四
我々七人の客はあつけに取られて、身動きも出来ずに、
さうして見れば、アルドラミンは自殺したに違ひ無い。此男の性命を絶つた鋭い匕首は、自分で胸に刺し貫いたものに極まつてゐる。併しなぜこんな事をして死んだのだらうか。年はまだ若い。財産はある。幸福に暮らしてゐる。かうした身の上でゐて、我々一同にどんな憂悶を隠してゐたのだらうか。我々はどう考へて見ても解決が附かぬので、皆眉を
どうしてもアルドラミンは自殺したとより外思ひやうが無い。我々は只いつ迄も死骸を
誰の胸の中にも不安の念がひそやかに萌して来た。そして互に
アルドラミンの死骸はサン・ステフアノの寺に葬られた。両手を赤い創の上に組み合はせて葬つたのである。葬式が済んでからも我々は同じ疑惑を除くことが出来ない。バルバリゴだらうか、ヲレダンだらうか、ピルミアニだらうか、それともボツタロルだらうか。我々は出逢ふ度毎に猜疑の念を起さずにはゐられない。握手するにも気が置かれてならぬ。
絶えずかう云ふ不安の念に悩まされて、次第に双方機嫌の悪くなつたバルバリゴとボツタロルとは、とう/\争論をして決闘することになつた。争論の生じた真の原因は公に言はれぬので、二人は詰らぬ尾籠な事を表向の理由にした。ボツタロルは負傷した。バルバリゴはそのために大陸へ逃亡しなくてはならなくなつた。
己は深い悲みに沈んだ。それはアルドラミンの死を忘れることが出来ぬからである。レオネルロは己を慰めようとした。
或る日己はヲレダンに逢つた。ヲレダンはレオネルロはどうしてゐるかと問うた。丁度レオネルロが己の館に住むことになつてから、暫く立つた時の事である。ヲレダンは己の返事を聞いた後に、毒々しい笑をして、「暗い所では用心してゐ給へよ」と云つた。己は胸を裂かれるやうな気がした。レオネルロとの交誼を傷ける詞だからである。
レオネルロは己の憂鬱が日々加はるのを見て、己に旅行を勧めた。理由として言つたのは、ロオマに用事があると云ふことゝ、それからパレルモから手紙が届いて、急に帰つて貰ひたいと云つて来たと云ふこととの二つである。己はレオネルロが只此土地を離れようとしてゐて、口実を設けるのだと悟つたが、それを色にあらはさずに、其表面の理由を信ずるやうに
レオネルロと己とは一つ馬車に乗つた。二人はピエンツアに泊る筈であつたのに、市より余程手前で日が暮れた。そこはひどく暗いピニイの林の中であつた。今少しで林を出離れようとした時、恐ろしい叫声が聞えた。
己達は
己の周囲に足音がした。多分レオネルロを己と同じ目に逢はせるのだらう。どうもそれにレオネルロが抗抵するらしい。己のやうに賊のする儘にさせてゐないらしい。物音で判断すると、さう思はれるのである。己はレオネルロが抗抵して、ひどい怪我をしないと好いがと思つた。こんな時には敵対しないで、人のするやうにさせてゐるが好い。避けられぬ事を避けようとしたつて、なんの役にも立たぬからと、己はレオネルロに忠告したかつたが、猿轡を嵌められてゐるので、詞を出すことが出来なかつた。
暫くして周囲がひつそりした。己は賊等が目的を達してしまつたのだなと思つた。その時突然大勢が何やらどなりながら大声で笑ふのが聞えた。併しそれは只一刹那の事で、其跡は又ひつそりした。己は賊等が
己とレオネルロとの二人は寂しい林の真ん中にゐるのだ。一人々々ピニイの木の幹に縛り附けられてゐるのだ。此境遇は随分悲惨であるが、己はそれを考へるよりは、どうにかして今の苦痛を軽減しようと工夫した。幸な事には目隠しの布が少し弛んだので、己は次第にそれをゐざらせて、とう/\ずば抜けさせた。そして己はあたりを見廻した。
地に插した一本の松明が今少しで燃えてしまふ所である。そのゆらめくがピニイの木の赤い幹を照す。それに裸体の人が縛り附けられてゐる。レオネルロであらう。忽ち一陣の風が吹いて来て、松明がぱつと明るくなつた。レオネルロに違ひない。闇夜を背景にして白皙な体が浮いて見える。併しこれは夜目の迷であらうか。まやかしの幻影であらうか。その体は女の体である。併し女の体でゐて、矢張レオネルロである。顔はそむけてゐて見えない。見えるのは只髪を短く刈つた頭と
女だ。思ひ掛けぬ発見は残酷にも己の心を掻き乱した。そして恐ろしい疑念を萌さしめた。女であつたか。併しなぜ男装してゐたのだらう。なぜそんな秘密をしてゐたのだらう。女であつた。レオネルロが女であつた。あゝ、匕首の一えぐり。
松明は次第に燃え尽した。猿轡は己の口を噤ませてゐても、己の頭には思想が相駆逐してゐる。此思想は初め生じた時
己は無事にヱネチアに帰つた。紫色の空気を波立たせて、サン・ステフアノ寺の鐘が響いてゐた。そしてアルドラミンの家の館の古い壁に嵌めてある、血のやうな色の大理石の花形が、運河の水にうつつてゐた。