十三
純一が日記は又白い処ばかり多くなった。いつの間にか十二月も半ばを過ぎている。珍らしい晴天続きで、国で噂(うわさ)に聞いたような、東京の寒さをまだ感じたことがない。
植長の庭の菊も切られてしまって、久しく咲いていた山茶花(さざんか)までが散り尽した。もう色のあるものと云っては、常磐樹(ときわぎ)に交って、梅もどきやなんぞのような、赤い実のなっている木が、あちこちに残っているばかりである。
中沢のお雪さんが余り久しく見えないと思いながら、問いもせずにいると、或る日婆あさんがこんな事を話した。お雪さんに小さい妹がある。それがジフテリイになって大学の病院に這入った。ジフテリイは血清注射で直ったが、跡が腎臓炎になって、なかなか退院することが出来ない。お雪さんは稽古(けいこ)に行った帰りに、毎日見舞に行って、遅くなって帰る。休日には朝早くからおもちゃなんぞを買って行って、終日附いているということである。「ほんとにあんな気立ての好(い)い子ってありません」と婆あさんが褒めて話した。
この頃純一は久し振りで一度大石路花を尋ねた。下宿が小石川の富坂上(とみざかうえ)に変っていた。純一はまだ何一つ纏(まと)まった事を始めずにいるのを恥じて、若(も)し行(い)きなり何をしているかと問われはすまいかと心配して行ったが、そんな事は少しも問わない。寧(むし)ろなんにもしないのが当り前だとでも思っているらしく感ぜられた。丁度這入って行ったとき、机の上に一ぱい原稿紙を散らかして、何か書き掛けていたらしいので「お邪魔なら又参ります」と云うと「搆(かま)わないよ、器械的に書いているのだから、いつでも已(や)めて、いつでも続けられる。重宝な作品だ」と真面目な顔で云った。そしていつもの詞(ことば)少なに応答をする癖とまるで変って、自分の目下の境遇を話して聞せてくれた。それが極端に冷静な調子で、自分はなんの痛癢(つうよう)をも感ぜずに、第三者の出来事を話しているように聞えるのである。純一は直ぐに、その話が今書き掛けている作品と密接の関係を有しているのだということを悟った。話しながら、事柄の経過の糸筋を整理しているらしいのである。話している相手が誰(だれ)でも搆わないらしいのである。
路花の書いている東京新聞は、初め社会の下層を読者にして、平易な事を平易な文で書いていた小新聞(こしんぶん)に起って、次第に品位を高めたものであった。記者と共に調子は幾度も変った。しかし近年のように、文芸方面に向って真面目に活動したことはなかった。それは所謂自然主義の唯一の機関と云っても好(い)いようになってからの事である。ところが社主が亡くなって、新聞は遺産として、親から子の手に渡った。これまでの新聞の発展は、社主が意識して遂げさせた発展ではなかった。思想の新しい記者が偶然這入る。学生やなんぞのような若い読者が偶然殖える。記者は知らず識(し)らず多数の新しい読者に迎合するようになる。こういう交互の作用がいつか自然主義の機関を成就させたのであった。それを故(もと)の社主は放任していたのである。新聞は新しい社主の手に渡った。少壮政治家の鉄のような腕(かいな)が意識ある意志によって揮(ふる)われた。社中のものの話に聞けば、あの背(せい)の低い、肥満した体を巴里為立(パリイじた)てのフロックコオトに包んで、鋭い目の周囲に横着そうな微笑を湛(たた)えた新社主誉田(ほんだ)男爵は、欧羅巴(ヨオロッパ)の某大国のCorps diplomatique(コオル ジプロマチック)で鍛えて来た社交的伎倆(ぎりょう)を逞(たくましゅ)うして、或る夜一代の名士を華族会館の食堂に羅致(らち)したのである。今後は賛助員の名の下に、社会のあらゆる方面の記事を東京新聞に寄せることになったという、この名士とはどんな人々であったか。帝国大学の総ての分科の第一流の教授連がその過半を占めていたのである。新聞はこれからacademique(アカデミック)[#一つ目の「e」は「´」付き]になるだろう。社会の出来事は、謂(い)わば永遠の形の下(もと)に見た鳥瞰図(ちょうかんず)になって、新聞を飾るだろう。同じ問題でも、今まで焼芋の皮の燻(くすぶ)る、縁(ふち)の焦げた火鉢の傍(そば)で考えた事が発表せられた代りに、こん度は温室で咲かせた熱帯の花の蔭から、雪を硝子(ガラス)越しに見る窓の下で考えた事が発表せられるだろう。それは結構である。そんな新聞もあっても好(い)い。しかし社員の中(うち)で只一人華族会館のシャンパニエエの杯(さかずき)を嘗(な)めなかった路花はどうしても車の第三輪になるのである。それなのに「見てい給え、今に僕なんぞの新聞は華族新聞になるんだ」と、平気な顔をして云っている。
純一は著作の邪魔なぞをしてはならないと思ったので、そこそこに暇乞(いとまごい)をして、富坂上の下宿屋を出た。そして帰り道に考えた。東京新聞が大村の云う小さいクリクを形づくって、不公平な批評をしていたのは、局外から見ても、余り感心出来なかった。しかしとにかく主張があった。特色があった。推し測って見るに、新聞社が路花を推戴(すいたい)したことがあるのではあるまいから、路花の思想が自然に全体の調子を支配する様になって、あの特色は生じたのだろう。そこで社主が代って、あの調子を社会を荼毒(とどく)するものだと認めたとしよう。一般の読者を未丁年者として見る目で、そう認めたのは致し方がない。只驚くのは新聞をアカデミックにしてその弊を除こうとした事である。それでは反動に過ぎない。抑圧だと云っても好(い)い。なぜ思想の自由を或る程度まで許して置いて、そして矯正しようとはしないのだろう。路花の立場から見れば、ここには不平がなくてはならない。この不平は赫(かく)とした赤い怒りになって現れるか、そうでないなら、緑青(ろくしょう)のような皮肉になって現れねばならない。路花はどんな物を書くだろうか。いやいや。やはりいつもの何物に出逢っても屈折しないラジウム光線のような文章で、何もかも自己とは交渉のないように書いて、「ああ、わたくしの頭にはなんにもない」なんぞと云うだろう。今の文壇は、愚痴というものの外に、力の反応(はんおう)を見ることの出来ない程に萎弱(いじゃく)しているのだが、これなら何等の反感をも起さずに済む筈(はず)だ。純一はこんな事を考えながら指(さす)が谷(や)の町を歩いて帰った。
十四
十二月は残り少なになった。前月の中頃から、四十日(しじゅうにち)程の間雨が降ったのを記憶しない。純一は散歩もし飽きて、自然に内にいて本を読んでいる日が多くなる。二三日続くと、頭が重く、気分が悪くなって、食機(しょくき)が振わなくなる。そういう時には、三崎町(さんさきちょう)の町屋が店をしまって、板戸を卸す頃から、急に思い立って、人気(ひとけ)のない上野の山を、薩摩下駄をがら附かせて歩いたこともある。
或るそういう晩の事であった。両大師の横を曲がって石燈籠(いしどうろう)の沢山並んでいる処を通って、ふと鶯坂(うぐいすざか)の上に出た。丁度青森線の上りの終列車が丘の下を通る時であった。死せる都会のはずれに、吉原の電灯が幻のように、霧の海に漂っている。暫く立って眺めているうちに、公園で十一時の鐘が鳴った。巡査が一人根岸から上がって来て、純一を角灯で照して見て、暫く立ち留まって見ていて、お霊屋(たまや)の方へ行った。
純一の視線は根岸の人家の黒い屋根の上を辿(たど)っている。坂の両側の灌木(かんぼく)と、お霊屋の背後の森とに遮られて、根岸の大部分は見えないのである。
坂井夫人の家はどの辺だろうと、ふと思った。そして温い血の波が湧(わ)き立って、冷たくなっている耳や鼻や、手足の尖(さき)までも漲(みなぎ)り渡るような心持がした。
坂井夫人を尋ねてから、もう二十日ばかりになっている。純一は内に据わっていても、外を歩いていても、おりおり空想がその人の俤(おもかげ)を想い浮べさせることがある。これまで対象のない係恋(あこがれ)に襲われたことのあるに比べて見れば、この空想の戯れは度数も多く光彩も濃いので、純一はこれまで知らなかった苦痛を感ずるのである。
身の周囲(まわり)を立ち籠(こ)めている霧が、領(えり)や袖や口から潜(もぐ)り込むかと思うような晩であるのに、純一の肌は燃えている。恐ろしい「盲目なる策励」が理性の光を覆うて、純一にこんな事を思わせる。これから一走りにあの家へ行って、門のベルを鳴らして見たい。己(おれ)がこの丘の上に立ってこう思っているように、あの奥さんもほの暗い電燈の下の白いcourte-pointe(クウルト ポアント)の中で、己を思っているのではあるまいか。
純一は忽(たちま)ち肌の粟立(あわだ)つのを感じた。そしてひどく刹那(せつな)の妄想(もうそう)を慙(は)じた。
馬鹿な。己はどこまでおめでたい人間だろう。芝居で只一度逢って、只一度尋ねて行っただけの己ではないか。己が幾人かの中の一人に過ぎないということは、殆ど問うことを須(ま)たない。己の方で遠慮をしていれば、向うからは一枚の葉書もよこさない。二十日ばかりの長い間、己は待たない、待ちたくないと思いながら、意志に背いて便(たより)を待っていた。そしてそれが徒(いたず)ら事であったではないか。純一は足元にあった小石を下駄で蹴飛(けと)ばした。石は灌木の間を穿(うが)って崖(がけ)の下へ墜(お)ちた。純一はステッキを揮(ふ)って帰途に就いた。
