者かわりものだってそんな無鉄砲な酔狂をして乗組員のりくみを腐らせるような馬鹿ばかでもあんめえ。あの小僧のいわく因縁、故事来歴を知らねえから平気で雇ったにちげえねえんだ。悪いこたあ云わねえから早く船長おやじに話して、あの小僧を降してもらいな。多人数おおぜいの云うこたあ聴いとくもんだ。あとで必定きっと後悔するもんだから……てな事をみんなして色々云うもんですからね……ハハハ……」
 船長の表情は依然として動かない。渋紙色の仮面マスクが、頭の上の青空に凍り付いたように動かない。無表情もここまで来ると少々精神異状者きちがいじみて来る。俺は思い切りブツカルように云った。
「今のうちに降しちゃったらどうです」
 船長の左の眼の下にピクピクとしわが寄った。同時に片目を半分ほど細くして、唇の片隅を上の方へゆがめた。これがこの船長おやじの笑い顔なんだが、知らない人間が見たらとても笑い顔とは思えない。単なる渋紙の痙攣ひっつりとしか見えないだろう。
「郵船名物のS・O・S・BOYだろう」
 と船長がしゃがれた声でプッスリと云った。同時にまゆの間とほっペタの頸筋くびすじ近くに、新しい皴が二三本ギューと寄った。冷笑しているのだ。
「エヘッ、知ってるんですか。貴方あなたも……」
「ムフムフ……」
 と船長が笑いかけて煙草たばこせた。船橋ブリッジから高らかに唾液つばを吐いた。
「ムフムフ、知らんじゃったがね。みんな、そう云うとる」
みんなって誰がですか。どんな連中が……」
船中ふねじゅうで云うとるらしい。水夫のかねの野郎が代表で談判に来た。ツイ今じゃった」
「ヘエエ……何と云って」
おろさなければあの小僧をたたき殺すがえかチウてな。胸の処の生首なまくび刺青いれずみをまくって見せよった。ムフムフ」
「ヘエ。それで……下さないんですか」
 船長が片目を静かに閉じたり開いたりした。それからネービー・カットのけむを私の顔の真正面ましょうめんに吹き付けた。
「……迷信だよ……」
「それあそうでしょうけどね。迷信は迷信でしょうけどね」
「ムフムフ。ナンセン小僧をノンセンス小僧に切り変えるんだ。迷信が勝つか。俺達の動かす器械が勝つかだ」
「つまり一種の実験ですね」
「……ムフムフ。ノンセンスの実験だよ」
「……………」
 二人の間に鉄壁のような沈黙が続いた。船長は平気でコバルト色の煙をプカプカやり出した。俺は、どうしたらこの船長を説き伏せる事が出来るかと考え続けた。
「君はいつからこの船に乗ったっけなあ」
 と船長が突然に妙な事を云い出した。
「一昨年の今頃でしたっけなあ」
「乗る時に機械は検査したろうな」
「しましたよ。推進機スクリュウ切端きっぱしまで鉄槌ハマでぶん殴ってみましたよ。それがどうかしたんですか」
「ムフムフ。その時に機械の間に、迷信とか、超科学の力とか、幽霊とか、妖怪ばけもんとか、理外の理とかいうものが挟まったり、引っかかったりしているのを発見したかね。君が検査した時に……」
「それあ……そんな事はありません。この船の機械は全部近代科学の理論一点張りで出来て動いているんですがね」
現在いまでもそうかね」
「……………」
「そんなら……えじゃろ。中学生にでもわかる話じゃろ。あのS・O・S小僧が颱風たいふうや、竜巻スパウトや、暗礁リーフをこの船の前途コース招寄よびよせる魔力を持っちょる事が、合理的に証明出来るチウならタッタ今でもあの小僧を降す」
「……………」
「元来、物理、化学で固まった地球の表面を、物理、化学で固めた船で走るんじゃろ。それが信じられん奴は……君や僕が運用する数理計算が当てにならんナンテいう奴は、最初はなから船に乗らんがえ」

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