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うたかたの記(うたかたのき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-6 17:55:56  点击:  切换到繁體中文


 馬車来ぬれば、二人は乗りぬ。停車場のかたえより、東の岸辺をはしらす。この時アルペンおろしさと吹来て、湖水のかたに霧立ちこめ、今出でしほとりをふりかへり見るに、次第々々に鼠色ねずみいろになりて、家のむね、木のいただきのみ一きは黒く見えたり。御者ふりかへりて、「雨なり。母衣ほろおおふべきか。」と問ふ。「いな」とこたへし少女は巨勢に向ひて。「ここちよのこのあそびや。むかし我命うしなはむとせしもこの湖の中なり。我命拾ひしもまたこの湖の中なり。さればいかでとおもふおん身に、真心まごころ打明けてきこえむもここにてこそと思へば、かくはさそひまつりぬ。『カッフェエ・ロリアン』にて恥かしき目にあひけるとき、救ひ玉はりし君をまた見むとおもふ心を命にて、幾歳いくとせをか経にけむ。先の夜『ミネルワ』にておん身が物語聞きしときのうれしさ、日頃木のはしなどのやうにおもひし美術諸生の仲間なりければ、人あなづりして不敵の振舞ふるまいせしを、はしたなしとや見玉ひけむ。されど人生いくばくもあらず。うれしとおもふ一弾指いちだんしの間に、口張りあけて笑はずば、後にくやしくおもふ日あらむ。」かくいひつつかぶりし帽を脱棄ぬぎすてて、こなたへふり向きたる顔は、大理石脈だいりせきみゃくに熱血おどる如くにて、風に吹かるる金髪は、こうべ打振りて長くいばゆる駿馬しゅんめたてがみに似たりけり。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさてもむなしき名のみ、あだなる声のみ。」
 この時、二点三点、粒太つぶふとき雨は車上の二人がきぬを打ちしが、またたくひまに繁くなりて、湖上よりの横しぶき、あららかにおとづれ来て、べにしたる少女が片頬かたほおに打ちつくるを、さしのぞく巨勢が心は、唯そらにのみやなりゆくらむ。少女は伸びあがりて、「御者、酒手さかては取らすべし。れ。一策ひとむち加へよ、今一策。」と叫びて、右手めてに巨勢がうなじいだき、おのれはうなじをそらせて仰視あおぎみたり。巨勢はわたの如き少女が肩に、我かしらを持たせ、ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、かの凱旋門がいせんもん上の女神バワリアまた胸に浮びぬ。
 国王のめりといふベルヒ城のもとし頃は、雨いよいよはげしくなりて、湖水のかたを見わたせば、吹寄する風一陣々、濃淡の竪縞たてじまおり出して、き処には雨白く、あわき処には風黒し。御者は車を停めて、「しばしがほどなり。余りにれて客人まろうども風や引き玉はむ。またふるびたれどもこの車、いたく濡らさば、主人あるじいかりはむ。」といひて、手早く母衣打掩うちおおひ、また一鞭ひとむちあてて急ぎぬ。
 雨なほをやみなくふりて、神おどろおどろしく鳴りはじめぬ。みちは林の間に入りて、この国の夏の日はまだ高かるべき頃なるに、木下道このしたみちほの暗うなりぬ。夏の日にされたりし草木の、雨に湿うるおひたるかをり車の中に吹入るを、かつしたる人の水飲むやうに、二人は吸ひたり。鳴神なるかみのおとの絶間たえまには、おそろしき天気におくれたりとも見えぬ「ナハチガル」鳥の、玲瓏れいろうたる声振りたててしばなけるは、淋しき路をひとりゆく人の、ことさらに歌うたふたぐいにや。この時マリイは諸手もろてを巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかけたりしが、木蔭をる稲妻に照らされたる顔、見合せてえみを含みつ。あはれ二人は我を忘れ、わが乗れる車を忘れ、車の外なる世界をも忘れたりけむ。
 林を出でて、阪路さかみちを下るほどに、風村雲むらくもを払ひさりて、雨もまたみぬ。湖の上なる霧は、重ねたる布を一重ひとえ、二重とぐ如く、つかに晴れて、西岸なる人家も、また手にとるやうに見ゆ。唯ここかしこなる木下蔭をぐるごとに、こずえに残る露の風に払はれて落つるを見るのみ。