* * *
純一が夜上野の山を歩いた翌日は、十二月二十二日であった。朝晴れていた空が、午後は薄曇になっている。読みさした雑誌を置いて、純一は締めた障子を見詰めてぼんやりしている。己はいつかラシイヌを読もうと思っていて、まだ少しも読まないと、ふと思ったのが縁になって、遮り留めようとしている人の俤が意地悪く念頭に浮かんで来る。「いつでも取り換えにいらっしゃいよ。そう申して置きますから、わたくしがいなかったら、ずんずん上がって取り換えていらっしゃって宜しゅうございます」と坂井の奥さんは云った。その権利をこちらではまだ一度も用に立てないでいるのである。葉書でも来はすまいかと、待ちたくないと戒めながら、心の底で待っていたが、あれは顛倒(てんどう)した考えであったかも知れない。おとずれはこちらからすべきである。それをせぬ間、向うで控えているのは、あの奥さんのつつましい、frivole(フリヴオル)でないのを証拠立てているのではあるまいか。それともわざと縦(はな)って置いて、却(かえ)って確実に、擒(とりこ)にしようとする手管かも知れない。若しそうなら、その手管がどうやら己の上に功を奏して来そうにも感ぜられる。遠慮深い人でないということは、もう経験していると云っても好(い)い。どうしても器(うつわ)を傾けて飲ませずに、渇したときの一滴に咽(のど)を霑(うるお)させる手段に違いない。純一はこんな事を思っているうちに、空想は次第に放縦になって来るのである。
この時飛石を踏む静かな音がした。
「いらっしって」女の声である。
純一ははっと思った。ちゃんと机の前に据わっているのだから、誰(たれ)に障子を開けられても好(い)いのであるが、思っていた事を気が咎(とが)めて、慌てて居住まいを直さなくてはならないように感じた。
「どなたです」と云って、内から障子を開けた。
にっこり笑って立っているのはお雪さんである。きょうは廂髪(ひさしがみ)の末を、三組(みつぐみ)のお下げにしている。長い、たっぷりある髪を編まれるだけ編んで、その尖の処に例のクリイム色のリボンを掛けている。黄いろい縞の銘撰(めいせん)の着物が、いつかじゅう着ていたのと、同じか違うか、純一には鑒別(かんべつ)が出来ない。只羽織が真紫のお召であるので、いつかのとは違っているということが分かった。
「どうぞお掛けなさい。それとも寒いなら、お上がんなさいまし。お妹御さんが悪かったのですってね。もうお直りになったのですか」純一はお雪さんに物を言うとなると、これまで苦しいのを勉(つと)めて言うような感じがしてならなかったのであるが、きょうはなんだかその感じが薄らいだようである。全く無くなってしまいはしないが、薄らいだだけは確かなようである。
「よく御存じね。婆あやがお話ししたのでしょう。腎臓の方はどうせ急には直らないのだということですから、きのう退院して参りましたの。もう十日も前から婆あやにも安(やす)にも逢わないもんですから、わたくしはあなたがどっかへ越しておしまいなさりはしないかと思ってよ」こう云いながら、徐(しず)かに縁側に腰を掛けた。暫く来(こ)なかったので、少し遠慮をするらしく、いつかじゅうよりは行儀が好(い)い。
「なぜそう思ったのです」
「なぜですか」と無意味に云ったが、暫くして「ただそう思ったの」と少しぞんざいに言い足した。
雲の絶間から、傾き掛かった日がさして、四目垣の向うの檜(ひのき)の影を縁(えん)の上に落していたのが、雲が動いたので消えてしまった。
「わたくしこんな事をしていると、あなた風を引いておしまいなさるわ」細い指をちょいと縁に衝(つ)いて、立ちそうにする。
「這入(はい)ってお締めなさい」
「好くって」返事を待たずに千代田草履を脱ぎ棄てて這入った。
障子はこの似つかわしい二人を狭い一間に押し籠めて、外界との縁を断ってしまった。しかしこういう事はこれが始めではない。今までも度々あって、その度毎に純一は胸を躍らせたのである。
「画があるでしょう。ちょいと拝見」
純一と並んで据わって、机の上にあった西洋雑誌をひっくり返して見ている。
お召の羽織の裾がしっとりしたjet de la draperie(ジェエ ド ラ ドラプリイ)をなして、純一が素早く出して薦めた座布団の上に委積(たたな)わって、その上へたっぷり一握(ひとつか)みある濃い褐色のお下げが重げに垂れている。
頬から、腮(あご)から、耳の下を頸(くび)に掛けて、障ったら、指に軽い抗抵をなして窪(くぼ)みそうな、※色(ときいろ)の肌の見えているのと、ペエジを翻(かえ)す手の一つ一つの指の節に、抉(えぐ)ったような窪みの附いているのとの上を、純一の不安な目は往反(おうへん)している。
風景画なんぞは、どんなに美しい色を出して製版してあっても、お雪さんの注意を惹(ひ)かない。人物に対してでなくては興味を有せないのである。風景画の中の小さい点景人物を指して、「これはどうしているのでしょう」などと問う。そんな風で純一は画解きをさせられている。
袖と袖と相触れる。何やらの化粧品の香(か)に交って、健康な女の皮膚の※(におい)がする。どの画かを見て突然「まあ、綺麗(きれい)だこと」と云って、仰山に体をゆすった拍子に、腰のあたりが衝突して、純一は鈍い、弾力のある抵抗を感じた。
それを感ずるや否や、純一は無意識に、殆ど反射的に坐を起って、大分遠くへ押し遣(や)られていた火鉢の傍(そば)へ行って、火箸(ひばし)を手に取って、「あ、火が消えそうになった、少しおこしましょうね」と云った。
「わたくしそんなに寒かないわ」極めて穏かな調子である。なぜ純一が坐を移したか、少しも感ぜないと見える。
「こんなに大きな帽子があるでしょうか」と云うのを、火をいじりながら覗(のぞ)いて見れば、雑誌のしまいの方にある婦人服の広告であった。
「そんなのが流行(はやり)だそうです。こっちへ来ている女にも、もうだいぶ大きいのを被(かぶ)ったのがありますよ」
お雪さんは雑誌を見てしまった。そして両手で頬杖(ほおづえ)を衝いて、無遠慮に純一の顔を見ながら云った。
「わたくしあなたにお目に掛かったら、いろんな事をお話ししなくてはならないと思ったのですが、どうしたんでしょう、みんな忘れてしまってよ」
「病院のお話でしょう」
「ええ。それもあってよ」病院の話が始まった。お医者は一週間も二週間も先きの事を言っているのに、妹は這入った日から、毎日内へ帰ることばかし云っているのである。一日毎に新しく望(のぞみ)を属(ぞく)して、一日毎にその望が空(むな)しくなるのである。それが可哀そうでならなかったと、お雪さんはさも深く感じたらしく話した。それから見舞に行って帰りそうにすると泣くので、とうとう寐入(ねい)るまでいたことやら、妹がなぜ直ぐに馴染んだかと不思議に思った看護婦が、やはり長く附き合って見たら、一番好(い)い人であったことやら、なんとか云う太ったお医者が廻診の時にお雪さんが居合わすと、きっと頬っぺたを衝っ衝いたことやら、純一はいろいろな事を聞せられた。
話を聞きながら、純一はお雪さんの顔を見ている。譬(たと)えば微(かす)かな風が径尺の水盤の上を渡るように、この愛くるしい顔には、絶間なく小さい表情の波が立っている。お雪さんの遊びに来たことは、これまで何度だか知らないが、純一はいつもこの娘の顔を見るよりは、却ってこの娘に顔を見られていた。それがきょう始て向うの顔をつくづく見ているのである。
そして純一はこう云うことに気が附いた。お雪さんは自分を見られることを意識しているということに気が附いた。それは当り前の事であるのに、純一の為めには、そう思った刹那に、大いなる発見をしたように感ぜられたのである。なぜかというに、この娘が人の見るに任す心持は、同時に人の為(な)すに任す心持だと思ったからである。人の為すに任すと云っては、まだ十分でない、人の為すを待つ、人の為すを促すと云っても好さそうである。しかし我一歩を進めたら、彼一歩を迎えるだろうか。それとも一歩を退(しりぞ)くだろうか。それとも守勢(しゅぜい)を取って踏み応えるであろうか。それは我には分からない。又多分彼にも分からないのであろう。とにかく彼には強い智識欲がある。それが彼をして待つような促すような態度に出(い)でしむるのである。
純一はこう思うと同時に、この娘を或る破砕し易い物、こわれ物、危殆(きたい)なる物として、これに保護を加えなくてはならないように感じた。今の自分の位置にいるものが自分でなかったら、お雪さんの危(あやう)いことは実に甚だしいと思ったのである。そしてお雪さんがこの間(ま)に這入った時から、自分の身の内に漂っていた、不安なような、衝動的なような感じが、払い尽されたように消え失せてしまった。
