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いなか、の、じけん(いなか、の、じけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-8 14:03:28  点击:  切换到繁體中文


     赤い鳥

 村外れの網干場あみほしばに近い松原を二三百坪切り開いて大きな別荘風の家が建った。海岸の岩の上には見事なモーターボートを納めた倉庫まで出来た。そうして村一番のオシャベリで、嫌われ者のお吉という婆さんが雇われて、留守番をする事になった。それまでの噂や、その婆さんの話を綜合すると、その別荘を建てた人は有名な相場師であるが、その若大将の奥さんが身体からだが弱いので、時々保養に来るために、わざわざ建てたものだという事である。
 村の者は皆その贅沢さに眼を丸くした。誰もかれもその若大将の奥さんを見たがった。
「この界隈で家を建てて、棟上げの祝いを配らずに済ます家は、あの別荘だけじゃろ」
 などと蔭口を利くものもあった。しかしその別荘は出来上ってから三箇月ばかりというもの閉め切ったまんまで、若い奥さんは影も形も見せなかった。
 ところが真夏の八月に入った或る日の事、鯛網引たいあみひきの留守で、村中が午睡ひるねをしている正午下ひるさがり時分に、ケタタマシイ自動車の音が二三台、地響じひびきを打たして別荘の方へ走って行った。何しろ道幅が狭いので、家ごとにユラユラと震動して、子供なぞは悲鳴をあげながらおびえた位であった。眼をました女房達の中には、火の付くように泣く子供を背中に掴み上げて、別荘の方へ駈け出した者もあったが、そんな連中はすぐあとから来た四五台の自動車に追っ払われて、逃げ迷わなければならなかった。
「別荘の中は殿様の御殿のように、立派な家具家財で飾ってあるよ」
「女中みたような若い女が二人と、運転手が下男みたような男衆が六七人とで、そんな家具家財を片付けながら、キャッキャッとフザケ合っていたよ」
「六七台の自動車は日暮れ方にみんな帰ってしまって、あとには若い女中二人と、お吉婆さんと、青い綺麗な籠に這入った赤い鳥が一羽残っているんだよ」
「その赤い鳥は奇妙な声で……バカタレ……馬鹿タレエッて云っていたよ」
 というような事実が、その夕方、沖から帰って来た村中の男達に、大袈裟な口調で報告された。それを聞いた男たちは皆眼をみはった。
「ウーム。そんならその奥さんチウのはヨッポド別嬪べっぴんさんじゃろ」
「いつ来るんじゃろ。その別嬪さんは……」
「あたしゃ初めあの女中さんを奥さんかと思うたよ。あんまり様子が立派じゃけん」
「あたしもそう思うたよ。……けんど二人御座るのも可笑おかしいと思うてナア」
「お妾さんチウもんかも知れんテヤ」
「ナアニ……その赤い鳥が奥さんよ」
「……どうしてナ……」
「……どうしてちうて……ウチの赤い鳥でも、毎日のように俺の事を、バカタレバカタレ云うてケツカルじゃないか」
 そんな事を云い合ってドッと笑いこけながら、海岸に咲き並ぶ月見草を押しわけて帰る連中もあった。

