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沈黙の塔(ちんもくのとう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:53:37  点击:  切换到繁體中文

 高い塔がゆうべの空にそびえている。
 塔の上に集まっているからすが、立ちそうにしてはまた止まる。そしてき騒いでいる。
 鴉の群れを離れて、鴉の振舞ふるまいを憎んでいるのかと思われるように、かもめが二三羽、きれぎれの啼声をして、塔に近くなったり遠くなったりして飛んでいる。
 疲れたような馬が車を重げにいて、塔の下に来る。何物かが車から卸されて、塔の内に運び入れられる。
 一台の車が去れば、次の一台の車が来る。塔の内に運び入れられる品物はなかなか多いのである。
 おれは海岸に立ってこの様子を見ている。しおは鈍く緩く、ぴたりぴたりと岸の石垣を洗っている。市の方から塔へ来て、塔から市の方へ帰る車が、己の前を通り過ぎる。どの車にも、やわらか鼠色ねずみいろの帽の、つばを下へ曲げたのをかぶった男が、馭者台ぎょしゃだいに乗って、俯向うつむき加減になっている。
 不精らしく歩いて行く馬のひづめの音と、小石に触れて鈍くきしる車輪の響とが、単調に聞える。
 己は塔が灰色の中に灰色でえがかれたようになるまで、海岸に立ちつくしていた。

       *          *          *

 電灯の明るく照っている、ホテルの広間に這入ったとき、己は粗い格子の縞羅紗しまらしゃのジャケツとずぼんとを着た男の、長い脚を交叉こうささせて、安楽椅子いすに仰向けに寝たように腰を掛けて新聞を読んでいるのを見た。この、柳敬助という人の画が toileトアル を抜け出たかと思うように脚の長い男には、きのうも同じ広間で出合ったことがあるのである。
「何か面白い事がありますか」と、己は声を掛けた。
 新聞を広げている両手の位置を換えずに、脚長は不精らしくちょいと横目でこっちを見た。「Nothing at all!」物を言い掛けた己に対してよりは、新聞に対して不平なような調子で言い放ったが、しばらくして言い足した。「また椰子やしの殻に爆弾を詰めたのが二つ三つあったそうですよ。」
「革命党ですね。」
 己は大理石の卓の上にあるマッチ立てを引き寄せて、煙草に火を附けて、椅子に腰を掛けた。
 暫くしてから、脚長が新聞を卓の上に置いて、退屈らしい顔をしているから、己はまた話し掛けた。「へんな塔のある処へ往って見て来ましたよ。」
Malabarマラバア hillヒル でしょう。」
「あれはなんの塔ですか。」
「沈黙の塔です。」
「車で塔の中へ運ぶのはなんですか。」
死骸しがいです。」
「なんの死骸ですか。」
Parsiパアシイ 族の死骸です。」
「なんであんなに沢山死ぬのでしょう。コレラでも流行はやっているのですか。」
「殺すのです。また二三十人殺したと、新聞に出ていましたよ。」
たれが殺しますか。」
「仲間同志で殺すのです。」
「なぜ。」
「危険な書物を読むやつを殺すのです。」
「どんな本ですか。」
「自然主義と社会主義との本です。」
「妙な取り合せですなあ。」
「自然主義の本と社会主義の本とは別々ですよ。」
「はあ。どうも好く分かりませんなあ。本の名でも知れていますか。」
「一々書いてありますよ。」脚長は卓の上に置いた新聞を取って、広げて己の前へ出した。
 己は新聞を取り上げて読み始めた。脚長は退屈そうな顔をして、安楽椅子に掛けている。
 直ぐに己の目に附いた「パアシイ族の血腥ちなまぐさき争闘」という標題の記事は、かなり客観的に書いたものであった。

       *          *          *

 パアシイ族の少壮者は外国語を教えられているので、段々西洋の書物を読むようになった。英語が最も広く行われている。しかし仏語ふつご独逸ドイツ語も少しずつは通じるようになっている。この少壮者の間に新しい文芸が出来た。それは主として小説で、その小説は作者の口からも、作者の友達の口からも、自然主義の名を以て吹聴ふいちょうせられた。ZolaゾラLe Romanロマン exp※(アキュートアクセント付きE小文字)rimentalエクスペリマンタル で発表したような自然主義と同じだとは云われないが、また同じでないとも云われない。かく因襲を脱して、自然にかえろうとする文芸上の運動なのである。
 自然主義の小説というものの内容で、人の目に附いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であった。この思想の方嚮ほうこうを一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道じょうどうである。この方嚮から見ると、少しでも積極的な事を言うものは、時代後れの馬鹿ものか、そうでなければ嘘衝うそつきでなくてはならない。
 次に人の目に附いたのは、衝動生活、就中なかんずく性欲方面の生活を書くことに骨が折ってある事であった。それも西洋の近頃の作品のように色彩の濃いものではない。言わば今まで遠慮し勝ちにしてあった物が、さほど遠慮せずに書いてあるという位に過ぎない。
 自然主義の小説は、際立った処を言えば、先ずこの二つの特色を以て世間に現れて来て、自分達の説く所は新思想である、現代思想である、それを説いている自分達は新人である、現代人であると叫んだ。
 そのうちにこういう小説がぽつぽつと禁止せられて来た。その趣意は、あんな消極的思想は安寧秩序をみだる、あんな衝動生活の叙述は風俗を壊乱するというのであった。
 丁度その頃この土地に革命者の運動が起っていて、例の椰子の殻の爆裂弾を持ち廻る人達の中に、パアシイ族の無政府主義者が少しまじっていたのが発覚した。そしてこの Propagandeプロパガンド parパアル le faitフェエ の連中が縛られると同時に、社会主義、共産主義、無政府主義なんぞに縁のある、ないし縁のありそうな出板物が、社会主義の書籍という符牒ふちょうの下に、安寧秩序を紊るものとして禁止せられることになった。
 この時禁止せられた出板物の中に、小説が交っていた。それは実際社会主義の思想で書いたものであって、自然主義の作品とは全く違っていたのである。
 しかしこの時から小説というものの中には、自然主義と社会主義とが這入はいっているということになった。
 そういう工合に、自然主義退治の火が偶然社会主義退治の風であおられると同時に、自然主義の側で禁止せられる出板物の範囲が次第に広がって来て、もう小説ばかりではなくなった。脚本も禁止せられる。抒情詩じょじょうしも禁止せられる。論文も禁止せられる。外国ものの翻訳も禁止せられる。
 そこで文字に書きあらわされてある、あらゆるものの中から、自然主義と社会主義とが捜されるということになった。文士だとか、文芸家だとか云えば、もしや自然主義者ではあるまいか、社会主義者ではあるまいかと、人に顔をのぞかれるようになった。
 文芸の世界は疑懼ぎくの世界となった。
 この時パアシイ族のあるものが「危険なる洋書」という語を発明した。
 危険なる洋書が自然主義を媒介した。危険なる洋書が社会主義を媒介した。翻訳をするものは、そのまま危険物の受売うけうりをするのである。創作をするものは、西洋人の真似をして、舶来品まがいの危険物を製造するのである。
 安寧秩序を紊る思想は、危険なる洋書の伝えた思想である。風俗を壊乱する思想も、危険なる洋書の伝えた思想である。
 危険なる洋書が海を渡って来たのは Angraアングラ Mainyuマイニュウ の神の為業しわざである。
 危険なる洋書を読むものを殺せ。
 こういう趣意で、パアシイ族の間で、Pogromポグロム の二の舞が演ぜられた。そして沈黙の塔の上で、鴉が宴会をしているのである。

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