火鉢の灰を掻(か)きならしている純一が、こんな風に頓(とみ)に感じた冷却は、不思議にもお雪さんに通じた。夢の中でする事が、抑制を受けない為めに、自在を得ているようなものである。そして素直な娘の事であるから、残惜しいという感じに継いで、すぐに諦(あきら)めの感じが起る。
「またこん度遊びに来ましょうね」何か悪い事でもしたのをあやまるように云って、坐を立った。
「ええ。お出(いで)なさいよ」純一は償(つぐの)わずに置く負債があるような心持をして、常よりは優しい声で云って、重たげに揺らぐお下げの後姿を見送っていた。
この日の夕方であった。純一は忙(いそがわ)しげに支度をして初音町の家を出た。出る前にはなぜだか暫く鏡を見ていた。そして出る時手にラシイヌの文集を持っていた。
十五
純一が日記の断片
恥辱を語るペエジを日記に添えたくはない。しかし事実はどうもすることが出来ない。
己は部屋を出るとき、ラシイヌの一巻を手に取りながら、こんな事を思った。読もうと思う本を持って散歩に出ることは、これまでも度々あった。今日はラシイヌを持って出る。この本が外の本と違うのは、あの坂井夫人の所へ行くことの出来るpossibilite(ポッシビリテエ)[# 最後の「e」は「´」付き]を己に与えるというだけの事である。行(ゆ)くと行かぬとの自由はまだ保留してあると思った。
こんな考えは自(みずか)ら欺くに近い。
実は余程前から或る希求に伴う不安の念が、次第に強くなって来た。己は極力それを卻(しりぞ)けようとした。しかし卻けても又来る。敵と対陣して小ぜりあいの絶えないようなものである。
大村はこの希求を抑制するのが、健康を害するものではないと云った。害せないかも知れぬが、己は殆どその煩わしさに堪えなくなった。そしてある時は、こんなうるさい生活は人間のdignite(ジグニテエ)[# 最後の「e」は「´」付き]を傷(きずつ)けるものだとさえ思った。
大村は神経質の遺伝のあるものには、この抑制が出来なくて、それを無理に抑制すると病気になると云った。己はそれを思い出して、我(わが)神経系にそんな遺伝があるのかとさえ思った。しかしそんな筈はない。己の両親は健康であったのが、流行病で一時に死んだのである。
己の自制力の一角を破壊したものは、久し振に尋ねて来たお雪さんである。
お雪さんと並んで据わっていたとき、自然が己に投げ掛けようとした※(わな)の、頭の上近く閃(ひらめ)くのが見えた。
お雪さんもあの※を見たには違いない。しかしそれを遁(のが)れようとしたのは、己の方であった。
そして己は自分のそれを遁れようとするのを智なりとして、お雪さんを見下(みく)だしていた。
その時己は我自制力を讃美していて、丁度それと同時に我自制力の一角が破壊せられるのに心附かずにいた。一たび繋(つな)がれては断ち難い、堅靭(けんじん)なる索(なわ)を避けながら、己は縛せられても解き易い、脆弱(ぜいじゃく)なる索に対する、戒心を弛廃(しはい)させた。
無智なる、可憐(かれん)なるお雪さんは、この破壊この弛廃を敢(あえ)てして自ら曉(さと)らないのである。
もしお雪さんが来なかったら、己は部屋を出るとき、ラシイヌを持って出なかっただろう。
己はラシイヌを手に持って、当てもなく上野の山をあちこち歩き廻っているうちに、不安の念が次第に増長して来て、脈搏(みゃくはく)の急になるのを感じた。丁度酒の酔(えい)が循(めぐ)って来るようであった。
公園の入口まで来て、何となく物騒がしい広小路の夕暮を見渡していたとき、己は熱を病んでいるように、気が遠くなって、脚が体の重りに堪えないようになった。
何を思うともなしに引き返して、弁天へ降りる石段の上まで来て、又立ち留まった。ベンチの明いているのが一つあるので、それに腰を掛けて、ラシイヌを翻(ひるがえ)して見たが、もうだいぶ昏(くら)くて読めない。無意味に引っ繰り返して、題号なんぞの大きい活字を拾って、Phedre(フェエドル)[# 一つ目の「e」は「`」付き]なんという題号を見て、ぼんやり考え込んでいた。
ふいと気が附いて見ると、石段の傍にある街燈に火が附いていた。形が妙に大きくて、不愉快な黄色に見える街燈であった。まさかあんな色の色硝子(いろガラス)でもあるまい。こん度通る時好く見ようと思う。
人間の心理状態は可笑(おか)しなものである。己はあの明りを見て、根岸へ行こうと決心した。そして明りの附いたのと決心との間に、密接の関係でもあるように感じた。人間は遅疑しながら何かするときは、その行為の動機を有り合せの物に帰するものと見える。
根岸へ向いて歩き出してからは、己はぐんぐん歩いた。歩度は次第に急になった。そして見覚えのある生垣や門が見えるようになってからも、先方の思わくに気兼をして、歩度を緩めるような事はなかった。あの奥さんがどう迎えてくれるかとは思ったが、その迎えかたにこっちが困るような事があろうとは思わなかったのである。
門には表札の上の処に小さい電燈が附いていて、潜(くぐ)りの戸が押せば開(あ)くようになっていた。それを這入って、門口(かどぐち)のベルを押したときは、さすがに胸が跳(おど)った。それは奥さんに気兼をする感じではなくて、シチュアシヨンの感じであった。
いつか見た小間使の外にどんな奉公人がいるか知らないが、もう日が暮れているのだから、知らない顔のものが出て来はしないかと思った。しかしベルが鳴ると、直ぐにあの小間使が出た。奥さんがしづえと呼んでいたっけ。代々の小間使の名かも知れない。おおかた表玄関のお客には、外の女中は出ないのだろう。
ベルが鳴ってから電気を附けたと見えて、玄関の腋(わき)の※子(れんじ)の硝子にぱっと明りが映ったのであった。
己の顔を見て「おや」と云って、「一寸(ちょっと)申し上げて参ります」と、急いで引き返して行った。黙って上がっても好(い)いと云われたことはあるが、そうも出来ない。奥へ行ったかと思うと、直ぐに出て来て、「洋室は煖炉(ストオブ)が焚(た)いてございませんから、こちらへ」と云って、赤い緒の上草履を揃(そろ)えて出した。
廊下を二つ三つ曲がった。曲がり角に電気が附いているきりで、どの部屋も真暗で、しんとしている。
しづえの軽い足音と己の重い足音とが反響をした。短い間ではあったが、夢を見ているような物語めいた感じがした。
突き当りに牡丹(ぼたん)に孔雀(くじゃく)をかいた、塗縁(ぬりぶち)の杉戸がある。上草履を脱いで這入って見ると内外(うちそと)が障子で、内の障子から明りがさしている。国の内に昔お代官の泊った座敷というのがあって、あれがあんな風に出来ていた。なんというものだか知らない。仮りに書院造りのcolonnade(コロンナアド)と名づけて置く。恒(こう)先生はだいぶお大名染(だいみょうじ)みた事が好きであったと思う。
しづえが腰を屈(かが)めて、内の障子を一枚開けた。この間(ま)には微かな電燈が只一つ附けてあった。何も掛けてない、大きい衣桁(いこう)が一つ置いてあるのが目に留まった。しづえは向うの唐紙の際へ行って、こん度は膝(ひざ)を衝いて、「いらっしゃいました」と云って、少し間を置いて唐紙を開けた。
己はとうとう奥さんに逢った。この第三の会見は、己が幾度か実現させまいと思って、未来へ押し遣るようにしていたのであったが、とうとう実現させてしまったのである。しかも自分が主動者になって。
「どうぞお這入り下さいまし、大変お久し振でございますね」と奥さんは云って、退紅色の粗い形(かた)の布団を掛けた置炬燵(おきごたつ)を脇へ押し遣って、桐(きり)の円火鉢の火を掻き起して、座敷の真ん中に鋪(し)いてある、お嬢様の据わりそうな、紫縮緬(むらさきちりめん)の座布団の前に出した。炬燵の傍(かたわら)には天外(てんがい)の長者星が開けて伏せてあった。
己は奥さんの態度に意外な真面目と意外な落着きとを感じた。只例の謎(なぞ)の目のうちに、微かな笑(えみ)の影がほのめいているだけであった。奥さんがどんな態度で己に対するだろうという、はっきりした想像を画くことは、己には出来なかった。しかし目前の態度が意外だということだけは直ぐに感ぜられた。そして一種の物足らぬような情と、萌芽(ほうが)のような反抗心とが、己の意識の底に起った。己が奥さんを「敵」として視る最初は、この瞬間であったかと思う。
奥さんは人に逢うのを予期してでもいたかと思われるように、束髪の髪の毛一筋乱れていなかった。こん度は己も奥さんの着物をはっきり記憶している。羽織はついぞ見たことのない、黄の勝った緑いろの縮緬であった。綿入はお召縮緬だろう。明るい褐色に、細かい黒い格子があった。帯は銀色に鈍く光る、粗い唐草のような摸様(もよう)であった。薄桃色の帯揚げが、際立って艶(えん)に若々しく見えた。
己は良心の軽い呵責(かしゃく)を受けながら、とうとう読んで見ずにしまったラシイヌの一巻を返した。奥さんは見遣りもせず手にも取らずに、「お帰りの時、どれでも外のをお持ちなさいまし」と云った。