 そのあくる日のやはり夕方近くの事……本物の若い奥さんは、若大将と一緒に自動車で別荘に乗りつけた。そうして着物を着かえるとぐに、夫婦づれで海岸から村の中を散歩してまわった。
 奥さんは村の者の予期に反して別嬪でも何でもなかった。赤い毒々しい色の日傘の中に一パイになるくらい大きなハイカラ髪に結って、派手な浴衣ゆかたに紫色の博多帯をグルグルと捲き附けたまま、になって村中を歩いて行った。青白く痩せこけた上にコテコテとお化粧をした……鼻の頭がツンと上を向いた……眼の球のギョロギョロと大きい……年はいくつかわからない西洋人のようにヒョロ長い女であった。又、若大将の方は三十前後であろうか、奥さんよりもズット背の低いデブデブの小男であった。派手な格子縞こうしじまの浴衣に兵児帯へこおびを捲きつけて、麦稈帽むぎわらぼう阿弥陀あみだにしながら、細いステッキを振り振りチョコチョコと奥さんの尻をうて行くところは、如何にも好人物らしかった。中には奥さんのおともをしに来た書生さんと思った者もあるらしかったが、その二人が広くもない村の中を一通りあるきまわると、夕あかりの残った網干場を別荘の方へ通り抜ける時に、こんな話をした。
「ねえあなた。いい景色じゃないの……明日あしたは早く起きてモーターボートで島めぐりをしてみない」
「……ウウン……いでいたら行ってみよう」
「……だけどコンナ村に住んでいる人間は可愛想なものね。年中太陽にさらされて、豚小屋みたいな処に寝ころんで……」
「ウーン。女でも男でもずいぶん黒いね。トテモ人間とは思えない」
「男はみんなゴリラで、女はみんな熊みたいに見えるわよ」
「ハハハハ、ゴリラかハハハ」
「ホホホホヒヒヒヒヒ」
 すると、ちょうど網干場のまん中の渋小屋しぶごや(網に渋を染める小屋)の蔭で遊んでいた子守女こもりが二三人、鳴りをしずめて二人の会話に耳を傾けていたのであったが、こうした言葉をきくと流石さすがに憤慨したものと見えて、子供を背負しょい上げながら大急ぎで村へ帰って来た。そうして村の連中が夏祭りの相談をしながら、一杯飲んでいる処へやって来て、口々に忠実めかして報告した。
 只さえ気の荒い外海そとうみ育ちの上に、もういい加減酔払っていた若い連中は、これを聞くと一時に殺気立ってしまった。中にも赤褌あかふんどし一貫いっかんで、腕へ桃の刺青いれずみをした村一番の逞ましいのが、真先にあがかまちに立って来て呶鳴どなった。
「……何コン畜生……ごりらタア何の事だ……」
「……知らんがナ……」
 と子守女こもりたちは見幕に恐れて後退あとじさりをした。
「……ナニイ知らん……知らんタア何じゃい……」
「何でもええがッ……畜生メラ。この村を軽蔑してケツカルんだッ」
「第一この村の地内じないうちを建てながら、まだ挨拶にもせおらんじゃないか」
「……よしッ……みんな来いッ。これから行って談判喰らわしてくれる」
「……よし来た……喧嘩なら俺が引き受けた。モノと返事じゃ只はおかせんぞ」
 と云ううちに四五人バラバラと立ちかけた。その時であった。
「……マア待て待て……待て云うたら……」
 シャガレた声で上座かみざから、こう叫んだ向う鉢巻の禿頭はげあたまは、悠々と杯を置いて手をあげると、真っ先きに立った桃の刺青を制し止めた。
「何だいトッツァン……又止めるんか」
「ウン。止めやせんがマア坐っとれい。俺は俺で考えとる事があるから……」
「フーン……そんなら聞こう」
 と桃の刺青が引返して坐った。ほかの連中もドタドタと自分の盃の前に尻を据えた。
「……ドンナ考えかえ……トッツァン……」
「考えチウてほかでもない。今度の夏祭りナア……ええか……今度の夏祭り時にナア……ええか……」
 禿頭はニヤニヤ笑いながら桃の刺青の耳に口を寄せた。子守女こもりたちに聞こえぬようにささやいた。
「……ナ……ナ……そうしてナ……もしそれを、それだけ出さんとかしおったら構う事アない。あの座敷にお獅子様を担ぎ込むんよ。例の魚血なまぐさを手足に塗りこくって暴れ込むんよ……久し振りにナ……」
「……ウム……ナルホド……ウーム……」
「……ナ……高がもりの云う事を聞いて、云いがかりをつけるよりも、その方が洒落しゃれとらせんかい」
「ウン。ヨシッ。ワカッタッ。みんなであの座敷をブチこわしてくれよう」
「シイッ。聞こえるでないか……外へ……」
「ウン。……第一あのかかづらが俺ア気に喰わん。鼻ッペシを天つう向けやがって……」
「アハハハハ。あんなヒョロッコイかかが何じゃい。俺に抱かして見ろ。一ト晩でヘシ折って見せるがナ」
「イヨーッえらいゾッ。トッツァン。そこで一杯行こうぜ……アハハハハハハ」
「ワハハハハハ」
 そんな事でその時は済んだが、サテそのあくる日の正午近い頃であった。