 レオニにて車を下りぬ。左に高くそばだちたるは、いはゆるロットマンが岡にて、「湖上第一勝」と題したる石碑せきひの建てる処なり。右に伶人れいじんレオニが開きぬといふ、水にのぞめる酒店さかみせあり。巨勢がかいなにもろ手からみて、すがるやうにして歩みし少女は、この店の前に来て岡の方をふりかへりて、「わが雇はれし英吉利人イギリスびとの住みしは、この半腹はんぷくの家なりき。老いたるハンスル夫婦が漁師小屋も、最早百歩がほどなり。われはおん身をかしこへ、伴はむとおもひてしが、胸騒ぎてへがたければ、この店にていこはばや。」巨勢はにもとて、店に入りて夕餉ゆうげあつらふるに、「七時ならでは整はず、まだ三十分待ち給はではかなはじ、」といふ。ここは夏の間のみ客ある処にて、給仕する人もその年々に雇ふなれば、マリイをれるもなかりき。
 少女はつと立ちて、桟橋さんばしつなぎし舟を指さし、「舟ぐことを知り玉ふか。」巨勢、「ドレスデンにありし時、公園のカロラ池にて舟漕ぎしことあり、善くすといふにあらねど、君ひとりわたさむほどの事、いかで做得なしえざらむ。」少女、「庭なる椅子いすれたり。さればとて屋根の下は、あまりに暑し。しばし我を載せて漕ぎ玉へ。」
 巨勢はぬぎたる夏外套なつがいとうを少女にせて小舟おぶねに乗らせ、われはかい取りて漕出こぎいでぬ。雨は歇みたれど、天なほ曇りたるに、暮色は早く岸のあなたに来ぬ。さきの風に揺られたるなごりにや、※(「木+世」、第3水準1-85-56)かじたたくほどの波はなほありけり。岸に沿ひてベルヒのかたへ漕ぎ戻すほどに、レオニの村落果つるあたりに来ぬ。岸辺の木立こだち絶えたる処に、真砂路まさごじの次第に低くなりて、波打際なみうちぎわに長椅子ゑたる見ゆ。あし一叢ひとむら舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺に人の足音して、木の間を出づる姿あり。身のたけ六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘こうもりがさを持ちたり。左手ゆんでに少し引きさがりてしたがひたるは、ひげも髪も皆雪の如くなるおきななりき。前なる人はうつむきて歩みぬれば、ふち広き帽に顔隠れて見えざりしが、今を出でて湖水の方に向ひ、しばし立ちとどまりて、片手に帽をぬぎ持ちて、打ち仰ぎたるを見れば、長き黒髪を、うしろざまにかきて広きぬかあらはし、おもての色灰のごとくあおきに、くぼみたる目の光は人を射たり。舟にては巨勢が外套を背に着て、うずくまりゐたるマリイ、これも岸なる人を見ゐたりしが、この時にわかに驚きたる如く、「彼は王なり」と叫びて立ちあがりぬ。背なりし外套は落ちたり。帽はさきに脱ぎたるまま、酒店に置きて出でぬれば、乱れたるこがね色の髪は、白き夏衣なつごろもの肩にたをたをとかかりたり。岸に立ちたるは、実に侍医グッデンを引つれて、散歩に出でたる国王なりき。あやしき幻の形を見る如く、王は恍惚こうこつとして少女の姿を見てありしが、たちまち一声「マリイ」と叫び、持ちたる傘投棄てて、岸の浅瀬をわたり来ぬ。少女は「あ」と叫びつつ、そのまま気をうしなひて、巨勢がたすくる手のまだ及ばぬたおれしが、傾く舟の一揺りゆらるると共に、うつぶせになりて水にちぬ。湖水はこの処にて、次第々々に深くなりて、勾配こうばいゆるやかなりければ、舟のとどまりしあたりも、水は五尺に足らざるべし。されど岸辺の砂は、やうやう粘土まじりの泥となりたるに、王の足は深くおちいりて、あがき自由ならず。そのひましたがひたりし翁は、これも傘投捨てて追ひすがり、老いても力や衰へざりけむ、水をけり二足ふたあし三足みあし、王の領首えりくびむづと握りて引戻さむとす。こなたは引かれじとするほどに、外套は上衣と共に翁が手に残りぬ。翁はこれをかいやり棄てて、なほも王を引寄せむとするに、王はふりかへりて組付き、かれこれたがひに声だに立てず、暫し揉合もみあひたり。