前からあったのと同じ桐の火鉢が出る。茶が出る。菓子が出る。しづえは静かに這入って静かに立って行(ゆ)く。一間のうちはしんとしていて、話が絶えると、衝く息の音が聞える程である。二重に鎖(とざ)された戸の外には風の音もしないので、汽車が汽笛を鳴らして過ぎる時だけ、実世間の消息が通うように思われるのである。
奥さんは己の返した一つの火鉢を顧みないで、指の尖(さき)の驚くべく細い、透き徹るような左の手を、退紅色摸様の炬燵布団の上に載せて、稍(やや)神経質らしく指を拡げたりすぼめたりしながら、目を大きく※(みは)って己の顔をじっと見て、「お烟草(たばこ)を上がりませんの」だの、「この頃あなた何をしていらっしって」だのというような、無意味な問を発する。己も勉めて無意味な返事をする。己は何か言いながら、覚えず奥さんの顔とお雪さんの顔とを較べて見た。
まあ、なんという違いようだろう。お雪さんの、血の急流が毛細管の中を奔(はし)っているような、ふっくりしてすべっこくない顔には、刹那も表情の変化の絶える隙(ひま)がない。埒(らち)もない対話をしているのに、一一(いちいち)の詞(ことば)に応じて、一一の表情筋の顫動(せんどう)が現れる。Naif(ナイイフ)な小曲にsensible(サンシイブル)な伴奏がある。
それに較べて見ると、青み掛かって白い、希臘(ギリシャ)風に正しいとでも云いたいような奥さんの顔は、殆どmasque(マスク)である。仮面である。表情の影を強いて尋ねる触角は尋ね尋ねて、いつでも大きい濃い褐色の瞳(ひとみ)に達してそこに止まる。この奥にばかり何物かがある。これがあるので、奥さんの顔には今にも雷雨が来(こ)ようかという夏の空の、電気に飽いた重くるしさがある。鷙鳥(しちょう)や猛獣の物をねらう目だと云いたいが、そんなに獰猛(どうもう)なのではない。Nymphe(ニンフ)というものが熱帯の海にいたら、こんな目をしているだろうか。これがなかったら奥さんの顔をmine de mort(ミイヌ ド モオル)と云っても好かろう。美しい死人の顔色と云っても好かろう。
そういう感じをいよいよ強めるのは、この目にだけある唯一の表情が談話と合一しない事である。口は口の詞を語って、目は目の詞を語る。謎の目を一層謎ならしめて、その持主をSphinx(スファンクス)にする処はここにある。
或る神学者がdogma(ドグマ)は詞だと云うと、或る他の神学者が詞は詞だが、「強いられたる」詞だと云ったと聞いたが、奥さんの目の謎に己の与えた解釈も強いられたる解釈である。
己がこの日記を今の形のままでか、又はその形を改めてか、世に公にする時が来るだろうか。それはまだ解釈せられない疑問である。仮に他日これを読む人があるとして、己はここでその読む人に言う。「読者よ。僕は君に或る不可思議な告白をせねばならない。そしてその告白の端緒はこれから開ける」
奥さんの目の謎は伝染する。その謎の詞に己の目も応答しなくてはならなくなる。
夜の静けさと闇とに飽いている上野の森を背に負うた、根岸の家の一間で、電燈は軟(やわらか)い明りを湛(たた)え、火鉢の火が被った白い灰の下から、羅(うすぎぬ)を漏る肌の光のように、優しい温(あたた)まりを送る時、奥さんと己とは、汽車の座席やホテルの食卓を偶然共にした旅人と旅人とが語り交すような対話をしている。万人に公開しても好(い)いような対話である。初度の会見の折の出来事を閲(けみ)して来た己が、決して予期していなかった対話である。
それと同時に奥さんはその口にする詞の一語一語を目の詞で打消して、「あなたとわたくしとの間では、そんな事はどうでも好うございまさあねえ」とでもいうように、ironiquement(イロニックマン)に打消して全く別様な話をしている。Une persuasion puissante et chaleureuse(ユヌ ペルシュアジョン ピュイッサント エエ シャリヨナリヨオズ)である。そして己の目は無慙(むざん)に、抗抵なくこの話に引き入れられて、同じ詞を語る。
席と席とは二三尺を隔てて、己の手を翳(かざ)しているのと、奥さんに閑却せられているのと、二つの火鉢が中に置いてある。そして目は吸引し、霊は回抱する。一団の火焔(かえん)が二人を裹(つつ)んでしまう。
己はこういう時間の非常に長いのを感じた。その時間は苦痛の時間である。そして或る瞬間に、今あからさまに覚える苦痛を、この奥さんを知ってからは、意識の下で絶間なく、微(かすか)に覚えているのであったという発見が、稲妻のように、地獄の焔(ほのお)と烟(けむり)とに巻かれている、己の意識を掠(かす)めて過ぎた。
この間(あいだ)に苦痛は次第に奥さんを敵として見させるようになった。時間が延びて行(ゆ)くに連れて、この感じが段々長じて来た。若(も)し己が強烈な意志を持っていたならば、この時席を蹴(け)て起(た)って帰っただろう。そして奥さんの白い滑かな頬を批(う)たずに帰ったのを遺憾としただろう。
突然なんの著明な動機もなく、なんの過渡(かと)もなしに。(この下日記の紙一枚引き裂きあり)
その時己は奥さんの目の中(うち)の微笑が、凱歌(がいか)を奏するような笑(わらい)に変じているのを見た。そして一たび断(た)えた無意味な、余所々々(よそよそ)しい対話が又続けられた。奥さんを敵とする己の感じは愈々(いよいよ)強まった。奥さんは云った。
「わたくし二十七日に立って、箱根の福住(ふくずみ)へ参りますの。一人で参っておりますから、お暇ならいらっしゃいましな」
「さようですね。僕は少し遣って見ようかと思っている為事(しごと)がありますから、どうなりますか分りません。もう大変遅くなりました」
「でもお暇がございましたらね」
奥さんが、傍に這っている、絹糸を巻いた導線の尖の控鈕(ぼたん)を押すと、遠くにベルの鳴る音がした。廊下の足音が暫くの間はっきり聞えていてから、次の間まで来たしづえの御用を伺う声がした。呼ばなければ来ないように訓練してあるのだなと、己は思った。
しづえは己を書棚のある洋室へ案内するのである。己は迂濶(うかつ)にも、借りている一巻を返すことに就いてはいろいろ考えていたが、跡を借(かり)るということに就いてはちっとも考えていなかった。己は思案する暇(ひま)もなく、口実の書物を取り換えに座を起った。打勝たれた人の腑甲斐(ふがい)ない感じが、己の胸を刺した。
先きに立って這入って、電燈を点じてくれたしづえと一しょに、己は洋室にいたとき、意識の海がまだ波立っていた為めか、お雪さんと一しょにいるより、一層強い窘迫(きんぱく)と興奮とを感じた。しかしこの娘はフランスの小説や脚本にある部屋附きの女中とは違って、おとなしく、つつましやかに、入口(いりくち)の傍に立ち留まって、両手の指を緋鹿子(ひがのこ)の帯上げの上の処で、からみ合わせていた。こういう時に恐るべき微笑もせずに、極めて真面目に。
己は選びもせずに、ラシイヌの外(ほか)の一巻を抽(ぬ)き出して、持(も)て来た一巻を代りに入れて置いて、しづえと一しょに洋室を出た。
己を悩ました質(しち)の、ラシイヌの一巻は依然として己の手の中(うち)に残ったのである。そして又己を悩まさなくては済まないだろう。
奥さんの部屋へ、暇乞(いとまごい)に覗くと、奥さんは起って送りに出た。上草履を直したしづえは、廊下の曲り角で姿の見えなくなる程距離を置いて、跡から附いて来た。
「お暇があったら箱根へいらっしゃいましね」と、静かな緩い語気で、奥さんは玄関に立っていて繰り返した。
「ええ」と云って、己は奥さんの姿に最後の一瞥(いちべつ)を送った。
髪の毛一筋も乱れていない。着物の襟をきちんと正して立っている、しなやかな姿が、又端なく己の反感を促した。敵は己を箱根へ誘致せずには置かないかなと、己は心に思いながら右の手に持っていた帽を被って出た。
空は青く晴れて、低い処を濃い霧の立ち籠(こ)めている根岸の小道を歩きながら、己は坂井夫人の人と為(な)りを思った。その時己の記憶の表面へ、力強く他の写象を排して浮き出して来たのは、ベルジック文壇の耆宿(きしゅく)Lemonnier(ルモンニエエ)の書いたAude(オオド)が事であった。あの読んだ時に、女というものの一面を余りに誇張して書いたらしく感じたオオドのような女も、坂井夫人が有る以上は、決して無いとは云われない。
恥辱のペエジはここに尽きる。
己は拙(まず)い小説のような日記を書いた。
十六
十二月二十五日になった。大抵腹を立てるような事はあるまいと、純一の推測していた瀬戸が、一昨日(おとつい)谷中の借家へにこにこして来て、今夜亀清楼(かめせいろう)である同県人の忘年会に出ろと勧めたのである。純一は旧主人の高縄(たかなわ)の邸(やしき)へ名刺だけは出して置いたが、余り同県人の交際を求めようとはしないでいるので、最初断ろうとした。しかし瀬戸が勧めて已(や)まない。会に出る人のうちに、いろいろな階級、いろいろな職業の人があるのだから、何か書こうとしている純一が為めには、面白い観察をすることが出来るに違いないと云うのである。純一も別に明日(あす)何をしようという用事が極(き)まってもいなかったので、とうとう会釈負けをしてしまった。
