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佐橋甚五郎(さはしじんごろう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:34:30  点击:417  切换到繁體中文


 家康はこれを聞いて、しばらく考えて言った。「そちが話を聞けば、甚五郎の申し分や所行しょぎょうも一応道理らしく聞こえるが、所詮しょせん間違まちごうておるぞよ。しかしそちも言うとおり、弱年の者じゃから、何かひとかどの奉公ほうこうをいたしたら、それをしおに助命いたしてつかわそう」
「はっ」と言って源太夫はしばらくたたみに顔をし当てていた。ややあってなみだぐんだ目をあげて家康を見て、「甚五郎めにいたさせまする御奉公は」と問うた。
「甚五郎は怜悧れいりな若者で、武芸にもけているそうな。手に合うなら、甘利あまりを討たせい」こう言い放ったまま、家康は座をった。

 望月もちづきである。甲斐かい武田勝頼たけだかつよりが甘利四郎三郎しろさぶろう城番じょうばんめた遠江国榛原郡小山とおとうみのくにはいばらごおりこやまの城で、月見のえんもよおされている。大兵肥満たいひょうひまんの甘利は大盃たいはいを続けざまに干して、若侍わかざむらいどもにさまざまの芸をさせている。
「三河の水の勢いも
小山がけばつい折れる。
すさまじいのは音ばかり」
こんな歌を歌って一座はどよめく。そのうち夜がふけたので、甘利は大勢にいとまをやって、あとには新参の若衆わかしゅ一人を留めておいた。
「ああ。さわがしいやつらであったぞ。月のおもしろさはこれからじゃ。またふえでもいて聞かせい」こう言って、甘利は若衆のひざまくらにして横になった。
 若衆は笛を吹く。いつも不意に所望しょもうせられるので、身を放さずに持っている笛である。夜はしだいにふけて行く。燃え下がった蝋燭ろうそくの長く延びたしんが、上のはしは白くなり、その下は朱色しゅいろになって、氷柱つららのように垂れた蝋が下にはうずたかくり上がっている。み切った月が、暗くにごったしょくの火に打ち勝って、座敷ざしきはいちめんに青みがかった光りを浴びている。どこか近くで鳴く蟋蟀こおろぎの声が、笛のにまじって聞こえる。甘利はまぶたが重くなった。
 たちまち笛の音がとぎれた。「もうし。お寒うはござりませぬか」笛を置いた若衆の左の手が、仰向あおむけになっている甘利の左の胸を軽くおさえた。ちょうど浅葱色あさぎいろあわせもんの染めいてある辺である。
 甘利は夢現ゆめうつつさかいに、くつろいだえりを直してくれるのだなと思った。それと同時に氷のように冷たい物が、たった今平手がさわったと思うところから、胸の底深く染みんだ。何とも知れぬ温い物が逆に胸からのどへのぼった。甘利は気が遠くなった。