 これただ一瞬間の事なりき。巨勢は少女がつる時、わずかを握みしが、少女が蘆間隠れのくいに強く胸を打たれて、沈まむとするを、やうやうに引揚ひきあげ、みぎわの二人が争ふを跡に見て、もとかたへ漕ぎ返しつ。巨勢は唯奈何いかにもして少女が命助けむと思ふのみにて、ほかに及ぶにいとまあらざりしなり。レオニの酒店の前に来しが、ここへは寄らず、これより百歩がほどなりと聞きし、漁師夫婦が苫屋とまやをさして漕ぎゆくに、日もはや暮れて、岸には「アイヘン」、「エルレン」などの枝繁りあひ広ごりて、水は入江の形をなし、蘆にまじりたる水草に、白き花の咲きたるが、ゆふやみにほの見えたり。舟には解けたる髪の泥水にまみれしに、藻屑もくずかかりてたおれふしたる少女の姿、たれかあはれと見ざらむ。をりしも漕来る舟に驚きてか、蘆間を離れて、岸のかたへ高く飛びゆくほたるあり。あはれ、こは少女がたまのぬけ出でたるにはあらずや。
 しばしありて、今まで木影こかげに隠れたる苫屋のともしび見えたり。近寄りて、「ハンスルが家はここなりや、」とおとなへば、傾きし簷端のきばの小窓きて、白髪の老女おうな、舟をさしのぞきつ。「ことしも水の神のにえ求めつるよ。主人あるじはベルヒの城へきのふよりりとられて、まだ帰らず。手当てあてして見むとおもひ玉はば、こなたへ。」と落付きたる声にていひて、窓の戸ささむとしたりしに、巨勢は声ふりたてて、「水に墜ちたるはマリイなり、そなたのマリイなり、」といふ。老女は聞きもおわらず、窓の戸を開け放ちたるままにて、桟橋さんばしほとり馳出はせいで、泣く泣く巨勢をたすけて、少女を抱きいれぬ。
 入りて見れば、半ば板敷にしたるひと間のみ。今火をともしたりと見ゆる小「ランプ」かまどの上にかすかなり。四方よもの壁にゑがきたる粗末なる耶蘇ヤソ一代記の彩色画は、すすに包まれておぼろげなり。藁火焚わらびたきなどして介抱しぬれど、少女はよみがえらず。巨勢は老女とかばねかたわらに夜をとほして、消えてあとなきうたかたのうたてき世をかこちあかしつ。
 時は耶蘇暦千八百八十六年六月十三日のゆうべの七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水におぼれて※(「歹+且」、第3水準1-86-38)せられしに、年老いたる侍医グッデンこれを救はむとて、共に命をおとし、顔に王の爪痕そうこんとどめて死したりといふ、おそろしき知らせに、あくる十四日ミュンヘン府の騒動はおほかたならず。街の角々には黒縁くろぶち取りたる張紙はりがみに、この訃音ふいんを書きたるありて、その下には人の山をなしたり。新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの臆説おくせつ附けて売るを、人々争ひて買ふ。点呼に応ずる兵卒の正服つけて、黒き毛植ゑたるバワリア※(「(矛+攵)/金」、第3水準1-93-30)かぶといただける、警察吏の馬にり、または徒立かちだちにてせちがひたるなど、雑沓ざっとういはんかたなし。久しく民におもてを見せたまはざりし国王なれど、さすがにいたましがりて、うれいを含みたる顔も街に見ゆ。美術学校にもこの騒ぎにまぎれて、あらたいりし巨勢がゆくへ知れぬを、心に掛くるものなかりしが、エキステル一人は友の上を気づかひゐたり。
 六月十五日のあした、王のひつぎのベルヒ城より、真夜中に府にうつされしを迎へて帰りし、美術学校の生徒が「カッフェエ・ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日がほどに相貌そうぼう変りて、るくせたる如く、「ロオレライ」の図の下にひざまずきてぞゐたりける。
 国王の横死おうしうわさおおはれて、レオニに近き漁師ハンスルが娘一人、おなじ時に溺れぬといふこと、問ふ人もなくてみぬ。





底本:「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1981(昭和56)年1月16日初版発行
   1999(平成11)年7月15日36刷
底本の親本:「鴎外全集 第二巻」岩波書店
   1971(昭和46)年12月初版発行
入力:よしだひとみ
校正:松永正敏
2000年7月18日公開
2006年5月15日修正
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