丁度瀬戸のいるところへ、植長の上(かみ)さんのお安(やす)というのが、亭主の誕生日なので拵(こしら)えたと云って赤飯を重箱に入れて、煮染(にしめ)を添えて持って来た。何も馳走がなかったのに、丁度好(い)いというので、純一は茶碗や皿を持て来て貰うことにして、瀬戸に出すと、上さんは茶を入れてくれた。黒繻子(くろじゅす)の領(えり)の掛かったねんねこ絆纏(ばんてん)を着て、頭を櫛巻(くしまき)にした安の姿を、瀬戸は無遠慮に眺めて、「こんなお上さんの世話を焼いてくれる内があるなら、僕なんぞも借りたいものだ」と云った。「田舎者で一向届きませんが、母がまめに働くので、小泉さんのお世話は好くいたします」と謙遜(けんそん)する。
「なに、届かないものか。紺足袋を穿(は)いている処を見ても、稼人(かせぎにん)だということは分かる」と云う。
「わたくし共の田舎では、女でも皆紺足袋を穿きます」と説明する。その田舎というのが不思議だ。お上さんのような、意気な女が田舎者である筈がないと云う。とうとう安が故郷は銚子だと打明けた。段々聞いて見ると、瀬戸が写生旅行に行ったとき、安の里の町内に泊ったことがあったそうだ。いろいろ銚子の話をして、安が帰った跡で、瀬戸が狡猾(こうかつ)らしい顔をして、「明日柳橋へ行ったって、僕の材料はないが、君の所には惜しい材料がある」と云った。どういうわけかと問うと、芸者なんぞは、お白いや頬紅のeffet(エフェエ)を研究するには好(い)いかも知れないが、君の家主(いえぬし)のお上さんのような生地(きじ)の女はあの仲間にはないと云った。それから芸者に美人があるとか無いとかいう議論になった。その議論の結果は芸者に美人がないではないが、皆拵えたような表情をしていて、芸者というtype(チイプ)を研究する粉本(ふんぽん)にはなっても、女という自然をあの中に見出すことは出来ないということになった。この「女という自然」は慥(たしか)に安に於いて見出すことが出来ると瀬戸に注意せられて、純一も首肯せざるを得なかった。話し草臥(くたび)れて瀬戸が帰った。純一は一人になってこんな事を思った。一体己にはesprit non preocupe(エスプリイ ノン プレオキュペエ)[#「preocupe」の二つの「e」は「´」付き]が闕(か)けている。安という女が瀬戸のfrivole(フリヴオル)な目で発見せられるまで、己の目には唯家主の娵(よめ)というものが写っていた。人妻が写っていた。それであの義務心の強そうな、好んで何物をも犠牲にするような性格や、その性格を現わしている、忠実な、甲斐甲斐しい一般現象に対しては同情を有していたが、どんな顔をしているということにさえも、ろくろく気が附かなかった。瀬戸に注意せられてから、あの顔を好く思い浮べて見ると、田舎生れの小間使上がりで、植木屋の女房になっている、あの安がどこかに美人の骨相を持っている。色艶(いろつや)は悪い。身綺麗(みぎれい)にはしていても髪容(かみかたち)に搆(かま)わない。それなのにあの円顔の目と口とには、複製図で見たMonna Lisa(モンナ リイザ)の媚(こび)がある。芸者やなんぞの拵えた表情でない表情を、安は有しているに違いない。思って見れば、抽象的な議論程容易なものは無い。瀬戸でさえあんな議論をするが、明治時代の民間の女と明治時代の芸者とを、簡単な、しかも典型的な表情や姿勢で、現わしている画は少いようだ。明治時代はまだ一人のConstantin Guys(コンスタンタン ギス)を生まないのである。自分も因襲の束縛を受けない目だけをでも持ちたいものだ。今のような事では、芸術家として世に立つ資格がないと、純一は反省した。五時頃に瀬戸が誘いに来た。
「きょうはお安さんがはんべっていないじゃないか」と、厭(いや)な笑顔をして云う。
「めったに来やしない」
純一は生帳面(きちょうめん)な、気の利かない返事をしながら、若し瀬戸の来た時に、お雪さんでもいたら、どんなに冷かされるか、知れたものではないと、気味悪く思った。中沢の奥さんが箪笥(たんす)を買って遣(や)って、内から嫁入をさせたとき、奥さんに美しく化粧をして貰って、別な人のようになって出て来て、いつも友達のようにしていたのが、叮嚀(ていねい)に手を衝(つ)いて暇乞をすると、暫(しばら)く見ていたお雪さんが、おいおい泣き出して皆を困らせたという話や、それから中沢家で、安の事を今でもお娵の安と云っているという話が記憶に浮き出して来た。
支度をして待っていた純一は、瀬戸と一しょに出て、上野公園の冬木立の間を抜けて、広小路で電車に乗った。
須田町で九段両国の電車に乗り換えると、不格好な外套(がいとう)を被(き)て、この頃見馴れない山高帽を被(かぶ)った、酒飲みらしい老人の、腰を掛けている前へ行って、瀬戸がお辞儀をして、「これからお出掛ですか、わたくしも参るところで」と云っている。
瀬戸は純一を直ぐにその老人に紹介した。老人はY県出身の漢学者で、高山先生という人であった。美術学校では、岡倉時代からいろいろな学者に、科外講義に出て貰って、講義録を出版している。高山先生もその講義に来たとき、同県人の生徒だというので、瀬戸は近附きになったのである。
高山先生は宮内庁に勤めている。漢学者で仏典も精(くわ)しい。※完白(とうかんぱく)風の篆書(てんしょ)を書く。漢文が出来て、Y県人の碑銘を多く撰(えら)んでいる。純一も名は聞いていたのである。
暫くして電車が透いたので、純一は瀬戸と並んで腰を掛けた。
瀬戸は純一に小声で云った。「あの先生はあれでなかなか剽軽(ひょうきん)な先生だよ。漢学はしていても、通人なのだからね」
純一は先生が幅広な、夷三郎(えびすさぶろう)めいた顔をして、女にふざける有様を想像して笑いたくなるのを我慢して、澄ました顔をしていた。
両国の橋手前(はしでまえ)で電車を下りて、左へ曲って、柳橋を渡って、高山先生の跡に附いて亀清(かめせい)に這入(はい)った。
先生がのろのろ上がって行(い)くと、女中が手を衝いて、「曽根さんでいらっしゃいますか」と云った。
「うん」と云って、女中に引かれて梯子(はしご)を登る先生の跡を、瀬戸が附いて行(い)くので、純一も跡から行った。曽根というのは、書肆(しょし)博聞社の記者兼番頭さんをしている男で、忘年会の幹事だと、瀬戸が教えてくれた。この男の名も、純一は雑誌で見て知っていた。
登って取っ附きの座敷が待合になっていて、もう大勢の人が集まっていた。
外はまだ明るいのに、座敷には電燈が附いている。一方の障子に嵌(は)めた硝子越しに、隅田川が見える。斜に見える両国橋の上を電車が通っている。純一は這入ると直ぐ、座布団の明いているのを見附けて据わって、鼠掛(ねずみが)かった乳色の夕べの空気を透かして、ぽつぽつ火の附き始める向河岸を眺めている。
一番盛んに見える、この座敷の一群は、真中に据えた棋盤(ごばん)の周囲に形づくられている。当局者というと、当世では少々恐ろしいものに聞えるが、ここで局に当っている老人と若者とは、どちらも極(きわめ)てのん気な容貌をしている。純一は象棋(しょうぎ)も差さず棋(ご)も打たないので、棋を打っている人を見ると、単に時間を打ち殺す人としか思わない。そう云えばと云って、何も時間が或る事件に利用せられなくてはならないと云う程の窮屈なutilitaire(ユチリテエル)になっているのでもないが、象棋やdomino(ドミノ)のように、短時間に勝負の付くものと違って、この棋というものが社交的遊戯になっている間は、危険なる思想が蔓延(まんえん)するなどという虞(おそれ)はあるまいと、若い癖に生利(なまぎき)な皮肉を考えている。それも打っている人はまだ好(い)い。それを幾重(いくえ)にも取り巻いて見物して居る連中に至っては、実に気が知れない。
この群(むれ)の隣に小さい群が出来ていて、その中心になっているのは、さっき電車で初めて逢った高山先生である。先生は両手を火鉢に翳(かざ)しながら、何やら大声で話している。純一はしょさいなさにこれに耳を傾けた。聞けば狸(たぬき)の話をしている。
「そりゃあわたし共のいた時の聖堂なんというものは、今の大学の寄宿舎なんぞとは違って、風雅なものだったよ。狸が出たからね。我々は廊下続きで、障子を立て切った部屋を当てがわれている。そうすると夜なか過ぎになって、廊下に小さい足音がする。人間の足音ではない。それが一つ一つ部屋を覗(のぞ)いて歩くのだ。起きていると通り過ぎてしまう。寐(ね)ているなら行燈(あんどん)の油を嘗(な)めようというのだね。だから行燈は自分で掃除しなくても好(い)い。廊下に出してさえ置けば、狸奴(め)が綺麗に舐(な)めてくれる。それは至極結構だが、聖堂には狸が出るという評判が立ったもんだから、狸の贋物(にせもの)が出来たね。夏なんぞは熱くて寐られないと、紙鳶糸(たこいと)に杉の葉を附けて、そいつを持って塀の上に乗って涼んでいる。下を通る奴は災難だ。頭や頬っぺたをちょいちょい杉の葉でくすぐられる。そら、狸だというので逃げ出す。大小を挿(さ)した奴は、刀の反りを打って空(くう)を睨(にら)んで通る。随分悪い徒(いたず)らをしたものさね。しかしその頃の書生だって、そんな子供のするような事ばかししていたかというと、そうではない。塀を乗り越して出て、夜の明けるまでに、塀を乗り越して帰ったこともある。人間に論語さえ読ませて置けばおとなしくしていると思うと大違いさ」