 三河勢みかわぜいの手に余った甘利をたやすく討ち果たして、もとどりをしるしに切り取った甚五郎は、※(「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68)むささびのように身軽に、小山城をけて出て、従兄源太夫が浜松のやしきに帰った。家康は約束やくそくどおり甚五郎をし出したが、目見えの時一言も甘利の事を言わなんだ。蜂谷の一族は甚五郎の帰参を快くは思わぬが、大殿おおとの思召おぼしめしをかれこれ言うことはできなかった。
 甘利は死んでも小山の城はまだ落ちずにいた。そのうち世間には種々の事があった。先に武田信玄たけだしんげんが死んでから七年目に、上杉謙信うえすぎけんしんが死んだ。三十六さい右近衛権少将うこんえごんしょうしょうにせられた家康の一門はますます栄えて、嫡子ちゃくし二郎三郎信康が二十一歳になり、二男於義丸おぎまる秀康ひでやす)が五歳になった時、世にいう築山殿つきやまどの事件が起こって、信康はむざんにも信長の嫌疑けんぎのために生害しょうがいした。後に将軍職をけ継いだ三男長丸おさまる秀忠ひでただ)はちょうどこの年に生まれ、四男福松丸ふくまつまる忠吉ただよし)はその翌年に生まれた。それから中一年置いて、家康が多年目の上のこぶのように思った小山の城が落ちたが、それはもう勝頼のほろびる悲壮劇ひそうげきの序幕であった。
 武田のほろびた天正十年ほど、徳川家の運命のはかり乱高下らんこうげした年はあるまい。明智光秀あけちみつひでが不意に起って信長を討ち取る。羽柴秀吉はしばひでよし毛利もうり家と和睦わぼくして弔合戦とむらいがっせんに取って返す。旅中の家康は茶屋四郎次郎ちゃやしろじろうの金と本多平八郎ほんだへいはちろうやりとの力をかりて、わずかに免れて岡崎おかざきへ帰った。さて軍勢を催促さいそくして鳴海なるみまで出ると、秀吉の使が来て、光秀の死を告げた。
 家康が武田の旧臣を身方に招き寄せている最中に、小田原おだわら北条新九郎氏直ほうじょうしんうろううじなお甲斐かい一揆いっきをかたらって攻めて来た。家康は古府こふまで出張って、八千足らずのせいをもって北条ほうじょうの五万の兵と対陣たいじんした。この時佐橋甚五郎は若武者仲間わかむしゃなかま水野藤十郎勝成みずのとうじゅうろうかつなりといっしょに若御子わかみこで働いて手を負った。年のれに軍功のあったさむらいに加増があって、甚五郎もその数にれなんだが、藤十郎と甚五郎との二人には賞美のことばがなかった。
 天正十一年になって、遠からず小田原おだわらへ二女督姫君とくひめぎみ輿入こしいれがあるために、浜松のやかたいそがしい中で、大阪にうつった羽柴家へ祝いの使が行くことになった。近習の甚五郎がお居間の次で聞いていると、石川与七郎数正いしかわよしちろうかずまさが御前に出て、大阪への使を承っている。
たれか心のいた若い者を連れてまいれ」と家康が言う。
「さようなら佐橋でも」と石川が言う。
 やや久しい間家康の声が聞こえない。甚五郎はどうした事かと思っていると、やっと家康の声がする。「あれは手放しては使いとうない。このごろ身方についた甲州方こうしゅうがたの者に聞けば、甘利はあれをわが子のように可哀かわいがっておったげな。それにむごいやつが寝首をきおった」
 甚五郎はこのことばを聞いて、ふんと鼻から息をもらして軽くうなずいた。そしてつと座を起って退出したが、かねて同居していた源太夫のやしきへも立ち寄らずに、それきり行方ゆくえが知れなくなった。源太夫が家内の者の話に、甚五郎はふだん小判百両を入れた胴巻どうまきはだに着けていたそうである。

 天正十一年に浜松を立ち退いた甚五郎が、はたして慶長十二年に朝鮮から喬僉知きょうせんちと名のって来たか。それともそう見えたのは家康の僻目ひがめであったか。確かな事は誰にもわからなんだ。佐橋家のものは人に問われても、いっこう知らぬと言い張った。しかし佐橋家で、根が人形のように育った人参にんじん上品じょうひんを、非常に多く貯えていることが後に知れて、あれはどうして手に入れたものか、といぶかしがるものがあった。

この話は「続武家閑話ぞくぶけかんわ」にったものである。佐橋家の家譜かふ等では、甚五郎ははやく永禄えいろく六年一向宗徒にくみして討死している。「甲子夜話かっしやわ」には、慶長けいちょう十二年の朝鮮の使にまじっていた徳川家の旧臣を、筧又蔵かけいまたぞうだとしてある。林春斎の「韓使来聘記かんしらいへいき」等には、家康にえっした上々官をきんぼくの二人だけにしてある。もし佐橋甚五郎が事にいて異説を知っている人があるなら、その出典と事蹟じせきの大要とを書いて著者のもとに投寄してもらいたい。大正二年三月記。





底本:「山椒大夫・高瀬舟・阿部一族」角川文庫、角川書店
   1967(昭和42)年2月28日初版発行
   1993(平成5)年7月10日52版発行
入力:薦田佳子
校正:湯地光弘
1999年10月1日公開
2006年5月15日修正
青空文庫作成ファイル:
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    「日+鉛のつくり」    102-12

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