 七ツと六ツぐらいの村の子供が二人連れで、素裸すはだかのまま、浜へテングサを拾いに来ていたが、いい加減に拾って帰りがけに、炎天の下の焼け砂の上を、開け放された別荘の裏木戸の前まで来ると、キョロキョロと中をのぞきながら、赤煉瓦塀あかれんがべいの中へ這入り込んだ……、家中うちじゅうの者がモーターボートで島巡りに出て行くところを今朝けさから見ていたので……そうして縁側の小松の蔭に吊してある、赤い鳥の籠に近付きながら恐る恐るのぞきこんだ。
 その顔を見ると人なつこいらしい赤い鳥は、突然頭を下げて叫び出した。
「モシモシ。モシモシイ。コンチワ……コンチワコンチワ……」
 二人の子供はビックリして砂だらけの顔を見合わせた。
 それを見ると赤い鳥はイヨイヨ得意になったらしく、一心に子供の顔を見下しながら、低い声で歌を唄い出した。
「……ジャン、チェーコン、リウコン……コンリウ、コンジャン、チェーコンチェー……チェーリウコンコンジャンコンチェー……じゃんすいじゃんすい、ほうすいほう……すいすいじゃんすい、ほうすいほう……」
 子供は又も黒い顔を見合わせた。
「何て云いよるのじゃろか」
「……お前たちの事をバカタレって云っているんだよ……ホホホホ」
 という声が不意に背後うしろの方から聞こえたので、二人は又もビックリして振り向いた。見るとそれはこの別荘の若大将夫婦で、たった今ボート乗りから帰って来たものらしく、二人ともまぶしいほど白い洋服を着て、濡れ草履ぞうり穿いて、ニコニコしながら突立っていた。
 二人の子供はホッと安心したように溜め息をいた。そうして又も不思議そうに赤い鳥の方を振りかえった。
「……エー皆さん……エー皆さん……私は……私は……すなわち……すなわち……」
 と赤い鳥は又別の事を云い出した。それにつれて奥さんは、日の照りかかる小鼻にしわを寄せながら笑い出した。
「ホーラネ……ホホホホホホ……お前さん達の顔を見て馬鹿タレって云っているでしょう……ネーホラ……バカタレーッて……」
「……ちがう……」
 と大きい方のが眼をパチパチさせながら云い放った。イクラカ憤慨したらしく黒い頬を染めながら……しかし若い奥さんはへこまなかった。イヨイヨ面白そうに金歯を出して笑った。
「イイエ……よく聞いて御覧……ホーラ……ネ……バカタレーッ……バカタレーッ……てね……ね……ホッホッホッホッ」
 この笑い声を聞くと赤い鳥は、一寸ちょっと頭を傾けているようであったが、たちまち思い出したようにパタパタと羽ばたきをした。籠の格子に掴まって、子供の顔を睨み下しながら、一際ひときわ高く叫び出した。
「……バカタレーッ……バカタレーッ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエーッ……」
 そう云う赤い鳥の顔を、眼をまん丸にして見上げていた大きい方の児が、みるみる渋面を作り出した。眼に涙を一パイ溜めたと思うと、口惜しそうにワーッと泣き出して、テングサの束を投げ出したまま裏木戸の方へ駈け出した。小さい方の児もテングサのしずくを引きずり引きずりあとからいて出て行った。笑いころげる夫婦の声をあとに残して……。