狸の話が飛んだ事になってしまった。純一は驚いて聞いていた。
そこへ瀬戸が来て、「君会費を出したか」と云うので、純一はやっと気が附いて、瀬戸に幹事の所へ連れて行って貰った。
曽根という人は如才なさそうな小男である。「学生諸君は一円です」と云う。
純一は一寸(ちょっと)考えて、「学生でなければ幾らですか」と云った。
曽根は余計な事を問う奴だと思うらしい様子であったが、それでも慇懃(いんぎん)に「五円ですが」と答えた。
「そうですか」と云って、純一が五円札を一枚出すのを見て、背後(うしろ)に立っていた瀬戸が、「馬鹿にきばるな」と冷かした。曽根は真面目な顔をして、名を問うて帳面に附けた。
そのうち人が段々来て、曽根の持っていた帳面の連名の上に大抵丸印が附いた。
最後に某大臣が見えたのを合図に、隣の間(ま)との界(さかい)の襖(ふすま)が開かれた。
何畳敷か知らぬが、ひどく広い座敷である。廊下からの入口(いりくち)の二間だけを明けて座布団が四角に並べてある。その間々に火鉢が配ってある。向うの床の間の前にある座布団や火鉢はだいぶ小さく見える程である。
曽根が第一に大臣を床の間の前へ案内しようとすると、大臣は自分と同じフロックコオトを着た、まだ三十位の男を促して、一しょに席を立たせた。只大臣の服には、控鈕(ぼたん)の孔(あな)に略綬(りゃくじゅ)が挿(はさ)んである。その男のにはそれが無い。後(のち)に聞けば、高縄の侯爵家の家扶が名代(みょうだい)に出席したのだそうである。
座席に札なぞは附けてないので、方々で席の譲り合いが始まる。笑いながら押し合ったり揉(も)み合ったりしているうちに、謙譲している男が、引き摩(ず)られて上座(じょうざ)に据えられるのもある。なかなかの騒動である。
ようようの事で席の極まるのを見ていると、中程より下に分科大学の襟章(えりじるし)を附けたのもある。種々な学校の制服らしいのを着たのもある。純一や瀬戸と同じような小倉袴(こくらばかま)のもある。所謂(いわゆる)学生諸君が六七人いるのである。
こんな時には純一なんぞは気楽なもので、一番跡から附いて出て、末席(ばっせき)と思った所に腰を卸すと、そこは幹事の席ですと云って、曽根が隣りへ押し遣った。
ずっと見渡すに、上流の人は割合いに少いらしい。純一は曽根に問うて見た。
「今晩出席しているのは、国から東京に出ているものの小部分に過ぎないようですが、一体どんなたちの人がこの会を催したのですか」
「小部分ですとも。素(も)と少壮官吏と云ったような人だけで催すことになっていたのが、人の出入(でいり)がある度に、色々交(まじ)って来たのですよ。今では新俳優もいます」
こんな話をしているうちに、女中が膳を運んで来始めた。
土地は柳橋、家は亀清である。純一は無論芸者が来ると思った。それに瀬戸がきのうの話の様子では来る例になっているらしかった。それに膳を運ぶのが女中であるのは、どうした事かと思った。
酒が出た。幹事が挨拶をした。その中(うち)に侯爵家から酒を寄附せられたという報告などがあった。それからY県出身の元老大官が多い中に、某大臣が特に後進を愛してこういう会に臨まれたのを感謝するというような詞もあった。
大臣は大きな赤い顔をして酒をちびりちびり飲んでいる。純一は遠くからこの人の巌乗(がんじょう)な体を見て、なる程世間の風波に堪えるには、あんな体でなくてはなるまいと思った。折々近処の人と話をする。話をする度にきっと微笑する。これも世に処し人を遇する習慣であろう。しかし話をし止(や)めると、眉間(みけん)に深い皺(しわ)が寄る。既往に於ける幾多の不如意が刻み附けたecriture runique(エクリチュウル リュニック)[# 「ecriture 」の一つ目の「e」は「´」付き]であろう。
吸物が吸ってしまわれて、刺身が荒された頃、所々(しょしょ)から床の間の前へお杯頂戴(さかずきちょうだい)に出掛けるものがある。所々で知人と知人とが固まり合う。誰(たれ)やらが誰やらに紹介して貰う。そこにもここにも談話が湧(わ)く。忽(たちま)ちどこかで、「芸者はどうしたのだ」と叫んだものがある。誰かが笑う。誰かが賛成と呼ぶ。誰かがしっと云う。
この時純一は、自分の直ぐ傍(そば)で、幹事を取り巻いて盛んに議論をしているものがあるのに気が附いた。聞けば、芸者を呼ぶ呼ばぬの問題に就いて論じているのである。
暫く聞いているうちに、驚く可(べ)し、宴会に芸者がいる、宴会に芸者がいらぬと争っている、その中へ謂(い)わばtertium comparationis(テルチウム コンパラショニス)として例の学生諸君が引き出されているのである。宴会に芸者がいらぬのではない。学生諸君のいる宴会だから、芸者のいない方が好(い)いという処に、Antigeishaisme(アンチゲイシャイスム)[#一つ目の「e」は「´」付き」]の側は帰着するらしい。それから一体誰がそんな事を言い出したかということになった。
この声高(こわだか)に、しかも双方からironie(イロニイ)の調子を以て遣られている議論を、おとなしく真面目に引き受けていた曽根幹事は、已むことを得ず、こういう事を打明けた。こん度の忘年会の計画をしているうちに、或る日教育会の職員になっている塩田(しおだ)に逢った。塩田の云うには、あの会は学生も出ることだから、芸者を呼ばないが好(い)いと云うことであった。それから先輩二三人に相談したところが、異議がないので、芸者なしということになったそうである。
「偽善だよ」と、聞いていた一人が云った。「先輩だって、そんな議論を持ち出されたとき、己は芸者が呼んで貰いたいと云うわけには行(い)かない。議論を持ち出したものの偽善が、先輩を余儀なくして偽善をさせたのだ」
「それは穿(うが)って云えばそんなものかも知れないが、あらゆる美徳を偽善にしてしまっても困るね」と、今一人が云った。
「美徳なものか。芸者が心(しん)から厭なのなら、美徳かも知れない。又そうでなくても、好きな芸者の誘惑に真面目に打勝とうとしているのなら、それも美徳かも知れない。学生のいないところでは呼ぶ芸者を、いるところで呼ばないなんて、そんな美徳はないよ」
「しかし世間というものはそうしたもので、それを美徳としなくてはならないのではあるまいか」
「これはけしからん。それではまるで偽善の世界になってしまうね」
議論の火の手は又熾(さか)んになる。純一は面白がって聞いている。熾んにはなる。しかしそれは花火綫香(せんこう)が熾んに燃えるようなものである。なぜというに、この言い争っている一群(ひとむれ)の中に、芸者が真に厭だとか、下(く)だらないとか思っているらしいものは一人もない。いずれも自分の好む所を暴露しようか、暴露すまいか、どの位まで暴露しようかなどという心持でしゃべっているに過ぎない。そこで偽善には相違ない。そんなら偽善呼ばわりをしている男はどうかというに、これも自分が真の善というものを持っているので、偽善を排斥するというのでもなんでもない。暴露主義である。浅薄な、随(したが)って価値のないCynisme(シニスム)であると、純一は思っている。
とにかく塩田君を呼んで来(こ)ようじゃないかということになった。曽根は暫く方々見廻していたが、とうとう大臣の前に据わって辞儀をしている塩田を見附けて、連れに行った。
塩田という名も、新聞や雑誌に度々出たことがあるので、純一は知っている。どんな人かと思って、曽根の連れて来るのを待っていると、想像したとはまるで違った男が来た。新しい道徳というものに、頼(よ)るべきものがない以上は、古い道徳に頼(よ)らなくてはならない、古(むかし)に復(かえ)るが即ち醒覚(せいかく)であると云っている人だから、容貌も道学先生らしく窮屈に出来ていて、それに幾分か世と忤(さか)っている、misanthrope(ミザントロオプ)らしい処がありそうに思ったのに、引っ張られて来た塩田は、やはり曽根と同じような、番頭らしい男である。曽根は小男なのに、塩田は背が高い。曽根は細面で、尖(とが)ったような顔をしているのに、塩田は下膨れの顔で、濃い頬髯(ほおひげ)を剃(そ)った迹(あと)が青い。しかしどちらも如才なさそうな様子をして、目にひどく融通の利きそうなironique(イロニック)な閃(ひらめ)きを持っている。「こんな事を言わなくては、世間が渡られない。それでお互にこんな事を言っている。実際はそうばかりは行(い)かない。それもお互に知っている」とでも云うような表情が、この男の断えず忙(いそが)しそうに動いている目の中に現れているのである。
