島は深い沈黙の中に眠つてゐる。海も死んでゐるかと思はれるやうに眠つてゐる。秘密な有力者が強い臂を揮つて、この怪しげな形をした黒い岩を、天から海へ投げ落して、その岩の中に潜んでゐた性命を、その時殺してしまつたのである。
遠くから此島を見れば妙な形をしてゐる。遠くからと云ふのは、天の川の
十二月になつてからは、今宵のやうな、死に切つた静けさの闇夜が、カプリの島に度々ある。いかにも不思議な静けさなので、誰でも物を言ふに中音で言ふか囁くかせずにはゐられない。若し大きい声をしたら、この
だから今島の浪打際の、石のごろ/\した中にすわつてゐる二人も中音で話をしてゐる。一人は税務署附の兵卒である。黄いろい
岩は銀象嵌をしたやうである。併しその白い
役人はまだ年が若い。年齢相応な、口から出任せの事を言つてゐる。老人は不精々々に返事をしてゐる。折々は不機嫌な詞も交る。
「十二月になつて色をする奴があるかい。もう子供の生れる時ぢやないか。」
「さう云つたつて、年の若いうちは、どうも待たれないからね。」
「それは待たなくてはならないのだ。」
「お前さんなんぞは待つたかね。」
「わしは兵隊ではなかつた。わしは働いた。世間を渡つてゐるうちに出逢ふ丈の事に出逢つて来た。」
「分からないね。」
「今に分かるよ。」
岸から余り遠くない所に、
「爺いさん、なぜ寝ないかね。」
漁師は持ち古した、時代が附いて赤くなつた肩掛の
「網が卸してあるのだよ。あの浮標を見ないか。」
「さうかね。」
「さきをとつひは網を一つ破られてしまつたつけ。」
「
「今は冬だぜ。海豚が
獣の脚で踏まれた山の石が一つ
兵卒は小声で小唄を歌つた。
爺いさん。
わけを聞かせて下さいな。ウンベルトオさん。
ヰノ・ビアンカの葡萄酒を
若い時ちと飲み過ぎた。
「そんなのは己には嵌まらない」と、漁師はうるさがるやうにつぶやいた。
爺いさん。夜がなぜ寐られない。
わけを聞せて下さいな。ベルチノオさん。
恋と名の附く好い事を
し足りなかつた、若い時。
「ねえ、パスカル爺いさん。好い唄でせう。」
「お前にだつて、六十になつて見りやあ、今に分かる。だから聞かなくても好いのだ。」
二人共長い間、夜と
「驚いた。分かり切つてゐらあ。色事をするのはいつだつて同じ事ぢやないか。」
「さう思ふかい。所が物が本当に分かつてゐなくちやあ駄目だ。あつちのな、あの山の向うに、Senzamani と云ふ一族が住まつてゐる。今の主人の
「お前さんが知つてゐるのに、何も知らない人に聞きに往かなくても好いぢやないか。」
目には見えぬに、どこかを夜の鳥が一羽飛んで通つた。誰かゞ乾いた額を手拭でふいたやうな、一種異様な音がしたのである。
地の上の暗黒が次第に濃く、
「昔はもつと女を大切にしたものだ」と、漁師が云つた。
「さうかね。そんな事はわたしは知らなかつた。」
「それに戦争が度々あつたものだ。」
「そこで後家が大勢出来たと云ふのかね。」
「いや。そこで兵隊が遣つて来る。海賊が遣つて来る。ナポリには五年目位に新しい政府が立つ。女がゐると、錠前を卸した所に隠して置いたものだ。」
「ふん。今だつてさうして置く方が好いかも知れないね。」
「まあ、鶏かなんかを盗むやうに、女を盗んだものだ。」
「女は鶏よりか狐に似てゐるのだが。」
漁師は黙つてしまつた。そして煙草に火を附けた。附木の火がぱつと燃え立つて、黒い曲つた鼻を照らした。間もなく甘みのある烟の白い一団が、動揺の無い空気の中に漂つた。
「それからどうしたのだね」と、ねむげな声で兵卒が聞いた。