 大きい方の児は、すぐに網干場に駈け込んで、そこに突立っている赤褌の、桃の刺青をした男にすがり付いた。そうして一層泣き声を高めながら別荘の方をゆびさして、切れ切れに訴えはじめた。
 桃の刺青はウンウンうなずきながら聞いていたが、そのうちに二三度鉢巻を締め直した。青筋を立てて怒鳴った。
「……エエわからん……まっとハッキリ云え……ナニイ……あの別荘の奴等がか……ウンウン……あの赤い鳥にバカタレと云わせたんか……ウンウン……それに違いないナ」
 横に立っていた小さい児も、指をくわえたまま、大きい児と一緒にうなずいた。
「……ヨシッ……わかった……泣くな泣くな……畜生めら……そんな了簡りょうけんで、あの赤い鳥を連れて来腐きくさったんだナ……ヨシッ……二人とも一緒に来い……」
 と云うより早く網を押しわけて別荘の方へ駈け出した。
 しかし裏口から赤煉瓦の中へ這入ってみると、別荘の中はガランとしていて、人の気はいもなかった。ただ表の植込みからせみの声が降るように聞こえて来るばかりなので、桃の刺青はチョッと張り合いが抜けたていであったが、そのうちに小松の蔭に吊してある、青塗りに金縁きんぶちの籠を見付けると、又急に元気附いた。
「コン畜生……ひねり殺してくれる」
 と独言ひとりごとを云い云い籠の口を開けて、黒光りに光る手首をグッと突込んだ。
 赤い鳥は驚いた。バタバタと羽根を散らして上の方へ飛び退いたが、なおも真黒い手が掴みかかって来るのを見ると、その手の甲へ勇敢に逆襲して、死に物狂いに喰い附いた。
「アッ……テテッ……テテェテテェテテェッ……」
 桃の刺青も一生懸命になった。深く刺さった鈎型かぎがたくちばしを一気に引き離すと、黒血のしたたる手首を無我夢中にふりまわしたが、そのはずみに籠の底が脱けてバッタリ落ちたので、赤い鳥は得たりとばかり外へ飛び出して、見る見るうちに遠い松原の中に逃げ込んでしまった。