「芸者かね。何も僕が絶待(ぜったい)的に拒絶したわけじゃあないのです。学生諸君も来られる席であって見れば、そんなものは呼ばない方が穏当だろうと云ったのですよ」塩田は最初から譲歩し掛かっている。
「そんなら君の、その不穏当だという感じを少し辛抱して貰えば好(い)いのだ」と、偽善嫌いの男が露骨に出た。
相談は直ぐに纏(まと)まった。塩田は費用はどうするかと云い出して、一頓挫(いっとんざ)を来たしそうであったが、会費が余り窮屈には見積ってない処へ、侯爵家の寄附があったから、その心配はないと云って、曽根は席を起(た)った。
四五人を隔てて据わっていた瀬戸が、つと純一の前に来た。そして小声で云った。
「僕のような学生という奴は随分侮辱せられているね。さっきからの議論を聞いただろう」
純一が黙って微笑(ほほえ)んでいると、瀬戸は「君は学生ではないのだが」と言い足した。
「もう冷かすのはよし給え。知らない人ばかりの宴会だから、恩典に浴したくなかったのだ。僕はこんな会へ来たら、国の詞(ことば)でも聞かれるかと思ったら、皆東京子(とうきょうっこ)になってしまっているね」
「そうばかりでもないよ。大臣の近所へ行って聞いていて見給え。ござりますのざに、アクセントのあるのなんぞが沢山聞かれるから」
「まあ、どうやらこうやら柳橋の芸者というものだけは、近くで拝見ができそうだ」
「なに。今頃出し抜(ぬけ)に掛けたって、ろくな芸者がいるものか。よくよくのお茶碾(ちゃひ)きでなくては」
「そういうものかね」
こんな話をしている時、曽根が座敷の真中に立って、大声でこう云った。
「諸君。大臣閣下は外(ほか)に今一つ宴会がおありなさるそうで、お先きへお立ちになりました。諸君に宜(よろ)しく申してくれと云うことでありました。どうぞ跡の諸君は御ゆっくりなさるように願います。只今別品(べっぴん)が参ります」
所々(しょしょ)に拍手するものがある。見れば床の間の前の真中の席は空虚になっていた。
殆ど同時に芸者が五六人這入って来た。
十七
席はもう大分乱れている。所々に少(ちい)さい圏(わ)を作って話をしているかと思えば、空虚な坐布団も間々(あいだあいだ)に出来ている。芸者達は暫く酌をしていたが、何か※(ささや)き合って一度に立ってこん度は三味線を持って出た。そして入口(いりぐち)のあたりで、床の間に併行した線の上に四人が一列に並んで、弾いたり歌ったりすると、二人はその前に立って踊った。そうぞうしかった話声があらかた歇(や)んだ。中にはひどく真面目になって踊を見ているものもある。
まだ純一の前を起たずに、背を円くして胡坐(あぐら)を掻(か)いて、不精らしく紙巻煙草を飲んでいた瀬戸が、「長歌の老松(おいまつ)というのだ」と、教育的説明をして、暫くして又こう云った。
「見給え。あのこっちから見て右の方で踊っている芸者なんぞは、お茶碾き仲間にしては別品だね」
「僕なんぞはどうせ上手か下手か分からないのだから、踊はお酌の方が綺麗で好かろうと思う。なぜきょうはお酌が来ないのだろう」
「そうさね。明いたのがいなかったのだろう」
こう云って、瀬戸はついと起って、どこかへ行ってしまった。純一は自分の右も左も皆空席になっているのに気が附いて、なんだか居心が悪くなった。そこで電車で逢って一しょに来た、あの高山先生の処へでも行って見ようかと、ふと思い附いて、先生の顔が見えたように思った、床の間の左の、違棚(ちがいだな)のあたりを見ると、先生は相変らず何やら盛んに話している。自分の隣にいた曽根も先生の前へ行っている。純一は丁度好(い)いと思って、曽根の背後(うしろ)の方へ行って据わって、高山先生の話を聞いた。先生はこんな事を言っている。
「秦淮(しんわい)には驚いたね。さようさ。幅が広い処で六間もあろうか。まあ、六間幅の溝(どぶ)だね。その水のきたないことおびただしい。それから見ると、西湖(せいこ)の方はとにかく湖水らしい。好(い)い景色だと云って好(い)い処もある。同じ湖水でも、洞庭湖(どうていこ)は駄目だ。冬往(い)って見たからかも知れないが、洲(す)ばかりあって一向湖水らしくない」
先生の支那に行(ゆ)かれた時の話と見える。先生は純一の目の自分の顔に注がれているのに気が附いて、「失礼ですが、持ち合せていますから」と云って、杯(さかずき)を差した。それを受けると、横の方から赤い襦袢(じゅばん)の袖の絡んだ白い手がひょいと出て、酌をした。
その手の主を見れば、さっき踊っているのを、瀬戸が別品だと云って褒めた女であった。
純一は先生に返杯をして、支那の芝居の話やら、西瓜(すいか)の核(たね)をお茶受けに出す話やらを跡に聞き流して、自分の席に帰った。両隣共依然として空席になっている。純一はぼんやりして、あたりを見廻している。
同じ列の曽根の空席を隔てた先きに、やはり官吏らしい、四十恰好の、洋服の控鈕(ぼたん)の孔から時計の金鎖を垂らしている男が、さっき三味線を弾いていた、更けた芸者を相手に、頻(しき)りに話している。小さい銀杏返(いちょうがえ)しを結(い)って、黒繻子(くろじゅす)の帯を締めている中婆(ちゅうば)あさんである。相手にとは云っても、客が芸者を相手にしている積りでいるだけで、芸者は些(すこ)しもこの客を相手にしてはいない。客は芸者を揶揄(からか)っている積りで、徹頭徹尾芸者に揶揄われている。客を子供扱いにすると云おうか。そうでもない。無智な子供を大人が扱うには、多少いたわる情がある。この老妓(ろうぎ)はmalintentionne(マルアンタンションネエ)[# 最後の「e」は「´」付き]に侮辱を客に加えて、その悪意を包み隠すだけの抑制をも自己の上に加えていないのである。客は自己の無智に乗ぜられていながら、少しもそれを曉(さと)らずに、薄い笑談(じょうだん)の衣を掛けた、苦い皮肉を浴(あび)せられて、無邪気に笑い興じている。
純一は暫く聞いていて、非常に不快に感じた。馬鹿にせられている四十男は、気の毒がって遣る程の価値はない。それに対しては、純一は全然indifferent(アンジフェラン)[# 一つ目の「e」は「´」付き]でいる。しかし老妓は憎い。
芸者は残忍な動物である。これが純一の最初に芸者というものに下した解釈であった。
突然会話の続きを断(た)って、このAtropos(アトロポス)は席を立った。
その時、老妓の席を立つのを待っていたかと思われるように、入り代って来て据わった島田は、例の別品である。手には徳利を持っている。
「あなた、お熱いところを」と、徳利を金鎖の親爺の前へ、つと差し出した。
親爺は酒を注がせながら、女の顔をうるさく見て、「お前の名はなんと云うのだい」と問う。
「おちゃら」と返事をしたが、その返事には愛敬笑(あいきょうわらい)も伴っていない。そんならと云って、さっきの婆あさんのように、人を馬鹿にしたと云う調子でもない。おちゃらの顔の気象は純然たるcalme(カルム)が支配している。無風である。
純一は横からこの女を見ている。極(ごく)若い。この間までお酌という雛(ひよこ)でいたのが、ようようdrue(ドリュウ)になったのであろう。細面の頬にも鼻にも、天然らしい一抹(いちまつ)の薄紅(うすくれない)が漲(みなぎ)っている。涼しい目の瞳(ひとみ)に横から見れば緑色の反射がある。着物は落ち着いた色の、上着と下着とが濃淡を殊にしていると云う事だけ、純一が観察した。藤鼠(ふじねずみ)、色変りの織縮緬(おりちりめん)に、唐織お召の丸帯をしていたのである。帯上げは上に、腰帯は下に、帯を中にして二つの併行線を劃(かく)した緋(ひ)と、折り返して据わった裾に、三角形をなしている襦袢の緋とが、先(ま)ずひどく目を刺戟(しげき)する。
純一が肴(さかな)を荒しながら向うをちょいちょい見ると、女の方でも小さい煙管(きせる)で煙草を飲みながらこっちをちょいちょい見る。ひょいと島田髷(しまだまげ)を前へ俯向(うつむ)けると、脊柱(せきちゅう)の処の着物を一掴(ひとつか)み、ぐっと下へ引っ張って着たような襟元に、尖(さき)を下にした三角形の、白いぼんの窪(くぼ)が見える。純一はふとこう思った。この女は己(おれ)のいる処の近所へ来るようにしているのではあるまいか。さっき高山先生の前に来た時も、知らない内に己の横手に据わっていた。今金鎖の親爺の前に来ているのも己の席に近いからではあるまいかと思ったのである。しかし直ぐに又自分を嘲(あざけ)った。幾ら瀬戸の言うのが事実で、今夜来ている芸者はお茶碾きばかりでも、小倉袴を穿(は)いた書生の跡を追い廻す筈(はず)がない。我ながら馬鹿気た事を思ったものだと、純一は心機一転して、丁度持て来た茶碗蒸しを箸(はし)で掘り返し始めた。
この時黒羽二重(くろはぶたえ)の五所紋(いつつもん)の羽織を着流した、ひどくにやけた男が、金鎖の前に来て杯を貰っている。二十代の驚くべく垢(あか)の抜けた男で、物を言う度に、薄化粧をしているらしい頬に、竪(たて)に三本ばかり深い皺が寄る。その物を言う声が、なんとも言えない、不自然な、きいきい云うような声である。Voix de fausset(ヴォア ド フォオセエ)である。
