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魚玄機(ぎょげんき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:24:45  点击:  切换到繁體中文


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 趙は修法の時に規律を以て束縛するばかりで、楼観の出入などを厳にすることはなかった。玄機の所へは、詩名が次第に高くなったために、書をもとめに来る人が多かった。そう云う人は玄機に金を遣ることもある。物を遣ることもある。中には玄機の美しいことを聞いて、名を索書にりてうものもある。ある士人は酒を携えて来て玄機に飲ませようとすると、玄機は僮僕どうぼくを呼んで、その人を門外にい出させたそうである。
 然るに采蘋が失踪した後、玄機の態度は一変して、やや文字を識る士人が来て詩をい書を求めると、それをとどめて茶を供し、笑語※(「日/咎」、第3水準1-85-32)しょうごひかげを移すことがある。一たび※(「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1-86-31)かんたいせられたものは、友をいざなって再び来る。玄機がかくを好むと云う風聞は、いくばくもなくして長安人士の間に伝わった。もう酒を載せて尋ねても、逐われるおそれはなくなったのである。
 これに反していたずらに美人の名に誘われて、目に丁字ていじなしと云うやからが来ると、玄機はごうも仮借せずに、これに侮辱を加えて逐い出してしまう。熟客じゅっかくと共に来た無学の貴介子弟きかいしていなどは、さいわいにして謾罵まんばを免れることが出来ても、坐客があるいは句をつらねあるいは曲を度する間にあって、みずかて欠然たる処から、独りひそかに席を逃れて帰るのである。

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 客と共に謔浪ぎゃくろうした玄機は、客の散じた後に、怏々おうおうとして楽まない。夜が更けても眠らずに、目に涙をたたえている。そう云う夜旅中の温に寄せる詩を作ったことがある。

寄飛卿ひけいによす
※砌乱蛩鳴かいぜいらんきようなき[#「土へん+皆」、205-11]。 庭柯烟露清ていかえんろきよし
月中隣楽響げつちゆうりんがくひゞき。 楼上遠山明ろうじやうゑんざんあきらかなり
珍簟涼風到ちんてんにりやうふういたり。 瑶琴寄恨生えうきんにきこんうまる
※(「禾+(尤/山)」、第3水準1-47-84)君懶書札けいくんしよさつにものうし。 底物慰秋情なにごとぞしうじやうをなぐさめん
 玄機は詩筒を発した後、日夜温の書のきたるのを待った。さて日を経て温の書が来ると、玄機は失望したように見えた。これは温の書の罪ではない。玄機は求むる所のものがあって、自らその何物なるかを知らぬのである。
 ある夜玄機は例の如く、ともしびもとに眉をひそめて沈思していたが、ようやく不安になって席を起ち、あちこち室内を歩いて、机の上の物を取っては、またすぐに放下しなどしていた。やや久しゅうして後、玄機は紙をべて詩を書いた。それは楽人陳某ちんぼうに寄せる詩であった。陳某は十日ばかり前に、二三人の貴公子と共にただ一度玄機の所に来たのである。体格が雄偉で、面貌めんぼうの柔和な少年で、多く語らずに、始終微笑を帯びて玄機の挙止を凝視していた。年は玄機よりわかいのである。
感懐寄人かんくわいひとによす
恨寄朱絃上うらみをしゆげんのうへによせ。 含情意不任じやうをふくめどもいまかせず。 早知雲雨会はやくもしるうんうのくわいするを
未起※(「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24)蘭心いまだおこさずけいらんのこゝろ。 灼々桃兼李しやく/\たるもゝとすもゝ。 無妨国士尋こくしのたづぬるをさまたぐるなし
蒼々松与桂さう/\たるまつとかつら。 仍羨世人欽なほうらやむよのひとのあふぐを。 月色庭階浄げつしよくていかいにきよく
歌声竹院深かせいちくゐんにふかし。 門前紅葉地もんぜんこうえふのち。 不掃待知音はらはずちいんをまつ
 陳は翌日詩を得て、ただちに咸宜観に来た。玄機は人をしりぞけて引見し、僮僕に客を謝することを命じた。玄機の書斎からはただかすかに低語の声が聞えるのみであった。初夜を過ぎて陳は辞し去った。これからは陳は姓名を通ぜずに玄機の書斎に入ることになり、玄機は陳を迎える度に客を謝することになった。