「……君は一体何をするんだ……」
 鳥のあとをうて二三歩馳け出したまま、ボンヤリと焼け砂の上に突立っていた桃の刺青は、突然にうしろから怒鳴り付けられたのでビックリして振り返った。見ると浴衣がけの若大将が湯上りの身体からだをテラテラ光らせながら、小さな眼を光らして縁側に突立っていた。そのうしろから寝巻をしどけなく着た奥さんが、咽喉のどをピクピクさして泣きじゃくりながら、帯を捲き付け捲き付け出て来る模様であった。
「……二百円もする鳥を何で逃がした……うちの家内がのようにしていたものを……」
 若奥さんは帯を半分捲き付けたままベタリと縁側に坐った。ワーッ……と泣き出しながら板張りへ突伏した。
 桃の刺青はこれを見ると肩を一つゆすり上げた。又も勢い付けられながら血だらけの手で鉢巻を締め直した。
「……ナ……何をするたア……ナ何だ。貴様等ア……あの赤い鳥を使って、俺の弟を泣かせたろう……村中の人間をバカタレと……イ……云わせたろう……」
「……そんなオボエはないぞ……」
「……何オッ。この豚野郎……証拠があるぞッ……」
「……証拠がある筈はないぞ……鳥が勝手に云ったんだから……」
「……ウヌッ……」
「……アレーッ……」
 桃の刺青はイキナリ土足で縁側に飛び上ろうとしたが、グイと若旦那に突き落された。その力が案外強かったので、桃の刺青はチョット驚いたらしかったが、喧嘩自慢の彼はなおも屈せずに、庭下駄穿にわげたばきで降りて来た若旦那を眼がけて掴みかかった。
 けれども柔道を心得ているらしい若旦那の腕力にはかなわなかった。砂の上に息詰まるほどタタキ投げられた上に、尻ペタをイヤという程下駄で蹴付けつけられてしまった。しかも、それをヤット我慢しながらようように頭を上げてみると、若旦那はいつの間にか縁側に上って、女たちと並んで見ているのであった。
 桃の刺青は真青になって、唇を噛んだ。起き上るや否や、
「覚えていろッ」
 と云い棄てて裏口から飛び出した。村中を駈けずって仲間を呼び出してまわったが、その仲間の四五人が、冷酒ひやざけの勢いに乗じて別荘に押しかけた時分には、若旦那夫婦と女中二人を乗せたモーターボートが、大凪おおなぎの沖合はるかに、音も聞こえない処にすべっていたのであった。
 桃の刺青の仲間はいよいよ腹を立てた。炎天を走って来たお蔭で、一時にあがった冷酒の悪酔いと一緒に、別荘の中へあばれ込んで、戸障子や器物を片っ端からタタキこわし初めた。それを押し止めに出て来たお吉婆さんまでもついでにタタキ倒おしてしまったが、その婆さんの報告で駐在巡査が駈け付けると、すぐに桃の刺青を取り押えて、ほかの四五人と一緒に裸体はだかのまま本署へ引っぱって行った。
 村中は忽ち大騒ぎになってしまった。この塩梅あんばいでは四五日のうちに迫っている夏祭りがトテモ出来まいというので、年寄達が寄り合ったり、村長と区長が夕方から警察に陳情に行ったりしたが、そのうちに別荘の持ち主の方で、告訴しないように取計らった事が、町から電話で知らせて来たとかで、間もなく若い者たちは放免されることがわかったので、やっと村中が落ち付いた。
 一方に別荘はこの騒動のあった日から、門も雨戸もスッカリ閉め切って、空屋同然の姿になってしまったが、そのあくる日のこと……村の女房やもりが四五人づれで、恐る恐る様子を見に行ってみると……雨戸の外の小松の蔭にブラ下がった底無しの籠の中に、いつの間にか赤い鳥が帰っていた。そうして昨日きのうの残りの餌をつつきながら一生懸命で叫んでいた。
「馬鹿タレ……バカタレエ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエッ……」