左の手を畳に衝いて受けた杯に、おちゃらが酌をすると、「憚様(はばかりさま)」と挨拶をする。香油に光る髪が一握程、狭い額に垂れ掛かっている。
金鎖がこんな事を云う。「こないだは内の子供等が有楽座へ見に行って、帰ってから君のお噂(うわさ)をしていましたよ。大相(たいそう)面白かったそうで」
「いえ未熟千万でございまして。しかしどうぞ御閑暇(ごかんか)の節に一度御見物を願いたいものでございます」
純一は曽根の話に、新俳優が来ていると云ったことを思い出した。そして御苦労にもこの俳優の為めに前途を気遣った。俳優は種々な人物に扮(ふん)して、それぞれ自然らしい科白(かはく)をしなくてはならない。それが自分に扮しているだけで、すでにあんな不自然に陥っている。あのまま青年俳優の役で舞台に出たら、どうだろう。どうしても真面目な劇にはならない。Facetie(ファセエチイ)[#一つ目の「e」は「´」付き]である。俄(にわか)である。先ずあの声はどうしたのだろう。あの男だって、決して生れながらにあんな声が出るのではあるまい。わざわざ好(い)い声をしようと思って、あんな声を出して、それが第二の天賦になったのだろう。譬(たと)えば子供が好(い)い子をしろと云われて、醜いgrimace(グリマス)を見せるようなものだろう。気の毒な事だと思った。
こう思うと同時に、純一はおちゃらがこの俳優に対して、どんな態度に出るかを観察することを怠らない。
社会のあらゆる方面は、相接触する機会のある度に、容赦なく純一のillusion(イリュウジョン)を打破してくれる。殊に東京に出てからは、どの階級にもせよ、少し社会の水面に頭を出して泳いでいる人間を見る毎に、もはや純一はその人が趣味を有しているなんぞとは予期していない。そこで芸者が趣味を解していようとは初めから思っていない。
しかしおちゃらはこのにやけ男を、青眼を以て視るだろうか。将(は)た白眼を以て視るだろうか。
純一の目に映ずる所は意外であった。おちゃらは酌をするとき、ちょいと見たきり顧みない。反応(はんおう)はどう見ても中性である。
俳優はおちゃらと袖の相触れるように据わって、杯を前に置いて、やはり左の手を畳に衝いて話している。
「狂言も筋が御見物にお分かりになれば宜しいということになりませんと、勤めにくくて困ります。脚本の長い白(せりふ)を一々諳記(あんき)させられてはたまりません。大家のお方の脚本は、どうもあれに困ります。女形ですか。一度調子を呑み込んでしまえば、そんなにむずかしくはございません。女優も近々出来ましょうが、やはり男でなくては勤めにくい女の役があると仰(おっ)しゃる方もございます。西洋でも昔は男ばかりで女の役を勤めましたそうでございます」
金鎖は天晴(あっぱれ)mecene(メセエヌ)[ #一つ目の「e」は「´」付き。二つ目の「e」は「`」付き]らしい顔をして聞いている。おちゃらはさも退屈らしい顔をして、絎紐(くけひも)程の烟管挿(きせるさ)しを、膝(ひざ)の上で結んだり、ほどいたりしている。この畚(ふご)の中の白魚がよじれるような、小さい指の戯れを純一が見ていると、おちゃらもやはり目を偸(ぬす)むようにして、ちょいちょい純一の方を見るのである。
視線が暫(しばら)く往来(ゆきき)をしているうちに、純一は次第に一種の緊張を感じて来た。どうにか解決を与えなくてはならない問題を与えられているようで、窘迫(きんぱく)と不安とに襲われる。物でも言ったら、この不愉快な縛(いましめ)が解けよう。しかし人の前に来て据わっているものに物は言いにくい。いや。己の前に来たって、旨(うま)く物が言われるかどうだか、少し覚束(おぼつか)ない。一体あんなに己の方を見るようなら、己の前へ来れば好(い)い。己の前へ来たって、外の客のするように、杯を遣(や)るなんという事が出来るかどうだか分からない。どうもそんな事をするのは、己には不自然なようである。強いてしても柄にないようでまずかろう。向うが誰にでも薦めるように、己に酒を薦めるのは造作はない筈である。なぜ己の前に来ないか。そして酌をしないか。向うがそうするには、先ず打勝たなくてはならない何物も存在していないではないか。
ここまで考えると、純一の心の中(うち)には、例の女性に対する敵意が萌(きざ)して来た。そしてあいつは己を不言の間に飜弄(ほんろう)していると感じた。勿論(もちろん)この感じは的のあなたを射るようなもので、女性に多少の冤屈(えんくつ)を負わせているかも知れないとは、同時に思っている。しかしそんな顧慮は敵意を消滅させるには足らないのである。
幸におちゃらの純一の上に働かせている誘惑の力が余り強くないのと、二人の間にまだ直接なcollision(コリジョン)を来たしていなかったのとの二つの為めに、純一はこの可哀らしい敵の前で退却の決心をするだけの自由を有していた。
退路は瀬戸の方向へ取ることになった。それは金鎖の少し先きの席へ瀬戸が戻って、肴を荒しているのを発見したからである。おちゃらのいる所との距離は大して違わないが、向うへ行(ゆ)けば、顔を見合せることだけはないのである。
純一は誘惑に打勝った人の小さいtriomphe(トリオムフ)を感じて席を起った。しかし純一の起つと同時に、おちゃらも起ってどこかへ行った。
「どうだい」と、瀬戸が目で迎えながら声を掛けた。
「余り面白くもない」と、小声で答えた。
「当り前さ。宴会というものはこんな物なのだ。見給え。又踊るらしいぜ。ひどく勉強しやがる」
純一が背後(うしろ)を振り返って見ると、さっきの場所に婆あさん連が三味線を持って立っていて、その前でやはりおちゃらと今一人の芸者とが、盛んな支度をしている。上着と下着との裾をぐっとまくって、帯の上に持て来て挟む。おちゃらは緋の友禅摸様の長襦袢、今一人は退紅色の似寄った摸様の長襦袢が、膝から下に現れる。婆あさんが据わって三味線を弾き出す。活溌な踊が始まる。
「なんだろう」と純一が問うた。
「桃太郎だよ。そら。爺いさんと婆あさんとがどうとかしたと云って、歌っているだろう」
さすが酒を飲む処へは、真先に立って出掛ける瀬戸だけあって、いろんな智識を有していると、純一は感心した。
女中が鮓(すし)を一皿配って来た。瀬戸はいきなり鮪(まぐろ)の鮓を摘(つ)まんで、一口食って膳の上を見廻した。刺身の醤油を探したのである。ところが刺身は綺麗に退治てしまってあったので、女中が疾(と)っくに醤油も一しょに下げてしまった。跡には殻附の牡蠣(かき)に添えて出した醋(す)があるばかりだ。瀬戸は鮪の鮓にその醋を附けて頬張った。
「どうだい。君は鮓を遣らないか」
「僕はもうさっきの茶碗蒸しで腹が一ぱいになってしまった。酒も余り上等ではないね」
「お客次第なのだよ」
「そうかね」純一はしょさいなさに床の間の方を見廻して云った。「なんだね。あの大きな虎は」
「岸駒(がんく)さ。文部省の展覧会へ出そうもんなら、鑑査で落第するのだ」
「どうだろう。もうそろそろ帰っても好くはあるまいか」
「搆(かま)うものか」
暫くして純一は黙って席を起った。
「もう帰るのか」と、瀬戸が問うた。
「まあ、様子次第だ」こう云って、座敷の真中を通って、廊下に出て、梯(はしご)を降りた。実際目立たないように帰られたら帰ろう位の考であった。
梯の下に降りると、丁度席上で見覚えた人が二人便所から出て来た。純一は自分だけ早く帰るのを見られるのが極(き)まりが悪いので、便所へ行った。
用を足してしまって便所を出ようとしたとき、純一はおちゃらが廊下の柱に靠(よ)り掛かって立っているのを見た。そして何故(なにゆえ)ともなしに、びっくりした。
「もうお帰りなさるの」と云って、おちゃらは純一の顔をじっと見ている。この女は目で笑うことの出来る女であった。瞳に緑いろの反射のある目で。
おちゃらはしなやかな上半身を前に屈(かが)めて、一歩進んだ。薄赤い女の顔が余り近くなったので、純一はまぶしいように思った。
「こん度はお一人でいらっしゃいな」小さい名刺入の中から名刺を一枚出して純一に渡すのである。
純一は名刺を受け取ったが、なんとも云うことが出来なかった。それは何事をも考える余裕がなかったからである。
純一がまだsurprise(シュルプリイズ)の状態から回復しないうちに、おちゃらは身を飜(ひるがえ)して廊下を梯の方へ、足早に去ってしまった。
純一は手に持ていた名刺を見ずに袂(たもと)に入れて、ぼんやり梯の下まで来て、あたりを見廻した。
帽や外套(がいとう)を隙間(すきま)もなく載せてある棚の下に、男が四五人火鉢を囲んで蹲(しゃが)んでいる外には誰(たれ)もいない。純一は不安らしい目をして梯を見上げたが、丁度誰も降りては来なかった。この隙(ひま)にと思って、棚の方へ歩み寄った。
「何番様で」一人の男が火鉢を離れて起った。
純一は合札を出して、帽と外套とを受け取って、寒い玄関に出た。
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