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 陳の玄機をうことがしきりなので、客は多くしりぞけられるようになった。書をもとめるものは、ただ金を贈って書を得るだけで、満足しなくてはならぬことになったのである。
 一月ばかり後に、玄機は僮僕にいとまって、老婢ろうひ一人を使うことにした。この醜悪な、いつも不機嫌なおうなはほとんど人に物を言うこともないので、観内の状況は世間に知られることが少く、玄機と陳とは余り人に煩聒はんかつせられずにいることが出来た。
 陳は時々旅行することがある。玄機はそう云う時にも客を迎えずに、籠居ろうきょして多く詩を作り、それを温に送って政を乞うた。温はこの詩を受けて読む毎に、語中に閨人けいじん柔情じゅうじょうが漸く多く、道家の逸思がほとんど無いのを見て、いぶかしげに首を傾けた。玄機が李のしょうになって、いくばくもなく李と別れ、咸宜観に入って女道士になった顛末てんまつは、ことごとく李の口から温の耳に入っていたのである。

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 七年程の月日が無事に立った。その時夢にも想わぬ災害が玄機の身の上に起って来た。
 咸通八年の暮に、陳が旅行をした。玄機は跡に残って寂しく時を送った。そのころ温に寄せた詩の中に、「満庭木葉愁風起まんていのこのはしうふうおこり透幌紗窓惜月沈くわうしやのまどをとほしつきのしづむををしむ」と云う、例に無い悽惨せいさんな句がある。
 九年の初春に、まだ陳が帰らぬうちに、老婢が死んだ。親戚しんせきたのむべきものもない媼は、かねて棺材まで準備していたので、玄機は送葬の事を計らって遣った。その跡へ緑翹りょくぎょうと云う十八歳の婢が来た。顔は美しくはないが、聡慧そうけい媚態びたいがあった。
 陳が長安に帰って咸宜観に来たのは、艶陽三月の天であった。玄機がこれを迎える情は、渇した人が泉に臨むようであった。暫らくは陳がほとんど虚日のないように来た。その間に玄機は、度々陳が緑翹を揶揄やゆするのを見た。しかし玄機は初め意に介せなかった。なぜと云うに、玄機の目中には女子としての緑翹はないと云ってい位であったからである。
 玄機は今年二十六歳になっている。眉目びもく端正な顔が、迫りるべからざる程の気高い美しさを具えて、あらたに浴を出た時には、琥珀色こはくいろの光を放っている。豊かな肌はきずのない玉のようである。緑翹は額の低い、おとがいの短い※(「けものへん+渦のつくり」、第3水準1-87-77)かしに似た顔で、手足は粗大である。えりや肘はいつも垢膩こうじけがれている。玄機に緑翹を忌む心のなかったのは無理もない。
 そのうち三人の関係が少しく紛糾して来た。これまでは玄機の挙措が意に満たぬ時、陳は寡言になったり、または全く口をつぐんでいたりしたのに、今は陳がそう云う時、多く緑翹と語った。その上そう云う時の陳のことばきわめて温和である。玄機はそれを聞く度に胸を刺されるように感じた。
 ある日玄機は女道士仲間に招かれて、某の楼観に往った。書斎を出る時、緑翹にその観の名を教えて置いたのである。さて夕方になって帰ると、緑翹がかどに出迎えて云った。「お留守に陳さんがおいでなさいました。お出になった先を申しましたら、そうかと云ってお帰なさいました」と云った。
 玄機は色を変じた。これまで留守の間に陳の来たことは度々あるが、いつも陳は書斎に入って待っていた。それに今日は程近い所にいるのを知っていて、待たずに帰ったと云う。玄機は陳と緑翹との間に何等かの秘密があるらしく感じたのである。
 玄機は黙って書斎に入って、暫くして沈思していた。猜疑さいぎは次第に深くなり、忿恨ふんこんは次第に盛んになった。門に迎えた緑翹の顔に、常に無い侮蔑ぶべつの色が見えたようにも思われて来る。温言を以て緑翹をすかす陳の声が歴々として耳に響くようにも思われて来る。
 そこへ緑翹がともしびに火を点じて持って来た。何気なく見える女の顔を、玄機は甚だしく陰険なように看取した。玄機は突然起って扉にじょうを下した。そしてふるう声で詰問しはじめた。女はただ「存じません、存じません」と云った。玄機にはそれが甚しく狡獪こうかいなように感ぜられた。玄機は床の上にひざまずいている女を押し倒した。女はおそれて目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはっている。「なぜ白状しないか」と叫んで玄機は女ののどやくした。女はただ手足をもがいている。玄機が手を放して見ると、女は死んでいた。