     八幡まいり

 収穫とりいれが済んだあとの事であった。亭主の金作が朝早くから山芋掘りに行った留守に、あんまりお天気がいいので、女房のおよねうちを閉め切って、子守女こもりのお千代に当歳の女のを負わせた三人連れで、村から一里ばかりあるH町の八幡宮に参詣さんけいした。
 帰りかけたのは午後の一時頃であったが、お宮の裏の近道に新しく出来たお湯屋を見かけると、お米はチョット這入はいってみたくなったので、誰も居ない番台の上に十銭玉を一つ投げ出して板の間に上った。眼をましかけた子供に乳を飲まして寝かしつけて、ネンネコ袢纏ばんてんに包んで、隅ッ子の衣類きもの棚の下に置いて、活動のビラを見まわったりしながら、お千代と一所いっしょに湯に這入ったが、ちょうど人の来ない時分で、お湯が生温なまぬるかったので、二人はいい気持になって、お湯の中でコクリコクリと居ねむりを初めた。
 そのうちに一かたげ眠ったお米はクサメを二ツ三ツして眼を醒ましたが、高い天窓越しに、薄暗く曇って来た空を見ると、慌てて子守のお千代を揺り起した。
「チョット。あたしは洗濯物をば取り込まにゃならぬ。一足先に帰るけに、お前はあとから帰って来なさいよ。湯銭ゆせんは払うてあるけに……」
 お千代は濡れた手で眼をコスリながらうなずいた。お米はソソクサと身体からだを拭いて着物を着て、濡れた髪を掻き上げ掻き上げ出て行った。
 それからお千代は又コクリコクリと居ねむりを初めたが、そのうちに鼻から湯を吸い込んでせ返っているうちにスッカリ眼が醒めてしまったので、ヤット湯から上って、まだねむい眼をコスリコスリ身体を拭いた。赤い帯を色気なく結んで表に出ると、長い田圃道をブラブラと、物を忘れたような気もちで歩いて帰った。
 帰り着いてみるとおかみさんは、又も西日がテラテラし出した裏口で、石の手臼てうすをまわしながら、居ねむり片手にいていた。それでお千代も石臼につらまって、一所にウツラウツラしいしい加勢をしていたが、そのうちに四時頃になって夕蔭がさして来ると、山芋をドッサリかついだ亭主の金作が、思いがけなく早く、裏口から帰って来た。
 金作は界隈でも評判の子煩悩こぼんのうであったが、山芋を土間に投げ出して、いつも子供を寝かしておく表の神棚の下まで来ると、そこいらをキョロキョロと見まわしながら、大きな声で怒鳴った。
「オイ。子供はどうしたんか」
 お米は妙な顔をしてお千代を見た。お千代も同じような顔をしてお米の顔を見上げた。
「オイ。どうしたんか……子供は……」
 と亭主の金作は眼を丸くして裏口へ引っ返して来た。
 お米はまだお千代の顔を見ていた。
「お前……背負うて来たんやないかい」
 お千代もお米の顔をポカンと見上げていた。
「……イイエ……お神さんが負うて帰らっしゃったかと思うて……わたしゃ……」
 二人は同時に青くなった。聞いていた金作も、何かわからないまま真青になった。
「……どうしたんか一体……」
「あたし……きょう……八幡様にまいって……」
「……ナニ……八幡様に参って……」
「……お宮の前のお湯に這入って……」
「……ナニイ……お湯に這入っタア……なんしに這入ったんか……」
「……………」
「それからドウしたんか」
「……………」
「……泣いてもわからん……云わんかい」
「……おといて来たア……」
「……ワア――ア……」
 金作は二人を庭へタタキ倒した。黄な粉を引っくり返したまま、大砲のような音を立てて表口から飛び出した。
 お米も面喰めんくらったまま起き上って、裏の田圃へ駈け出した。田をいている百姓を見付けると、金切声を振り絞った。
「大変だよ。ウチの人と一所に行っておくれよ。子供が……子供が居なくなったんだよッ……」
 一方に八幡裏のお湯屋では、亭主と、巡査と、近所の人が二三人、番台の前で評議をしていた。その中で巡査は帳面を開いたまま、何かしら当惑しているらしかったが、やがてひげをひねりひねり亭主をかえりみた。
「子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは可笑おかしいじゃないか。ア――ン」
「ヘエ。……でも十銭置いてありますので……」
「フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ」
「ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……」
迂濶うかつじゃナアお前は……。罰を喰うぞ気を付けんと……」
「ヘエ。どうも……これから心掛けます」
「つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ」
「ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたらおといて行ったもんじゃ御座いませんでしょか」
「馬鹿な……を落す奴があるか」
 その時に男湯の入口がガラリといて、百姓姿の男が一人駈け込んで来た。そうして何か戸惑いでもしたように、誰も居ない男湯の板の間を見まわしながらキョロキョロしていたが、そのうちにヤット気付いたらしく、女湯の入口にまわると、泥足のまま巡査を突き退けて、ハヤテのように板の間に駈け上った。……と思うと、そのあとから又二三人、野良姿の男がドカドカと這入って来た。
「居ったカッ」
「居ったッ」



いなか、の、じけん 備考

 みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。





底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年9月24日第1刷発行
底本の親本:「冗談に殺す」日本小説文庫、春陽堂
   1933(昭和8)年5月15日発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年1月13日公開
2006年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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