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不可説(ふかせつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 10:01:49  点击:  切换到繁體中文


 此笑声せうせいを相図に、僕の不愉快な気分は、魔法の利いたやうに消え失せた。どうして僕はあんな馬鹿な事を思つたのだらう。僕の感じたのが恋愛に外ならぬと云ふことを、なぜ僕は即時に発明しなかつただらう。僕の妙な精神状態を自然に説明してゐるものは即ち此女ではないか。今噴水のささやきと木の葉のそよぎとに和する笑声を出してゐる此女、薔薇の谷の珈琲店に、あの晴やかな顔と云ふ一輪の花を添へてゐる、この美しい、若い女に、僕は惚れてゐるのだ。
 此断案は僕を安心させた。惚れてゐると云ふ事は、何も僕に苦痛を与へる筈が無い。なぜと云ふに、僕の願にジユリエツトが応ぜないかも知れないと云ふ疑懼ぎくは、どの点から見ても無いからである。此女には夫がある。併しその夫と中が悪くなつてゐると云ふことは、ブラウンの話に聞いて居る。一体ブラウン夫婦がかうして此女を旅に連れ出したのは、その中の悪い夫と引き離して置くためである。夫の方でも此女をなんとも思つてはゐないのである。さうして見れば、此場合で僕のしなくてはならない事と云つては、唯恋を打ち明ける丈で好いのである。そしてそれを打ち明ける機会は幾らもありさうである。
 果して僕は間もなくその機会を得た。丁度その翌日ブラウンはテラピアの波止場で端艇ボオトから上がる時、足を挫いた。怪我はひどくはないが、暫く休息してゐなくてはならない。そこで細君が夫の看病をしてゐる、僕は彼女かのをんなの散歩の道連になることを申し込んだ。女は一応軽く辞退した上で僕の請を容れた。そこで僕は翌日女をスクタリへ連れて往つて、そこに終日ゐると云ふことになつた。そこにゐる乞食坊主を見たり、大きい墓地に往つて見たりしようと云ふのである。
 スクタリの墓地は実に立派な所である。君もきつとあの墓地の事の書いてある紀行を読んだだらう。そして糸杉の蔭に無数の墓がぴつしり並んでゐるのを想像することが出来るだらう。あそこで僕はジユリエツトに話をした。
 僕等は車を下りて、脇道に這入つて、あのステエルと云ふ柱形はしらがたの墓の倒れてゐるのに腰を掛けた。僕は両手でジユリエツトの手を握つた。ジユリエツトはその手を引かなかつた。から透して見れば、ボスポルスの水が青く光つてゐる。黒い嘴細鴉はしぼそがらすがばたばたと飛んで澄み切つた空高くのぼる。多分僕はまづい事は言はなかつただらう。なぜと云ふに、ジユリエツトはこんな意味の返事をしたからである。「あなたのそのおことばを侮辱だとは感じません。こんな悲しい身の上になつてゐるのですから、大事な方のために尽して上げることが出来れば、それが慰めにもなりませう。あなたが唯お友達になつて下されば、わたくしどんなにか為合しあはせでせう。もう恋なんと云ふことは、生涯駄目かと思つてゐます。」かう云ふ事を言つてゐる間、女は僕に多少の親みをすることを許した。その様子が余り冷澹ではなささうなので、あんな事を言つても、又思ひ返すこともあるだらうと、僕は思つた。
 未来に楽しい事があるだらうと云ふ見込は、幸福の印象をなす筈だから、僕はジユリエツトとした此散歩の土産に、さう云ふ印象を持つて帰らなくてはならないのだ。実際ジユリエツトがいつか僕の情人になつてくれるだらうと云ふ想像は、僕には嬉しかつた。僕は度々スクタリで話をした時の事を思ひ浮べて見た。高い糸杉の木、倒れてゐる柱形の墓石、僕に手を握らせて微笑ほゝゑんでゐる若い女の顔。こんな物が又目に浮ぶ。併しどうもその場合に、僕は局外者になつてゐるやうでならない。詰まり秘密らしく次第にその啓示けいしの期の近づいて来る、僕の生涯の隠れた目的は、この目に浮ぶ物の外にあるのだ。
 かう云ふ妙な精神状態を、僕がしてゐるうちに、ブラウン夫婦がテラピアに滞留してゐる筈の、最後の数週が次第に過ぎ去つてしまふ。僕はジユリエツトと差向ひになることがめつたに無い。ブラウンの怪我は早く直つたので、ブラウンか細君かのうちが、始終ジユリエトと僕との間にはさまつてゐる。そして出立の期が迫つて来る。さていよ/\フランクフルトへ帰る前になつて、ブラウン夫婦は此旅行の記念品を買ひに、スタンビユウルの大勧工場へ往くと云つて、僕をさそつた。或る日の午後、僕等は勧工場の中に這入つて、装飾品の売場から薫物たきものの売場へ、反物の卓から置物の卓へとあちこちうろついた。丁度僕等があの信用の出来ない程古い家具の陳列してある、ベゼスチンと云ふ室に来た時、ジユリエツトとブラウン夫婦とが何か買物をし掛けてゐたので、僕は種々の人の込み合つてゐる中に一人居残つた。僕は連を捜しに出掛けようとしたが、その時ふと気が附いて見れば、一人の男が自分の売場に立つて、多勢たぜいの人の頭を見越して、僕に手招てまねきをしてゐた。
 その男は武器を売る、髯の長い大男である。拳銃や、トルコ刀や、ヤタガンと云ふ曲つたたうや、匕首ひしゆなんぞの種々な形をしたのが、その男の前に積み上げてある。僕が近寄ると、その男は身を屈めた。僕はその様子を見てゐた。突然男は身を起して、長い、曲つた刀を、高く差し上げて、華やかな、勇ましい身構をして、鞘を払つた。明るく、強く、切るやうに、鋼鉄は鞣皮なめしかはの鞘から滑り出してその陰険な、人に媚びるやうな光沢を現した。男は次第にやいばを抜き出しながら、茶色の髯の奥で光る白い歯を見せて、ゆるやかに微笑んで、僕の顔を見た。日のかつと照つてゐる中に、その男のさうして立つてゐる姿は、さながら運命の立像であつた。
 若しジユリエツトが来て、ブラウン夫婦がダウウトのおきな氈店かもみせに往つたのを知らせなかつたら、僕はいつまでもその男を見詰めてゐただらう。氈店で僕は夫婦に逢つた。数分の後に僕が横になる筈の深紅色の氈は、そこで買つたのだ。あの氈の上に寝てしなやかなジユリエツトの裸体を抱いた時、僕は度々此死の事を思つた。あの上で此世を去らうと云ふ、不可説にして必然な心が養成せられた。此決心に先立ち、此決心に伴つた事情を、これで君に言つて聞かせた。それで僕はジユリエツトの姿、薔薇の谷の小さいトルコの珈琲店、糸杉の木、スクタリの柱形の墓石、ベゼスチンの刀剣商を思ひ浮べるのだ。そして僕はその中に最終の幸福を見出す。なぜと云ふに、死に臨んで優しい顔、美しい国、華やかな身構を思ひ浮べるより楽いことは無い。





底本:「鴎外選集 第十四巻」岩波書店
   1979(昭和54)年12月19日
初出:「昴 四ノ五」
   1912(明治45)年5月1日
入力:tatsuki
校正:田口彩子
2001年9月11日公開
2006年5月8日修正
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