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 玄機の緑翹を殺したことは、やや久しく発覚せずにいた。殺した翌日陳の来た時には、玄機は陳が緑翹の事を問うだろうと予期していた。しかし陳は問わなかった。玄機がとうとう「あの緑翹がゆうべからいなくなりましたが」と云って陳の顔色をうかがうと、陳は「そうかい」と云っただけで、別に意に介せぬらしく見えた。玄機は前夜のうちに観の背後うしろに土を取った穴のある処へ、緑翹のかばねを抱いて往って、穴の中へ推しおとして、上から土を掛けて置いたのである。
 玄機は「生ける秘密」のために、数年前から客を謝していた。然るに今は「死せる秘密」のためにおそれいだいて、もし客を謝したら、緑翹の踪跡そうせきを尋ねるものが、観内に目をけはすまいかと思った。そこでせつに会見を求めるものがあると、強いて拒まぬことにした。
 初夏の頃に、ある日二三人の客があった。その中の一人が涼を求めて観の背後に出ると、土を取った跡らしい穴の底に新しい土がまっていて、その上に緑色に光るはえが群がり集まっていた。その人はただなんとなくいぶかしく思って、深い思慮をも費さずに、これを自己の従者に語った。従者はまたこれを兄に語った。兄は府の衙卒がそつを勤めているものである。この卒は数年前に、陳が払暁に咸宜観から出るのを認めたことがある。そこで奇貨くべしとなして、玄機をおびやかして金をようとしたが、玄機は笑って顧みなかった。卒はそれから玄機を怨んでいた。今弟のことばを聞いて、小婢しょうひの失踪したのと、土穴に腥羶せいせんの気があるのとの間に、何等かの関係があるように思った。そして同班の卒数人と共に、※(「金+插のつくり」、第3水準1-93-28)すきを持って咸宜観に突入して、穴の底を掘った。緑翹の屍は一尺に足らぬ土の下に埋まっていたのである。
 京兆けいちょういん温璋おんしょうは衙卒の訴にもとづいて魚玄機を逮捕させた。玄機はごう弁疏べんそすることなくして罪に服した。楽人陳某は鞠問きくもんを受けたが、情を知らざるものとしてゆるされた。
 李億をはじめとして、かつて玄機を識っていた朝野の人士は、皆その才を惜んで救おうとした。ただ温岐一人は方城の吏になって、遠く京師けいしを離れていたので、玄機がために力を致すことが出来なかった。
 京兆の尹は、事が余りにあらわになったので、法をげることが出来なくなった。立秋の頃に至って、つい懿宗いそうに上奏して、玄機をざんに処した。

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 玄機の刑せられたのを哀むものは多かったが、最も深く心を傷めたものは、方城にいる温岐であった。
 玄機が刑せられる二年前に、温は流離して揚州ようしゅうに往っていた。揚州は大中十三年に宰相をめた令狐綯が刺史ししになっている地である。温は綯が自己を知っていながら用いなかったのを怨んで名刺をも出さずにいるうちに、ある夜妓院ぎいんに酔って虞候ぐこうに撃たれ、おもてきずを負い前歯を折られたので、怒ってこれを訴えた。綯が温と虞候とを対決させると、虞候は盛んに温の※(「さんずい+于」、第3水準1-86-49)おこうを陳述して、自己は無罪と判決せられた。事は京師に聞えた。温は自ら長安に入って、要路に上書して分疏ぶんそした。この時徐商と楊収ようしゅうとが宰相に列していて、徐は温を庇護したが楊が聴かずに、温を方城に遣って吏務に服せしめたのである。その制辞せいじは「孔門以徳行為先こうもんはとくかうをもつてさきとなし文章為末ぶんしやうをすゑとなす爾既徳行無取なんぢすでにとくかうのとるなし文章何以称焉ぶんしやうなんぞもつてしようせられんや徒負不羈之才いたづらにふきのさいをおふ罕有適時之用てきじのようあることまれなり」と云うのであった。温は後に隋県ずいけんうつされて死んだ。子の憲も弟の庭皓ていこうも、咸通中に官にぬきんでられたが、庭皓は※(「广+龍」、第3水準1-94-86)※(「員+力」、第3水準1-14-71)ほうくんの乱に、徐州で殺された。玄機が斬られてから三月の後の事である。
[#改ページ]

    参照

     其一 魚玄機
三水小牘       南部新書
太平広記       北夢瑣言ほくむさげん
続談助        唐才子伝
唐詩紀事       全唐詩(姓名下小伝)
全唐詩話       唐女郎魚玄機詩
     其二 温飛卿
旧唐書        漁隠叢話ぎょいんそうわ
新唐書        北夢瑣言
全唐詩話       桐薪どうしん
唐詩紀事       玉泉子
六一詩話       南部新書
滄浪そうろう詩話       握蘭集あくらんしゆう
彦周げんしゆう詩話       金筌集きんせんしゆう
三山老人語録     漢南真稿
雪浪斎せつろうさい日記      温飛卿詩集
(大正四年四月)





底本:「森鴎外全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年10月24日第1刷発行
入力:清角克由
校正:ちはる
2001年3月6日公開
2006年4月27日修正
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  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。

    「さんずい+高」    195-7
    「土へん+皆」    205-11

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